#259/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 06/04/30 23:55 (497)
お題>該当作なし 1 永山
★内容
「何て卑怯なんだ、君達は」
パソコン画面を前にして、綾川有人は思わずぼやき気味に吐き捨てた。
只今インターネット中。表示されているのは、推理物を扱うサイトの臨時掲
示板。推理作家の綾川は当然、推理小説に関する話も好きである。サイトのコ
ンテンツに、特に不満はない。掲示板の書き込みにだって、文句はない。問題
は、臨時掲示板の方である。
「一つの獲物によってたかって。まるでハイエナ」
と言っても、自作を滅茶苦茶に貶されていたのではない。それに元来、綾川
は厳しい批評こそ歓迎するタイプだ。理屈の通っていない物以外は、どんな感
想でも受け付ける。
では、綾川は何に憤慨しているのか。
昨日発売の月刊雑誌「P.E.」で、綾川は二回分載の推理小説の前半部を
発表した。これには犯人当ての趣向が凝らしてあり、前半部が事件編、そして
来月号掲載予定の後半部が解決編に当たる。
無論、賞金・賞品が付いており、一等は雑誌掲載の犯人当てとしては破格の
十万円とあって、発売前から評判になっていた。綾川自身、力を入れた。
通常、雑誌掲載の犯人当て小説では、なるべく多くの読者に応募してもらう
ことが第一で、故に問題を難しくしすぎてはいけない。簡単すぎても読者の意
欲を削ぐ可能性があるのでよくないが、難解すぎるのは編集部からNGを出さ
れてしまう。応募総数の三分の一辺りが、ほどよい正解率とされる。
ところが、「P.E.」は推理小説専門誌であるため、いわゆるミステリマ
ニアがその読者層の八割強を占める。彼らは、問題が難しければ難しいほど、
“燃える”。そういう事情だから、荒耕社「P.E.」編集部から綾川は、問
題をいくら難しくしてくれてもかまわないとお墨付きをもらった。賞金が惜し
いから正解者ゼロでもかまわんよ、と冗談混じりに言われたほどである。
それに応えての自信作『ローリングクレイドル』である。正解者ゼロは無理
としても、かなり低い正解率に抑えられるだけの仕掛けを施したつもりだった。
自信満々でいると同時に、これから始まる読者とのゲームを心から楽しみに
していた綾川だったが、今表示されている掲示板を読んだ瞬間、その気持ちは
吹き飛んでしまった。
掲示板上で、『ローリングクレイドル』の謎解き推理が展開されているのだ。
恐らく二十名を下らない個々人からの書き込みが、すでにある。彼ら独自の推
理や、問題編を読んで気付いた点等がアップされていた。
「そんなにまでして、賞金が欲しいのかなぁ?」
この呟きは嫌味でも何でもなく、純然たる疑問。
「今回、こっちは一人。一個の脳みそを絞って、考え出した問題だよ? それ
を多人数でよってたかって解こうなんて、恥ずかしい行為だぞ」
独りごちる綾川。ぶつぶつと独り言を口走る癖は前からあったが、現在、殊
更に顕著である。
「だいたい、格好悪いじゃないか。古典的な推理小説に出て来る名探偵が、犯
人のこしらえた謎を解くに当たり、大勢集まって相談するか? いや、しない。
滅茶苦茶格好悪いからだ。警察はグループだからだめ、孤高の名探偵こそ、悪
魔的な犯罪者と対峙するにふさわしい――これが常識だ。君らは、本格ミステ
リのファンとして、恥ずかしくないのか」
段々と説教調になる。無論、綾川は掲示板に書き込むつもりはさらさらない。
だから掲示板の人達に、その声が届くことはないのだが、当人はひとまず気分
すっきり、満足した。そして、嘆かわしいとばかり、ため息を大きくついた。
「正々堂々、一対一の推理ゲームをしたい。インターネット全盛の現代では叶
わぬ夢なのかねえ」
回線を切ると、綾川は腕組みをして目を閉じ、沈思黙考に入った。
七月初旬、若山剣一宅の郵便受けに、一通の封書が舞い込んだ。
グレーがかった封筒に記された差出人名が荒耕社と知って、若山は期待と不
審とが入り混ざった心持ちになった。
春先の犯人当て『ローリングクレイドル』で見事、賞金十万円をせしめた彼
は、荒耕社によい印象を持っている。しかし、犯人当て以来、何も応募してい
ない。にもかかわらず、こうして郵便が来るとはどういうことか。愛読者全員
に送る宣伝にしては、封筒が仰々しい。
屋内に引っ込み、居間で胡座をかいて破り開ける。こんなとき、独り暮らし
は気楽でいい。家人に見咎められ、面倒な説明をさせられる心配がない。
中からは白地の用紙が、三つ折りになって何枚か出て来た。上三分の一を開
くと、一際色濃い黒文字が目に飛び込んでくる。
「招待状?」
口が、「ほ」と発音するときの形になった。急ぎ、下三分の一も開き、全文
に目を通す。読み終わったときには、喜びで頬が緩んでいた。
かいつまんで言うと、犯人当てで優秀な成績を残した読者に、探偵小説大賞
授賞式及びパーティへの出席を打診する内容である。探偵小説大賞とは荒耕社
主催の推理新人賞で、本格推理を対象に毎年公募がなされる。今年で第十回を
数えるが、選考は厳しく、該当作なしの年もあり、大賞作品は五、六作のはず
だ。
若山も学生時代、一度だけ投稿を考えたが、挫折した。それまでに短編しか
物にしたことがなかった彼にとって、四百字詰め原稿用紙で最低でも三百五十
枚という分量は、クリアするには高すぎるハードルだった。それが現在、こう
いう形で授賞式を見物できるようになるとは……苦笑を禁じ得ない。
授賞式はおよそ一ヶ月半後。八月下旬の三日間、週末の金曜から日曜が当て
られていた。泊まり込みで行われるのは今年が初めてで、第十回を記念しての
ことらしい。
文面によると、授賞式だけで三日間を保たせるのではないようだ。一日目と
二日目は、探偵小説大賞初の試みとなる公開選考会に充てられる。選考委員以
外の出席者にも論点が見えるよう、事前に候補作四編のコピーが配られるとい
うから、至れり尽くせりと言えよう。決定権は選考委員五名のみが持つものの、
候補作の作者や一般来場者にも発言の機会が与えられる、とある。画期的だと
若山は思った。
こうして二日目の夕刻までに受賞作を選出、その後、受賞パーティに入り、
ミステリをテーマにしたディスカッションやゲーム、オークション等も行われ
る予定だという。もちろん、その間の食費や宿泊費は主催社持ちだ。さすがに
旅費までは負担されないようだが……。
若山は、学生時代を思い起こしていた。各大学の推理小説研究会の連盟が主
催するミステリ大会に何度か参加した、そのときの熱っぽい楽しさが脳裏に蘇
る。当時の熱をまた味わえるのは魅力的だ。しかも、この道のプロが集まる中
で。
幸いにも開催日の両日は、若山にとって元から休日であった。
一も二もなく、参加を決めていた。
ミステリマニアにとって、そこは夢のような空間。
とにかく、場所が奮っている。山を背にして建つ洋館は、都会から距離を置
き、ミステリで言う嵐の山荘物を想起させる。実際は、一年前に新築された荒
耕社の保養施設で、規模や設備はちょっとしたホテルに匹敵する。それでいて、
堅苦しい雰囲気はない。
出席希望の意志を返信した後、改めて送られてきた案内状には、普段着での
参加を推奨する旨が記してあったが、あまりラフな格好もまずかろうと、スー
ツ姿を選んだ若山は、送迎バスの中で周囲の人々をちらちら観察し、一通りの
安心を得た。男性に限れば、大多数が似たような格好をしている。パーティの
席上ともなれば変わってくるのかもしれないが、選考会等はこれで充分と見た。
フロント――と言ってもホテルのそれではなく、マンションの管理人室のよ
うなカウンター――で名を告げ、部屋のキーと名札のプレートを受け取った。
キーホールダーにあるナンバーは、404。これをなかなか縁起のいい番号だ
と感じる若山は、やはりミステリマニアである。
エレベーターがあったが、作家や編集者らしき面々が大勢乗り込んでいたの
で遠慮し、若山は階段に回った。横幅が広く、緩やかな傾斜だ。端に寄って、
ロビーの吹き抜けの空間を見る。上から下、下から上まで視線を往復させた。
企業の保養施設の割には、装飾も凝っていた。シャンデリアが下がり、抽象的
なデザイン画が刻まれた壁には緑の蔦が這っている。本物かどうかは分からな
かった。南向きの壁はほぼ全面がガラス張りで、外の山並みがよく見晴らせる。
(雲が少し出て来たか。黒雲がこれから起こる惨劇を暗示していたとは、現時
点で誰も知る由もなかった……なんちゃってな)
自分の頭の中のジョークで頬を緩めた若山。年甲斐もなく浮つくのは、ミス
テリ心を刺激されたからに他ならない。
部屋の内装は、カーペット敷きの洋間。バスタブこそないが、洗面所があっ
て、ベランダがあって、テレビに電話、小型冷蔵庫もある。快適そうだ。それ
でいて病院の個室を思わせた。こぎれいだが、人工的で、暖かみがあまり感じ
られない。恐らく、利用者がほとんどなかったのだろう。
若山は荷物を置くと、スーツの上を脱いで、一服した。テーブルにあった灰
皿は大理石のようだ。凶器になる、と自然に連想する。
煙草を吹かしながら、左手首を見る。腕時計は昼の一時五分前を示していた。
選考会は午後二時開始、午後六時終了予定。その後、めいめいで夕食を摂るこ
とになっているが、選考会の成り行きいかんでスケジュール変更もあるとか。
一時間ほど、どうやって暇を潰そうか。作家をつかまえてサインでももらう
か、それとも候補作を読み直してみるか……。若山が煙草をもみ消し、ぼんや
り考えていると、ドアがノックされた。
主催社の人間が来たと思い、若山は急いで上着に腕を通すと、ドアに駆け寄
り、返事しながら開けた。
「はい、何でしょうか」
「はじめまして。あの、失礼ですが」
細かいチェック柄スーツを着た男が立っていた。見た目は自分と同じ三十代
前後なのに、嗄れた声だ。と思ったが、どうやら緊張感で口の中が乾いていた
せいらしい。生唾を飲み込むと、男性は柔らかだが、張りのある口調になった。
「あなたは、『ローリングクレイドル』で一席になった方ではないですか。そ
のお名前、見覚えがあるもので」
指差した先は、若山の左胸。フロントでもらったプレート――プラスティッ
クと紙でできた簡単な名札を付けている。
見れば、相手も付けていた。参加者全員がそうであるに違いない。
「はあ、そうですが、あなたは」
「これはまた失礼をしました。余田満夫と申します。私もあの犯人当てで次席
を取ったおかげで、招かれたんです」
営業課員のように腰の低い態度で、男は名刺を取り出し、くれた。肩書きに
歯科医師とある。
「ああ、あなたでしたか」
正直なところ、他の当選者の名前なぞ全く覚えていないが、自分以外に二人
いたことだけは思い出した。若山はお返しに、自分の名刺を渡した。
「ほお、保険会社の方」
「経理ですから、コンピュータをいじってるだけですがね。はっきり言って、
業種は何でもよかった」
それから若山は廊下の左右を見回した。
「じゃあ、ここにはあと一人、同じ資格で呼ばれた人がいるんでしょうね」
「いや、茅原っていう人は、都合が悪くて来られなかったとか。出版社の方に、
そう聞きました。主婦業は大変ですな」
若山は、自身はさほど物覚えがよくないせいもあって、この歯科医師の記憶
力に驚いた。記憶して、何に役立つのかが理解できない。
「尤も、私も無理をして、スケジュールをやりくりしました。スケジュールと
言うよりも、患者のやりくりですね。ははは。何しろ、あの綾川有人の素顔を
拝めるまたとない機会ですからねえ」
「そうですね。参加を決めた理由の一つは、綾川有人に尽きます」
同好の士であることを確認し、若山は頬を綻ばせた。
綾川有人は、十年前に第一回探偵小説大賞で一席を獲り、デビューして以来、
顔写真や詳細なプロフィールを公開せずにいた。神秘性を醸し出すためとされ
ているが、業界内でも、実際に会ったことのある者は極少数であると聞くから、
徹底している。そんな謎の作家がこの度の探偵小説大賞選考委員に名を連ね、
公開討論が行われるとなれば、すなわち姿を現すことに他ならない。
「でも、一抹の不安もあるんですよ」
若山は笑顔を苦笑いに変化させながら言った。
「エラリー=クイーンの顰みに倣って、綾川有人も覆面を被ってくるのではな
いか、という不安が」
「おお、そりゃあ大いにあり得る話だ。ううん、だとしたら残念だな。そうで
ないことを、祈るとしましょう。ところで、もう四編ともお読みに? 結構な
量でしたねえ」
「は? はあ、候補作のことですか。ええ、送られてきてから時間があったか
ら、少しずつ読んで、どうにか間に合いました」
「よかった。まだ時間があります。候補作について、始まる前にどなたかと話
をしたいと考えておりました。いかがです?」
余田の手には、小ぶりの紙袋が握られている。候補作のコピー原稿全部が入
っているのだろう。
なお、候補作を事前に読むことは参加者の義務ではなく、希望した者にだけ
渡される。ただし、「荒耕社が公表するまで、候補作並びに選考結果について、
一切口外しない」旨の誓約文を書かされた。出版社からすれば、当然の措置で
ある。
彼は横目で廊下の右手を一瞥し、また若山へと戻した。にやついている。
「会場に入ってからは、声高に意見を述べるなんてできそうにありません。今
ここでなら、多少批判的な感想を述べても、作者の人達には聞こえないから安
心ですよ、はっはっは」
「なるほど」
思わず微笑。心情がよく理解できたのだ。若山は歯科医師を招き入れた。
「おお、よかった。同じ造りですね」
「余田さんは、何号室です?」
「隣の405です。あとでお越しになってください」
二人はテーブルを挟み、斜向かいの格好で座った。若山は相手に断ってから、
煙草に火を着けた。聞けば、歯科医師である余田も喫煙するという。ただし、
ヘビースモーカーではないらしい。
余田は原稿のコピーをまとめて机上に置いた。
「さて、若山さんの一押しはどれですかな」
「それはまだ早いでしょう。とりあえず、一つずつ順番にまな板に載せること
にしませんか」
「いいでしょう。では、『あやつり屋敷の謎』から行きますか。作者は周藤貴
史、二十一才の大学生。題名は古臭いが、理系ミステリに分類できますね」
「これ、非常に本格の味わいがあって、好みです。文章が一部、硬質であれだ
けど、興が乗ってくると一気だった」
「同感です。いかにも、探偵小説大賞応募作らしいと思いました。――はは、
何だか我々が選考委員みたいな、偉そうな口ぶりですねえ」
「選考委員気分を味わうのも悪くない。そうじゃありませんか? 候補作を読
む機会なんて、滅多にないんだし、せいぜい楽しまなくては」
それから彼らは、一時五十分まで議論を楽しんだ。中断したのは、館内放送
が大ホールに集合するよう告げたためであった。
選考会会場は、大きめの体育館を想像すればよい。ただし、装飾や照明音響
設備はホテルのホール並みで、天井からはきめ細かい造りのシャンデリアがい
くつかぶら下がっている。結婚披露宴でも執り行おうかという華やかさだ。
前方に壇があり、選考委員や主催者側の人間は、そこに並べられた椅子に座
ることになるらしい。椅子にはそれぞれ机の用をなすプレートが装着されてい
て、その上にはメモらしき紙がすでにあった。各候補作のコピー原稿はかさば
るためか、さすがに見当たらない。
他の参加者は、床上に整然と並べられた椅子に収まっている。候補作の作者
四名は、最前列に横並びに座らされ、緊張の笑みを覗かせていた。その右隣に
は大物・重鎮とされる作家や評論家、左隣には出版社や新聞社の関係者が並ぶ。
若山ら一般参加者は後方に追いやられたが、これは致し方ない。選考委員や
候補者の表情を生では確認しづらいものの、大きなプロジェクターが左右に一
機ずつ配され、そこよりスクリーンに投影される行き届きよう。
若山は参加者を見る内に、ある点に気が付いた。一般参加者とそれ以外とで
は、名札が異なるのだ。いわゆるお偉方は布を花形にした、勲章を思わせる名
札になっている。いや、そこに名前は記されていない。業界内で知らぬ者はも
ぐりだということか。
「修学旅行を思い出しましたよ」
若山は隣に座る余田に、囁き調で話し掛けた。
「ははあ、面白い。となると、生徒は大人しくしておくべきかな」
選考会は五分遅れで幕を開けた。雰囲気は、若山が当初予想していたほど厳
粛なものではなく、ショーアップの方向を目指しているようだ。司会者はミス
テリ好きでも知られるタレントで、まるでリングアナウンサーのごとく威勢の
よい、めりはりの利いた口上で進行していく。選考委員五氏は、彼の呼び出し
に応じて舞台に登場、そこへスポットライトが当てられる。顔ぶれは、ベテラ
ン推理作家の源之内平蔵、サスペンス物を得意とする福原弥栄、評論家や翻訳
家として活躍する中畑英実、主催の荒耕社の雑誌「P.E.」編集長である西
田善行、そして本格の旗頭であり本賞の第一回受賞者でもある綾川有人。
主催社サイドもマニア心理をよく把握しており、通常なら業界に携わった年
数の短い順に紹介するであろうところを、綾川有人を最後に呼んだ。
本来主役であるはずの候補者達も、壇に上がることはなかったが、ライトに
順次照らされた。
若山は演出に呆気に取られながら、隣の余田にひそひそと声をかけた。
「綾川有人、見ました? 覆面じゃないのはよかったですけど、何か、作中の
名探偵と重ねて見てしまっていたから、イメージがちょっと違う」
「うーん、まあ、そうですかな。思ったよりふっくらとした顔付きだが、体格
はいいですよ。スポーツなら大抵こなせそうだ。作中の探偵と同様に、武術の
達人かもしれない」
「なるほど。あと、驚いたのは中畑英実です。初めて見ましたが、凄い美人じ
ゃないですか」
「うんうん、ですねえ。中畑英実も表舞台には出て来ない人だったなあ。しっ
とりとした文章から、おばさんだと思ってました」
「はは。そう言や、中畑が綾川作品を批評したことって、ありましたっけ?」
「いや、記憶にないですなあ」
「やはり、そうですか。だからかな。批評家の中から、彼女が選考委員に選ば
れたのは。綾川とぶつからない」
「それはどうでしょう。中畑英実は、福原の作品は批評している。誉めたり、
批判したりと作品本意の正当なものですけどね」
「うーん。この説は捨てざるを得ないか。――それにしても、また思い切りま
したね。異例の選考会ですよ」
「ああ、ええ。面白いけれど、ミステリファン万人に受けるかどうかは、分か
りませんなあ」
「チャレンジ精神を買いたいですね。ただ、できれば、作者達も舞台上に同席
させてほしいな。その方が白熱しそうだ」
「どうでしょう? 作者の方達は、現時点ではあくまで素人ですよ。脚光を浴
びるのは、受賞者ただ一人でかまわない」
「なるほど、そういう見方もあるか」
舞台では、選考会が始まった。作品は、作者名の五十音順に審議していくと
いう。江本正吉の『殺人探偵』がまず俎上に載せられた。
選考委員の発言は、レディファーストなのかどうか、二人いる女性の内の一
人、福原が口火を切った。
「四編の中では、一番の異色作。主人公の位置付けがユニークですね。冒頭か
ら、探偵を志す司馬の動機が、『完全犯罪を成し遂げるため』と語られて、引
き込まれました。名探偵としての地位を築けば、決して疑われることはないと
いう理屈なんですね」
「その理屈にリアリティはないけれど、小説上では成り立つ」
綾川が同感という風にうなずき、付言した。
そこへ、源之内がやおら腕組みを解き、重々しく発言する。
「皆さん高く評価されておるようですが、自分は買えないな。新人賞でパロデ
ィ作品というのは、好きじゃないんで」
「これ、パロディですかね?」
中畑がすかさず聞くと、源之内は大きく首肯し、再び腕を組んだ。自信満々
に言い切る。
「パロディでしょう。これまでの名探偵の存在があってこそ、成り立つ理屈な
のだから」
「いや、パロディと断定するのはね、ちょっと問題ありません? 新しい探偵
を創造したとも解釈できる」
中畑の反論にも、動じずに源之内は応じた。
「だが、これまでの名探偵像を踏み台として、アイディアを生み出したのは間
違いないだろう。しかもそのアイディアは、探偵役のキャラクターのみならず、
作品の構造に関わっている。新しい探偵の創造と呼べるほど、たいそうなもの
か……甚だ疑問だな」
「僭越ながら、脱線してませんか。パロディかどうかは、読者が各自で判断す
ることです」
綾川が見かねた風に、口を挟んだ。子供っぽい苦笑を浮かべ、議論すること
がいかにも楽しそうだ。
「そうとも。私は私個人の判断で、これをパロディとしたのだ」
「それは認めます。ただ、どうしてパロディがだめなんですか? ああ、だめ
とは言ってないか。パロディが好きじゃないのは何故です?」
「そりゃあ、君、パロディは他人の財産で食っているようなもんだからな。い
やしくもプロを目指そうって者なら、一から新しい物語を築くべきだ」
「一理あると思います。では、この『殺人探偵』が、そんなに非難されなけれ
ばならないほど、既存作品に寄りかかっていますでしょうか」
綾川の論に、源之内が初めて詰まった。なるほど、『殺人探偵』はパロディ
的な面白味を有しているが、一個の作品として独立していることは、読んだ者
の多くが認めるところだろう。
「……私も言葉が過ぎたようだ。候補作中、パロディ色の強い『殺人探偵』に
は、その分辛い点を付けた――この程度の意味に受け取ってもらいたい」
「まあ、パロディ作品に関する議論は、これくらいにして」
頃合いと見たか、西田編集長が笑顔で割って入る。彼が議論の司会進行役で
もあるらしい。
「多面的に見てみましょう。たとえば、文章力はどうですか。自分は、端的な
筆致で、すいすい読めました。詰まることがない」
「作者は短編で佳作の経験がある人でしたね。その切れのよさが、長編でも発
揮されたと思います」
綾川の意見に、中畑が反論を提出する。
「うーん、私には物足りなかった感じです。確かに読み易いんだけれども、少
しくらい味わい深い文章にしてほしかったかな、という」
「中畑さんは、こくのある文体が好きだから」
半ば冷やかす口ぶりで、福原。続けて彼女が言った。
「この内容、テーマなら、簡素な文体の方が似合ってるんじゃないかしら。私
が不満に感じたのは、むしろサスペンスの欠落です」
「そうかな? 次から次へと人が死んで、恐怖感を煽っていると思うが」
異議を唱えた源之内に対し、福原は首を振った。ネックレスが光を反射する。
「舌足らずでした。登場人物が感じる恐怖を言っているのじゃありません。文
意を汲み取りやすく、すーっと読めることに加え、いかにもな叙述トリックの
匂いがぷんぷん漂うから、読者の中には早い段階で仕掛けに気付いて、どきど
きできない人も出るんじゃないかしら、と」
「私は気付かなかったな」
綾川が自嘲気味にこぼした。目が笑っている。慌てた様子で、手を振る福原。
「私も気付きませんでした。ただ、大勢の読者の目に晒されたときのことを考
えると、気付く人も結構多いんじゃないかなって」
「その心配はありますね。読み巧者にかかれば、いちころかもしれない。ある
記述の不自然さに気が付けば、底が割れる可能性大。あ、『ある記述』なんて
ぼかさなくてもいいんでしたっけ」
綾川が自嘲を交えて肯定した。中畑も同調する。あとを受けて、源之内が持
論を述べた。
「私は、さほどトリックに重きを置かない主義なので、中途で露見しようが大
して気に留めないのだが、トリック重視の人から見て、この作品の瑕疵は、カ
バーできぬほど大きいのかね」
「まあ、書き方次第でしょうね。手を加えて、分かりにくくできる類です」
「それなら――編集長。この賞は、書き直しは認められておるんだったかな」
西田に聞いた源之内。編集長は「多少なら」と短く答えた。源之内がすかさ
ず応じる。
「手直しすることで欠点がカバーできるのであれば、そうすべきだと私は考え
ておる。評価に当たって、どう考慮すればいいのかな」
「公平性の見地から、他の作品も書き直された場合を想定しなければいけなく
なります。賞を出すのは、あくまで応募原稿を対象に願います。手直し作品を
出版するとしたら、佳作扱いが妥当だと考えております」
「そう言えば、自分がこの賞をいただいたときも、佳作がありましたよね」
綾川が懐かしむ口ぶりで言った。しかし、これは話の本筋ではない。綾川自
身も承知しているらしく、「失礼。脱線させてはいけませんね」と語尾を濁す。
「異色の設定だけれど、推理物のつぼをきちんと押さえていて、手堅いという
のが、私の印象であり、評価です」
その後、登場人物の不自然な動きの指摘が一点なされ、『殺人探偵』に関す
る議論は終わった。どうやら、選考委員以外の者が意見を述べる場は、全候補
作を論じたあとに設けてあるものと思われる。混乱を避け、また公平性を保つ
には、賢明な措置かもしれない。
次いで取り上げられたのは、上尾竜子の『頬を掠める毒』なる作品。作者は
三人の子を持つ専業主婦であるが、この選考会出席のために、万難を排して時
間をこしらえたという。
「私の一押しは、これ」
言い切ったのは中畑。賛辞のオンパレードが始まる。
「ゆったりとした筆致で、日常を丹念に積み上げていって、犯罪が起きても不
思議でない舞台を、いつの間にか整えている。この段取りが自然かつ緻密で、
新人離れしています。ここまでは日常のサスペンスを扱った物のように見える
んですが、その後の展開は一転して、本格推理の世界に突入します。この賞の
カラーをよく心得ていらっしゃる」
「うーん、正反対だぁ」
苦笑を禁じ得ないのは、綾川。アイコンタクトでも取るかのように、中畑と
向き合い、相対する。
「出だし、ゆったりしすぎで、乗れないんですよね」
「これはそういう点が持ち味――」
「いや、分かってますって。分かってるつもりです。ただね、探偵小説大賞の
候補作だと意識して、読み始めたから、何だか肩透かしを食らわされた気分に
なって、いらいらしちゃいました。さっさと事件を起こせ、と」
綾川の笑いに、他の選考委員だけでなく、会場内の何分の一かがつられて笑
った。だが、中畑は真面目な表情を崩さず、問い掛ける。
「じゃあ、事件が起きてからは、興が乗ってきて、綾川さんもさぞかし満足で
きたでしょう?」
「それが、そうでもないんです。まず、殺人発生以後と以前とで、トーンがが
らりと変わるところ。木に竹を接いだようなってやつじゃありませんか」
「パートが別れていると見なしましたが」
「物は言い様ですね。では、そのパート2ですけど、それを本格推理として見
てどうかというと、いまいちかなと思ってしまう。借り物なんです」
評価が別れて、盛り上がりを見せる選考会に、会場も沸く。
一般席の片隅では、若山が余田に耳打ちをしていた。
「旗色が悪いようで」
選考会が始まる前の雑談で、余田の一押しが『頬を掠める毒』であると分か
ったのだ。
「旗色が悪いとは言えんでしょう。意見が割れてるだけで」
「でもまあ、『殺人探偵』に比べると、ね」
舞台上では議論が移っていた。次に取り上げられたのは、若山がお気に入り
の『あやつり屋敷の謎』。
「犯人特定の推理過程に、間然するところがない。しかもその論法と来たら、
独自性に溢れた、新しい観点からの発想。これからの本格推理小説と呼ぶにふ
さわしい」
綾川が雄弁に語った。そのあと、冗談めかして付け足す。
「題名だけは、古めかしくて陳腐ですがね」
「いえ、そこは、懐古調なのがいいという見方もできますから」
先ほど綾川と激しく議論を闘わせた中畑も、この作品に関しては同意見のよ
うだ。穏やかな口ぶりで擁護する。それは、源之内も同様だった。
「新人にしては、手慣れていて、逆に新味に乏しいきらいがあるかと思ってお
ったんだが、どうしてどうして、終盤にかけての謎解きは、久方ぶりに論理の
美を見た心地がする」
西田も高評価を下しているらしく、ロジックが優れていた他に、「文章が読
み易くて、すっすと頭の中に入ってくる。情景が浮かぶ」と讃えた。
唯一人、福原だけは、低い評価を与えていた。
「論理の素晴らしさや新人離れした文章は認めます。だが、あまりにも志が低
い気がします。御屋敷物は本格の王道だから許容するとしても、現代性を欠い
た物語世界、予定調和的なストーリー……」
「そこがいいんじゃないですか」
西田が反論をするのは、希有のことだ。それだけ、本作を買っているに違い
ない。探偵小説を愛する編集者として、当然の態度と言えるかもしれない。
一方、福原も引かない。
「仮に私がこのトリックとロジックを思い付いたなら、こんな旧弊な物語の枠
に押し込めず、もっと傑作を書いてみせます。ええ、断言してもいいですわ。
つまり、作者はよい素材を見つけ出したのに、料理の仕方を誤った。そう思え
てなりません」
「手厳しいですねえ」
苦笑をこらえる風に綾川。口元にやった拳を開いたり握ったりし、そのあと
眉間にあてがった。考えをまとめにかかっていると見た。
「――では福原さん。この作品のアイディアのよさは、認めてますよね?」
「もちろんです。いかにも理工学系の学生さんらしい発想で、しかも分かり易
く解説されています」
「もう一点、お伺いします。これを書いた人、えっと、周藤さんが来年、同じ
アイディアで全く別のスタイルの作品で投稿してきたら、あなたはそれを公平
に評価できます?」
「いえ。一つのアイディアに執着するのは、好みではありませんね。特に、新
人賞を目指そうという人が、そういうことでは……。二度目に読むと、驚きの
度合いも落ちるでしょうし」
「なら、今年受賞させてあげてもいいと思うんだけど。この作者は書ける人だ」
「書ける人だからこそ、新しい作品で来年チャレンジという考え方もできませ
んこと? 『あやつり屋敷の謎』の方は、デビュー後、じっくり手直ししてい
ただきたいですわ」
なかなか白熱している。生で聞かされる作者は、どんな思いでいるのか?
身を縮ませているだろうか……若山がそう思った矢先、スクリーンに周藤の表
情が大写しになった。
(へえ……堂々としているな。自信があるに違いない)
眼鏡を掛けた痩身の若者は、腕を力強く組んで、舞台の様子をじっと見上げ
ている。唇を固く結ぶその横顔は、確固たる信念の持ち主であることを表して
いるかのようだった。
最後に、『反転』がまな板の上に載せられた。作者は元刑事にして、現在タ
クシードライバーという松岡太郎。五十八という年齢にしては、髪が黒々とし
て、若々しい。無論、かつらの可能性もあるが、だとしても肌の色つやは健康
的だ。
「経験をフルに活かした、いい作品だと思うな」
源之内が真っ先に発言した。多分、この『反転』を最も高く買っている。
「それでいて、安易に刑事を主役にしないのがまたいい。平凡な一市民を主役
に据え、事件に徐々に巻き込まれるさまを丹念に描いている。また捜査の情報
を得る過程も、ご都合主義に陥らず、常識的、実際的な範疇に収めていて、好
感が持てる」
「源之内先生の言う長所は認めます。が、本格として見ると、どうでしょうか」
疑問を呈したのは西田。綾川が追随した。
「何かこう、わくわくする物がないんですよね。事件の構造が単純というか、
殺しが起こり、犯人は誰か?ってだけで、謎にプラスアルファの魅力がない」
「真相を追う道行きには、充分なスリルがあった」
「ですから、そこは同意します。僕ら本格推理好きが求めたいのは、極端な挙
例をするなら、密室のような付加がほしいってことですよ」
「この作品に、密室は不要だと思うね」
「密室はあくまでたとえ話で、『反転』にふさわしい魅力的な謎が盛り込んで
あれば、文句なしに推せる作品になったのになあ、と」
「カラーが違うのだから、それは無意味じゃないかね」
議論が平行線になりかける。タイミングを計ったかのごとく、中畑が口を挟
んだ。
「本格らしさは、応募作の絶対条件ではないんだから、議論はその辺でいいん
じゃありませんか。それよりも、私は犯人の行動の不自然さが気になりました」
「ああ? どこ?」
源之内が一瞬、心外だという風に顔を大きくしかめ、次に慌てたように顎を
上げると、原稿を求めて目線を彷徨わせた。今現在は手元になく、選考委員の
中では西田一人が、紙袋に入れて持っていた。
中畑は「あとでご確認ください」と前置きし、メモを見ながらページ数を告
げ、説明を加える。
「――ここの、園田が手塚宅に侵入して、時計に細工すると同時に、便箋を盗
み出す場面ですが、手塚がいつ帰るか分からないのに、園田は随分堂々と行動
してます。もし細工の途中で戻って来たら、園田はどうしたのか」
「それは……隠れるなり、逃げるなりすればいい」
「いえ、問題は、このシーンの時間帯が夜である点です。手塚は電灯を切って、
外出した。園田は手ぶらで侵入した。家捜しするからには、当然、電灯を点け
たはず。手塚が自宅を前にして、明かりが点いているのを目撃したら、不審に
感じるに違いないでしょう。対する園田は、手塚の帰宅を事前に察することが
できない。こう考えると、園田は実に危ない橋を渡ったものだと思うんです」
源之内は顎に手を当て、半眼になり、思索検討に入る。そのまま沈黙した。
中畑の言い分を認めたのだろう。
代わって、福原が意見を述べる。
「犯人側の行動の不自然さをあげつらうなら、他の候補作にもあったように思
うけれど……」
「ええ、大なり小なりは。『反転』についてのみ敢えて指摘したのは、この作
品が非常に現実的な作風で、がっちりした構成であるからこそ。玉に瑕という
あれですね」
「不公平だわ」
苦笑混じりに福原が言った。
――続く