AWC 特別な人にマジックを 3   寺嶋公香


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#251/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  05/01/02  00:00  (381)
特別な人にマジックを 3   寺嶋公香
★内容                                         06/07/27 23:37 修正 第4版
 小倉の爆弾発言に、教室全体が蜂の巣をつついたような騒ぎになったため、
休憩をかねて、しばし臨時の中断。
 と言っても、小倉自身が、マジックが好きになったということよと弁明して、
ひとまず収まっている。だが、今度は暦が調子を崩していた。力の入れ加減が
おかしくなって、指先の動きから繊細さが失われる。
「にやけてるよ」
 踊り場まで来て、碧に突っ慳貪な口調で言われても、腹が立たない。
「さっきの小倉さんの言葉、ストレートに受け取ってもかまわないと思うけれ
ど、三つ目のマジックで醜態を晒したら、羽根田君の方になびくに違いないわ。
そこのとこ、分かってる?」
「あー、そうか」
「まったく」
 どこかのんびりと応じる暦に、碧の方がいらいらしてきたようだ。すでに半
ば呆れているようでもある。
「このままじゃ、ミスをしでかすのが目に浮かぶわ」
「俺もちょっと自信ない」
「だったら――」
「がみがみ言わないで、聞けって。最後の演目、変えるつもりだ」
 お喋りを手で制し、そう伝える。碧は文字通り目を丸くした。
「……急に別のマジックにするなんて、かえって危なくない?」
「元々、いくつか用意していたんだよ。相手のマジックを見てから、決めるの
もいいかなと思ってね。現実には、自信のあるやつを二つ続けてやったけどさ」
「最初に予定していた三つ目も、自信のあるやつなんでしょ?」
「うん。でも、三つ目もカードマジックのつもりだったから。今の状態だと、
確かに不安がある。それに、全部カードマジックよりも、違うのを入れた方が
いい気がしてきた」
「まあ、私より暦が詳しいんだから、口出ししても仕方ないかもしれないわね。
ただ、聞いておきたいことが一つ、あるのよ」
「何?」
 真剣さを感じ取って、暦は碧を見据えた。碧は、低く、早く言った。
「勝つために最善を尽くしているか?」
「うーん……見ている人にとって最高のマジックになるよう、心掛けている。
これって同じかな?」
 弟の問い掛けに、姉は満足げに即答した。
「同じよ」

 暦の考え方とは逆に、最終決戦において羽根田が選んだのは、またもやカー
ドマジックだった。
「暦君がカードマジックが得意のようだから、僕も同じ土俵で対抗しようと思
ってね」
 などと前置きし、始める。この回は先生にお手伝いを頼んだ。
「切って行くので、好きなところでストップをかけてください。お願いします」
 ヒンズーシャッフルで十回くらい切った頃、先生はストップをかけた。
 羽根田はカードを横に広げて行き、今度は、好きなトランプを指差してくだ
さいと言った。裏向きだからどれでも同じと思ったのだろう、ほぼ真ん中の一
枚を指で押さえた先生。
「では、先生はそれを抜き取って、裏向きで教卓に置いてください。僕はその
ままの状態で、カードの種類を当ててみせます」
 羽根田の喋りは、二つ目ほどよい出来ではないと感じた暦。特に、カード当
てであること及びその当て方を言ってしまった点は、よくない。観客からすれ
ばカード当てだろうと予測できるものの、事前にわざわざ宣言する必要はない。
いい手本がなかったのか、先生相手に改めて緊張しているのか。
 口上はともかく、羽根田は当てることに成功した。カードの裏を上からじっ
と見つめ、しばらく考え込んだあと、「ダイヤの……8、ですね」とつぶやく。
先生がカードをめくってみると、なるほど、ダイヤの8が現れた。
(マジックよりも、超能力の演出に近いな。恐らく、裏に極小さな印が書いて
あって、判別できるんだな)
 それが暦の感想。みんなも驚きこそしているが、二つ目までに比すと味気な
いマジックと感じたらしく、場の空気は微妙なものになった。
(これで終わりだと点数低いぜ、羽根田?)
 胸中、心配しつつ、挑発の台詞を唱える暦だが、敵もさるもの。次の手を用
意していた。カードを再びひとまとめにすると、端を整えながら先生に言う。
「では、さっきとは別の当て方をしますから、もう一度、カードを引いていた
だきます。お願いします」
 先生は、今度は若干、下部寄りの位置からカードを引いた。
「後ろを向いてますから、それを見て、覚えてください。みんなにも見せてく
ださい」
 羽根田まであっさりこう言うからには、ぐる(サクラ)云々の件は、もはや
不問のようだ。
 カードはスペードの7。
「覚えました? 前向いていいですか?」
「いいわよ」
 先生が答えると、羽根田はきっちり揃えたカードの山を手に、向き直る。
「では、この中のどこでもいいから、差し込んでみてください」
「それじゃ、さっきと同じ辺りに」
 そう言って先生がカードを戻そうとすると、羽根田の手に力が入りすぎてい
たのか、すんなりとは行かず、はじき返す。逆に先生は手から力が抜けていた
のか、カードを離してしまった。左右に揺れて舞い、床の上で裏向きになる。
「あらあら、ごめんなさい。でも、裏だから大丈夫ね。あ、私が拾うから」
 拾おうとした羽根田を押し止め、先生はカードを拾い上げた。それから先と
同じように段取りを進めようとするが、何故か羽根田の顔色が悪い。
 落としたことで流れが途切れたのは事実だろうが、失敗したのは羽根田では
ないし、カードが落ちたぐらいで致命的なミスになるまいに……。
 そんな風に考えた暦は、不意に閃きを得た。
(まさか、羽根田が今使ってるカードって)
 思い当たるマジックグッズが浮かぶ。これまた暦自身は持ってないから記憶
に頼るしかないが、確か、カードが長方形に極々近い台形をしており、向きの
違いを利して、色々な現象を起こせるタイプのはず。
 カードを落とすというハプニングで、向きが分からなくなった。羽根田の焦
りはそこにあるのではないか。
「いや、だめだめ!」
 咄嗟に叫ぶ暦。全員の注意を引いて、さらに続ける。
「落ちるとき、表が見えたかもしれないじゃないか」
「見えてないわよね、羽根田君?」
 先生が尋ねるが、暦は、羽根田に答えさせず、声を大にして訴えた。
「本人に聞いたって意味ないでしょ、先生。見えたかもしれないっていう疑い
を、きれいさっぱり消してくれなくちゃ。時間オーバーしてもいいから、やり
直してほしい」
「それはそうだけれど」
 先生が顔を羽根田に向ける。
 羽根田は口をぽかんと開けていたが、先生の視線に気付くと、呻き声のよう
な息をした。そして暦の提案に飛び付く。
「望むのであれば、僕はそれでかまいません」
 やや堅い調子だったが、安堵感の滲んだ声。だが、それに続いた羽根田の台
詞は、暦を少しがっかりさせた。
「ただ、ちょっとだけセッティングの時間がいるんですが」
(そんなこと、わざわざ言うなよな。さりげなくやればいいんだ)
 もしも次の機会があれば、強くアドバイスしてやる。そう思った。
 廊下に出て仕込み直してきた羽根田は、リプレイするかのようにマジックを
進めた。先生から返されるカードを、今度はうまく山の中に導き入れると、あ
とは簡単とばかり、何度かシャッフル。表を見ずに抜き取った一枚は、先生が
選んだカードと同じだった。
 羽根田の三つ目のマジックは、暦がクレームを付けた(その実、フォローし
たわけだが)せいもあってか、大いに盛り上がった。雰囲気はいい。期待感が
膨らみすぎるとまずいが、五つ続けてトランプを使ったマジックを観、そろそ
ろ飽きが来始める頃合に、締め括りとして毛色の違う演目は効果があるだろう。
「相手はこちらに合わせてカードマジックを三つ揃えてきたようだけれど、俺
は俺で、カードマジック以外もできるところを見せようと思ってたんだ」
「じゃ、カードマジックじゃないの?」
 一部で、少々落胆したような声がした。カードマジックこそが好きな人も、
たくさんいるということか。これくらいは予想の範疇。暦は穏やかな表情、物
腰で続けた。
「そう。ハンカチを使ったマジックをしてみるよ。これは、父さんがお母さん
に最初に見せたマジックの一つで、言わば、思い出のマジック」
 胸ポケットに入れておいた厚手で大きめのハンカチを、すい、と取り出し、
一振りする。グレーのそれが、きれいに広がった。まず何も言わず、裏と表を
見せる。それから、
「向こう側が透けて見えないことを、よく確かめてください」
 と注意を喚起し、もう一度、裏、表と。
「父さんがお母さんに見せたときは、五月だったそうだけれど、今は冬だから、
ちょっぴり変化を付けて」
 言いながら、今度は青いボールを取り出す。ピンポン球大で、教卓の上に落
とすとごとりと音がし、僅かに跳ねた。ゴム製で、見た目よりも重量がある。
「おもちゃのボール、と口で言うだけでは怪しいか。触って調べてみて。時間
が許すなら、全員で」
 時間について、姉の碧も先生も異を唱えなかった。
 全員の納得の後、ボールは戻ってきた。暦はボールを左手のひらに乗せ、肘
を伸ばして皆の方へ出した。その上からハンカチを被せる。当然、ボールはす
っぽりと隠れるが、暦がハンカチを整えてから手放すと、球体の輪郭が布地に
浮かんだ。
「あるように見えるだろ?」
 場に尋ねると、何を当たり前のことを、という目つきが返ってきた。暦は芝
居気たっぷりに意地悪く微笑んでみせると、「ところが」と言いつつ、ハンカ
チを取り除けた。
「あれっ?」
 手首を九〇度近く外向きに曲げ、一段高く、ぐいと突き上げた位置にかざさ
れた暦の左手。そこに、青のボールも何もない。
 多くが首を傾げる中、羽根田が発言する。
「ハンカチに両面テープがあって、ボールは引っ付いてるんじゃないのか」
「種の見破り合戦はなしのはずだぜ。まあ、どっちにしろ外れ。最初に確かめ
たじゃないか」
 空の右手でハンカチを振る暦。ボールがひっつているのなら、だらんと垂れ
下がりそうなものだが、実際にはふわりと翻っている。
「あのー、横から観てる私からは、ばればれなんですが」
 不意に言ったのは、碧。司会を務める彼女だけ、ほぼ真横からマジックを観
ていた。受けて、みんなも横に回る。
 すると全員が「あ」と言って、そのあと「なーんだ」と続けた。
 長袖の中、手首の内側辺りが、いやに膨らんでいた。ボールを押し込んでい
るのは明らか。
「ハンカチの位置を直すふりをして、ボールを押し込んだだけさ」
 暦は笑いながら言った。当然の疑問が、石川の口から出る。
「でも、ハンカチを被せたとき、ちゃんとボールの形が」
「あれは殻だけ」
「から?」
 暦は再度、ハンカチを振ると、両手で広げてみせた。片面の中央に、卵の殻
のような物が取り付けてある。
「ピンポン球を半分に切った物を、セロハンテープでくっつけた。これだけで、
表からはボールがあるように見える」
 再現すると、感心したようなため息があった。そこへ石川のさらなる疑問。
「でもでも、一番初めにハンカチの表裏を見せてくれたとき、ピンポン球なん
てなかった。これだけ白いんだから、見落とすはずないわ」
「えへへ。みんなにボールを調べてもらってる間に、こっそり貼り付けました」
 得意そうに鼻の下をこするポーズ。観客は感心半分、悔しさ半分の複雑な顔
つきをしている。
「種明かしで終わってもつまらないから」
 暦はハンカチからピンポン球製の殻を剥がすと、教卓の端っこに置いた。加
えて、袖を左右とも捲りあげる。そうしておいて、最前と同様、左手に青いボ
ールを乗せた。
「今日の天気にふさわしいマジックを」
 言って、ハンカチを被せる。皆の疑いの目を感じて、茶目っ気たっぷりにハ
ンカチを持ち上げてみせた。無論、ボールはそこにある。
「最後だし、全員に手伝いをお願いしようかな。これから、ハンカチの中に手
を入れてもらって、ボールがあることを確認していってほしいんだ。えっと、
まず、先生からどうぞ」
 先生のところへ歩いていき、両腕を前に出す暦。先生は、ハンカチの裾から
手をそっと入れた。
「こんな具合でいいのかしら」
「はい。ハンカチがめくれすぎて、中が見えるなんてことにさえならなければ」
 先生の確認が済むと、そこから近いクラスメートに、順に回る。みんな手を
入れては、ボールがあることを声に出して証言した。
 最後に確かめたのは碧。司会役として立っていた場所が、先生から最も遠か
ったのだ。が、これに難色を示したのは羽根田だ。
「最後に碧さんが調べるっていうのは、納得できないよね。姉弟なんだから、
始める前に打ち合わせしていたかもしれない」
 同意を求める口調で言うと、皆もそれぞれうなずく。
「じゃ、どうしろって?」
 暦ではなく、碧が腰に両手首を当て、言った。
「暦君が続ける前に、最後の確認を僕にさせてくれればいいよ」
「ふうん。暦、かまわないわね?」
「全く問題なし」
 姉の問い掛けを受け、暦は承知すると、羽根田の前まで足を運ぶ。
 羽根田は暦の顔を一瞥すると、慎重な動作で手を入れた。ハンカチの下でも
ぞもぞやっているのが分かる。暦はハンカチが大きく動かぬよう、右手で持ち
上げ気味にしながら、相手に尋ねる。
「ボールはあるだろ?」
「……ある。間違いなく」
 手を引っ込めた羽根田。首を一度捻り、また暦の顔を見据える。困惑してい
る様子だ。
 暦は――実は――内心冷や冷やしていたが、表面に出すことなく、続きに取
り掛かった。
「さて。今日の天気は雪。雪と言えば、白、だな。青かった空に、灰色をした
雲がかかると今の季節、雪が降ってくるもの」
 皆の目を集め、言い終わると同時に、ハンカチをゆっくりと真上に。
 現れたのは……ボール。ただし、色が白。
 誰もが驚いていた。これまでのカードマジックとは少しばかり質の違う驚き。
わぁ……という風に、余韻を味わうかのような感嘆があちらこちらで見られた。
 ボールが七割がた見えた時点で、暦は右手の動きを止めた。
「白くしただけじゃ、まだ物足りないという人には、こういうのはどう?」
 ハンカチを一挙に引き上げると、白のボールの上に、一回り小さな白い球が
引っ付いていた。黒で目と鼻と口が書いてある。
「雪だるまか!」
 冬木がいの一番に叫んだ。みんながどよめく。
「小さいけれど、分かってくれたみたいで、ほっとした。分からなかったら、
こうするつもりだったんだ」
 暦は指先に被せていた、指ぬきに似た赤色の物を外すと、雪だるまの頭にそ
れを被せた。赤バケツによる帽子だ。
 途端に、「かわいい」「芸が細かいっ!」「暦には似合わないなー」なんて
いう好き勝手な感想が聞こえてきた。でもみんな、称賛の響きを含んでいる。
「この雪だるまの魔法が解けてなくならない内に、おしまいにしたいと思いま
す。どうもありがとうございました」
 お辞儀をして教壇を離れた暦に、この日一番の拍手が送られた。女子から甘
えた声で、「暦く〜ん! 素敵ー」みたいなかけ声も受けた。
(そういうのはやめろって。俺がほしいのは、小倉さんの声援だけなんだし)
 肝心の小倉は、例の爆弾発言を反省してのことか、暦への声援は自粛してい
るようだった。

「投票、なしにしてほしい。やらなくても分かってる。僕の負けだから」
 羽根田の願い出により、投票は行われなかった。もし投票していたら、羽根
田が感じたほどの差が数字に表れるかは微妙だと、暦自身は思っていたが。
 それに、暦にとっては小倉の好反応が、勝ち以上の値打ちがある。彼女の本
心はまだ見えないけれど、マジックが好きというのなら、それをきっかけに親
しくできるに違いない。
「小倉さんが、種を教えてーって言ってきたら、どうする? こう、手を合わ
せて、お願い、うるうるって感じで」
 学校からの帰り道、姉と弟の二人だけになったところで、碧が聞いてきた。
交えた身振り手振りが、かんに触るが、でも碧がやるときれいに型にはまった
感じがあって、やめろと文句も言いづらい。
「……小倉さんになら、教えるかもな」
「ふうん。それで、種明かしして、『なーんだ、こんなつまらないことなの』
って反応だったら、落ち込むわね」
「小倉さんはそんなこと言わない」
「……暦も相当なものね」
「だいたい、姉さんの想像って、あんまり当てにならないんだよっ。今度のこ
とではっきりした」
 暦が声を荒げるが、碧はきょとんと目を丸くし、小首を傾げた。
「何のこと?」
 真面目に聞き返しているのか、とぼけているのか。暦には判断がつかない。
何しろ、碧の演技のうまさと来たら、母親譲りである。
「小倉さんが好きな男子は、羽根田だと言ってたじゃないか。マジックのとき
の反応を見ていたら、そんな感じしなかったぜ。敵に当たる俺に、あんな声援
をくれるわけがない」
「――羽根田君と小倉さんが実はすでに付き合っていて、今日、暦に小倉さん
が好意的なことを言ったのは、羽根田君があなたを動揺させる狙いで仕掛けた
罠だったかもしれないわよ」
「んなこと、あるかよ!」
 思い切り否定し、肩で息をつく暦。碧は耳を両手で押さえ、仰け反る仕種を
した。
 いや、しようとして、足を滑らせた。道には解けきらない雪がある。
 暦は反射的に手を伸ばし、転ばないように姉の腕を掴んだ。
「注意しろよ、姉君。オーバーアクションも程々に」
「ごめんなさい。ありがとう」
 自嘲しつつ、碧が言った。こういうときに率直な礼を口にできる姉を、ある
意味羨ましく思う。
「なかなかのフォローぶりだったわね。今朝のお母さんの話が効いたのかしら」
「フォローって、今の?」
「そうじゃなくて。羽根田君の三つ目のマジックのとき、よ」
 ウィンクする碧。目をしばたたかせる暦。
「……何だ、気付いてたか」
「まあね。暦ほどじゃないけれど、私だって、お父さんからマジックを教わっ
たんだから、おおよその見当はつくわ」
「気付いた奴、他にいるかな」
「いないと思う。羽根田君本人ですら、気付かなかったんじゃない?」
「それはない。気付いてなかったら、あいつがあんな簡単に負けを認めるかよ」
 暦の見解に、碧は「それもそっかな」と、くすりと笑った。
「でも、あなたが最後にやったのは、ほんと、よかったわ。あの一つだけでも、
充分に勝てたかもね」
「急だったのに、ちゃんと役目をこなしてくれた姉さんには、感謝してるよ」
 あのハンカチのマジックは、碧の協力があって成り立っていた。羽根田の想
像は当たっていたのだ。ただ、彼は、ボールが消えるものと信じ込んでいた節
があったため、深くは考えようとしなかったのだろう。
「どういたしまして。あれって、暦の考えた演出でしょ?」
「そうだよ。父さんはボールの代わりに時計を使って、消してみせたそうだけ
れど、今の季節に関連づけようと思ったら、雪だるまかサンタクロースかなと」
 サンタを何か別の物から形作るのは難しくて、雪だるまを選んだのである。
「意外だったわよ。乱暴なとこあるのに、こんなにロマンチックな面も持って
いるんだなって」
「別に隠してるつもり、ないよ」
「意識するしないはともかく、こういうギャップがあった方が、女の子には受
けるかもね。小倉さんにも」
「結局、そこに話を戻すのかよ。俺は女子には親切にしてる」
 そりゃ、ぶっきらぼうかもしれないけど、などと胸中で付け足す暦。そんな
弟の鼻先を、碧は人差し指で突っつく真似をした。
「公平・平等もいいけれど、特別な女の子には、特別に親切にしてあげなくち
ゃね」
「分かった風な口を……」
 その一人を特別扱いすると目立つから、みんな平等に接してるのに、気楽に
言ってくれる。
(けど、小倉さんにだけ、マジックの種明かしをするというのは、特別扱いだ
よな。……するかもしれない)
 今日の出来事をきっかけに、踏み出せるような。でもその場面を思い描くと、
二人きりになって、顔を赤くして早口で喋る自分を容易に想像できるだけに、
最後の決心がつくかどうか……。
「――ね、暦。聞こえてないの?」
 暦が心揺らしていると、若干先行していた碧が立ち止まり、ちょいちょいと
指先で肩を叩いてきた。暦が気付く前に、何度か呼び掛けていたようだ。
「ああ、何?」
「家まで乗せてってくれるって」
 肩を叩いた指を、そのまま前方右に振り向ける碧。ガードレールの向こうに、
流線型をしたスポーツカーが一時停車中。メタリックだが、落ち着いたグリー
ンのボディは、夕陽がないと黒く見えるだろう。
「誰?」
 暦の問いには、車を転がしてきた当人が姿を見せることで、答となる。それ
は暦も碧も、よく知っている人物だった。年齢不詳という形容がぴたりと当て
はまる、身体が大きくスマートな男性。
「大した距離ではないが、少なくとも不審者に声を掛けられる危険はなくなる」
「地天馬さん!」
 思わず声を大にし、姉とともに駆け足で近寄った。
「お久しぶりです。帰って来られてたんですか」
「久しぶりと言うほど、間が空いた気はしないが、二人とも元気そうだね」
 暦が、「地天馬さんも相変わらずみたいですね」と苦笑混じりに答えようと
するところへ、碧が台詞を被せてきた。
「それはもう元気いっぱい! 特に暦は。好きな女の子と仲よくなれるチャン
スが、今日できたばかりなんだから」
「なるほど」
「浮かれてしまって、地天馬さんの車が停まったことにも気付かない有り様」
「〜っ。それ以上続けると、俺は歩いて帰ります」
 暦がふてくされて、足の向きを換えようとすると、二人ともすぐにやめた。
「住宅街の中を、君のあとを車でのろのろと着いていくのは、さすがに辛い」
 地天馬はそう言いながら、乗るように促した。
「そもそも、地天馬さんはこちらで何かご用でも?」
「相羽君達――君達のご両親に会いに来たんだよ」
「え、どうして」
「親友に会いに来るのに、大層な理由はいるまい」
「それはそうですが……遠路遥々っていうか……」
 後部座席で、困惑気味に顔を見合わせる姉弟。
「強いて言えば」
 ルームミラーを僅かに触って、スタートを切る構えの地天馬。
「依頼人から古いワインをもらったんだが、僕はあまり関心がないし、一度に
飲み切れそうにないのでね」
「じゃあ、食事されて行くんですね?」
 碧が身を乗り出し加減になって、嬉しそうに尋ねる。暦も、態度には出さな
いが、大歓迎。
「そのつもりではなかったんだが、八日前になるかな、寄ることを電話で伝え
た折に、涼原さん――君達のお母さんが是非にと誘ってくれて。お受けしたよ」
「……」
 碧と暦は、再び顔を見合わせ、ほぼ同時に呟いた。
「お母さん、そんなこと言ってたっけ?」
「忘れられているのかな。だとしたら、早く確認を」
 携帯電話を取って、後ろへ渡す地天馬。暦が受け取り、自宅の番号を押す。
呼び出し音が途切れるのを待つ彼の耳に、姉の声が聞こえる。
「地天馬さんの電話が一週間かそこら前だったら、忘れている可能性、大きい
かもしれないわ。お母さん、美生堂のキャンペーンで張り切ってましたから」
「ならば仕方ない。君達を送り届けたら、帰るとしよう」
「えー、そんな。外で食事するとか」
「ナイスアイディアだ。惜しむらくは、ワインを持ち込める店はなかなかない
と思えることだね」
 二人の会話に、暦がありそうなことだと納得した瞬間、電話が通じ、母が出
た。少々非難を込めてこちらの状況を伝えつつ、忘れていたのかと尋ねる。
「ええっ、地天馬さんに会ってしまったの?」
 母の意外な反応に、暦は「は?」となった。がっかりした口調で続ける母。
「忘れてなんかいません。大事な人が来るというのに。びっくりさせてあげた
くて、お父さんにも黙っていたのよ。それなのに、もう……」
「分かったよ。じゃあ、もうすぐ帰り着くからね」
 暦は大げさに息をついて、電話を切った。
「どうだった?」
 姉の問い掛けに、暦は、携帯電話を地天馬に返すタイミングを計りながら答
え始める。
「どうやら、お母さんもマジックを仕掛けるつもりだったみたい。不運な偶然
によって、失敗に終わったけれどね」

――『特別な人にマジックを 〜 そばにいるだけで特別編 〜 』おわり





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