#240/598 ●長編 *** コメント #239 ***
★タイトル (lig ) 04/08/29 20:25 (343)
お題>スイカ〜Revenge [3/4] らいと・ひる
★内容
8月23日
朝方に夢を見た。
目隠しをされ視界が真っ暗だった。
公園の回転遊具に乗った時のように、自分の意志とは別に強制的に回転して
いく感覚。
気分が悪くなって無理矢理目隠しを外す。視界に映るのは海水浴客で賑わう
砂浜だ。
知っていた。
この景色には見覚えがある。
ふいに誰かが視界に入ってくる。それは7、8才くらいの長い黒髪の少女。
黒いワンピースを着ていた。
この少女の事も知っている。
だけど、それは痛さだった。その記憶を焼き払って灰にさせてしまうくらい
の痛みを伴っていた。
目覚めは最悪だった。
時計を見ると5時前である。外はうっすらと明るくなりつつあった。
夢の中で爽平は、何かを思い出しかけていた。だが、同時にそれを拒もうと
する自分もいた。
キケン、そう本能が告げているような気がする。
『あなたは人を殺したことがありますか?』
あの女性の言葉が響いていく。
それはどんな状況なのだ?
自分は本当に記憶を失っているのか?
爽平は起きあがって出かける支度をする。だが、それは会社に行くためでは
ない。こんな気分のまま仕事など出来るわけがない。
失った記憶は思い出そうとしても埒があかない。ならば別の媒体に記憶され
たものを確認するのが手っ取り早いだろう。そう考え、実家へ行くことにした。
ここから電車で1時間ほどの場所にある。
電話で直接両親に聞いてみようかとも考えた。だが、今まで黙っていたのだ。
そう簡単に教えてくれるわけがない。
電車に揺れられながら再び彼女の言葉を考える。
「ただいま」
予め実家には電話を入れておいた。もちろん、会社にも休むということは伝
えた。
両親とも出かけてしまっていたが祖母がいるので鍵は開いている。
居間まで上がっていくと、祖母はテレビを見ていた。
「ただいま、ばあちゃん。ひさしぶり」
数秒遅れて祖母が反応する。
「ああ、爽平かい。ひさしぶりだね」
完全にボケてはいないが、耄碌しているのは確かだった。答えたその目は再
びテレビへと注がれる。
爽平は捜し物に専念することにした。
押入や物置を探し回ってようやく数冊のアルバムを見つける。
何冊か開いて見たが、アルバムには海水浴で撮ったと思われる写真が一枚も
なく、爽平が『知っている』と思った少女の姿も確認できなかった。
ただ、8才くらいの頃だろうか、どこか少年野球チームのユニフォームを着
て西瓜にかぶりついている爽平の姿に、彼は一瞬唖然とした。
それは何度見ても爽平の幼い頃の姿だ。
記憶になかった。
だが、少なくとも食べず嫌いでないことは確かだったのだ。
いつの間にか身体が震えている。これは本当に自分なのだろうか。それとも
ここに映っている爽平という子はもう亡くなっていて、自分は別の誰かではな
いのか。
無意識にジーンズの前ポケットに手を突っ込む。すると、何か紙のような感
触にあたる。
取り出してみるとその紙は、麻衣夏の家にあった不在通知票だった。
爽平と同じ町内に住んでいたのであれば、幼い頃に見かけたのかもしれない。
あのカレンという子を。もしかしたら麻衣夏にも会っているの可能性はあった。
カレンはたしか実家に住んでいると言っていた。
もう一度会えないか。彼をそう願う。
思い出さなければならないことはまだわからない。だが、その方向はわかっ
てきた。
幼い頃に何かがあったことだけは確かだ。
「こんにちは」
「失礼ですけど、どちら様で?」
呼び鈴を押して玄関から出てきたのは二十代くらいの女性だった。麻衣夏よ
りもずっと大人っぽく、口元がうっすらと彼女に似ているかもしれない。まさ
か母親ということはないのだから、2、3才くらい年上の姉だろうか。
心証を良くするために、彼は爽やかな笑顔を演出する。
「あ、私はその麻衣夏さんとお付き合いをさせていただいております『嘉島崎
爽平』と申します」
「ああ、麻衣夏の彼氏さんね。話はよく聞きますよ」
人なつっこい笑顔をこちらへ向けてくれる。
「ええ、それで麻衣夏さんの双子のお姉さんであるカレンさんともちょっとし
た事で知り合いでして、それで実家にお住まいと聞いて、近くに来たので顔を
出そうと思いまして……もしご在宅でないのならまた改めて参ります。たいし
た用事ではありませんから」
「あ、あの……どういう事でしょうか?」
女性の顔が訝しげに曇る。
「いらっしゃいませんか?」
爽平はなんとか笑顔を崩さないまま、もう一度聞き直した。
「えっとですね。何か勘違いをなさっているようですけど」
「はい?」
何か嫌な予感を覚え、鼓動が高まる。
「麻衣夏の双子の姉というのは私のことなんですが」
「え?」
目の前の女性は、確かに麻衣夏に似ている箇所もある。だが、それは部分的
なものであって、全体的にはそっくりとは言い難い。でも、双子だと彼女は言
ったではないか。
「私が麻衣夏の双子の姉のレイカと申します。双子なのに似てないとはよく言
われます。なにしろ二卵性ですから」
そう聞いてはっとする。
「レイカ……って、まさか、『カレー』」
「あらら、そんな事まであの子は教えたんだ。いやいや、お恥ずかしい」
「そんな……」
『カレン』イコール『カレー』と結びつけていたのは自分の先入観からだ。
だから、麻衣夏の友人である佳枝は嘘を言っていたわけではない。
「それで『カレン』とお会いになったことがあるというのはどういうことでし
ょうか? もし嘉島崎さんの仰る『カレン』が麻衣夏や私の姉であるならば、
それはあり得ないことなのです」
「どうして?」
「姉のカレンは13年前に亡くなりました」
目眩がする。自分の中で、それは有り得ないことだった。
「だいじょうぶですか?」
ハンマーで殴られたような衝撃が頭の中に鳴り響いている。
自分が見た『カレン』は何者なのだろうか。麻衣夏でないことは確かだった。
それは爽平が一番よくわかっている。
「あの、他にご姉妹はおられますか?」
最後の可能性を考え、倒れそうになりながらも言葉を絞り出した。
「いえ、二人だけの姉妹です」
「……」
決定的だった。積み上げたものがすべて崩されていく。
「あの、だいじょうぶですか。顔色悪いですよ」
レイカは爽平を気遣ったように声をかけてくる。
「いえ、おかまいなく。ありがとうございました。ちょっとした勘違いだと思
います。ご迷惑をおかけしました」
帰り道、爽平はぐしゃぐしゃになった思考をなんとかまとめようとする。
『カレン』は亡くなっている。
そして『カレン』と名乗る女性が爽平の前に現れた。いや、名乗ってはいな
い。彼が思い込んでいただけだ。
彼女は問いかけた。
「あなたは人を殺したか?」と。
カレンは幽霊となって爽平の前に現れたのか? 自分を殺した犯人を呪うた
めに。
「そんなバカな事があるか」
言葉に出さずにはいられなかった。
「非科学的すぎる。なにより俺は何も思い出しちゃいない。そんな人間に復讐
できるのか?」
さきほどから耳鳴りが止まらない。吐きそうだった。
だが、空回りしそうな思考の中で唯一思い出せそうな事がある。
それは、あの女性に昔会ったかもしれないという記憶だ。
幽霊であれ何であれ、爽平は彼女を知っている。無関係な人間ではなかった。
ふいに着信メロディーが鳴る。
ほとんど無意識の操作で、着信ボタンを押して受話口を耳にあてていた。
「もしもし、爽平。どうしたの? 今日、朝からいなかったけど」
麻衣夏の声だった。爽平は少し落ち着きを取り戻す。
「うん。ちょっとな」
いろいろ話したいこともあったが、それは帰ってからにしようと彼は考える。
「もう!……な……も……の! あ……」
麻衣夏の言葉が聞き取れない。ノイズが入ったように、途切れてしまう。
通話途中で、電池切れのお知らせアラームが鳴った。
「あ、ごめん。電池が切れそうだから」
そう言ったものの、携帯電話からは何も応答がなかった。ディスプレイは真
っ暗に消灯されている。電源スイッチを再び入れ直すが、十秒ほどですぐに切
れてしまった。
話の途中だったので、麻衣夏は怒っているかもしれない。
ちょうど駅前に大型家電の専門店があったはず。そこで緊急充電用のバッテ
リでも買おうと考えた。
店に入ると、すぐに近くの店員まで近づいていく。
「すいません。携帯用の簡易バッテリありますか?」
爽平は左手で携帯電話を店員に見せた。
「それでしたら、こちらをまっすぐ行きまして、突き当たり右角の柱の近くと
なっております」
説明された通りに歩いていくと、奥の一角がまるまる携帯電話用のコーナー
だった。
さすが大型店だけあってか、携帯電話用のアクセサリは豊富だ。簡易バッテ
リ以外にもいろいろなものがある。様々な形状のストラップ、きらびやかな付
け替え用アンテナ、ディスプレイに貼るプロテクトシール、イヤホンマイク、
パソコンに接続する為のコード、外付け用キーボード等。
「バッテリはあっちの並びかな」
そんな独り言を漏らしながら、指で辿っていく。
ふと、バッテリを捜していた手が止まる。
『ハンズフリー』
『骨伝導』
『周りの騒音・風を気にせず通話』
『一体型』
『手元で主機を操作』
そんな文字が目に入ってくる。
『イヤホン&マイク』そう書かれた品物を手にとって確認した。
「そうか……」
力が抜けたように左手に持っていたはずの爽平の携帯電話が落下する。
改札を出ると彼女が立っていた。
いつものように全身を黒く染めて。
彼女は、悪魔か、それとも死神なのか。
「君は何者だ?」
誰かは知っている。そんなものは些細なことだった。
「思い出したの?」
口元を微妙に吊り上げた笑み。それは蔑みか、それとも戯れか。
「思い出してはいない、でも君が俺を騙そうとしていることはわかっている」
携帯電話を取り出すと、メモリから一番頻度の高い番号を選択して発信する。
しらばくれるようであれば、バッグの中身を強引に抜き出せばいい。爽平はそ
う考えていた。
だが、意外にも目前の彼女のバッグから聞き慣れた着信音が鳴り響く。
彼女はもう隠す気はないらしい。バッグの中から携帯電話を取りだし、それ
に応答した。
「どうしてわかったの?」
声が二重に聞こえる。まるで、もう一人どこかにいるかのように。
「君の実家に行って確認した」
「どこまで?」
彼女はそのまま携帯電話の通話を切って爽平の近くに歩いてくる。
「君の姉さんは亡くなっている。『ワタヌキカレン』はこの世にはいない。そ
れから君が二卵性の双子だったということも」
「ふふふ」
「麻衣夏。もうお遊びは終わりだ」
「でもよく気付いたね」
「一卵性の双子の可能性が消えて呆然としていた時、携帯のアクセサリ売り場
に立ち寄ったんだよ。そこで気がついた。小型のイヤホンマイクを付ければハ
ンズフリーで会話が出来る。マイクも高性能で高指向性のものか、あるいは骨
伝導タイプのものを選べば周りの音を気にせずに小声でも話すことが出来る。
君は偽カレンと麻衣夏がイコールで結ばれぬように事あるごとにアリバイを作
った。今思えば不自然だったよ。それから君の携帯電話は地下に強い『H"(エ
ッジ)』だ。俺の携帯が繋がらない場所での通話も可能だった。まさかあのタ
イミングでかけてくるとはな。
あとは『エイフー』というニックネームだ。同じ四月朔日の姓を持つ双子の
姉がいるのに、なぜ君だけそう呼ばれた? 苗字から先に考えたんじゃない、
君にそういう素行があったからそう付けられた。つまり人を騙すクセがあると」
「御名答」
「どうしてこんな手の込んだ事をした?」
「わからない?」
彼女はこの期に及んでもしらを切るつもりらしい。
「質問をしているのはこちらだ」
「いちおうね、賭の期限いっぱいまでは気付かなければいいかな、なんて、楽
観的に思ってただけだよ。双子に勘違いさせたのは、こっちにしてみれば余興
みたいなもんだったし」
「賭?」
「覚えてないならいいや」
ふと、彼女の顔に寂しさの色が見え隠れする。
「俺に近づいたのは何の為だ?」
「あらら、そんなに怒ってるのなら、何言っても無駄だね。別にいいよ、それ
さえも意図的に思うのならさ」
「俺は何をしたんだ?」
「質問ばっか。まだちゃんと思い出してないんでしょ? それとも、もう少し
なのかな」
「うるさい! 答えろ」
爽平は、麻衣夏の飄々とした受け答えにだんだんと苛ついてくる。何もかも
知っているという素振りが気にくわなかった。
「答えてもいいけど、今のあなたじゃ、それを受け入れることができないよ。
たぶん、肝心な事が思い出せないと思うから。でなければ、あたしに会おうと
なんかしないはずだもん」
「いいから答えろ」
どうあっても立場は彼女の方が上だった。それは認めなければいけない。
「あなたは西瓜が嫌い。でもそれはなぜ?」
ゆっくりと、そして確実に核心をつく言葉。
「過去に何があった? 少なくとも俺は8才くらいまでは平気で西瓜を食べて
いた」
「ゆっくりとヒントを出してあげる。だからじっくりと思い出すといいよ」
まるで子供を諭すような口調。
「くっ!」
バカにされたような言い方に、爽平は憤りを感じる。
「海水浴へ行った記憶はある?」
「ああ、ぼんやりと思い出せてはいる。そこで女の子と会った。それがカレン
なんだろ?」
「違うわ」
麻衣夏の否定の言葉は冷たかった。
それに刺激され、彼の頭の中では新たな経路で記憶がリンクされていく。
「違う?」
遮断されかけた記憶のリンクは、別経由で過去を辿っていた。
「あなたはカレン姉さんの顔は知らない。見てないでしょ。いいえ、見られな
かったものね」
見てはいない。そう、カレンの顔を思い出す必要がないことに気がついた。
それは、霞がうっすらと消えていく感じだ。
うつぶせで倒れている少女の姿が思い浮かぶ。たしかに顔は見えなかった。
そして、それがどんな意味を持つかを知ることになる。
「そうだ。あれは事故だった」
当時の記憶が数刻分巻き戻された。
それはこんな光景だった。
父親が爽平に目隠しをする。そして、その身体をゆっくりと回した。もちろ
ん回されるのは爽平自身。
「そうね。あなたは夢中だったから」
麻衣夏の声に導かれ、母親の笑い声が思い浮かぶ。
足下がよろよろとおぼつかない。パンパンと手拍子が鳴る。
これはその当時の爽平の記憶だ。
「西瓜割りか。そうだな思い出してきたよ」
手には金属バットの感触。
『もう少し右』『もう少し前』そんな声が聞こえてくるようだ。
「近くで遊んでた姉は、風で流されてしまったビーチボールを追ってたの。風
が強かったから必死になって走ってたわ」
麻衣夏の補足の後、回想される記憶。
波の音、そして両親の声。『爽平、そこよ』『そこだ、たたき割れ!』
「ああ、僕は本当に夢中だったんだな」
振り上げたバットを思い切り叩きつける。
「姉はタイミングが悪く、ちょうどその横で倒れ込んでしまった」
悲鳴があがる。『爽平ダメだ!』『やめなさい!』
手に伝わる鈍い感触。無我夢中で叩いて、途中で後ろから抱きかかえられる
ように止められる。
「誰かが俺を止めていた。だから、何が起こったのか知りたくて目隠しを外し
たんだ」
目の前には血だらけになった少女。視界が晴れても彼は目の前の出来事を理
解できなかった。
「大騒ぎになったわ。みんな姉の周りを囲んで応急処置みたいな事をしたのか
もしれない」
そんな中で一人呆然と砂浜に膝をつく爽平。
「痛!」
突然の頭痛が爽平を襲う。両手で頭を抑えながら、現実の彼もその場で膝を
ついた。
「痛いでしょうね」
上の方から憐れむような麻衣夏の声が聞こえてくる。
「……」
頭痛は治まらない。それどころか、どんどん痛みを増していく。
「それで話は終わりじゃないの。続きがあるけど、今のあなたに受け入れられ
るのかしら?」
(続き?)
「どうして姉を殺した爽平は民事的にもその罪を問われなかったか?」
記憶の中の砂浜で、呆然としている爽平の目の前に現れる少女。その瞳は露
骨に怒りを彼へと向けていた。それは幼い頃の麻衣夏なのだ。
「なぜ二つの家族は、その事実を忘れることに懸命となったのか?」
幼い彼女の手には爽平が持っていた血だらけのバットが握られている。
それですべての記憶が繋がっていく。
その後にあるのは、重い衝撃だった。
「痛!」
側頭部への重い打撃は手加減などなかった。彼女は本当に殺意を抱いていた
のだ。
「思い出せそう?」
『お姉ちゃんを返せ!』
現実の麻衣夏の声と昔の麻衣夏の声がだぶる。
爽平は諦めたように少女の怒りを受け止めたのだ。
「そうか……俺は麻衣夏に殺されたんだ」
ああ、あの時記憶に刻まれた少女は麻衣夏だったのか。彼女と初めて会った
時に感じた既視感は幻ではなかった。爽平はすべてを悟る。
「殺せなかったけどね……」
麻衣夏は寂しそうにそう呟いた。
あの時爽平は、麻衣夏が手にした金属バットで殴られ、重傷を負い、そして
記憶を失った。カレンを誤って殺したとしても11才の子供のことだから罪は
問われない。そして、事故とはいえ自分の娘が殺されたとしても、その妹が相
手の子供を殺そうとして大けがを負わせたのだから、相手の子供に対しても両
親に対しても距離を置きたがるだろう。そして、お互いの家族は不幸な過去の
出来事を忘れることに懸命となるのだ。
爽平は一時期、叔父の家に預けられていたことを思い出した。中学から全寮
制の学校に入ったために、ほんとうにわずかな期間ではあった。両親はすべて
を白紙にするつもりだったのだろう。