AWC からくり魔神 4   平野年男


        
#209/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  04/01/27  23:59  (499)
からくり魔神 4   平野年男
★内容
「――それから賢治は背もたれのない椅子を、北向きの壁に、ぴったりくっつ
くように置いた。私はそれを感触で確かめた。壁にもたれ掛かるような向きで、
すぐに座らされたから、椅子は動かされていない。私は賢治に言われるがまま、
入学したばかりの小学生みたいに、膝を揃え、背筋を伸ばして座った。何が起
きても、壁から背中を離さないようにと、再三注意を受けたよ。そして、賢治
が電気を消すよと言うのとほぼ同時にスイッチの音がし、目に感じる光が暗く
なった。しばらく静寂が続いたかと思うと、おもむろに賢治が呪文めいた文言
を唱え始めた。そのすぐあとだ、壁に霊が現れたのは。私の真後ろで、壁が軋
み、割れるような音がした。破片を浴びるのかと、私は思わず身をすくめたが、
賢治が動かないでくれ!と叫んだから、どうにか元の姿勢を保った。賢治の説
明では、霊はこの世のものでないから、今のところ、物理的な影響を及ぼしは
しないだろう、ということだった」
 影響を受けるように霊を呼び出そうとしているはずなのに、物理的な影響を
及ぼしはしないって、どういうことなんだろう……。良子の耳にはどことなく
矛盾しているように聞こえる話だったが、声に出して表明するのはよす。
 父は熱を帯びた口ぶりで続けた。最前までの恐れは薄れ、“霊を体感したと
き”の興奮が蘇っているようだ。
「身を固くし、辛抱する内にも音は大きくなり、私の顔のすぐ横に、何かが来
ている気がした。鼻息のような、生暖かいものを感じた。やがて、足音がした。
やけによく響く、ハイヒールかブーツでも履いているような音だった。右から
左へと、私の背後をゆっくりと通過し、また戻って来た。ほどなくして足音は
やみ、私の真後ろで立ち止まった。突然、私のもみあげ辺りを、小さいが強い
風が通り抜けた。総毛立ったよ。次の刹那、髪の毛を切り落とす音がした。私
は手をもみあげにやった。するとまた賢治が、動かないでくれと叫ぶ。『霊は
母親ではないから大丈夫だ。中学生ぐらいの、悪戯好きそうな奴だから、しば
らく我慢してくれよ。髪の毛は切られてないから心配いらない』とまくし立て
る。確かに髪の毛は、現実には切られていなかった。この時点でもう、これは
霊のなせる業だと信じた。私は汗をかくのを自覚しながら、時間が過ぎるのを
待った。霊は私の髪に悪戯をしたあと、耳元でガラスを引っかいたり、紙風船
か何かを破裂させたりし、最後に水らしき冷たい液体を少量、私の額に吹きか
けた。この水だけは、実感を伴っていた。急な冷たさに驚いた私は、額を触っ
た。間違いなく濡れていた。今度は賢治も注意してこなかった。霊が帰ったか
らだ」
 終わりの合図のように、両手を合わせてぽんと音を立てた晋太郎。
「どうだ? 私が人形を警戒する理由は、これで分かってもらえたと思う」
「私は信じます。むしろ、社長のお話を伺い、意を強くしました。この殺人は、
人形の霊の仕業であろう、と」
 江田がいの一番に肯定した以外、意見を述べる者はまだいない。考えあぐね
ている、そんな雰囲気だった。
 良子も眉間にしわを寄せ、考えていた。父の言葉に嘘はないだろう。すると、
本当に霊が出現したか、そうでなければ、賢治によって思い込まされたかのど
ちらか。賢治に対する嫌悪感も手伝って、後者である可能性を見い出そうとす
るのだが、妙案は浮かばない。
「再び質問が。よろしいですか」
 流が言った。挙手をしたのは、晋太郎のためではなく、他の者へのことわり
だろう。晋太郎が承諾し、促す。
「そのとき、晋太郎さんが身に着けた帽子、サングラス、コートを今、僕らが
手に取って見ることはできますか」
「残念ながら無理な相談だよ。その三つは、賢治が持って行った。元々、あい
つの物なんだから、当然だ。保管もしてないだろう。霊が憑いて不吉なので、
処分すると言っておったからな」
「そうでしたか……。離れに見当たらなかったので、本当に処分してしまった
のかもしれませんね。――あと一つ。帽子はどんな形でしたでしょう? ひょ
っとして、耳に被さる形で、布のような物が付いていませんでしたか」
 良子が、何を言い出すの?と訝しむ。彼女が視線を向けた先で、父はしかし、
「ほう、よく分かったねえ」と肯定した。
「昔、歩兵が被っていたような帽子じゃないかと思う。確かに、耳当てめいた
布があった。形を整えるための厚紙でも入っているのか、固い感触があったな」
「分かりました。あの、あと一つと言っておきながら申し訳ないんですが、か
まいませんか」
「まだあるのか。他のみんなは、質問はないのか?」
 空間に対して首を左右にゆっくりと動かす晋太郎。貴之が応じた。
「俺は、なくはないけど、とりあえず流の話を聞いてみたい」
「私も」
 良子は慌てて賛成の意を表した。加藤医師も続いた。その他の人間は黙って
いたが、流の質問続行に反対という訳ではなかった。
「よろしい。では、流君、続けてくれたまえ」
「どうも。ありがとうございます。えっと、伺いたいのは、晋太郎さんはFU
JIXの名実ともにトップですが、このレジャー産業という枠に、遊園地の設
備は含まれますか?」
「含まれる」
 何だそんなことかという態度で、鷹揚に頷く晋太郎。
「少なくとも我が社は、遊園地の施設にも携わっている。私一人じゃなく、外
部から来た者がまとまって発案した。妻、というよりも、元の藤川には反対さ
れたが、押し切った」
 暫時、妻の方に顔を向けた晋太郎。真美は苦笑を浮かべていた。
「幸い、成功を収めたので、押し切ってよかったと思っているよ」
「そうなんですか。ちょっと意外だな。いえ、こちらの話です。それでは晋太
郎さんご自身も、遊園地の遊興施設に関して、大変お詳しいんでしょうね」
「いやいや、そうでもない」
 妻の表情が伝染したかのように、晋太郎は苦笑いで顔を歪めた。
「旧い物ならともかく、新しいのはさっぱりだよ。地位が上がってからは、詳
細な説明を聞くこともなくなったしねえ。ああいうのは、若い人の感覚に合わ
せた方が最大多数の利益につながる。無論、将来的には高齢化社会を迎えるの
は間違いないところであるから、高齢者にも楽しめる遊園地を展開して行くべ
きと考えているがね」
「なるほど、よく分かります。話を戻しますが――」
 如才なく、流は言葉を差し挟んだ。
「聴覚を騙すことで、あたかもその場に人がいるかのように思わせる、そんな
システムが既に存在すると言ったら、驚かれますか」
「……初耳だ」
 呻くように答えた晋太郎。レジャー会社トップとしての不勉強を恥じるので
はなく、流の言わんとするところを察した節が見受けられた。それでも確認を
怠らない。
「本当かね。貴之や良子、牧さんは知っておるか?」
 この場での若者に、選択的に尋ねる。
 良子を始め三人は、口々に、知っていると言った。彼女らは顔を見合わせ、
代表して貴之がさらに答えていく。
「俺は一度だけ、東京にある遊園地で体験したよ。多分、全国にそこそこある
んじゃないかな。暗い部屋に入れられて、椅子に座らされて、ヘッドホンを着
けてね。そのヘッドホンからの音の他に、部屋の隅にあったスピーカーからも
音が出て、相乗的に錯覚を生み出していたんじゃないかと思う。主に、ホラー
ハウス……お化け屋敷の類で使われてるんだろうね。うちの遊園地に備わって
いるかどうかは、把握してないんだけどさ」
 最後に照れ笑いを付け加える。
 晋太郎は、真美にも聞いた。
「知っていたか?」
「いいえ。寡聞にして知りませんでしたよ。知っていたら、あなたにも話して
いるでしょうし」
「ふむ……。流君。部屋が暗いのは、私には大して関係ない。だが、ヘッドホ
ンというのは、もしや」
「ご推察が当たっていると思います」
 流は皆まで言わず、問い掛けのボールを晋太郎に投げ返した。
 晋太郎は舌打ちのあと、またも呻くように言った。
「帽子の耳当てか」
「恐らく、そうなんだと思います。厚紙が入っていたように感じたのは、実は
スピーカーだった。紙のようにぺらぺらのスピーカーを作れるご時世ですから、
技術面の障害はないと思います。それと、コートが重かったのは、帽子型ヘッ
ドホンの電源を仕込んであったのかもしれません」
「電源? ああ、そうか。確かに必要だな。では、サングラスは」
「それは単に、帽子やコートから意識を少しでも逸れさせるための撒き餌じゃ
ないでしょうか。掛け慣れた物から真新しい物になると、注意の大半はそこに
向くと思えるので」
「そうか……。ヘッドホンの電源は、リモコン操作で入れたかな。最後に浴び
た水は?」
「僕が想像するに、賢治さん自身の手で発射された、水鉄砲の水だと」
「いやはや! 何ということだ!」
 自身の額をぺしゃりと叩き、相変わらず苦笑を続ける晋太郎。笑い声がこぼ
れていた。だが、それはじきに怒りに変わる。木村賢治を口汚く罵ったあと、
「そんな子供だましの詐術を信じ、霊に怯えていたとは、我ながら情けない」
と自嘲した。さらに彼は、妻や子供達に、改めて許しを請うた。
 そういった家族間の諸々のやり取りが済み、場がひとまず落ち着きを取り戻
したところで、流は切り出した。
「呪いの人形というのが嘘だとすると、他の大がかりな芸術作品ないしはそれ
に関係する代物も、胡散臭く見えてきます。たとえば、この家に取り付けられ
た角。あれを付けた理由は、芸術でも魔除けでもなく、別の意味があるのかも
しれません」
「どういった意味だね」
 晋太郎が気負い気味に身を乗り出す。その家族だけでなく、牧や加藤夫妻、
秘書の江田までも、興味津々といった体で流の言葉を待っていた。
 流は、想像に過ぎませんがと断ってから、話し始めた。
「身体を本館に向けて、離れの玄関に立つと、角の先端の側面が目に留まりま
す。少し距離はありますが、木村君なら眼鏡を掛けることもなく、よく見えた
んじゃないかと思います。彼は、角の先端に映る物が見たかったんじゃないか
と、僕は邪推しています」
「角の先端だって? 何が映るんだ?」
 貴之が大声を上げた。流は好対照なまでに、冷静な調子で応じる。
「慌てないでくれ。僕もまだ完全に確かめちゃいない。僕は離れに入って、君
や加藤さんに部屋の様子を調べてもらっている間、窓から外を何気なしに眺め
た。そこからもやはり、角の先端がよく見通せてね。そのとき、ふと、気付い
たんだ。角の先端に窓枠のような物が映っていると」
「窓枠ってことは、どこかの部屋か。この本館の」
「その通り。角度から考えると、一階の端にある部屋、つまり、浴室が該当す
る」
 流のこの台詞に、良子は反射的に、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「それって、の、覗きぃ? 信じらんない」
 連続殺人が起きた状況下のせいか、いやーっ!なんて悲鳴はさすがに出なか
ったが、冗談抜きで木村賢治の奴を懲らしめてやりたくなった。生きている内
に、気が済むまで殴っておけばよかったとすら思う。
 横を見れば、牧もぞっとしないという態度で、自らの二の腕を抱きしめてい
た。彼女も昨年までに、木村賢治の滞在中、ここの浴室を何度も利用している。
 そんな恋人の心情を汲み取ってか、貴之が粗野な調子で言う。
「窓は全部磨りガラスのはずだが、確か、上の方の窓は斜めに開くよな。あそ
こを開けていれば、ちょうど角に反射するって訳か。くそっ。くだらねえこと
をしやがって」
 吐き捨てた貴之をなだめてから、流が推測の続きを述べる。
「現実には、ほぼ百パーセント、覗きは成功しなかっただろうけどね」
「何でそう言えるんだ?」
「浴室の窓が開いているということは、角自体が湯気で曇る。まともに反射す
る時間は、ごくわずかだったんじゃないかと思う。それと、木村君が――そろ
そろ呼び捨てにしてもいい気がするんだが――彼がここに滞在するのは、冬場
だけと聞いたけど、冬なら結露した上に凍るから、やはり角の表面は白くなっ
て、鏡の役目は果たせないはずだ」
「それなら、まあ、結果論だけど、よかった」
 怒りを鎮め、ぎこちなく感想を吐露した良子。それでも、木村賢治の心根を
思うだけで、まだ虫酸が走る。
「角にそんな意図があったかどうか、本当の確認はできない訳だが」
 加藤医師が考え考えという風に口を開いた。流は首肯し、先を促す。
「人形や角に隠された意図があったのだとすれば、当然、今年の額縁にも何か
意味があるんだろうか? 流君は意見を持っているのかい?」
「いえ。そこまではまだ。きっと、芸術とは無縁の理由があるんだとは思いま
すが」
「ふむ。額縁が消えたからには、犯人にとって、ぜひとも欲しかったか、隠す
か、処分したかった理由があるんだろうな」
「それについては、この家の中や周りを、探索してみたいんですが」
 流は会話の相手を、医師から社長に転じた。真っ直ぐに晋太郎の方を見据え
てから、「晋太郎さん、どうでしょうか」と暗闇での手探りのごとく、慎重な
物言いで尋ねた。
「基本的には賛成だよ。ただ、各個人で使っているスペースは、何とも言えん。
この家の主たる私や妻でも、皆に部屋や私物を見せるように強制する権利はあ
るかな? あったとしても行使する気はないが」
「強制じゃありません。協力をお願いする形で」
「よろしい。――聞いての通りだ。人が二人死んでいる。自分達の身を守るた
めにも、犯人の正体に近付いておく必要がある。ぜひ協力を。もし拒むなら、
それは当人にとって不利な印象を周りに与えかねないことを忘れないでくれ」
 権利を行使しないと宣言した割には、晋太郎は歳相応に狡猾のようだ。抜け
目なく釘を刺す。そのプレッシャーの効果か、異論は出なかった。
「では、決まりだ。今から……昼までを捜索の時間に当てるとするか。どこか
ら手を着けるね?」
「それでしたら、私の部屋と厨房を最初に調べてくださいませんか」
 加藤久仁香が立候補した。
「あちこちを調べている内に、お昼ご飯の用意をしないといけなくなるでしょ
うから」
「ほう、なるほど。理にかなっている」
 社長の一声で決定した。

 長丁場になるとも予想された額縁捜索は、意外にも、昼を待たずに終了した。
真っ先に加藤久仁香の部屋を調べ、めぼしい物はなく、それから台所に移った
が、同じく何もなかった。余所へ移動する前に、勝手口を開けて外を見た加藤
医師が、あっと声を上げた。
 ドアのすぐ向こうに、くだんの額縁が放置してあった。二つ、静かに重ねた
ような置き方で。離れから消えた物と思しきロープも、ぐるぐるに巻いた状態
で、額縁の上に鎮座していた。勝手口からの距離は五十センチもなく、足跡を
雪に残さなくても、充分に届く。
「かなり解けてきたな」
 雪景色を眺めながら、流が言った。この分なら間もなく警察も到着するだろ
う。それまでの間、流と良子、江田の三人で現場保存と調査に精を出す。貴之
も参加したがったが、牧からそばから離れないで欲しいと頼まれては、そちら
を優先するしかなかった。また、加藤医師は、疲労を覚えたという藤川夫妻を
診るため、外れた。
「ねえ、流さん。何でこの角っこが燃やされているんだろうね?」
 写真を撮り終えた江田と入れ替わる形で、良子は額縁に近付き、その四隅を
順次指差した。額縁全てを焼こうとしたが、途中で火が消えてしまった……そ
んな具合に見えた。
「灯油でも掛けちゃえば、簡単に燃やせたと思うんだけどな。灯油、家の中の
物置に仕舞い込んでたけど、誰でも持ち出せる」
「犯人の本意では、額縁を焼き尽くしたかったが、臭いや煙などで他人に気付
かれる恐れがあった。その危険をなるべく低く抑えるために、燃料は使わなか
ったんじゃないかな」
「あ、そういう考え方があるのね」
「当たっているかどうかは分からないがね。問題の焦点は、燃やそうとした理
由に移る訳だ。額縁そのものをこの世から消したかったのか、証拠堙滅のため
と考えるのが妥当……かな」
「ふうん……ちょっと待って。それって少しおかしくない?」
 寒風に身震いした良子の脳裏に、疑問がふと浮かんだ。流と江田から注目さ
れるのを意識しつつ、言うことを頭の中でまとめる。
「額縁をどうにかしたいんだったら、離れから運び出す必要ないんじゃない? 
燃やしたければ、離れごと燃やすっていうやり方もあるはずよ」
「……そうだな」
 流が目を見張っていた。記録を取っていた江田も手を止めた。
「額縁を持ち出すために、木村賢治を殺したのでしょうか」
 秘書が一つの説を示す。良子が反論。
「持ち出して、すぐに処分しようとするの?」
「それは……犯人にとって大切な物、たとえば宝石でも書類でもいいんですが、
何かが額縁の木枠のどこかに埋め込んであったというのはどうでしょうか。犯
人はそれを取り出したあと、埋め込んであった穴を分からなくするために、額
縁を燃やした」
 これに応じたのは流。
「穴を秘密にする理由が気になりますが、ないとは言い切れませんね……」
「理由ですか。穴が犯人の名前の形に彫ってあった、なんて馬鹿なことはあり
得ませんよねえ」
「それよりも、貴重品を額縁に隠したのって、一体。額縁は昨日届いたんだか
ら、木村の奴しかいないわよね?」
 良子の推測を、流が認めた。二人は江田を見た。
「……そうですね。私の印象でも、彼は宝石には縁がなさそうです」
「犯人が短時間で、どうして額縁の秘密に気付いたのかも、分からない」
 流が付け足す。
「私の説は一端、取り下げます」
 否定的な見方が続出し、江田はあきらめたように頭を下げた。それからペン
をポケットに入れ、帳面を小脇に抱えてから、「ところで、中に戻りませんか。
一通りの調べは終わったようですし」と提案してきた。
 太陽は高くなったが、空気は依然として冷たかった。

「警察から、午後三時前後に着けると連絡があった」
 昼食前、加藤医師の口からもたらされた吉報に、全員が安堵したり、歓声を
上げたりした。この内の少なくとも一人は、演技だった可能性が高いが。
「あと三時間凌げば、我々の安全は確保される訳だ」
 食事が済むと、晋太郎が決め付ける口調で言った。それは、そう信じたいが
ために、多少の無理をしているようにも感じられた。
「残された時間、徒に犯人を刺激することのないよう、大人しく待つのも手で
あると思う。どうだろうか」
 晋太郎の顔は、流の座る方を向いている。一介の学生にまたも意見を求める
父の姿を、良子は未だに意外な心持ちで見つめていた。
「そうですね。これ以上現場をいじって、警察にとやかく言われても面倒です。
全員が一緒にいれば、新たな事件は起こらないでしょうし」
 流はあっさりと手を引く意向のようだ。続いて加藤夫妻や江田が賛意を表明
した。良子も基本的にはそれでいいと考えているが、気掛かりがないでもない。
母や兄が黙しているのも、同じ気持ちでいるためのはず。
 果たして母が口を開いた。椅子をかすかに軋ませ、テーブルに身体を寄せる。
「今度の件に警察の捜査の手が入ることで、藤川家やFUJIXに対するあら
ぬ噂を立てられるかもしれません。それは致し方ないと考えています」
 芯の通った話ぶりに、他の者は静かになる。
「ただし、好ましくない物事が明るみに出てしまうことは、避けねばなりませ
ん。賢治の存在は半ば公になっていたのでよしとしますが、あの坂上という女
記者の方は、彼女が何をどこまで掴んでいたかによっては、大きな問題になり
ます。私達が調べた範囲では、記者の持ち物にそれを示す代物は見つからなか
った。元々なかったのであれば結構なことですが、殺害犯人が持ち去ったとも
考えられます」
「犯人特定の努力を続けようというの?」
 そこまで考えていなかった良子は、目をぱちくりさせた。坂上伊予の持ち物
を検査し、不都合のない状態にした後、警察を呼び入れる。それだけで済ませ
るのかと思っていた。
「良子の言う通りよ。憂いは払拭すべきです。注意してし過ぎることはない」
「司直の手に委ねてはいけないんですか」
 流が穏やかに聞いた。真美も穏やかだが、断固とした口調で答える。
「警察や検察が、秘密を守れる人ばかりの集団なら、そうしてもかまいません。
現実には、どこからか漏れることが多い。そもそも、裁判になれば、証拠の形
で秘密が公になる場合も充分に考えられます」
「僕らが独力で犯人を突き止めても、それは同じだと思いますが」
「いいえ。少なくとも、犯人に対してじかに接触ができます。脅すかお願いす
るかは、相手の出方次第」
 二人のやり取りを耳にしながら、良子は想像した。母はもしかすると、この
場にいるはずの犯人に鎌をかけているのではないか、と。
「一番の部外者である僕が嘴を差し挟むことではありませんが、犯人は藤川の
皆さんに対して、悪意を抱いているようには思えません」
「そう、確かに。女性記者にせよ、木村賢治にせよ、藤川家にとって目障りな
存在。それを排除した犯人は、藤川家の敵とは考えにくいでしょうね」
「分かっていらっしゃるのなら、何故。あえて僕達素人の手で犯人を追い詰め
なくてもいいでしょう。犯人は藤川家の秘密を知っていたとしても、公には喋
らないに違いありません」
「知りたいのです」
 熱弁の流に対し、藤川真美はここで初めて感情を露にした。
「誰が動いてくれたのか。どうしてこんなことになったのか。何びとよりも早
く、一番に知りたいのです」
「お言葉ですが……極々単純に考えて、藤川の人間が犯人である可能性が高い
とは、思われませんか」
「それが真相であれば、仕方ありません。受け入れます。もしかすると、庇い
たくなるかもしれませんけれど。――あなたもそうでしょう?」
 真美は晋太郎に呼び掛けた。入り婿社長はこくりと頷いた。恐らく、自分達
の子供のどちらかが犯人だった場合を思い描いているのだろう。それぞれ足と
目にハンディキャップを持つ夫婦にとって、藤川家の人間が犯人だとすれば、
それは子供達に他ならない。
「流さんは、誰が犯人だと考えているの?」
 横合いからごめんなさいと心中で謝りながら、良子は聞いた。流の推理を聞
いてみたかった。藤川家の誰かを殺人犯人と目しているんだとしたら、それは
一体……? 流は良子の顔をちらと見やってから、貴之、晋太郎、そして真美
と順に視線を移していった。おもむろに、吹っ切ったみたいに喋り出す。
「どうしても突き止めたいのであれば、最後の三時間足らず、僕も尽力したい
とは思います。そのためには、記者の調べようとしていた藤川家の内情、秘密
について、少しお尋ねしたいことがあります。公にできないような秘密が、本
当にあるのか……」
「お答えできません」
 真美はにこりともせずに断った。翻意は不可能だとあきらめさせるのに充分
な、断固とした口調。
 流はしかし、落胆を見せない。
「あるんですね? ないならないと、きっぱり言えるはずです」
「どう受け取ってもらっても結構。灰色にしておけば、何とでも言い抜けられ
ます」
「誤解があるようですが、僕は、秘密の内容を知りたいのではありません。秘
密を知る人物が誰なのかを教えてほしいんです」
「……そのような質問を発するには、今この場は不適切だと思わないの」
 真美の表情が少しばかり歪む。壊れ始めたテレビ画像の乱れみたいに、一瞬
で元通りになったが。
 厳しい指摘を受けた流が、唇を噛む様が見て取れた。己の思慮の浅薄さを悔
やんでいるように映る。
「分かりました。それでは、外部の人間を除き、あなた方で話し合って犯人特
定の努力をされるのが、最良です。僕は警察が来るまで、部屋で大人しくする
とします。失礼しました」
 流はすっくと立って一礼すると、ドアに向かった。
 良子が腰を浮かせ、その背後からは、貴之が呼び止めようと大声を発する。
「流! 待てよ!」
「何だい」
 ドアノブに手を掛け、振り返った流。声から張りが失われている。
「その、俺達だけで犯人探しをするかどうかはともかくとしてだ。一人でいる
のは危ないんじゃないか」
「僕以外の全員が揃ってくれていれば、僕も安全だよ」
「そ、そりゃ理屈ではそうだが」
 怯んだ兄に代わり、今度は良子が口を開く。流のそばまで駆け寄った。
「流さん、私の質問に答えていない」
「質問?」
 見下ろしてくる流の両眼は、おかしなくらいにまん丸。真に意表を突かれた
らしい。
「誰を犯人と思ってるのかって」
「――そうだったな。さっきのやり取りで分かったと思うけど、まだ詰め切れ
ていないんだよ」
「どこまで考えているのか、それだけでも知りたいわ」
「……僕の部屋でよければ話すよ。不安なら誰かに着いて来てもらいなさい」
「子供じゃないんだから、一人で行く」
 即座にそう返事した良子の上を、流の視線がさまよう。晋太郎や真美を見つ
めたあと、貴之に、「いいのか?」と尋ねた。
「家族会議をするのなら、連れて行けない」
「――父さん、母さん。どうするんだ?」
 貴之に問われた二親は、お互いに一瞬だけ目を合わせた。口を開くのは、真
美の方。彼女は流を見つめ返し、言った。
「あなたの考えを、私も聞きたいわ」
「皆さんに話すほどのものじゃないんです。結論が出ていない」
「気にしませんから。あなたの考え方を聞けば、世間が私達をどう見るかが間
接的に分かるでしょう」
「……そういうことでしたら」
 まだ気が進まない風ではあったが、流は引き返し、椅子に収まった。良子も
戻り、心を落ち着けるためにスカートの皺を伸ばしてから座った。
 流は深呼吸をし、丁寧な物腰で始めた。
「僕が最初に考えたのは、坂上さんと木村君を殺したのは同一人物かどうかに
ついてです」
「別々の犯人がいると考えているの、流君?」
 今まで静かにしていた牧が、両手の平を頬に当てて、悲鳴じみた声を上げた。
心底驚いたらしく、目がつり上がっている。
「こんな少ない人数なのに、二人なんて。とてもじゃないけど、耐えられない」
「牧さん。まだ何も断定してないよ。可能性を言ってみただけ」
「じゃあ、早く教えてよ。あなたがどう思っているのかを」
「これからそうするつもりだよ」
 感情がいささか暴走した牧に、流はきっぱりと言った。この再宣言を経て、
自分を取り戻しつつあるように聞こえた。あるいは、そうあろうと努力してい
る……。
「真っ先に確認しておくべきは、雪がいつ降り始め、やんだかについてです。
足跡の謎が厳然として存在するのは、人形と遺体が白銀の世界にぽつんぽつん
と置いてあった状況からも、明らかでしたが、容疑者を絞るためには時間をは
っきりさせておかねばなりません。電話で問い合わせた結果、この辺り一帯で
は、午前一時ちょうどに降り始め、五十分ほど猛烈に吹雪いた後、ぴたりとや
んだそうです。それ以降は観測されていませんでした」
「となると、犯人は少なくとも、帰りの足跡を消さねばならない訳だな。行き
は午前一時五十分までに、離れに達すればいいとしても」
 加藤医師が右の人差し指を立て、つぶやく。流は首肯し、言葉を続けた。
「第二の事件の犯人にとっても、雪はハプニングだったはずです。足跡のトリ
ックは前もって用意しておいたものではなく、緊急に迫られて捻り出したと見
なせます。そのことから考えても、藤川さんご夫妻は容疑者から外せると思う
のですが、どうでしょうか」
 流は皆の意向を伺いつつ、遠慮がちな眼差しを藤川夫婦に向けた。真美が受
け答えをする。
「確かに私達夫婦はハンディキャップがあって、雪の中を移動するのは一苦労
です。最初の事件でも、あの記者を亡き者にしようにも、相当な困難を伴うで
しょう。けれども、アリバイが成立した訳でもないのですから、果たして頭か
ら信用していいのですか」
 試すような口ぶりに、流は静かに反論した。場を必要以上に乱さないための
配慮が感じられる。
「僕は別の理由もあって、最初からご夫妻を除いています。たった今、真美さ
んが自ら認められたように、真美さんや晋太郎さんが真夜中、雪の積もった外
を離れまで行くのは、かなりの重労働のはずです。それだけでも、木村は何事
かと警戒するに違いありません。むざむざと殺害されるとは考えにくいんです」
「分かりました。そこまで組み立てているのなら、私どもも安心して、容疑者
から外れられます」
 女主人は満足げに言った。晋太郎も同意という風に、口元を微かに緩ませる。
「よかった。ご本人から反論が上がるとは予想していなかったので、驚いてし
まいましたよ」
 流は後頭部に手をやりながら、固い苦笑をした。ドラマに出て来る名探偵の
ように、手際よく推理を披露するのはなかなか難しいものらしい。
「もう一つ。加藤さん。あなたも容疑者の枠から外して考えています」
「ほう? 大変ありがたい言葉だが、何故だね。足腰が悪いからかい。足跡の
トリックは無理だと」
「それ以上に、遺体を流し台に載せるのが無理でしょう」
「おお、確かに。私の腰の悪さは皆さんよくご存知だ」
「間違いなく、演技じゃないわね。請け負います」
 証言したのは真美。自らの足が不自由な分、他人の足腰の動きに対する観察
眼は鋭いのだろう。彼女は続けざまに、流に言った。
「犯人の体力を理由に、女性全員を除外するというのはだめなのかしらね」
「女性というだけで腕力がないなどと短絡的な判断はしたくありません。逆に、
男性なら誰でも流し台に遺体を載せられるかとなると、これも怪しい。結局は
個々人です。ただ、個別に見ていこうにも、僕は皆さんを深くは知らない。あ
の人には遺体を流し台に載せるのは絶対に無理だと言い切る自信のある方は、
ぜひとも教えていただきたいです」
「私はできるわね。家事で鍛えたこの腕を見れば分かるだろうけれど」
 加藤久仁香が手の甲をさすりながら自己申告した。立派な、働き者の腕をし
ている。
 その態度に感化された訳でもないが、良子もまた自分から言った。
「私には無理と思うけど……火事場の何とかって言うし、本当にその状況に置
かれてみなくちゃ、分かんない」
「馬鹿だな、良子。どうせ立証できないことなんだから、せめて自分の口から
は、無理だと答えていればいいものを」
 兄の貴之にからかわれ、良子は頬を膨らませた。口論にならないのは、現況
を鑑みて自制したため。
「牧さんについては、学祭でテントの部品やホワイトボードを運んでいたのを
見掛けたけれども、どう?」
 流が聞いた。さすがに口調が砕けたものになる。
 牧は、貴之が答えようとするのを止め、これ見よがしにため息をつくと、彼
の手から離れた。
「良子ちゃんと同じよ。普段、どれだけ力を出せるかじゃなく、そのときどう
だったかが肝心なんでしょ」
「了解。ああ、完全に段取りを外してしまったな。まあいい。流し台に遺体を
載せられる腕力の持ち主という観点での検討を、先に済ませましょう。残るは
僕を含めて三人ですね。僕はご覧の通り、そこそこいい体格している。恐らく、
遺体を持ち上げることは可能です。貴之も江田さんも、僕と大差ない体格」
 二人とも、遺体を持ち上げることはできるだろうと答えた。貴之は、やれと
言われれば、と注釈を付したが。予防線を張ったつもりに違いない。兄のあか
らさますぎる態度に、良子は密かに嘆息した。
「では、容疑の枠は貴之、牧さん、良子さん、久仁香さん、江田さん、そして
僕の六人に絞れました。ところで確認しておきたいのですが、木村賢治は離れ
で夜眠るとき、鍵を掛けていましたか?」
「掛けていました」
 間を置かず、江田が答えた。
「必ずと言ってもいいほどです。彼は大変用心深く、自分の物に対する執着は
相当でしたから」
 流は礼を述べて、唇を湿らせた。
「事件を少しでも理解するには、取っ掛かりが必要です。僕は、木村賢治の心
理状態を取っ掛かりに選びました。彼は何故、夜中の訪問者を受け入れたのか。
先ほど江田さんに話してもらった通り、離れには夜、鍵が掛かっていたのが常
だそうですから、木村の熟睡を見越して侵入した可能性は排除されます。被害
者は自ら犯人を招き入れたのです」
「本館から顔見知りが来たら、とりあえずは受け入れるものじゃないか?」
 貴之が言った。牧のそばにつき、彼女を慰め、励ますかのように肩を抱き寄
せている。
「昨晩は殺人が起きた直後。人殺しかもしれない人物と真夜中に、一対一で会
う気になるでしょうか」
 全員に尋ねる。具体的な返事はなかったが、「ああ、そうか」等という声が
漏れ聞こえた。
「流、言ってることは分かるが……現実には、木村賢治が犯人を受け入れた。
あの離れの中を仔細に見たが、押し入られたのでもなければ、脅された気配も
感じなかったぜ」
「木村が夜中の訪問者を受け入れるケースが、いくつか考えられます」
 貴之の友達口調に対して、流はあくまで全員を相手に話を進める。
「大きく二つに分けてみます。木村賢治が坂本伊予を殺害した犯人を知ってい
たか、知らなかったかの二つに。念のために言い添えると、前者の説は、木村
自身が犯人ないしは共犯というのも含みます。
 まず、前者を取り上げます。この場合、最大の疑問は、木村が第一の事件の
犯人を知っていたのだとすると、彼はどうやって知ったのか、です。江田さん
の証言があるので、木村が実行犯である可能性はないに等しいと言えるでしょ
う。そうなると、木村は何らかのいきさつがあって、犯人を知らねばならない」
「……推理で犯人を特定したんじゃないよな」

――続く





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