AWC 口語訳_四国偏礼道指南増補大成3 伊井暇幻/久作


        
#186/598 ●長編
★タイトル (gon     )  03/11/08  04:17  (296)
口語訳_四国偏礼道指南増補大成3 伊井暇幻/久作
★内容
   伊予二十六カ所

四十番・観自在寺
 {平地に建っており、南向き}平城山薬師院と号する。空海が寺を建て、高さ一尺二
寸の薬師如来立像を作って本尊とした。このために、薬師院と称する。また脇に観音を
安置したので、観自在寺と呼ぶ。
 詠歌「しんかんや自在の春に花咲きて 浮き世の枯れて棲むや獣」
 稲荷まで道が三つある。灘道十三里、大岩道越え十三里、篠山越え十四里半。{とも
に満願寺に至る。}灘道は谷間の山道で、長洲・摺木・柏、この間に二里の坂。上畑
地・下畑地、芳原には阿弥陀堂がある。{宿を貸してくれる。}岩松・岩淵を通って、
満願寺。
 次の中道は、長月。大岩道坂が二里続く。僧都村。小岩道坂は三里。秀松村・岩淵。
{満願寺。}
 篠山越えは、広見村・板尾村。正木村。{この村の庄屋は代々遍路に対して門を閉ざ
さない。ありがたい言い伝えがある。尋ねるとよい。} 祓川。{垢離して篠山に向か
う。}
 篠山観世音寺の本尊は高さ五尺の十一面観音{立像}。{西に三町行くと天狗堂があ
る。}山上に熊野三所権現。{ここに札を納める。}脇に霊異を示す池がある。生えて
いる篠が万病に効く。{矢筈の池。中に怪異な石がある。池の周りに篠竹が生えてい
る。夜毎、龍馬が現れ、食むという。万病に効くと人々が持ち帰る。特に、馬の病気に
効くと言い伝えられている。}坂が一里続く。槇川村に宿を貸す善人がいる。番所で切
手を改める。{大師堂がある。庄屋の名が右衛門が宿を貸してくれる。}御内村の庄屋
は宿を貸してくれる。{庄屋の伊左衛門が宿を貸してくれる。}野井村坂には宿を貸し
てくれる善人が多い。{岩淵村を通り満願寺に至る。山を左にして、南向きに建ってい
る。宇和郡津島郷にある。本尊は行基作の薬師如来像で、秘仏とされている。詠歌「万
の願いを ここに満願寺 仏の誓い頼もしきかな」。この寺は八十八カ所の内ではない
が、空海が草創した寺であり、当初は大伽藍であった。しかし今や廃れてしまってい
る。四国遍礼霊場記と、この道指南の収入で、満願寺を修理することが、序に書いたと
おり、真念の念願である。△四国遍礼霊場記四巻△四国遍礼道指南全。野井村には観音
堂がある。この村の伊左衛門は延宝年間の七年間、遍路人に足半を与え続けた篤志の人
で、宿を貸してくれる。行き過ぎて地蔵堂がある。野井の坂。}祝森村。{地蔵堂があ
る。}稗田。寄松村。{毘沙門天像がある。}ここから宇和島城下に入る。{ここまで
松並の美しい道である。}城下町へ入る所に願成寺がある。{元結掛とも呼ぶ。由緒あ
る寺だ。本尊は空海像。札を納める。少し行って}橋がある。番所で切手を改める。
{城下に三十三カ所観音がある。何でも買い揃えられる。町の}出口にも番所がある。
橋を渡って左へ{傍らに町を見ながら}進む。下村に宿を貸してくれる善人がいる。紺
屋庄兵衛は代々宿を貸してくれる。和霊神社がある。中間村。{八幡宮がある。}光満
村。{この間に年に七回実る栗がある。}務田村。{大師堂がある。}窓峠坂を通っ
て、戸雁村に至る。

四十一番・稲荷
 {南向き}宇和郡。稲荷神は元々空海と契約をしており、密教を守護している。{本
尊は高さ一尺の十一面観音立像で作者は分からない。}
 詠歌「この神は三国流布の密教を 守りたまわん誓いこそ聞く」
 仏木寺まで三十町。●なかえ村には観音堂・大師堂がある。仏木寺のある宇和郡則村
に至る。

四十二番・仏木寺
 {平地に建っており、南向き。}空海が初めて訪れたとき、右に立つ楠の樹上に光が
あった。一■【果に頁】の宝珠であった。空海は楠を伐って高さ四尺の大日如来座像を
刻み、宝珠を納めた。一■【果に頁】山毘盧舎那院と名付けた。楠は枯れ朽ちることが
ない。
 詠歌「草も木も仏になれる仏木寺 なお頼もしき鬼畜人天」
 明石寺まで三里。歯長坂。下河村には川がある。皆田。伊南坊村。宇和郡明石村。
{明石と呼ばれる大石がある。白王権現とされている。この石には色々と物語がある
。}

四十三番・明石寺
 {山上の谷間に立っており、南向き}源光山円手院と号する。本尊は高さ三尺の千手
観音座像で作者は分からない。{唐から伝来した仏である。}寺に入ると、白王権現の
石がある。光るので明石と呼ぶ。
 詠歌「聞くならく千手の誓い不思議には 大盤石も軽く揚げ石/明石」
 菅生山まで二十一里。卯之町は買い物に便利な場所だ。{大師堂がある。}下松葉
村、上松葉村、大江村。東多田村には番所があり切手を改める。鳥坂村に宇和と大洲の
境がある。行き過ぎると二里半の坂がある。{八町ほど上り、あとは下る。}北只村。
この間に小川{二瀬}がある。大洲城下は、買い物に便利だ。{町はずれに大川があ
る。舟で渡る。渡ると十王堂や侍屋敷がある。}下村{町}。若宮村には宿を貸してく
れる善人がいる。{大師堂がある。甚之助が宿を貸してくれる。過ぎて都谷橋。この橋
には由来がある。}都谷橋。新谷の町。{買い物に便利だ。旅館もある。}{黒土村・
泉ケ峠坂。}●くろうちぼ坂。内子村。右が遍路道。川を渡り、知清村。村前村坂。
{この間に中戸坂。}五百木村。大瀬村。{大師堂。}ここに寿松庵。ここにいる人の
先祖が遍路人のために建てた。{雲林山寿松庵がある。ここに住む曽根清左衛門の先祖
が建て、永く仏の弟子の役に立て遍路人を憩わせる場所とした。彼が詠んだ歌みたいな
ものが残っている。{白妙の雲の林の此方より寿松に夢醒むるかな」。}川登村。{阿
弥陀堂がある。}梅津村。{薬師堂がある。}下田渡村。中田渡村には宿を貸してくれ
る善人がいる。{八幡宮がある。}上田渡村。{過ぎて}三島明神。臼杵村。{大師堂
がある。}二明村。{葛城明神がある。過ぎて橋を渡れば大師堂。}この崎に、鴇田
坂。{この峠から久万町の菅生山が見える。}大洲領と松山領の境になっている。{こ
こから臼杵の間は、驚くばかりの幽境絶景である。}久万町に至る。{荷物を置いて菅
生山と岩屋寺へ詣でる。この町には遍路に同情する人が多い。買い物に便利な場所だ
。}浮穴郡菅生村に着く。

四十四番・菅生山
 {山上にあり南向き}大宝寺大覚院と号する。四十二代の文武天皇が大宝元年に建て
た。本尊を、生えていた菅の上に置いたので、山号とした。本尊は高さ四尺三寸の十一
面観音菩薩立像。{天竺から百済を経て伝来した。}空海が霊威を感じて奥の院を開
き、岩屋寺と名付けた。
 詠歌「今の世は大悲の恵み 菅生山 遂には弥陀の誓いをぞ待つ」
 岩屋寺まで三里。{この間の峯に堂がある。坂を上り峠に地蔵堂がある。}畑野川。
ここに荷物を置いて岩屋寺に向かう。住吉神社・薬師堂・閻魔堂を過ぎて右の道に入
る。ここから岩屋寺まで一里。山坂に拝所が多い。

四十五番・岩谷寺
 {東向き}浮穴郡。海岸山と号する。名前に相応しく、岩姿の奇怪さは言葉で表現で
きないほどだ。不思議なことが起こる場所が多い。本尊は空海作の不動明王石像。{秘
仏。}
 詠歌「大聖の祈る力の げに岩屋 石の中にも極楽ぞある」
 浄瑠璃寺まで八里。岩屋からは下り道を行く。{麓に里が一つあり橋を二つ渡って古
岩屋。先祖を供養する場所だ。}畑野川へ戻り、住吉神社から右へ行く。浄瑠璃寺まで
五里。●ゆさの村。東明神村。西明神村。坂があり、峠から松山城・三津の湊・伊予の
富士・島山が近く感じ、出船・釣舟が見える。坂本に茶屋がある。大師堂は宿を貸して
くれる。{見坂と呼ばれている。この峠から眺望すると、千歳寿く松山城が堂々とした
姿を見せ、願いは三津の浜が広々としている。青い波立つ遙かな海。間に丹生川。伊予
の小富士は駿河にある本物の富士山のようだ。興居島・島山・山島、数々の出船・釣
舟。やれやれ莨一服。下り坂を半ば過ぎ、桜休場の茶屋。大師堂。この堂は村の長右衛
門が建立したもので、泊めてくれる。}榎木村。{地蔵堂がある。}久保村。{大師堂
がある。}久谷村に{小}川がある。浮穴郡浄瑠璃村に至る。

四十六番・浄瑠璃寺
 {平地に建っており、東向き}医王山養珠院と号する。本尊は薬師如来。日光・月光
菩薩、十二神将像もある。作者は分からない。{行基作で秘仏。}
 詠歌「極楽の浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は報いならまし」
 八坂寺まで五町。八坂村に至る。

四十七番・八坂寺
 {平地に建っており、東向き。}熊谷山妙見院と号する。本尊は高さ三尺の阿弥陀如
来座像。恵心の作。恵心は空海の死後三百年ほどの人だ。昔のことは、分からない。
 詠歌「花を見て歌詠む人は八坂寺 三仏性の縁とこそ聞け」
 西林寺まで一里。荏原村。{大師堂がある。村の南に右衛門三郎の子八人の塚があ
る。纏わる物語は、石手寺の縁起に詳しく書かれている。}小村。{大師堂がある。}
川が三つ。高井村には宿を貸してくれる善人が多い。{九郎兵衛・吉左衛門そのほかの
人が宿を貸してくれる。}

四十八番・西林寺
 {平地に建っており、南向き}清涼山安養院と号する。本尊は高さ三尺の十一面観音
立像で空海作。
 詠歌「弥陀仏の世界を尋ね聞きたくば 西の林の寺へ参れよ」
 浄土寺まで二十五町。土居村。鷹ノ子村。

四十九番・浄土寺
 {山を後にして南向きに建っている}久米郡。西林山三蔵院と号する。四十六代孝謙
天皇の勅願所という。本尊釈迦如来像は、行基の作。{秘仏}。
 詠歌「十悪の我が身を捨てず そのままに 浄土の寺へ詣りこそすれ」
 繁多寺まで十五町。この間に八幡宮がある。{新立町。}過ぎると{右へ行き}標石
がある。温泉郡畑寺村に至る。

五十番・繁多寺
 {平地に建っており、西向き}東山瑠璃光院と号する。孝謙天皇の勅願所という。本
尊は行基が作った高さ三尺の薬師如来立像。護摩堂の本尊は伝教大師作の不動明王像。
 詠歌「万こそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ」
 石手寺まで二十町。{少し行くと八幡宮がある。過ぎると大道に出る。遍路は右に行
く。}●けば町を通って、石手村に至る。

五十一番・石手寺
 {背後は山で、東向きに建っている。}温泉郡熊野山と号する。本尊は行基が作った
高さ二尺五寸の薬師如来座像。この国の右衛門三郎が石を手に握り伊予守・河野家の男
子として生まれ変わったことから、石手寺と呼ぶ。熊野権現を勧請し、山号とした。
 詠歌「西方を余所とは見まじ 安養の 寺に詣りて受くる十楽」
 大山寺まで二里。{少し行くと薬師堂。過ぎて河野氏の古城・湯月城がある。今は竹
林になっている。外堀が残っている。次に領主の氏神社がある。麓に社家が住んでい
る。ここに一遍上人の寺がある。過ぎると}道後の湯。{景行天皇以降代々の天皇が来
て入浴したと、日本書紀に書いてある。推古天皇の時代には、聖徳太子も来た。源氏物
語に載せる、伊予の湯桁とは、ここである。湯壺は五つある。まず、●かぎ湯と呼び、
普通の人は入らない。薬師如来像がある。足下から谷川のように豊かな湯が出ている。
二の湯は女湯。三の湯は男湯。第四を養生湯と呼んでおり、男女の別なく入浴してい
る。諸国から来た湯治の人たちが昼夜を問わず入っている。第五には非人や牛馬が入
る。脇に玉の石と呼ぶ丸石がある。この歌に対しての歌が残っている。「伊予の湯の辺
に立てる玉の石 これぞ神代の初めなりけり」。●ゆげの歌「伊予は神湯の井桁は幾つ
 左右は九つ 中は十六 また伊予は神湯の井桁は幾つ 数知らず 覚えず読ます 君
や知らなん」。詳しくは、湯屋明王院に記録が残っている。ここには小さいが町もあ
る。松山城下へは左に行く。少し回り道になるが、用を足すには便利な場所を通る。三
津の浜まで一里。並木。湊町であり、賑やかだ。舟屋が多い。太山寺へは古三津から直
進路もある。過ぎて小坂がある。}松山城下へは、ここを左へ行く。三津の浜まで一
里。並木。湊町。松山へ寄らない場合は、道後から山越村を向かう。{道後からは右に
行く道だ。正月十六日桜と呼ばれる、毎年この日に満開となる桜がある。寺が多く、寺
町とも呼ぶ。}谷村。{室岡山という場所に堂がある。本尊は薬師如来像。遍路人が札
を納めている。}安城寺村。大山寺村。本堂まで八町の場所に、惣門がある。{麓に茶
屋がある。}

五十二番・太山寺
 {ちょっとした山上にある。南向き}和気郡。瀧雲山護持院と号する。聖武天皇が建
立した。本尊は行基が作った高さ六尺{二分}の十一面観音菩薩立像。この観音像に、
元々あった中国伝来の小像を納めたという。
 詠歌「太山へ登れば汗の出でけれど 後の世想えば何の苦もなし」
 円明寺まで十八町。和気郡和気浜村。

五十三番・円明寺
 {平地に建っており、南向き}須賀山正智院と号する。行基菩薩が草創し、高さ三尺
五寸の阿弥陀如来像を本尊とした。
 詠歌「来迎の弥陀の光の円明寺 照り添う影は夜毎夜毎の月」
 延命寺まで九里。堀江村。粟井坂には宿を貸してくれる善人がいる。柳原村。{町が
ある。}北条村に町がある。{町の中には橋。}河野坂。{麓には大師堂。}浅海村に
番所があり、切手を改める。まと坂。拾ヒ揚坂。この間一里。{この間一里、村はな
い。}菊間村。{町がある。この間に小川。先に進むと}●たちは坂。種村。佐方村。
新町。縣村。ここは松山城下札の辻から十里と記す一里塚。標石もある。

五十四番・延命寺
 {少し山上にある。南向き}近見山不動院と号する。本尊は行基が作った高さ二尺の
不動明王座像。
 詠歌「曇りなき香我美の縁と眺むれば 残さず影を映すものかな」
 別宮まで一里。{三島神社の前札所である。三島までは海路七里の道程だ。このた
め、ここで拝む。}今治に至る。

五十五番・別宮
 {三島神社である。平地に建ち、東向き}越智郡。大積山金剛院光明寺と号する。今
では南光坊と呼んでいる。三島神社を勧請している。文武天皇の時代、伊豆・摂津と当
郡が、天下三所と呼ばれている。本地仏は、大通智勝仏。
 詠歌「この所 見しま/三島に夢の醒めければ 別宮とても同じ垂迹」
 {この間に薬師堂がある。}太山寺まで一里二町。左に行くと今治城下に出る。{買
い物に便利な町だ。}日吉村。馬越村。{大師堂がある。}小泉村に至る。

五十六番・泰山寺
 {東向き}金林山と号する。空海の開基で、本尊は空海が作った高さ二尺四寸の地蔵
菩薩座像。
 詠歌「皆人の詣りて やがて退散/泰山寺 来世の引導 頼みおきつつ」
 八幡宮まで十八町。行くと蒼社川がある。四村。{次左衛門が宿を貸してくれる。}
五十嵐【いかなし】村に至る。

五十七番・八幡石清水
 {山に二町登る。東向き}鎮座した年代は不明である。海から上がってきたという。
本尊は、八幡神の本地仏である阿弥陀如来像。
 詠歌「この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救う弥陀仏」
 佐礼山まで二十町。山道、小坂がある。八幡村に至る。

五十八番・佐礼山
 {山の上に建っている。南向き}千光院仙遊寺と号する。天智天皇の御願所だとい
う。本尊は高さ六尺の千手観音立像。{作者不明。}
 詠歌「立ち寄りて佐礼の堂に休みつつ 六字を唱え経を誦むべし」
 国分寺まで一里。新谷村。松木村。小川がある。国分寺村に至る。

五十九番・国分寺
 {少し山の上にある。堂は南向き}越智郡。金光山最勝院と号する。聖武天皇の勅願
で諸国に建てられた国分寺の一つである。ただし、今の本尊は、行基が作った高さ四尺
の薬師如来座像だ。傍らに、新田義助の墓がある。{今治藩家中が石塔を建立した。}
 詠歌「守護のためとても崇むる国分寺 いよいよ恵む薬師なりけり」
 横峯まで六里。桜井村。{紺屋伝左衛門が宿を貸してくれる。}長沢村。ここから山
道となる。茶屋がある。{大日堂がある。}中村。{毘沙門堂がある。道筋の左に、お
いしい井戸水。過ぎて大明神河原。標石がある。昔は、一宮・横峯・香苑と順番に札を
納めたが、一宮を新屋敷村に移したため、今は大明神河原から右へ、横峯・香苑・一宮
と回る。}北新村。丹原町。{西に向かえば紫尾山八幡宮。麓に空海が作った生木の地
蔵菩薩像がある。霊異を起こしたことは数え切れない。}生木地蔵。新田村には川があ
る。大戸村。ここに荷物を置いて行く。ここから横峯まで二里。湯浪村。{地蔵堂があ
る。}古坊村。{地蔵堂がある。大戸から山道、谷間を通る。}

六十番・横峯寺
 {山上に建っている。西向き}周布郡。仏光山福智院と号する。石仙なる人の開基と
いう。本社は蔵王権現を祀っている。本堂の本尊は高さ二尺三寸の大日如来座像。{行
基作。}弥山の拝所がある。横峯寺から香苑寺に至る筋向かい道を教える人が多いが、
便利は宜しくない。大戸に戻る方がよい。
 詠歌「縦横に峯や山辺に寺建てて 遍く人を救うものかな」
 香苑寺まで三里。大戸村に戻り{横峯から二町登って石鎚山の前札所である鉄の鳥居
に出る。石鎚山まで九里。毎年六月朔日から三日の間でなければ
禅定/登頂できない。このため、前神寺と呼ぶ。川がある。}妙口村。周布郡香苑村に
至る。

六十一番・香苑寺
 {平地に建っている。東向き}栴檀山教王院と号する。空海が芳しい栴檀の香りを味
わい、寺を建て、高さ一尺二寸の大日如来座像{春日作}を安置して、教王院と名付け
た。
 詠歌「後の世を恐るる人は香苑寺 止めて止まらぬ白瀧の水」
 一宮まで八町。

六十二番・一の宮
 {平地に建っている。東向き}周布郡{新屋敷}。天養山観音院宝寿寺と号する。本
尊は高さ一尺二寸の十一面観音立像{作者不明}。昔の一宮があったとされているが、
定かではない。
 詠歌「五月雨の後に出たる玉の井は 白壺なるや一宮の川」
 吉祥寺まで七町。{一町ほどの脇に小松の町。}新居郡氷見村に至る。

六十三番・吉祥寺
 {平地に建っており、南西向き}密教山胎蔵院と号する。本尊は空海が作った高さ二
尺の毘沙門天座像。空海が加持した柴井と呼ばれる名泉がある。
 詠歌「身の中の悪しき悲報を打ち捨てて みな吉祥を望み祈れよ」
 里前神寺まで一里。{楢木村。石仏地蔵堂がある。}西泉村。楢木村を過ぎて、●た
んという所に至る。

六十四番・里前神寺
 {山上に建っている。堂は東向き。}新居郡。いつもは石鎚山へ詣ることができない
ので、ここで拝む。石鎚山を奥前神寺と呼び、こちらを里前神寺と称する。石鎚山は、
六月朔日から三日までに登る。金の鎖を執って登る所が三カ所ある。蔵王権現が示現
し、役行者が修行した山であり、大和国吉野の大峯と同じく霊験あらたかな場所だ。本
尊は阿弥陀如来像。作者は不明である。{秘仏となっている。}
 詠歌「前は神 後は仏 極楽の 万の罪を砕く石鎚」
 三角寺まで十里。洲之内村。安知生村。この間に{加茂川という}川がある。大町。
{ここから五町余り左が西条城下。}福武村。上島山村。萩生村。中村。角野村。国領
村。土居村。{地蔵堂がある。}中村。小林村。{観音堂がある。}津根村。中曽根
村。柏村。瀧宮村には牛王天王・薬師がある。宇摩郡横尾村の三角寺まで坂道。

六十五番・由霊山{三角寺}
 {東向き}慈尊院と号する。本尊は空海が作った高さ六尺二寸の十一面観音菩薩立
像。弥勒堂があるため、弥勒菩薩の別名である慈尊を院号としている。空海が使った三
角の護摩壇があるため、三角寺と呼ぶ。奥の院は金光山仙就寺。三角寺から五十八町の
坂道を行く。高山で険しい岩場を登る。空海が修行した場所で、空海像を本尊としてい
る。{奥の院の八町手前に大久保の集落がある。家は二三軒だ。荷物を置いて行くとよ
い。ただし、奥の院に一泊する場合は、荷物を持って行く。奥の院の本尊は、空海自作
の御影。詠歌は「極楽は よもにもあらじ この寺の実りの声を聞くぞ立つとき」旧跡
は多いので、略する。奥の院から荷物を置いた場所に戻り、雲辺寺へ向かう。大久保を
過ぎて一昼村。そこから平山村へ出る。奥の院から山道が続く。三角寺から雲辺寺へ直
接に行くときは、左に曲がる。}
 詠歌「恐ろしや 三の角にもいるならば 心を丸く弥陀を念ぜよ」
 雲辺寺まで五里。金川村。内野々村に坂がある。平山村。{茶屋がある。}半田村。
{観音堂がある。}領家村。{観音堂がある。}●だいお村。葱尾村には宿を貸してく
れる善人がいる。この坂の峠が、伊予と阿波の国境となっている。{大境と呼ぶ。}雲
辺寺まで二里は阿波分。佐野村。{地蔵堂と}阿波国番所がある。通行切手を改める。
ここにある清色寺{真言宗の寺であるが}国主が遍路人を労るために建てた。雲辺寺ま
で五十町の坂が続く。以上が伊予国分。





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