#183/598 ●長編
★タイトル (gon ) 03/11/08 04:13 ( 66)
口語訳_四国遍礼霊場記7 伊井暇幻/久作
★内容 03/11/08 04:21 修正 第2版
四国遍礼霊場記巻七
豫州下
太山寺、円明寺、延命寺、光明寺、泰山寺、八幡宮、仙遊寺、国分寺、横峯寺、香園
寺、一宮、吉祥寺、里前神寺、三角寺付仙龍寺
▼瀧雲山護持院太山寺(五十二番)
和気郡にある。天平勝宝年中に、聖武天皇が建立した。本尊は、行基菩薩が唐から得
た十一面観音の小像を、六尺の像を作って中に納めたもの。
本堂の左に、孝謙天皇が建てた石塔がある。前には鎮守の五社明神。石段の右に樹木
が居流ている。前には地蔵堂、東に五智如来。僧坊は東に建っている。本坊の前には岩
の切り通しがあり、瀧になっている。訪れた人は、心が洗われるようだ。
惣門を入ると池がある。清い蓮が立っている。傍に弁財天祠がある。
この山は高くはないが周囲が五里八町あり、しっとりと落ち着いた雰囲気だ。
後冷泉・後三条・堀河・鳥羽・須藤・近衛院・後白河法皇が、それぞれ十一面観音像
を作らせて安置している。奉納の年月が記されている。
▼須賀山正智院円明寺(五十三番)
和気郡和気濱村にある。行基菩薩の創建で、阿弥陀如来像を安置している。寺号の円
明は、阿弥陀の光が遍く照らすことを意味している。空海が中興し、密教を称揚した。
鎮守は市杵島明神。二王門の内にある池の祠にも弁財天を祀っている。宝鐘が庭に掛
かっている。音を出して歳月を送り、夢幻を破り醒まさせる。寺の興廃は分からない。
美しい絹のような霞、淡く漂う香の煙が松竹の裏に通っている。落ち着いた雰囲気の土
地に、堂が寂しく建っている。夕日が静かに暮れていく。
▼近見山不動院延命寺(五十四番)
縣邑にある。本尊の不動明王像は、行基菩薩の作だという。この他に伝わる話はな
い。四方を覆う竹林の緑が空へと連なり、盛夏の強い日差しが深い影をつくっている。
背後の山の上に、縣一円の総鎮守社がある。
▼大積山金剛院光明寺(五十五番)
別宮と呼ぶ。越智郡にある。三島明神である。記紀の神代巻に、生まれるときの炎で
伊弉許を死に至らしめた軻遇突智を伊弉諾尊が三つに斬った一つが、大山積神であると
伝える。聖武天皇の時代、天平五年に示現した。伊豆国賀茂郡、摂津国島下郡にも社が
ある。共に同じ神だ。三島明神社から伊豆に移ったという。治歴年中の頃、日照りのた
め雨乞いをしようと、伊予の国司・実綱は能因法師を招き、歌を詠ませた。能印の和歌
は「天の河 苗代水にせき下せ 天下ります神ならば神」。歌を社に奉納すると、忽ち
に雨が降った。歌の短冊は、宝殿に今も残っているという。
太宰大弐・藤原佐理が任期を終え九州から京都へ帰る途中、伊予に停泊した。波風が
荒れて、船を出せなくなった。夜になって夢に三島明神が現れ、社の額を佐理が書けば
風はすぐに止むと告げた。額には日本惣鎮守三島大明神と書かれている。
宮守を金剛院南光坊と呼ぶ。本尊は大通智勝如来で、三島明神の本地仏とされてい
る。
・・・・・・・・「金葉和歌集」巻十雑歌下・・・・・・・・・・
(平)範国朝臣に具いて伊予国にまかりたりけるに、正月より三四月までいかにも雨の
降らざりければ、苗代もえせで騒ぎければ、よろづ祈りけれど叶はで堪えがたかりけれ
ば、守、能因を歌よみて一宮に参らせて祈れと申ければ、参りてよめる
能因法師
「天の川 苗代水にせきくだせ あま下ります神ならば神」
ちなみに、空海はもとより、七十二番・曼荼羅寺の項で言及されている元杲や仁海に
は雨乞いの伝説が残っている。特に小野僧正・仁海は、雨僧正と称された。話は宋にも
伝わり、彼の地では雨海大師と呼ばれた。当時は灌漑が重大な問題であり、雨乞いが僧
侶に期待される能力の一つであったのだろう。
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▼金林山泰山寺(五十六番)
空海の開基だという。興廃の履歴は分からない。本尊は空海が作った地蔵菩薩像。茅
を葺いた堂は清浄で、樹木が茂っている。籬には山の花が交わり、野の風が通ってい
く。数件の農家が、夕陽を浴びている。
▼石清水八幡宮(五十七番)