#149/598 ●長編
★タイトル (GSC ) 03/05/14 06:50 (247)
お題>うどん(上) [竹木 貝石]
★内容
まえがき
店でうどんを食べると、いつも昔のことを思い出す。
以下は全て実話である。
【1】
僕はもうすっかりあきらめ気分になっていた。毎日毎日夕方になると、同級
生の浜田と二人で町へ出掛け、バス停前の公衆電話で問い合わせ、市電や市バ
スを乗り継いで訪ねて行っては断られた。
今夜もまたその電話ボックスに二人で入り込み、ダイヤルを回す。63の
0209…。
「モシモシ! 竹田治療院ですか?」
「はい、そうです。」
年輩の男の声が受話器から聞こえて来る。
「じつは…弟子入りしたいのですが、使っていただけないでしょうか?」
僕はだいぶ慣れた口調で要件を告げた。
「今どこに住んでるの?」
と、相手は僕の声の調子から若年者と判断したらしく、ぶっきら棒に聞いた。
「盲学校の寄宿舎に居ます。」
「年はいくつ?」
「15歳です。来年4月から高等部へ進みます。」
「按摩師の免許は有るのかね?」
「はい。検定試験で取りました。」
「学校をやめてうちへ来るつもりなの?」
「いいえ、住み込みで働きながら学校へ通わせていただけないでしょうか?」
「視力はどのくらい?」
「光覚盲(光しか見ることのできない視力)です。」
「ご両親は承知してみえるの?(承知しているかと言う意味の名古屋言葉)」
「エエ、その点は大丈夫です。それと…もう一人同級生がいるので、二人一緒
に働きたいのですが…。」
「今仕事が暇で、うちも人手が余ってるからねえ。ともかく明日の晩もう1度
電話してみてちょうだい(名古屋弁)。その時までに考えておこう。」
「はい、どうかよろしくお願いします。」
受話器をかけると、僕は学生服のポケットから小銭入れを取り出した。昭和
27年(1952年)当時、公衆電話は、使った人が良心的にお金を箱の中に
入れておく方式だった。
「電話賃なんかいらないよ。どうせ分かりゃあしないさ。」
と浜田が言うのに、
「ウン、それもそうだな。」
と、僕は一応同意したようなふりをして、それでも50円紙幣の細長くたた
んだのを、ポストに似た大きな木箱の中におとしいれた、
[前に電話した分も含めると、50円じゃ足りないかも知れないが]
と心の内で後めたく思いながら…。
「多分明日の晩電話してみたって、また断られるだけだろうなあ。」
と僕が言うと浜田は、
「そうとはかぎらんよ。ともかく僕は何が何でも働きたいんだ。きっとどこか
捜してみせるぞ。それより腹が減ったなあ! うどんを食べよう。お金ちょっ
と貸しといてくれないか。いいだろ?」
と言って、白い杖をつきながら〈鶴亀屋〉の方へ歩き出す。
僕は[またか]と思ったが、しぶしぶ彼の後からついて行った。
[どうして浜田は無駄遣いばかりするんだろう? お金が無い、お金が無いと
言いながら、うどんなんか食べて、その金を平気で僕から借りる。もうこれで
120円貸したことになるが、いつ返してくれるつもりなのか?]
僕は浜田のずうずうしさに腹が立った。
「いらっしゃい!今夜も寒いねえ。」
と、鶴亀屋のおばさんが奥から出て来て注文を聞く。
「きしめん二つ。」
浜田が木の腰掛けを後ろにずらしたので、キューッと歯の浮くような音がし
た。
【2】
寄宿舎に帰ると、すでに夜の自習時間になっていた。
そっと自分の部屋に入り、普段机代わりに使っているりんご箱の前に座った
が、勉強する気にはとてもなれない。
「どうだった?いい勤め口は見つかったかい?」
と同室の田川が聞いた。
「駄目駄目、全然だよ。」
僕は畳にゴロリと寝そべった。
「ところで田川君。後で木原先輩にレコードを借りて来るから、かけてくれな
いか?ぜひおぼえたい歌があるんだ。」
「いいとも。この蓄音機、700円で買ったにしてはよく役にたつ。」
田川は1級下の中学2年生だが年は僕より三つ上である。ひょうきん者でお
っちょこちょいでおしゃべりの田川は、仲間から軽く見られるところはあった
が、尺八で上手に歌謡曲を吹いたり、声帯模写で学校の先生方の物真似をした
り、楽器屋や電気屋へ行って値打ちな掘り出し物を見つけて来たりする不思議
な才能があった。
自習時間の終りをしらせる鈴がチャランチャランと鳴った。
舎監の先生が各部屋を回って点呼をとる。部屋長は、
「総員何名・欠員何名」
と報告する。
その後9時の消灯時間まで、寄宿舎は自由時間となり、しばし賑やかだ。
田川は旧式の蓄音機でいろんな流行歌を鳴らす。手回しのその蓄音機は、箱
無しの露出した機械の上に回転板が乗っているだけ、大きなラッパ型のスピー
カーから古風な音を出していた。
レコードは、千種橋(町の名前)に在る楽器店で安く買って来た歌謡曲ばか
りで、「水にネオンの花が散る。なびく柳もなやましや。」と歌うのは渡辺は
ま子の火の鳥・「たかが一人の女のために。寝てはまぼろし起きてはうつつ。」
と歌うのは鶴田六郎のさすらいのギター…。
僕は小畑実の〈アア高原を馬車は行く〉のレコード板を、木原という上級生
から借りて来た。
木原氏は僕より五つ年上の二十歳で、真面目な好青年、その温和な人柄は皆
から慕われていた。歌が上手で、〈旅の舞姫〉や〈午前2時のブルース〉など、
小節を付けて巧みに歌った。彼は二階の6号室・僕は1階の3号室というふう
に、過去1度も寄宿舎で同じ部屋になったことはないが、彼には随分世話にな
っている。
さて、借りたレコードを傍らに置いて、田川の回す蓄音機の歌謡曲を聞いて
いた時である。1号室の浜田が部屋に入って来て、僕のそばに座ろうとし、そ
こに置いてあったレコード板の端を踏んづけた。ビシッという小さな音がした
ので、「アッ」と思わずレコードを引っ込めたが、その時すでに遅く、へりか
ら数センチの所にひび割れが出来てしまった。
「君がこんな所に置いとくからいけないんだ。僕に責任はないよ。」
と浜田は強硬に主張する。
「そうかも知れないけど、君に全く関係がないと言うのも…」
「第一、盲学校で畳の上にレコードなんか置いとくほうが非常識だよ。」
と彼は譲らない。
今考えれば、彼の言い分の方がもっともなのだが、その時は浜田を我が侭勝
手な人間と決めこんでいたので、不愉快きわまりなかった。
ともかく、一先ず僕がお金を立て替えて新しいレコードを買い、木原氏に返
すことにしたが、当時やっとすこし小遣い銭を増やしてもらったとはいえ、僕
はけっして裕福でなかった。
今でも覚えているが、僕らが小学3年生の2学期初めの日、夏休みが終って
寄宿舎に戻って来た浜田が、80円もするというぜんまいじかけのおもちゃの
電車を走らせて遊んでいた。部屋の床を、直径5メーターほどの円を描いて走
る電車の軽快な音が羨ましかった。
その頃僕は、3円のハーモニカや40銭の将棋の駒が欲しくて夢にまで見た
のに、どうしても買ってもらえなかったものだ。
浜田は僕よりずっと沢山小使をもらっていながら、すぐ無駄に使ってしまい、
現に僕から120円も借金し、その上さらに〈アア高原を馬車は行く〉のレコ
ードを、僕に全額弁償させようというのである。
翌日の夕方、二人は千種橋の楽器店へ出掛けた。
顔なじみの店の主人が、
「あいにくとそのレコードは売り切れてますねえ、明後日なら入りますが…。」
と言う。
しかし、そんなに長く木原氏のレコードを借りっぱなしにしておくわけにも
いかず、もし返せと言われた時困ってしまう。すると浜田が、
「僕から木原さんにうまく話しておくよ。」
と言ったので、結局取り寄せてもらうことにして、店を出た。
昨晩約束した竹田治療院へ電話を入れてみたが、案の定断られ、寄宿舎に戻
る途中、
「今日は焼き芋を買って帰ろう。お金は来週きっと返すから、前のと併せて
140円だね。」
と言うことになった。
【3】
二日後、楽器やから取って来たレコードを木原氏に返そうとすると、
「オヤ!袋が違ってるなあ。どうしたんだ?」
と聞かれ、浜田が言わなくてもいいこの度のいきさつを全部しゃべってしま
った。
「なに! それでもう1枚レコードを買って来たと言うのか。古いほうはどう
したんだ?」
「それもここにあります。」
「よし分かった。余計な心配はしなくていい。この新しいほうはいらないから、
持ってって返してこい。」
「いいえ、それでは申しわけありませんから…。」
「冗談いうな。そんな物が受け取れるか! さっさと持って行け!」
いつになく強い調子で木原氏に言われ、僕らは翌日そのレコードを持ってま
た千種橋へ行った。
「昨日取り寄せてもらったレコードですが、都合によりいらなくなったので、
元通り引き取っていただけませんか」
と頼むと、普段温厚そうな楽器やの主人が、
「それはできません。1度お売りしたレコードを引き取る訳にはいかないん
で。」
と断った。
「じつは…。」
と、およその事情を説明してみたが、
「お気の毒ですねえ。」
と言うだけだった。そこで浜田が、
「美空ひばりの〈あの丘越えて〉のレコードはありませんか?」
と聞いた。
「ございますよ。」
「じゃあ、それをもらって、こちらの〈アア高原を馬車は行く〉をお返しする
というのでは駄目ですか?」
と掛け合った。楽器屋も渋々、
「それならやむをえないですなあ。」
ということでやっと話が尽き、ほっと一安心した。美空ひばりのレコードは
浜田が持っていき、SPレコードは180円だったから、こうして僕が浜田に
貸した金額は320円となった。
【4】
中区大須の本町通に高原治療院があると聞いて、浜田と僕はまた出掛けて行
った。
木枯らしの吹きすさぶ夕暮れの町並に、人影はまばらで、杖を頼りにあちら
こちらとさ迷いながら、やっと尋ね当てた所は、重たい扉の寒々とした家だっ
た。
中年の奥さんが出て来たので、要件を告げると、
「うちには佐田君が働いているから、学校であんたたちのこと知ってるはずだ
わねえ。」
と言ったので、僕らは
「ハア。」
と曖昧な返事をした。
佐田というのは、昨年普通校から移って来た2年上級の弱視生で、僅か二つ
年上ながら、大柄で腕力が強く、やること・なすこと堂々としていて、彼から
見ると僕らなど、まるで子ども扱いだった。ただしその頃、僕は彼に頼まれて、
点字の教科書を何冊か複写してやったことはある。彼 佐田に言わせると、
「教科書などは買うよりも書き写したほうが安上がりだ。」
ということで、
「おまえ、点訳してくれよな。」
と頼まれたのである。点字本を1冊書き写すには、どんなに急いでも1週間
や十日はかかるが、僕はそれを無償で引き受けた。
主人が出て来た所へ、佐田も出張治療から帰って来たので、僕が奥さんを揉
み、浜田が佐田氏を揉んで、腕前を見てもらうことにした。
「気にいったら家で働いてもらうかも知れない。」
と言われ、さて奥さんの肩につかまって揉み始めたが、どうもうまくいかな
い。僕は日頃特に按摩が上手だとは思っていなかったが、それにしてもこれほ
ど下手だとは今の今まで気付かなかった。奥さんは優しい声に似合わず、体じ
ゅうが鋼鉄で出来ているかのようにカチカチだし、第1、気分的に萎縮してし
まって思い通り手が進まない。奥さんは2度ほど僕の揉みかたを手直ししただ
けだったが、浜田は隣の治療台で 佐田氏に随分しごかれていた。
汗びっしょりになって、やく1時間半…。揉み終った後、お茶を御馳走にな
り、お礼を述べて店を出た。
「佐田さんがあそこで働いているとは知らなかったなあ。」
二人は足取り重く、市電の停留所へ向かった。採用テストの結果は、明日学
校で佐田から聞くことになってはいたが、もうそれを待つまでもない。
二人はその足で、西区天神山の磯野治療院へ行った。ここは従業員が20人
もいるというので有名である。
畳の部屋に通され、主人が一応僕らの話を聞いてから、
「今のところ人手を増やす気はないが、また2、3か月たったら来てみなさ
い。」
と言って断ったので、僕らはすごすごと寄宿舎へ戻った。
翌日は千種区覚王山通の江藤治療院へ行ったが、ここでは傷痍軍人で現在盲
学校最上級生の前田氏が玄関に居て、
「ちょうど人手が足りなかったんだが、来週一人来ることになった。君たちの
ほうが遅かったな。」
と言われた。
中区新栄町に在る長谷部治療院の玄関を入ると、途端に体中をボワーッと熱
気が包み込んだ。
すごい暖房だ。」
と僕は驚いたものだが、それも道理で、当時一般家庭は無論のこと、治療院
や商店でも、暖房設備の整った店など見たことがなかった。夏デパートに冷房
が入ったと言って珍しがったのも、それよりずっと後のことである。当時暖を
取るのはこたつか火鉢だけで、ストーブもめったには見掛けなかった。
さて、その長谷部治療院では、広い待合室の真ん中に石炭ストーブを据付け、
時々従業員が十能で石炭を継ぎ足していた。
[温かくていいなあ!石炭のストーブとはこんなに素晴らしい物か!]
僕はつくづく羨ましくて、自分が一人前になったら、何はさておいても是非
石炭ストーブを入れようと誓った。