AWC 冥界のワルキューレ2     憑木影


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#137/598 ●長編    *** コメント #136 ***
★タイトル (CWM     )  03/04/04  00:01  (481)
冥界のワルキューレ2     憑木影
★内容                                         03/04/11 00:21 修正 第2版
 死体の山が築き上げられ、ついに白い肌の獣たちは全て死んだようだ。
「おい」
 バクヤは、エリウスの肩に手をおく。
 ぞくりと。
 バクヤの背筋が凍る。
 そのあまりの美しさに。
 その瞳に宿った黄金の光の邪悪さに。
 バクヤは恐怖を感じた。
「エリウス、お前…」
 唐突に、瞳に宿った黄金の光が消える。春の日差しを浴びながらまどろんでいるよ
うな、表情がもどってきた。
「なあに、バクヤ」
 バクヤは言葉につまる。どう声をかければいいのか判らなかった。
 今のエリウスを支えているのは、とてつもなく邪悪な力だ。しかし、それを捨て去
るのはエリウスにとって死を意味している。それがどのようなものであろうと、エリ
ウスは乗り越えていかねばならない。
 バクヤには何も言えなかった。
 ただ、エリウスの肩に手を置いたままじっと見つめるだけだ。
 エリウスは無邪気な笑みを返している。
「おまえ、なんともないのか?」
 バクヤはかろうじて、それだけ言った。
「うん」
 エリウスはにこにこと笑う。
「多分、僕にはねえ、もう感情というものが」
「おい、バクヤ、エリウス何している」
 ヌバークが声をかけてくる。扉が開いていた。
「迷宮に戻るのか?」
 バクヤの問いかけにヌバークは頷く。
「それしかない。ここにいても仕方が無い。とにかくヴァルラ王を救うために、デル
ファイへ行かなくてはならない。デルファイへの入り口はこの迷宮の中にある」
 バクヤはうんざりした顔で言った。
「扉を開けたのは、ウルラだろう。迷宮に戻ったらウルラの罠の中に入るだけやない
け」
「では」
 ヌバークは冷たい声で言った。
「おまえはこのまま、ここに残っていろ」
 バクヤは死体の山を見て肩を竦める。
「選ぶほど道が無いということやな」
 せめて肉体が回復するまで休息をとりたい。しかし、ここで休ませてもらえるとも
思えない。
「まえに進んだほうがまし、てことだよね」
 エリウスがみょうに明るく言った。バクヤはため息をつく。
「ま、そういうこっちゃ」

 ただひたすら真っ直ぐ続く迷宮。
 その薄明の世界をバクヤたちはヌバークに導かれるまま、進んで行った。
 そこは太古の、古きものたちの支配する世界である。時の流れが存在しない世界。
 その幽冥の世界を進んでゆく。
『さすが、エリウスというべきかな』
 再び、ウルラの声が聞こえてくる。ヌバークは唇を噛んだ。
『やっぱりエリウスという名のものは、殺しておくべきだということを理解したよ。
魔道が通用せず、剣でも殺すことができない』
 バクヤは、左手を動かそうとする。メタルギミックスライムはバクヤの生命力を餌
として活動する存在だ。バクヤの体力が底をついた今では、ただの鉄の塊と変わらな
い。
『しかし、魔道が通じないと一口にいっても魔道というものには、色々な種類がある。
ヌバーク殿、君も理解しているだろう』
 ウルラの声は、むしろ優しげといってもいい。
『ヌバーク殿、投降したまえ。ヴァルラ王に忠誠をつくして何になるというのだ。君
とてガルン様とともに中原を蹂躙することを夢想したことがあるだろう』
 ヌバークは空を睨みながら言い放つ。
「私を従えたいのならば、まずおまえの心臓をさしだせ、ウルラ」
 ウルラは暫く沈黙する。そして、残念げなため息をついた。
『ではこれでお別れだ、ヌバーク殿。共に戦えないというのはとても残念だ』
 ヌバークは立ち止まる。そして、ぽつりと言った。
「すまなかった、エリウス、バクヤ」
「あほいえ、まだこれからや」
 バクヤが叫ぶが、ヌバークは首を振る。
「いかにエリウス殿が優れた剣士であったとしても」
 ヌバークの言葉と同時に、前方に影の塊が現れる。数は七つほど。子牛ほどの大き
さがあるだろうか。四足で立つ獣の姿をしている。
「闇の生き物を斬ることはできない」
 エリウスは、ノウトゥングを抜く。
 闇の生き物。そう呼ばれた影たちは近づくにつれ、その形がはっきりしてくる。影
たちは巨大な狼の姿をしていた。
 その頭部と見られるところに、二つの紅い光が灯る。どうやら、瞳らしい。
 その姿は狼のように見えるが、朧げであった。ただはっきりと見えるのは、黒い牙
である。漆黒の短刀に見えるその牙だけは、リアルで冷たい存在感を放っていた。
 バクヤは唸る。
 確かに、斬れそうに無い。魔法的生き物は、存在の位相をずらしその身体を異なる
次元界におくと聞く。魔導師によって召喚されたその闇の生き物たちは、この次元界
に身を置いていない。これでは、斬りようが無かった。
 エリウスは、剣を振る。
 ひゅう、と風が走った。影は一瞬揺らいだように見えたが、何も感じていないよう
だ。
「へえ、こりゃ難しいなあ」
 エリウスはのほほんと呟く。
 突然、一頭の闇の獣が跳躍した。人の頭を呑み込めそうな口を開かれている。
「くそっ」
 バクヤは前に飛び出すと、動かない左手を右手で掴み、無理やり闇の獣へ叩きつけ
た。闇の獣は、その左手に食いつく。しかし、メタルギミックスライムの左手を噛み
きることは、当然できない。
 左手に食いついた状態で、真紅の瞳がバクヤを見る。
 その光の中には飢えがあった。
 魂を食らおうとする生き物特有の、飢え。
「このやろ」
 バクヤは無理やり左手を動かそうとする。
 突然。
 ばさり、と闇の獣の首が落ちた。
 くらいついていたバクヤの左手を離す。闇の本体は消えてゆく。切り落とされた頭
だけが、地に落ちた影のように残っている。
「なるほどねえ」
 エリウスが、のんびり呟く。
「攻撃してくる時には、転移している次元界が安定するみたいだねえ。それならなん
とかなるけれど」
 獣たちは、頭がよさそうだ。一頭殺されたことによって、警戒しはじめている。ゆ
っくりと左右に展開していく。どうやらバクヤたちを取り囲むつもりらしい。
「六頭同時っていうのはちょっと多いなあ。困ったねえ」
 あまり困っていなさそうに、エリウスはぼやく。
 迷宮の通路は広い。その通路一杯に使って、獣たちは左右へ回りこんでゆく。
 しかし、獣たちの目的が果たされることはなかった。
 唐突に獣たちは動きを止めると、身を翻し自分たちが現れたところへと戻ってゆく。
 獣はバクヤたちに背を向け遠ざかって行った。
「助かったみたいだねえ」
 エリウスの言葉にヌバークが答える。
「そんなはずは無い、召喚された闇の生き物がなぜ」
 獣たちの行く先に白い影が現れた。
 次第にその姿ははっきりしてくる。
 それは、白き巨人。
 女神の美貌を持つ、殺戮の大天使を越える戦闘機械。
 獣たちは、一斉に跳躍した。
 真冬の日差しを思わせる閃光が、一瞬走る。
 容赦のない殺戮の輝き。
 それはほんの僅かな時間でしかない。しかし、影は切り裂かれていた。
 攻撃の為に位相を固定されるほんの一瞬。
 その瞬間に闇の獣たちは切り裂かれた。胴体を両断された獣たちは地に落ちる。断
片となった獣の頭、胴体、刻まれた足があたりにばら撒かれた。そしてその断片は黒
い影となって消えてゆく。
 全ての影が消失した後、純白の鎧に身を包んだ巨人がバクヤたちの前に立つ。その
後ろには影のように黒衣のロキが続く。
 エリウスは無邪気に手を振る。
「あはは、助かったよ、フレヤ」
 フレヤは苦笑を浮かべる。
「おまえなら斬れたはずだ、エリウス」
「いやあ、でも面倒そうじゃん」
「面倒って」
 バクヤが目を剥く。それを無視してヌバークはロキの前に立つ。
「礼をいいます、ロキ殿」
 ロキは、無表情に答える。
「ガルンは冥界に下った。黄金の林檎をいだいたまま」
「冥界?」
 バクヤの問いに、ヌバークが答える。
「冥界とは、アルケミアの地下最も奥深い場所。そこにグーヌ神が眠っている」
「我々では冥界に下ることはできない」
 ロキの言葉にヌバークは頷いた。
「そこに下ることができるのは、本来王族だけです。ガルンは元はセルジュ王の近習
でした。セルジュ王から冥界に下りる呪文を学んだのです。あそこにいけるのは、後
はヴァルラ様だけでしょう」
 ロキはヌバークを見つめる。
「まずは、デルファイに幽閉されているヴァルラ殿を救出せねばなるまい」
「では、ロキ殿。ヴァルラ様を助けるために御助力いただけるのですか?」
「いや」
 ロキは首を振る。
「おれがデルファイに行くのは不可能だ。しかし、フレヤならいける」
「それでは」
 ロキは頷いた。
「デルファイへ行こう」

 迷宮の通路の果て。
 そこは、巨大な地下ドームがあった。
 球形の天蓋に覆われた、広大な薄明の世界。岩盤で造られているらしい球形の天井
は、闇に覆われ夜の空のように見える。
 地上付近は、薄っすらとして光があり、かろうじてあたりを見ることができた。足
元には真っ直ぐ道が伸びており、その先には円形の祭儀場のような場所がある。その
道と祭儀場の周りには水で満たされていた。
 湖、というほどには深くなさそうだが、池というには広大すぎる。広大な湿地帯と
いうべきだろうか。そこには、あまり地上ではみたことのないような、水棲植物が満
ち溢れていた。
 人間の身体くらいあるであろう巨大な花びらを持った異形の花や、透明の覆いに囲
われた銀色で複雑な形態を持つ植物。そうしたものが暗い水の上に、微かな光を放ち
ながらぼんやり浮かびあがっている。
 そこはこの世のものとはとうてい思われないような、幻想的な空間であった。バク
ヤはその静寂さに、死の世界を感じ取る。実際、その湿地帯には墓碑のような石柱が
無数に並んでいた。おそらくここは、アルケミアの墓地なのだろうとかってに思う。
 ヌバークは先頭に立ってその湿地帯の中心にある祭儀場に向かった。生きて動くも
のの気配は存在しないが、バクヤはなぜか見つめられているような気配を感じる。お
そらく無数の墓碑が無言の気配を発しているのだろう。ある意味、バクヤはここへ侵
入してきた存在だ。何かその異質な存在に対して静寂の抗議を行っているような気が
する。
「判っているとは思うが」
 前をいくヌバークが、唐突に言った。
「ここは、アルケミアの墓地だ。我々の始祖の霊が眠っている。彼らはここにバクヤ、
おまえが来たことを快くは思わないだろう。だが、恐れることは無い。彼らには何か
をするような力は無いから」
 バクヤは憤然と言った。
「恐れるやて、そんなことはない」
 けど、と思わずバクヤは言葉を続ける。
「しんきくさい場所やな、しかし。まあ、墓地ゆうのやったら、しゃあないやろうけ
ど」
 ヌバークはくすりと笑って頷く。
「確かにそうだが、しかたあるまい」
 そして祭儀場につく。
 円形の祭儀場の中心には、祭壇が設えてある。おそらく、葬儀を行うときに使用す
るのだろう、とバクヤは思う。
 祭壇。
 黒曜石のように黒い石でできている円形の舞台のようなものだ。人間の腰くらいの
高さであり、四、五人の人間が上に乗るのが精一杯の広さというところだろうか。
 ヌバークはひらりと軽い身のこなしで、祭壇にのる。そして、儀式をとり行う司祭
のように、バクヤたちを見渡す。
 ヌバークは、厳かに口を開いた。
「知っているとは思うが、私たちがこれからゆくデルファイとは死霊の都とよばれる
場所。つまり、死者たちが集い作り上げた世界」
 聞いてないで、と思ったがバクヤはとりあえず黙って聞いておくことにした。
「本来でデルファイへ行くには、死ななければならない。ただ、一つだけ生者として
デルファイへ行く方法がある。それが、この場所より入りこむやり方だ。ヴァルラ様
はここよりデルファイへ向かわれた。つまり、生者として死霊の都へ入られた」
 とん、とヌバークは祭壇を蹴る。
「ここへ乗ってください。デルファイへの道を開きます」
 バクヤとエリウス、そしてフレヤが祭壇にのった。ヌバークは呪文の詠唱を始める。
 ぞくり、とする感触が足元に走った。バクヤは足元を見る。黒曜石と思っていた祭
壇が揺らいでいた。それはゼリー状のものの上に乗った感触というべきだろうか。
 一人祭壇の外に残ったロキが手を振る。
「幸運を祈る」
 ロキがそういった瞬間、突然足元の感覚が消えた。
 落ちる、と一瞬バクヤは思う。それは水に呑みこまれてゆく感触に似ていた。ただ
し、満ち溢れてきたのが水では無く闇だ。
 闇に。
 呑まれる。
 バクヤの意識は墜ちていった。

 轟音。
 私は、火炎と黒煙の中で気がつく。
 私の身体は、無惨な状態だった。胴や胸を金属の破片が貫き、手足の骨はへし折れ、
あらぬほうへ曲がっている。幼児が弄んだ末、放り投げた玩具の人形。私の身体はそ
ういう状態で炎の中にあった。
 意識は朦朧としている。
 時折、脳の中に断片的な映像が浮かび上がった。凄まじい轟音と光。全身を貫く衝
撃。そして、全てを破壊する貪欲な火炎。それらの記憶が次々と浮かび上がっては、
消えて行く。
 私は、それでもあたり前のように立ちあがった。
 ずたぼろになった服が纏わりつくのを毟り取る。炎の中から歩みでた。私の身体は
10回くらい死んでも不思議はないくらいほど破壊されていたはず。
 私は夜の闇の中に、漆黒の裸体を晒した。私の身体は既に修復されつつある。焼け
焦げた皮膚は剥がれ落ち、下から新しい皮膚が姿を現す。そして、破壊された骨は元
通りに接続されてゆく。
 私の記憶が私に囁きかける。こんなことはあたりまえだと。
(私は夜の眷属なのだから)
 そう。
 私は夜を支配する者たちに属する。そして、人間たちに狩られるものでもあった。
 石で出来た道。その上を歩いてゆく。
 ここはどこだろうか。
 夜の中に浮かび上がる輝く塔が、見える。
 記憶が次第に形をなしてゆく。
 ここはデルファイ。死霊の都。そしてここには、もう一つの名がある。ここに住ま
う人間どもの呼び方。それは新宿という名。
 残骸と化している私の乗っていたアルファロメオは、高速道路の高架下で炎をあげ
私の裸体を照らしている。私のアルファロメオを破壊したのは、人間の狩人。その狩
人たちが、もうすぐここにもくるはず。
 しかし、私の目的地はもう目の前だ。ゾーンと呼ばれる場所。
 高圧電流の流れるフェンスによって囲われたその場所は、もう目の前に来ている。
 記憶が流れ込んでゆく。アルケミアでの私の記憶。そう、私の名はヌバーク。攫わ
れた王を救うためにここへ来た。
 ようやく狩人たちの到着した気配がある。狩人たちは、ヘッドライトを消したワン
ボックスカーを私の後ろに止めた。
 十人近い男たちが私の後ろに展開してゆく。
 私は振り向く。レーザー照準機の発する光の点が、私の身体に灯る。それは夜の空
に輝く星々のようだ。
『夜の眷属』
 そう、私は夜に属する。夜こそ私の時間だ。
 あるものは、「ヴァンパイア」という昔ながらの名で私たちを呼ぶ。私たちは日の
光を浴びることを嫌い、人の血を啜って生きてゆくから。
 しかし、私たちはの存在の本当の意味は別のところにある。私たちはアルケミアの
貴族たちに属したものであり、アルケミアの記憶を保ったままこのデルファイへ来る
ことができるものだ。
 凄まじい閃光と轟音。
 狩人たちが放ったグレネードランチャーだ。人間であればその轟音と閃光に五感を
奪われ、一時的に行動不能となる。しかし、私にはなんの意味も無い。
 私は跳躍した。銃弾が私のいた場所を通過する。
 狩人たちは銀でコーティングされた銃弾を使用していた。それは、私たち夜の眷属
に唯一傷をおわせることが可能な物質だからだ。
 けれども、愚鈍な人間の力で私たちに銃弾を命中させるのは容易なことでは無い。
私たちはあらゆる意味で人間どもよりも優れている。だからこそ、愚かで脆弱な人間
たちは私たちを狩るのだ。
 かつて哲学者は弱者こそ闘争に勝利すると語った。確かにそうなのだろう。人間は
あまりに脆弱でかつ醜すぎた。無様な存在として生れ落ちた憎しみを、私たち完全な
る存在に向け、狩りたてる。私たちには、人間のように醜悪な憎しみを持つのは不可
能だ。だから最後に勝利する弱者=人間というのは正解なのだろう。私たちは闘うに
は誇り高すぎる。
 私はフェンスの上に立つ。
 高圧電流が火花を散らし、私の身体を蒼白く燃え上がらせた。このフェンスの向こ
うは『ゾーン』だ。狩人たちもそこまでは追ってこない場所。
 私は夜の闇に向かって哄笑する。レーザーの光が、火花を散らし燃え上がる私を捕
らえた。
 再び銃弾が放たれるが、それは虚空を貫いたに過ぎない。
 私はゾーンの中に降りる。
 夜の闇より尚昏いその場所。そこがゾーン。
 侵入した私に、ゾーンの内部からスポットライトが浴びせられる。私は素早く跳躍
してゆき、廃墟と化した建物の中へと侵入した。
 ここは、脱出しようとするものに対しては厳しい対処が行われるが、内部に入りこ
む者に対してはむしろ大雑把な対応しかされていない。しかし、現実には外の世界と
の出入りは黙認されている部分があった。
 ゾーンとはバイオ・ハサード・ゾーンの略称である。未知の生物兵器によって汚染
された区域という名目で閉鎖されている地域のことだ。新宿の中心部、半径5キロメ
ートルくらいの範囲。ただ実際のところの汚染状況は、よく判っていない。
 ゾーンは自衛隊の兵士たちが要所、要所を警備している。内部は生物兵器の汚染が
残っているはずだが、その被害にあった者はほとんどいない。汚染されたものを外に
出さないという名目で厳重な警備が敷かれているものの、実際には汚染物質など存在
しないのではないかとすらいわれていた。
 私は廃墟となった建物の地下へと入りこんでゆく。地下は、完全な闇だ。夜の眷属
である私にとってはむしろ親しみやすい空間といえる。
 私は冥界のように暗い闇に閉ざされた地下街へと下っていった。こんな場所でも人
の気配がある。
 ゾーン内部には様々な人が生活していた。なぜ汚染区域に人が溢れているか。それ
は、この新宿のある国、日本が完全に破綻しているからだ。
 二十一世紀を越えてまもなく、経済的に破綻しきった日本の紙幣は紙屑同然まで価
値を下げた。完全失業率は30%を超え、街は浮浪者と犯罪者に満ち溢れている。
 ゾーン内でおこるできごとに対して、警察や自衛隊は決して介入しない。あくまで
も彼らは、そこから出るものを射殺するのみだ。それもあくまでも乏しい予算の範疇
での話だが。よって、犯罪者にとってゾーンにさえ逃げ込めば、とりあえずの身の安
全を確保できることになる。
 また、借金を抱えたものが逃げ込むこともあれば、テロ組織が拠点を持つために利
用するケースもあった。ここはダークサイドを生きるものたちの楽園ともいえる。結
果的にゾーン内には様々な人間で満ちていたが、自衛隊も警察もそこに介入する気は
無い。彼らはフェンスの警備をするだけの予算しか与えられていないのだから。
 地下街には浮浪者が棲息しているポイントがいくつかある。彼らは群れて集落を作
っていた。そうした場所は簡単なテントや、照明があるため見れば判る。そうした浮
浪者たちが私に気づいたようだ。
 裸体で、ゾーンに迷い込んだ黒い肌の女。彼らから見れば私は、何かのトラブルで
ここに逃げ込んだ者なのだろう。
 浮浪者たちは私を遠巻きにしつつある。捉えれば、女である私を利用する術がある
とでも思っているのか。彼らは手にした懐中電灯の光を私に浴びせる。
 私は立ち止まる。
 浮浪者たちも立ち止まった。
 半径10メートルくらいの円を描いて私をとりまく。
 彼らは手にナイフや棍棒、鉄パイプを持っていた。銃を向けてこないのは持ってい
ないというよりは、私を殺したくないということなのだろう。
 私は獲物を見る獣の目で、彼らを眺める。
 円の向こうにリーダーらしい男がいた。少し小柄で、目つきの鋭い男だ。比較的程
度のいいものを着ている。私の狙いが決まった。
 鉄パイプを持った男が一歩前に出る。
「おい」
 その男の言葉と同時に私は跳躍していた。浮浪者たちの頭上を越え、リーダーらし
い男の前に立つ。その男が何かを叫ぼうとする前に、その顔を鷲掴みにする。
 軽く力をいれた。あっさりと首がねじ切れる。血が鈍い鉄色の光を放ち、しぶく。
私はその首をほうりなげた。
 円の中央に生首が落ちる。
 浮浪者たちは何が起こったのか一瞬、判らなかったようだ。私の動きが速すぎたせ
いだろう。生首は何も言わず、暗い虚空を睨んでいた。
 浮浪者たちはようやく事態を認識したらしく、一斉に私のほうを振り向く。私はリ
ーダーの男のポケットにあった銃を取り出す。38口径の安物のリボルバーだ。中国
製らしい。
 私は無造作にそれを撃つ。鉄パイプを持った男と、ナイフを持った男が倒れる。パ
ニックが広がった。悲鳴をあげ浮浪者たちは、逃げ出してゆく。
 私は男の身体から衣服を奪う。銃は捨てた。私にとってはあまり意味が無い。財布
にはUSドルが入っていたので、それは貰っておく。
 男の衣服を奪った私は、闇の中へと消える。その気になれば、闇の中で人間に気配
を感じさせないまま移動することは可能だ。
 私は地上にでる。
 夜の街。
 そこは完全な廃墟だった。荒れ果てたビル街は半ば崩れ落ちている。路上には解体
された車が瓦礫に埋もれた状態で放置されていた。
 それでも、そこは人に溢れている。
 簡易テントがそこここにあり、ちょっとした人だかりのあるところには、屋台の飲
み屋があった。あるいは、ちょっとしたフリーマーケットがある。
 深夜を過ぎているとはいえ、人通りはけっこうあった。人種は様々。年齢も性別も
様々だ。
 道端で子供たちが、派手な音楽をかけながら踊っている。ギターを抱えて轟音を奏
でている者もいた。そうした風景は外とそう大差は無い。
 ただ、多くのものが麻薬に酔った目つきをしており、そうでないものは異様に鋭く
危険な瞳をしているということ以外は。
 私は仲間を探さねばならない。
 白痴の王子、エリウス。
 彼の者こそ、我らが王ヴァルラ様を救うことができる。しかし、エリウスはただの
人間だから、私のようにアルケミアでの記憶を保持していないはずだ。エリウスを探
し出し、彼に真の記憶を取り戻させねばならない。
 私は、エリウスを探すため魔道を使う。
 ここでは、魔道はうまく作動しないといわれる。
 といっても完全に作動しないわけではなかった。精霊たちは風にのせて様々な音を
運んでくる。
 その精霊たちの運んでくる音の中から、エリウスの気配を探す。容易ではない。私
のやろうとしていることは、無数のささやき声の中からたった一人の人間の声を聞き
分けようとするのと同じことになる。随分と時間がかかりそうだ。
 ふっ、と。
 私はその音に気づく。
 エリウスではない。
 しかし、別の世界を知る者。
 私と同じところから来た者がいる。
 音楽にのせられた声。それは間違い無く、私が知っている者の声だ。
 私はその音楽を求め、夜の街を彷徨う。
 夜の街。私は音楽に導かれるまま、そこを歩いてゆく。まるで深海のように暗く密
度が濃いが、真夏のジャングルのように豊穣で鮮やかな空間。
 そこを歩く者たちは酒や麻薬に酔い、緋色や群青の原色をそのまま使った布切れに
身を纏っている。目のうつろなものも、肉食獣の瞳をしたものも、あまり私に関心を
持たない。私が気配を断ったせいだ。
 屋台が建ち並び、どぎつい色の食材や獣の頭、鈍く光る鋼鉄の武器や派手なパッケ
ージの麻薬入り煙草や酒、そうしたものが無造作に売られている市を通りぬけてゆく。
暗く熱い空気がねっとりと淀んでいた。
 派手な格好をした人々が叫びあい、語り合い、楽器を奏で歌っているが、私の耳に
はその音は入ってこない。私は遠くから聞こえるその音楽に集中し、引き寄せられて
いた。
 時折、道端に人間がころがっている。生死は不明だったり、あからさまに血を流し
ていたりするが、どちらにせよ私には興味が無い。そのまま無視して通りすぎる。
 音楽は、アリアドネの糸のように私を導いていた。夜の闇。その闇の彼方から聞こ
える呼び声のようだ。
 街の賑わっているところから少し外れる。すると音楽は強度を増した。
 立ち並ぶ廃墟と化したビルたち。鉄骨を剥き出しにし、瓦礫に埋もれたかのように
見えるその建物たちは、現代芸術のオブジェのようでもあり、太古の王の墳墓のよう
でもあった。
 廃墟に漂う闇の中に、人間とも獣ともつかない薄汚れた姿の者たちが蠢いている。
しかし、気配を断った私には興味を示さないようだ。
 私は、さらに廃墟の奥へと入ってゆく。
 唐突に。
 その巨大な倉庫は姿を現した。大きな箱のように窓が無い建物。周りに、黒尽くめ
のファッションに身を包んだ若者たちがたむろしている。音楽は間違い無く、その巨
大な倉庫の中から聞こえていた。
 私は、革の拘束衣を思わせるハーネスやベルトのやたらとついたファッションの若
者たちの間を、通りぬける。何かに取り憑かれたような隈のある目をした若者たちは、
私をじろりと見つめるが興味を持ったふうでもない。
 倉庫の壁には、派手な壁画が描かれている。自動ライフルで武装した天使、ドレス
を来た死神、鋼鉄のバイクに跨る女神、廃墟に立つ巨神。そうした絵が派手な色で描
かれていた。
 私は、その倉庫の扉を開く。
 くらい通路が真っ直ぐ伸びている。
 その通路の入り口に黒い革のロングコートを着た、体格のいい黒人の男が立ってい
た。目つきは危険なほど鋭いが、なぜか聖職者を思わせる静けさを身に纏っている。
「もうギグは始まっているぜ」
 黒い男はそういって私をじろりと見る。私はUSドルの札を差し出す。男は無造作
に数枚取り上げると、道をあけた。
 私は通路を歩く。音楽が近づいている。私の胸は高まった。この高揚は、まるで恋
人に会いにいくかのよう。
 私は、最後の扉を開く。
 轟音。
 想像を絶する大音響が私を包み込んだ。
 暗くて広いその場所は、いかれた格好をした若者たちで満ち溢れている。ハロウィ
ンパーティーに迷い込んだようだ。広大な場所は妖魔や魔導師のスタイルをしたもの
たちで、隙間なく埋められている。
 轟音は凄まじい。
 音で床が振動しているのが足に伝わってくる。
 その振動で足が震えた。全身が音の圧力に握り締められるのが判った。
 リズムを刻む、凄まじいビート。巨大な龍の体内に入りこみ、その心音を聞いてい
るようだ。
 倉庫を満たした若者たちは、海底で揺らぐ死体のように身体を動かしている。奥に
設置されたステージの近くには、半裸の女の子たちが踊り狂っていた。闇の中で蠢く
白い肌は、深海を遊弋する鮫の腹を思わせる。
 倉庫全体が振動し揺らいでいた。音がそこにいる者たちを結びつけシンクロさせて
いる。
 不思議な一体感。魔法のような瞬間。
 ステージの上にはその男がいた。黒い髪をして嘲るような笑みを浮かべ、巨大なデ
ジタル機器を身体の一部として操り音をコントロールしている男。獣の咆哮のような
歌を歌い、音楽を操ってここにいる者たちを思いのままに動かしている。
 その男を。
 私は知っている。
 奇妙なことにステージの上には、デジタル機器の間に十字架の掲げられた祭壇があ
った。その上には大きな棺桶がおかれており、まるで祭儀上のようだ。このギグは誰
かの葬儀だとでもいいたいのだろうか。
 ここに来て身体を揺らし、踊っている者たちはそんなことを気にしている様子はな
い。彼らはまるで死の天使に導かれ、地獄に向かう亡者の群れのようだ。
 海水のようにその倉庫を満たした轟音の他に、意識のチャネルを変えると様々なさ
さやき声が入ってきた。私はその亀裂から染み出る清水のような囁きに、意識のチャ
ネルを合わせてみる。
(あいつ、知ってるの?)
(ああ、ボーカルの? 有名じゃん。ブラックソウルっていう)
(ブラックソウル?)
(何それ、だっせえの)
(バカじゃん)
(しらねぇのかよ、あの伝説)
(伝説う?)
(黒人のさあ、元SEALSかなんかの兵士で、中東で何百人と人殺した男がやつの
歌きいて、言ったんだってよ)
(なんて?)
(やつにはブラックのソウルがある)
(ぎゃっはっはっ)
(ひっでぇ、まじかよ)
(ひーっ、ひっひっ。腹いてえ)
(バカすぎ)
(なんかそれ聞いて本人よろこんでさ、おれのことはブラックソウルって呼べって)
(だっははははっ)
(げらげらげら)
(痛すぎだぜ、そりゃ)
(自称なの? 頭悪すぎじゃん)
(その黒人、麻薬でらりって死んだらしいけどね)
(あのへっぽこヒップホップがブラックのソウル?)
(あっははははは、死ね一度)
 ブラックソウル。
 その言葉が私を貫く。
 その言葉は私の心を甘やかに蹂躙している。
 私は気がつくとステージの前まで来ていた。周りには半裸の女たちが深海で歌う魔
女のように身を揺るがせ踊っている。
 ブラックソウル。まぎれもなく我が女王、ヴェリンダ様の夫である家畜。この邪な
家畜は私を呼んだのだ。
 ブラックソウルは私を見ていた。邪悪な瞳。唇にはりついた嘲笑。




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