#107/598 ●長編
★タイトル (hir ) 02/12/04 01:27 (304)
南総里見八犬伝本文外資料3 伊井暇幻
★内容
八犬伝第三輯叙
門前有狂狗其酒不沽而主人不暁猶且恨酒之不沽痴情若是者謂之衆人衆人有清濁猶酒有▲
(酉に票)与▲(酉に央のしたに皿)也而清者其味淡薄雖酔易醒濁者其味甘美而酩酊矣
奚思今者之衆懼後者之寡也是故瞿曇氏説法以為有地獄果天堂楽於是不思後者懼矣又何貴
耳者之衆不賤目者之寡也是故南華子斉物論以為禁争訟於是貴耳賤目者愧矣然若彼寂滅之
教媚者衆悟者弥〃寡矣宜其媚者口誦経而不能釈其義其迷者心祈利益而不知所以欲之凡如
之之禅兜難度無有其功昔者震旦有烏髪善智識推因弁果誘衆生以俗談醒之以勧懲其意精巧
其文奇絶乃方便為経寓言為緯是以其美如錦▲(カネヘンに嘯のツクリ)其甘如飴蜜蒙昧
蟻附不能去焉既而所有之煩悩化為尿溺遂解脱糞門則不覚到奨善之域暫時為無垢之人云不
亦奇乎哉余自少愆事戯墨然狗才追馬尾老於閭巷唯於其勧懲毎編不譲古人敢欲使婦幼到奨
善之域嘗所著八犬伝亦其一書也今嗣其編三而刻且成因題数行於簡端嗚呼狗児仏性以無為
字眼人則愛媚掉其尾我則懼▲(リッシンベンに呉)吠帝堯冀為瞽者猟煩悩狗以開一条迷
路閲者幸勿咎其無根
文政元年九月尽日 蓑笠漁隠
門前に狂狗あれば、その其酒は沽われず。しこうして主人は暁(さと)らず。なおかつ
酒の沽われざるを恨めり。痴情とは是の如き者。之を衆人と謂(い)う。衆人に清濁あ
るは、なお酒に▲(酉に票)と▲(酉に央のしたに皿)あるがごとし。しこうして清
(す)めるは、その味淡薄にして酔うといえども醒め易(やす)し。濁るは、その味の
甘美にして酩酊す。奚(なん)ぞ今を思う者の衆(おお)くして、後を懼(おそ)るる
者の寡(すくな)きか。この故に瞿曇氏は法を説きて以て地獄果天堂楽ありと為す。こ
れにおいて後を思わざる者も懼る。また何ぞ耳を貴ぶ者は衆くして、目を賤まざる者の
寡きか。この故に南華子は物論を斉(ひとし)うして以て争訟を禁と為す。これにおい
て耳を貴び目を賤しむ者も愧(は)ず。しかれども彼の寂滅の教えのごとき、媚びる者
は衆くして、悟る者はいよいよ寡なし。宜(むべ)なり。その媚びる者は口に経を誦す
れども、その義を釈(と)く能(あた)わず。その迷う者は、心に利益を祈れども、之
を欲する所以(ゆえん)を知らず。およそ之のごときの禅兜は、度するといえども、そ
の功あるはなし。昔、震旦に有烏髪の善智識あり。因を推(お)し果を弁ず。衆生を誘
うに俗談を以てし、之を醒ますに勧懲を以てす。その意は精巧、その文は奇絶。乃ち方
便を経と為し、寓言を緯と為す。是を以て、その美は錦▲(カネヘンに嘯のツクリ)の
ごとく、その甘きこと飴蜜のごとし。蒙昧の蟻は附けば去ること能わず。既にして有る
所の煩悩は、化して尿溺となり、ついに糞門を解脱するときは則ち、覚えずして奨善の
域に到り、暫時にして無垢の人になると云う。また奇ならずや。余は少(わかきとき)
よりして愆(あやまち)て戯墨を事とす。しかれども狗才の馬尾を追いて、閭巷に老い
たり。ただ、その勧懲において、毎編とも古人に譲らず。あえて婦幼をして奨善の域に
到らしめんとす。かつて著わす所の八犬伝は、またその一書なり。今その編を嗣ぐこと
三たびにして、刻はまさに成らんとす。よりて数行を簡端に題す。ああ狗児の仏性は無
を以て字眼と為す。人は則ち媚びてその尾を掉(ふ)るを愛す。我は則ち▲(リッシン
ベンに呉/あやま)りて帝堯を吠えんことを懼る。冀(こいねが)わくば、瞽者の為に
煩悩の狗を猟して以て一条の迷路を開かん。閲(けみ)する者は幸いに、その無根を咎
むることなかれ。
文政元年九月尽日 蓑笠漁隠
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八犬伝第三輯口絵
田単破燕之日 火燎平原 阿難示寂之年 煙和両扞
田単の燕を破る日、火が平原を燎す。阿難の寂を示すの年、煙が両扞を和さしむる。
犬山道節忠与
(田単が燕を滅ぼしたとき火炎が原を焼き尽くしたとは、第百六十五回下に信乃の唇を
借り「昔唐山戦国の時、燕斉両国の闘戦に斉の将田単が一夕火牛の謀を以尤く敵に勝け
る故事あり。火牛は聚合し牛の角毎に蕉火を結附て放ちて敵を驚し其乱る丶を撃しな
り。又我大皇国にては源平両家の闘戦に木曽冠者義仲が義旗を北国に揚げし時、平家の
方人斎明が亦火牛の謀をもて富樫太郎宗親と林六郎光明が籠りし城を夜伐して戦ひ利あ
りし事由は阿弥陀寺本平家物語巻の第十三に具なり」とあり、猪で代用したエピソード
でも登場する。阿難に就いては、大唐西域記の巻七に「濕吠多補羅伽藍東南行三十餘
里。▲歹に克/伽河南北岸各有一▲アナカンムリに卒/堵波。是尊者阿難陀分身與二國
處。阿難陀者如來之從父弟也。多聞總持博物強識。佛去世後繼大迦葉。任持正法導進學
人。在摩▲偈のニンベンがテヘン/陀國於林中經行。見一沙彌諷誦佛經。章句錯謬文字
紛亂。阿難聞已感慕増懷。徐詣其所提撕指授。沙彌笑曰。大徳耄矣。所言謬矣。我師高
明春秋鼎盛。親承示誨誡無所誤。阿難默然退而歎曰。我年雖邁為諸衆生生欲久住世。住
持正法。然衆生垢重難以誨語。久留無利可速滅度。於是去摩▲偈のニンベンがテヘン/
陀國趣吠舍釐城。度▲歹に克/伽河泛舟中流。摩▲偈のニンベンがテヘン/陀王聞阿難
去。情深戀徳。即嚴戎駕疾驅追請。數百千衆營軍南岸。吠舍釐王聞阿難來。悲喜盈心。
亦治軍旅奔馳迎候。數百千衆屯集北岸。兩軍相對旌旗翳日。阿難恐鬥其兵更相殺害。從
舟中起上昇虚空。示現神變即入寂滅。化火焚骸骸又中折。一墮南岸。一墮北岸。於是二
王各得一分。舉軍號慟。倶還本國。起▲アナカンムリに卒/堵波而修供養」とある)
剣術の極秘は風の柳かな
犬飼見八信道
★こと剣術にかけて犬士の代表とされていると思しき現八の師匠・二階松に就いては後
述する
酢もあらばいさぬたにせん網さかな えびとかにはの船て味噌すれ
荘客糠助・大塚蟇六
★「網さかな」は、居候の信乃を、蟇六が〈捕らえている〉と意識していることを示す
か。信乃から見れば、〈覚悟の上で入り込んでいる〉となろう。蟇六にとって小憎い信
乃は、ズタズタにして酢味噌で和えヌタにでもしたい相手であったか。実際にヌタにす
るのではなく、村雨を取り上げ、酷い目に遭わせたいとは願っていただろう。「かに
は」は蟹だが、第二十四回に神宮カニハ河の船上で村雨を擦り換えた計略を云う。肉と
ミソをあらかた取った後に、ややミソの残った蟹の甲羅/舟で味噌を擦り、味と風味を
付ける調理をも連想させて言葉を繋いでいる。「えび」は字数合わせだが、蟹同様に伊
勢海老程度の大型海老の殻/舟を使い、味噌に風味付けする調理法があったか
軒のつまに あはひの貝の片おもひ も丶夜つられし雪のしたくさ
簸上宮六・奴隷背介
★試記・軒の端に、鮑の貝の片思い、百夜吊られし雪の下草/記紀にも鮑は、例えば天
皇の食事として鰹と共に登場しているが、万葉集に「伊勢の海女の朝な夕なに潜くとい
ふ鮑の貝の片思にして」角川文庫二八〇八とある如く古くから、恐らく一枚貝であるた
めだろうが、片思いを象徴している。読本でも取り上げた日本武尊伝説エピローグ・景
行天皇淡水門行幸で出てくる二枚貝・白蛤が、武尊と弟橘姫の彼岸に於ける再会・抱擁
を暗示していると対称である。また、鮑は乾燥させて熨としたり高級食材として使われ
るので、「吊られし」はスンナリと流れ読める。とはいえ、百夜も吊るされる筈はな
く、此は片思い故に相手に放置されている状態を示している。更に、小野小町が深草少
将を〈百夜休まず通ってきたら逢ってあげる〉と誑かし、九十九夜目に片思いの少将を
悶死せしめた説話も関係しているのだろう。「雪の下草」は不細工なクセに純情可憐な
荘介を思い出させもするが、此の場合は同じ不細工でも宮六を指していること自明であ
る
出像二頁浅倉伊八刻
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第二十一回
「額蔵間諜し信乃を全す 犬塚懐旧青梅を観る」
額蔵を将て亀篠犬塚が宿所に到る
がく蔵・かめささ・せ介・ぬか介・しの
★小さくて判然とせぬが、亀篠の着物は花柄だ。此の模様は記憶に留めておきたい。ど
うも亀篠が気に入っている普段着だと思える
青梅か香は亦花にまさりけり(鳥のしたに几) 巳克亭鶏忠
犬川がく蔵・犬塚信乃
★桜は花を愛でるが、梅・桃は香りを楽しむ印象が強い。姿よりも、人物から漂う〈格
〉とか気品を評価する謂いか。どうも荘介の容貌を褒める言説は見当たらないのだが、
彼の性格は確かに梅の芳香の如く立派な者であると思う。また、伏姫・信乃は〈桜〉模
様の衣装から、花こそ愛ずるべき者、佳人であるとの設定だろうが、梅模様の衣装を着
ける浜路は、beatifulといぅよりは可憐さ純真さが強調されているように思
う。桜と梅の違いである。大塚を去る決意を胸に信乃が見上げる梅は、浜路を象徴すべ
きだ。梅は散って青梅に芳香を遺す。浜路は死して信乃の心に芳しくも切ない記憶を遺
す。同時に梅は、仁義礼智……八行の字を現じて犬士が八人いることを預言していた。
また梅は、梅星/星梅紋となって星と連関することで宇宙を経由し、天神/菅原道真ま
で行き着く。更に、読本で述べた如く、史料に拠れば、源頼朝の守護神である鶴岡八幡
宮司は大伴姓であったため梅紋であったけれども、二代目宮司が藤原姓に組み込まれ牡
丹紋を用いることとなる。元々は梅であった牡丹が八幡神を守護し奉戴する存在とな
る。宮司の紋に於ける、梅→牡丹の変遷は、八犬伝を読む上で、特に興味深い史実であ
る
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第二十二回
「浜路窃に親族を悼む 糠助病て其子を思ふ」
豊嶋の一族管領家の三将と池袋に戦ふ
煉馬平三衛門倍盛・植杉刑部・千葉ノ介より胤
木からしはまたふかねとも 君見れははつかしのもりにはのそふもなし 信天翁
はまぢ・犬塚信乃
★試記・木枯らしは復た吹かねども君みれば羽束師の杜に葉の添ふもなし/「はつかし
のもり」は、伏見にある羽束師神社の森であり山城国の歌枕となっている。京の出入り
口に当たるから、送迎の場でもあったようだ。新古今集巻第九離別に載す行尊「思へど
も定めなき世のはかなさにいつを待てともえこそ頼めね」八七九は、詞書に「五月晦ご
ろに熊野へ参り侍りしに羽束といふ所にて千手丸が送りて侍りしに」とある。千手丸と
は恐らく寺の稚児だろうが「千手」なんだから観音に擬すべきgirlishな美少年
であったろうか。その美少年が「何時お戻りになるのですか」と涙ぐみ縋り付いてくる
のを「えぇっと、修行のことだから何時までかかるか分からんよ」と振り払い逃げ出す
……ふぅん、流石は行尊、修験の密教僧だけのことはあるな。高野六十那智八十。この
ような別離の場所が、「羽束師の杜」なのである。また、まるで取り残された千手丸が
歌ったが如き、後撰和歌集巻十恋二に題しらずとして「わすられて思ふなげきのしげる
をや身をはづかしのもりといふらん」六六四恋人に見放されて嘆き募る身を「羽束師の
杜」と云っている。勿論、新古今と後撰では時代が隔たりすぎているので、直接の応答
ではなかろうけども。さて、これらの歌を前提とすれば、浜路の歌も別れを前提として
いることが諒解せられる。即ち浜路の歌は「心は冬、木枯らしが吹いているわけでもな
いのに、離別の地という羽束師の杜の木々は、信乃様を見るだけで別れの予感に身も細
り、着けた葉も総て落ちてしまうほどです/いいえ二人は既に許婚の身、いっそ肢体に
纏わる葉を取り去り一糸纏わぬ姿で信乃様に添えば考え直してもらえるだろうか」と、
嬉し恥ずかし、夜這いの歌にまでハッテンし得る。これを可憐な乙女心と見るか、凄絶
なる女の情念と見るかは、個人の自由ではあろう
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第二十三回
「犬塚義遺託を諾く 網乾謾歌曲を売る」
糠助が懺悔物語窮客稚児を抱きて身を投んとす
★八犬伝の終盤が近付いたとき、馬琴の友人が歌を寄越し序に加えられた。糠助・現八
の関係を〈鳶が鷹を生んだ〉みたいに表現しているが、権勢を誇る、しかも小人の村長
が疎んじている番作さんとあからさまに交際した糠助は、かなり積極的な善人であると
評価できる。剣術に於いては実子・現八と比べるべくもないが、真の勇気は確かに糠助
も持っていたと思われる。ただ、挿絵では、やはり恰好良くない
艶曲を催して蟇六権家を管待す
ひき六・いさ川庵八・ひかみ宮六・あぼし左母二郎・亀さ丶・ぬるて五倍二・はまぢ
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第二十四回
「軍木媒して荘官に説く 蟇六偽りて神宮に漁す」
苦肉の計蟇六神宮河に没す
左母二郎・土太郎・ひき六・信乃
★一億人の恋人・信乃がセミ・ヌードを曝しセクシーな腰つきで読者を誘惑する注目の
画像である。が、其れよりも注目すべきは、左母二郎の着衣だ。左母二郎は此処でしか
着ていない。模様からして、どうも亀篠の普段着のようだ。前近代日本の衣装は、柄・
模様は別として、構造としては男女共用だ。愛人同士が襦袢を替えるなんてのは、和歌
にもある。現代で考えれば女性用パンティと男性用トランクスを取り替えることに当た
るが、当時は共通しているから違和感がないのである。さて神宮河の場面に先立ち、亀
篠が単独で、独り暮らしの左母二郎宅を訪れている。村雨を擦り替える相談だが、二人
きりの一軒家で「更に額をうち合せて」囁く。「思はず時を移せしかば亀篠は遽しく別
を告て走り出」て家に戻った。正に、此の密会の後に、左母二郎は亀篠の普段着を身に
纏っている。勿論、実際に左母二郎が亀篠と着衣を交換したとは思わない。神宮河の船
上で、左母二郎は蟇六と隣り合わせだ。いくら何でも無理がある。しかし挿絵は読者に
見せるものであって、登場人物同士で見るものではない。作中事実ではなかろうが、亀
篠の着衣を左母二郎に着せることで、二人の間に性的な交渉があったことを暗示してい
ると思われる。性交渉は理義を超えた関係を生み出しがちであり、それ故に理義を蔑ろ
にする行為の依頼・実行の仲介を果たし得る
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第二十五回
「情を含て浜路憂苦を訴ふ 奸を告て額蔵主家に還る」
菅家
なけはこそわかれを惜しめ鶏のねの聞えぬさとのあかつきもがな
額蔵・はま路・信乃
★日本武尊は死地・東国に赴く折、叔母・倭姫命を訪ねた。菅原道真は太宰府左遷の途
中、河内・土師寺の叔母・覚寿尼を訪ねた。読本で触れた如く、道真の祖先は土器作り
を職掌とし埴輪を殉死の風習に換えた土師氏である。一族の勢力圏内にあった叔母の寺
ぐらいしか身を休める場所がなかったか、叔母に情愛を感じていたか。如何でも良い
が、私が二十歳以上若ければ別嬪の叔母を渇仰したであろうし、恐らく今でも心に淡い
思い出を抱いていたであろうが、残念なことに私には叔母も別嬪の親族もいない。山川
出版社「大阪府の歴史散歩(下)」は、「鳴けばこそ別れを憂けれ鳥の音の鳴からむ里
の暁もがな」と別離の朝を怨んだ歌を道真が詠んだものだから、地元では鶏を飼わなく
なったとの昔話を紹介している。道真に同情したか、それとも怨霊に目を付けられるこ
とを厭うたか。恐らく何連にも偏った個々人が混在していたであろうが、前者と理解し
ておく。このエピソードは有名で、「菅原伝授手習鑑」にも取り上げられており、此処
では「鳴けばこそ別れを急げ鶏の音の聞こへぬ里の暁もがな」とあり、やや変わってい
る。此処でも、「(前出歌)と詠じ捨、名残はつきずお暇と立出給ふ御詠歌より。今此
里に鶏なく。羽た丶きもせぬ世の中や」と、土師の里では鶏が絶滅している
童子の孝感旅魂▲(マダレに苗)食す
★名所の観光地化。此のことで塚の周囲は清掃されたろうし供え物も捧げられたであろ
う。仕掛けた荘介には経営プロデューサーの才能があったようだ。詐欺とも言えるが
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第二十六回
「権を弄て墨官婚夕を促す 殺を示して頑父再▲(酉に焦/ジヤウ)を羞む」
自殺を示して蟇六浜路を賺す
亀ささ・ひき六・はまぢ
★亀篠の着衣は、神宮河で左母二郎が着ていたもの。いつの間にか取り返したらしい
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第二十七回
「左母二郎夜新人を畧奪す 寂寞道人見に円塚に火定す」
順寂を示して寂寞火坑に自焼す
寂寞道人肩柳
山前の黒夜四凶挑戦す
はま路・左母二郎・井太郎・加太郎・土太郎
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第二十八回
「仇を罵て浜路節に死す 族を認て忠与故を譚る」
名刀美女の存亡忠義節操の環会
額蔵・はま路・道松忠与・左母二郎
★非常に象徴的な挿絵。まず村雨の切っ先から昇る水気に龍が描かれている。叢雲ムラ
クモ剣すなわち素盞鳴が八岐大蛇から取り出した神器との関係を強く主張しているよう
だ。また、木の股から覗く荘介の右手に輝く玉。後の決闘で道節の肩から飛び出した玉
か、それとも荘介の玉が仲間に感応しているのか。時間的にズレた場面を一枚に描くは
常套、かつズレた場面からの要素を持ち込むもあり得る手法。ちなみに、筆者は浜路の
絵で今回が一番好きだ。別に残虐趣味があるのではない。他の絵は甘ったるい表情で何
とも締まらないが、今回は決然たる気が漲り生気が横溢している。いい女の顔だ。惜し
むらくは、最期の場面であること
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第二十九回
「双玉を相換て額蔵類を識る 両敵に相遇て義奴怨を報ふ」
沽んかな 草におさめる 露の玉 玄同
額蔵・道松
★挿絵・口絵の中で、犬士の玉を露に喩えるものが幾つかある。草は「ソウ」であり荘
介に通じる。「沽んかな」は「買わんかな」と読みそうになるが、売買とは即ち交易で
あるから、「沽(かえ)んかな」と読んでおく。また、或いは「涸れんかな」の誤写
か。その場合は、直接には「露の玉」が消えることを示していよう。しかし、句や歌の
技巧では、或る語が直後の語を導き出したり密接に繋がることを上とする。「涸んか
な」は草にも係ると見るべきだろう。また、草に収められた露の玉が「涸んかな」で
は、忠玉が紛失することになってしまう。枯れると見れば、枯渇、乾くことであり、乾
かすものは火である。道節が火気であることを暗示していると考えても、面白い
隠▲(匿のしたに心)の悪報蟇六亀篠横死す
ひかみ宮六・ひき六・ぬる手五ばい二・かめさ丶・せ介
★天網恢々疎にして漏らさず、と言いたいところだが、流石に八犬伝は一筋縄ではいか
ない。天に代わって蟇六・亀篠を誅した宮六・五倍二は悪心を動機としていた。そのた
め荘介が偶々仇を討つことになるが、荘介は捕らわれ緊縛され責められ辱められること
になって、一部読者を悦ばす
帰村の夕はからずして仇を殺す
亀さ丶・ひき六・宮六・額蔵・五ばい二
★殺戮の現場で新たな殺戮を繰り広げる荘介
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第三十回
「芳流閣上に信乃血戦す 坂東河原に見八勇を顕す」
君命によつて見八信乃を搦捕んとす
犬塚信乃・犬飼見八
★対牛楼の殺戮・円塚山の火遁と共に余りにも有名な場面。複数の雑兵が転落している
のだろうが、一人の男が落ちる様を連続写真で見せるような工夫が、動感を強調してお
り、秀逸