AWC 源氏の君のものがたり・桐壺(上)


        
#103/598 ●長編
★タイトル (ICK     )  02/10/04  13:57  (248)
源氏の君のものがたり・桐壺(上)
★内容
 私は人ではなかった。
 帝の嫡子に生まれ、あらかじめ帝となることが約束されていたこの身、望んで得られ
ぬものなど何ひとつないと、そう思っていた。
 私が見せる利発さと、美貌を多くの人が愛した。そうした愛をうとましく思うほどに
私は傲慢だった。
 仙洞御所に隠居した我が父、先の帝が仰々しく春宮たる私に御位を譲ると言ったのは
私が数えで十五になった年だった。それをさも、有難がれと言わんばかりの父の口ぶり
はいささか鼻持ちならないものがあった。
 何もかもを心得ていると思いすました父の、そののっぺらとした顔を見ることさえ何
とはなく腹ただしく、受け答えも少なく黙っていれば、我が子は成長し重々しくなりつ
つあると父は解釈したようで、その身勝手な考え方もいちいち私の心の棘を刺激した。
 三十路も入ってもなお、帝たる身に生まれた人ならぬ人はかくも人の心の動きの読め
ぬ愚鈍なものに成り果てるのだろうか。帝たる父は人ではなかった。人でさえなかった
と言うべきだろう。世人は父を現人神と呼んだが、その肥大化した自意識を隠そうとも
しない父は私には神というよりは物の怪の類に見えた。
 それとも神とは本来は物の怪の類なのだろうか。
 私はそのようなものになりたくはなかった。もっと幼い頃、高ぶる思いを何にぶつけ
れば良いか分からず、一日中蹴鞠をしていたことがしばしばあった。あるいは侍従や女
房たちの世話しない監視をくぐりぬけ、内裏の屋根に登り、流れ行く雲を日がな一日眺
めていたこともある。
 そうした私を評して世人は「物狂いの親王(みこ)」と囁いた。父は私を庇った。あれ
は学問が出来る、心根が優しいなどと並び立て、あくまで後継者は私であると断じた。
 しかし世人の評の通り、私は狂っていたのだ。狭い宮中から逃れたいと欲し、白粉の
奥に塗り固められた欺瞞と陰謀を憎悪することが「物狂い」ならば私は確かに狂ってい
たのだ。
 自由。何を望んでも与えられぬことはない筈の私はただひとつ自由だけは決して得ら
れなかった。それを欲することさえ許されなかった。私の逃走癖の責任を取らされて、
長年に渡って仕えた女房が断罪され、しばらく罷免された後は、一人歩きすることさえ
決して許されなくなった。
 一の宮、春宮。それが私の名前だった。それは私自身の名ではない。私の役割の名だ
った。私は役目として存在し、私個人として存在してはならなかった。
 帝になればなったで、その役目の名が変わるだけのこと。そして私を取り囲む檻が一
層甚だしくなるだけのことだ。私が憎悪する、薄ら笑いの貴族どものその頂点に立つべ
き飾りとして、私は存在して行かなければならないのだ。
 私を元服させ、新帝とさせると同時に、私の末の弟を父は新たに春宮にたてさせた。
末の弟は兄の私から見てさえ凡庸極まりない子供で、大人しいだけが取り得の人形だっ
た。まだ、八歳に過ぎなかった末の弟を春宮にたてたのは、今後帝位を自分の血統で継
承すると父が言外に宣言するためである。
 先々帝、つまり父の先代の帝は父の兄にあたる人で、病を得て早々に退位していた。
だからこそ帝位が弟に過ぎなかった私の父に回ってきたのだが、あちらの宮家では自分
たちこそが本来は正統であるとの意識があって、私が帝となった時の春宮には、先々帝
が退位後にもうけられた男宮をたてるべきだとの声もあったのである。それを封じて、
強引に父は末の弟を新しい春宮にたてさせたのだった。その後、兵部卿に任官されたこ
とから兵部卿の宮と呼ばれることになるその親王(みこ)は私よりも二歳年少なだけで、
凡庸さで言えば私の末の弟といい勝負だったが、少なくとも年齢では八歳の幼児よりは
春宮に相応しい人だったのだが。
 雅に歌などを読みながら父はそうした思惑を張り巡らせていたのだ。ただ、帝位を自
分の血統で独占したいと言う浅ましい思いを抱えている癖に、優雅に、時おりはあちら
の宮家へご機嫌伺いの使者などを遣わしていたのだ。お前たちなど滅びてしまえと内心
は思いながら。
 それを偽善と言うのだろうか。ならば偽善こそ、私が我慢ならないものはなかった。
しかし憤って見せるのもまた偽善と言うべきだろう。何故ならば、私こそがそうした偽
善の総元締めとも言える帝に他ならないのだから。
 元服、そして即位と同時に私は女をあてがわれた。右大臣家の一の姫である。父と右
大臣の間で話がついていたようで、私が口を挟む余地はなかった。新興の権勢家たる右
大臣家を外戚として取り込めば私の権力も安定するだろうという父の親心から出たもの
だけれど、それを有難がる気分にはなれなかった。
 私は将棋の王将と同じだった。大切にはされるけれども、結局はひとつの駒に過ぎな
い。同じように駒として私の元に嫁いできた四歳年長のその姫を、最初、私は哀れに思
った。同じ駒同士、語れることがあるかもしれないと思ったが、すぐにその思いは失わ
れた。
 内裏の弘徽殿に住まうことを許されたことから弘徽殿の女御と呼ばれることになるそ
の女は、自分が駒であることに何ら疑問も戸惑いも抱いていなかった。彼女はあちら側
の人間、そうした疑問を抱くような軟弱な人間を嘲笑する方の人間だったからである。
 私はすぐにこの女には心を求めても無駄だということを理解した。あちらも私の心な
ぞは一切無心しなかった。ただ、絶え間なく要求したのは自分と右大臣家の権勢、そし
てそのよすがとなるべき、私の胤に過ぎなかった。
 ならば与えてやろうという伝法な気分になって私は弘徽殿の女御を抱いた。そしてす
ぐに彼女は望みのものを得た。入内(じゅだい)してから間をあけることもなく、弘徽殿
の女御は懐妊し、十月十日の後に無事に御子を出産した。男宮だった。
 私の息子。私の長男。一の宮。やがては私に代わり、この役目を引き受けるであろう
人形(かたしろ)となるべき子。人はおまえを敬い、掛け替えのない親王として扱うだろ
う。しかしその視線はおまえ自身に向けられることは決してないのだ。おまえを通して
存在する朝廷という名の権力を、そしてそれによってのみ叶えられる欲望を人は見るだ
けなのだ。
 それを哀れむ資格は私にはない。私もその人形(かたしろ)に他ならないのだから。
 帝となって三年の歳月が過ぎ、右大臣家以外からも妃が入れられた。麗景殿の女御、
承香殿の女御、あるいは数多の更衣たち。駒に過ぎぬ女たちに駒に過ぎぬ私は心を動か
されることはなかった。望まれるがままに私は女たちを抱きはしたが、不思議なことに
弘徽殿の女御が産んだ一の宮以外に子が生まれることはなかった。聞こえてくるところ
では、他の女人に男宮が生まれることがないよう、右大臣家では密かに祈祷を催してい
るということだ。その心根を浅ましいと思い、不快には思ったが、結局はそれだけのこ
とだった。それが人というもの。人を憎み人たる身を恨んでは、物の怪になるより仕方
がない。
 私は日々を倦み、人を呪いながらも朗らかな顔を作り、竜座の奥に鎮座して百官を総
覧し天下をしろすめす帝として、ただ一刻一刻が過ぎてゆくのを待った。私は自分の人
生がそうして潰えてゆくのだと思っていた。
 あの人に出会うまでは。あの人を愛するまでは。

 あの人の父親は既に死んでいた。按察使大納言の任にあった人だ。大納言と言えば朝
議にも臨席すべき高官だからむろん、私とは面識があった。しかし控えめな人で、古い
時代の権勢家の末裔とも言うが、左右の両大臣家の権勢に押されて微笑しながら沈黙を
守っていることが多かったように思われる。下から上げられてきた数々の案件や要望を
上手に取りまとめ、両大臣の調停をさりげなく行いながら片付けてゆく実務家、私の印
象はそうしたものだった。
 大納言が死した時、朝廷の朝臣の中にはこれを偲ぶ声が多かったが、つまるところそ
れだけの存在だった。大納言にはしかるべき嫡男もないとなれば、この按察使大納言家
はやがては絶えてゆくことになろうと容易に予想された。
 故に、その大納言の未亡人が、ひとり娘を後宮に入内させたいと人を介して要望して
きた時、私ならずとも多くの者が奇異に感じたものだった。後宮に入内させるとなれば
その妃の実家は莫大な出費を強いられることになる。大納言家なれば不可能ではなかろ
うが、それはあくまで不可能ではないという程度の話だ。まして当主たる大納言が既に
いない状態でその支出に応じてゆくのは並大抵の苦労ではなかろう。
 仮に娘が栄達を遂げても、その余慶をこうむるべき兄弟が大納言家にはいない訳で、
こうなるとそもそも何のために入内させるのか、その意図が分からなかった。
 後宮には弘徽殿の女御を始め多くの妃がいる。大納言の娘は大臣の娘が女御という位
で入内するのに対して、それよりは一段低い更衣という位で入内しなければならない。
一旦、入内すれば要らぬ気苦労もしなければならない訳で、どうしてそこまでして入内
に拘るのか、全然理解出来なかった。
 その辺りを、故大納言の未亡人は「主人の遺言だったものですから」と言うのみで、
合点が行くようには説明してくれなかった。彼女自身、その理由が分からなかったのか
も知れない。母ひとり、娘ひとりとなれば、故大納言が残した遺産で風流に生きるもよ
し、適当な公達を婿に迎えて今一度華やぎを求めるもよし、損得勘定からすればそうす
る方がよほど楽であるはずなのに、敢えて入内という険しい道を行く。
 そうした険しさを妻と娘に遺言でもって強いた男と、私が知っている穏やかな亡き大
納言の面影はどうにも重ならなかった。淡々とした穏やかさの影に亡き大納言はその胸
のうちで何を滾らせていたのだろうか。
 故大納言のその娘は入内した時は十六歳で私よりは二歳年下だった。淑景舎(桐壺)
に一室が与えられたことから、桐壺の更衣と呼ばれることになったあの人のところへ初
めて赴いたのは、入内してから数日過ぎてのことだった。亡き大納言がかくも入内に拘
ったという娘がいかほどの者であるのか、興味はむろんあったが、他の女御更衣の手
前、余り浮き足立つのもみっともないということで敢えて数日の間を置いたものだっ
た。
 桐壺へと向かう私の歩みを遮る者は誰もいない。桐壺へと参上すると、身なりはきち
んとしているが明らかに新しくはない衣類を身につけている女房たちがぬかずき、平伏
している。決して裕福とはいえない按察使大納言家の内情が偲ばれて、他の妃たちに比
較すれば明らかに貧相な調度で入内しなければならなかった桐壺の更衣にうっすらと同
情心が沸いた。奥へ進んでゆくと、御簾などが掲げてある。その背後に影のみが見える
のは桐壺の更衣、私の新しい妃だった。
「御簾などを掲げて。知らないのかい。帝たる私はどこへでも行けるのだよ」
 それは嘘だ。本当は私はどこへも行けやしない。しかしだから尚更、私の世界である
べき内裏で、私を遮ろうとする御簾などを見かけると蹴破りたくなる。さすがに蹴破り
はしなかったが、煩わしげに御簾を払いのけると、そこにはさすがに美しい紅梅色のう
ち掛けを纏った女が黒髪を震わせながら、顔を隠しているのが見えた。
 私に抱かれるためにここへ来たのであろうに何を今更恥ずかしがっているのであろう
か。このような娘は今までいなかった。今までの女御更衣は恥ずかしがるそぶりはした
が、それが明らかにそぶりと分かる範囲のもので、帝に礼を失しないように少なくとも
向きだけはこちらの方を向いていたものである。
 それを桐壺の更衣は、心底この突然の乱入者を厭うているようで、いささかの憤りと
共に私は彼女の肩に手をかけ、強引に振り返させた。
 艶やかに磨き上げられた前髪がはらりと私の指の間に滑り落ち、その面(おもて)が露
になった。私はその顔に釘付けになった。
 美しい、と私は思った。いや、その刹那はそう思うことさえままならなかったかも知
れぬ。ほっそりとした眉、澄んだ薄茶色の瞳、瑞々しい頬、桃色に咲き誇るかのような
潤んだ唇。
 後宮には美しい女はむろんいた。美しい女しかいなかったというべきかも知れない。
容貌と言う点では差して優れているとは思えぬ弘徽殿の女御なども世間並みの基準から
言えば美しい部類に入るのであろう。
 しかし桐壺の更衣のこの美しさ。彼女は私に微笑み返しはしなかった。彼女には媚び
る必要がなかったからだ。媚びによって得られる諸々の事柄を彼女が嫌悪していること
はその視線の透明さから窺い知ることが出来た。世人はそれを欲するがために朝廷に膝
を屈しているというのに。
 それからのことはよくは覚えていない。私は彼女に、そう、夢中になった。彼女の肉
体を貪り、その言葉に浸った。彼女とは何でも話し合えた。そしてすぐに私たちが同じ
魂を持つ、この人形ばかりの貴族社会で、たったふたりきりの人間であることを理解し
た。
 彼女は父大納言を恨んでいた、と語った。所詮は父も娘を後宮に入れて、叶わぬ野心
をさまようさもしい男に過ぎなかったのか、と後宮に入ることが決まってからはそう嘆
いたという。
 自分は後宮に入り、他の妃と寵愛を競い合うその労苦が嫌だったのではない、とも言
った。ただ、そのように誰かの駒として魂が擦り切れてゆくのが苦痛なのだ、と言っ
た。
 物狂いの親王(みこ)と言われた私のように、桐壺の更衣は自分も幼い頃は館を抜け出
して野原を駆け巡る「物狂い」だったと語った。ただそのようにして生きていたい、そ
のようにして生きていきたいと望みはそれだけであったのに、ただひとつの望みは叶え
られなかったと呟いた。
 夜風に誘われるまま、私たちは桜が咲き誇る庭に出た。ふさりふさりと桜の花が舞い
散る。その一枚が私たちの方へ流れて来た。
「この桜の花のように、あなたはふいに訪れた艶やかで清らかな人だ」
 桐壺の更衣を得て、私は自分が何を欲していたのかをようやく知った。そしてその望
みのものはついに得られたのだ。満足の思いと共に私は桐壺の更衣を見つめた。
 この日この時を始めとして私は私の人生が生まれたのだと思った。私の人生、そして
私たちの人生が。
 それからの日々は桐壺の更衣を求める毎日だった。女官長である尚侍に清涼殿へ妃を
呼ぶよう申し付ける。
「いずれの殿舎の妃をでございましょう」
「桐壺を」
 そういう私に源尚侍は非難がましい視線を向ける。立て続けに桐壺の更衣ばかり召し
出している。これは後宮の暗黙の約束事を破るやりようだった。帝は身分の高い妃から
順に公平にかつ漏れなく召し出さなければならない。己の愛情でさえ帝はままならぬ。
しかし私はそ知らぬ顔をしておのが意を貫くことにした。朝廷がそれでどうこうなると
いうのならば、壊れてしまえ。
 実際、私の桐壺の更衣への思いは理屈ではもうどうにも出来ないものにまで達してい
た。なるほど、私の行為はいかにも理不尽であっただろう。しかしその理は私が定めた
ものではない。それを受け入れたことさえない。そのような不純なものが、私と桐壺の
更衣の人生に入り込んでくることさえ嫌だった。
 しかし周囲は否応なくさざなみだってくる。桐壺の更衣を召し出してひと月たった
頃、桐壺の門が閉じられ、桐壺の更衣が呼び出しに応じられないということがあった。
一人寵愛を受ける彼女に不快を示したいずれかの女御更衣に仕える女房の差し金に違い
ない。その時は蔵人に扉を開けさせて、事なきを得たが帝の私すらも嘲笑する女どもの
腹黒いそのやりように私の腸は煮え繰り返った。その次の夜も桐壺の更衣を私は召し出
したが、今度は弘徽殿あたりの廊下に汚物が撒き散らされ、桐壺の更衣が立ち往生する
ということがあった。
 弘徽殿の女御の仕業なのは明らかだった。この時ほど権高なこの女が後宮の妃たちの
喝采を浴びたことはなかろう。右大臣家の権勢を嵩にきてこの女は何をやっても許され
ると思っている。
 ならば、とその知らせを聞いて、私は立ち上がった。
「主上、いずれへ参られます」
 それを見て尚侍が私を制そうとした。
「弘徽殿へ参る」
 私が何をなそうとしているか、尚侍には分かっていたに違いない。両手をかざして、
私を押し戻す形をしながらすがるようにして私を止めようとした。
「右大臣家と事を構えれば朝廷の安寧は損なわれることになりかねません」
 賢しらにそう申す尚侍を私は蹴飛ばしたい気分になりながら、かろうじて思いとどま
って、しかし声を荒げて言い放った。
「私を誰だと心得るか。帝なるこの身を制し得る者は地上にはいないのだ!」
 弘徽殿へと向かう私の後ろに蔵人たちが女官たちが転ぶようにしてついて来る。時な
らぬこの騒ぎに後宮の妃や女房たちの耳目が集まるのを御簾の向こうに感じる。
 弘徽殿の前にたどり着けば、なるほど廊下には汚物が撒き散らされ、晒し者になった
かのように桐壺の更衣と僅かな女房たちが震えながら立ち尽くしていた。私は白布を持
って来させて、それを廊下の上に敷いた。
「さあ、こちらへ」
 桐壺の更衣の手を取ると私は抱きかかえるようにして私は彼女を渡らせた。その後を
女房たちが続く。歯噛みしながら、弘徽殿の女御は御簾の向こうで怒りに震えているに
違いない。もうこのままにはしておけない。私は決心した。
「少しこちらで待っていなさい」
 桐壺の更衣にそう言うと、私は御簾を開けて弘徽殿の間に入った。すぐさま、並み居
る弘徽殿の女御付の女房たちが平伏する。三十人はいようか、するべき仕事もない無駄
な女たちだ。すべては右大臣家の権勢を誇示するためだけに、抱えているのだ。右大臣
家らしいやりようだった。
「あなたの仕業か」
 私は御簾の向こうにいる弘徽殿の女御に言った。
「何のことでございましょう」
 彼女の低い声はつとめて冷静さを装っていたが、怒りで裏打ちされているのは誰の耳
にも明らかだった。
「はっきりと申し渡しておく。桐壺の更衣を召し出すのは私の意思である。それを邪魔
立てするのは帝たるこの身に弓引く行為であると心得よ」
 私の激しい怒りに触れて、女房たちのうちには泣き出す者もあった。馬鹿馬鹿しい、
泣いてどうなるというのか。それで私の気が休まるとでも思っているのか。
「何のことを仰せか分かりません」
「あなたに分からぬ筈がない。あなたは右大臣が誇る、いと賢い姫君だ。あなたは一の
宮の母でもある。それ故にこれまでは言うべきことも我慢し、あなたの顔を立ててきた
が、あなたがこのような振舞いを続けるつもりならば私にも考えがある。罪にはしかる
べき罰を与える。その際は一の宮も右大臣も連座を免れぬ。そう心得られよ」
 彼女は一言も発しなかったが、屈辱に身を震わせるその表情は手に取るように分かっ
ていた。これを言ってしまったことで今後、桐壺の更衣が更なる風雨に晒されることも
懸念された。しかし私には言わずにはいられなかった。今はただ、私の愛する人を苛め
るこの女が憎かった。
 私は踵を返して退出しようとした。その瞬間、呟くように、搾り出すようにして弘徽
殿の女御はくぐもった唸り声を上げた。
「それほどまでに、あの身分の卑しい女に篭絡されておしまいになったのですか!」
「あなたにも他の妃にも済まないという気はある。しかしもはやあなたが私の心を得ん
がためになす数々の行為を私は残念には思っても、優しい気分では受け取れないのだ。
あなたがもがけばもがくほど私の心は離れてゆく。どうかこの上はこれ以上、あなたを
憎ませないでくれ」
 そう言って私は立ち去った。振り向くことはしなかった。無残なことをしたという思
いもあった。けれどもそれ以上に逸る気持ちがそこにはあった。その先には桐壺の更衣
が私を待っている。




 続き #104 源氏の君のものがたり・桐壺(下)
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