AWC そばにいるだけで 61−2   寺嶋公香


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#100/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  02/09/30  00:20  (368)
そばにいるだけで 61−2   寺嶋公香
★内容                                         18/06/22 03:14 修正 第4版
 立たされてのお説教を覚悟していたのだが、職員室に出向いて先生の前に行
くと、即座に椅子を勧められた。膝を突き合わせんばかりの狭い空間だったが、
足がむくむのを避けたい純子にとってはありがたい。
「何時まで大丈夫?」
 先生が笑顔だったのも、拍子抜けの一因。
「五時くらいまでなら。え、でも、十分だけって……」
「最初の十分は説教で、残りは雑談だ。折角の機会だから、少し話をしておこ
うと思うんだ。僕の授業で涼原さんがぼーっとしてるなんて、これまでなかっ
たからね」
「は、はは」
 頬をかく純子。せめて担任の授業だけはきちんと受けようと気を張っていた
だけ。それも今日崩れてしまったわけだ。
「モデルとしての活躍ぶりは、僕も割とチェックさせてもらっている。がんば
ってるみたいじゃないか」
「は、はい。まあ、やれる範囲で」
 がんばってるみたいじゃないかと言われても、お説教の延長だと思うと、額
面通りには受け入れ難く、警戒してしまう。純子は曖昧に答えた。
 しかし神村先生が次に発した言葉は、純子にとってやや意外なものだった。
「それで今、仕事はドラマの撮影でもやってるのかな」
「え?」
 どこからドラマという発想が出て来たのか、飲み込めない。
「『僕』と口走ったのは、役作りか何か?」
 聞きようによってはミーハーな質問。でも、純子にとって、これは好都合な
話の流れである。肯定の返事をする。久住淳という役のために演技しているこ
とは事実なんだし。
「授業中にまで役作りに没頭するのは、当然やめてもらうとしてだね。両立が
難しいのなら、仕事を減らすように」
「はい」
「……随分、素直に返事するなあ。両立は難しくないと思っているのか?」
 先生が怪訝そうに眉根を寄せたのを見て、急いで言葉を補う。
「いいえ、逆、逆です」
「逆とは? 裏とか対偶とかとは関係ないだろう?」
 さすが数学教師。純子は遅ればせながら、ジョークを理解した。
「仕事、減らしたいと思ってたところでした。事務所の人に、なかなか言い出
せなかったんです。先生に注意されたって言い添えれば、効果あるかもしれな
いって思いました」
 実際のところ、相羽の母は別として、先生が言った程度のことで市川が仕事
を減らしてくれるとは考えにくいが。
「ふむ、結構なことだ。だけど、芸能の仕事のスケジュールなんて、僕なんか
よりも、親御さんがしゃきしゃき面倒見るべき話じゃないかな」
「あはは、そうですよね。でも、両親とも、好きにさせてくれてるんです。そ
の代わり、自分で責任取れるようにしろって」
「それでうまく回っているのなら、僕が口出しすることじゃない。うまく回ら
なくなったとき、困るんだけどね。成績落ちたのは誰に責任があるんだとかい
う話になったら、僕も弱ってしまうよ」
「それは大丈夫かと。あ、あの、絶対に成績落とさないとは言い切れませんけ
ど、両親とも、先生や学校に責任を押し付けることはしません、多分」
「いや、いざとなれば、僕だって善処できるようにするよ、もちろん。生活面
は学校と家庭半々だと思っているけど、勉強面はやはり学校が請け負わねばな
らない。さて、ついでにもう一つあるんだが」
 人差し指を立てる仕種とともに、話を引き延ばす神村。そろそろ十分が経過
した頃だが、まだ説教は続くのだろうか。
「はっきり言って、プライベートなことに踏み込むんだが、嫌だったら答えな
くてもいいよ」
「はい、何でしょうか?」
「誰とは言わないが、よそのクラスの男子と付き合ってるそうじゃないか」
「――」
 固まる。心理的にも肉体的にも、不意をつかれたのと緊張とで、一瞬、反応
が停止した。
「ど、どうして知ってるんですか、先生が」
「どうしても何も、少しばかり噂になってたじゃないか。僕も小耳に挟んでね。
当人は自覚なかったわけか?」
「は、はあ……」
(そりゃあもちろん、ちょっとくらいは噂になってるかなって気はしてたけれ
ど、まさか先生にまで)
 知らぬは本人ばかりなり、といった感じか。
「聞いてるのは僕なんだから、質問を返すのはなるべくしないように。それで、
付き合いは双方の親御さんも認めてるのかな? 繰り返すが、答えたくなけれ
ばそれで一向にかまわない。ご両親に問い合わせるなんて真似はしない」
 一年弱接してきて、神村先生が人間的にも信用のおけることは、よく分かっ
ていた。純子は頭の中で台詞をまとめてから答えた。
「相羽君のお母さんは、ご存知のはずです。どの程度の付き合いかまでは、知
らないと思いますが、昔から親しくしていますし。私の両親は、母は間違いな
く感づいているでしょうけど、父に伝わってるかは……」
「なるほど。まあ、そんなもんだろうね。付き合い自体は問題なし、と。疑問
というか不思議なのは、仕事をして交際して、なおかつ学校のことまで手が回
るのかってことなんだ」
 ぐるっと大きく回って、元の地点に戻って来た気分。先生の立場からすれば、
当然、学校のことを最優先にしろとまでは言わずとも、蔑ろにされては困る。
何度も念押ししたくなるものだろう。
 純子は真っ直ぐに先生を見返し、素直な気持ちを言葉にした。
「相羽君は私のことを凄く考えてくれていて、負担を掛けないでくれています。
支えてもらってます。相羽君がいなかったら、かえって他のことがうまく行か
ないくらいです」
「……ああ、そう」
 目を丸くした神村先生は、やがて頬を緩め、頭を掻いた。
「職員室でのろけを聞かされるとは、全く予想できなかったよ」
「そ、そんなつもりは。私はただ」
「はははっ。いいよいいよ、慌てて弁明しなくとも。健全なお付き合いをして
いる分には、何ら異存はない。もっとも、先生の中には頭の固い人もいるよう
だから、注意しておくに越したことはなかろうがね。さあて、この辺りにして
おこうか」
「……」
「うん? どうした。もう終わりだから、行っていい」
「あの。神村先生は相羽君にも同じことを聞くんですか?」
「いや、今までもこれからも、そんなことはしないつもりだが。彼が違うクラ
スだという理由もあるが、君一人から聞けば充分だ」
「……ありがとうございます。がんばります」
 お説教をされに行って、感謝の言葉を口にするとは予想外だった。

 試合は午後一時に始まった。
 ホームグラウンドということで、先に守備に就く緑星。でも、先発マウンド
に立つのは佐野倉ではなく、二年生の渡部(わたべ)。三年生引退後のエース
と目されてきた部員である。
 清水や大谷のいる本藤商業高校は、佐野倉が緑星に入ったからこそ対戦を申
し入れてきた経緯があるだけに、これは不可解だったが、あとになって野球部
に聞いてみたら、うちの他のピッチャーにも経験を積ませたいとの意向で、打
者一巡目まではとの約束ができていたらしい。
 それが裏目に出たと言うべきか、さすが地区の強豪として数えられる本藤商
高の打線、渡部の立ち上がりを簡単に掴まえた。先頭打者が一、二塁間を破る
クリーンヒットで出ると、二番がそつなく送り、三番のタイムリーであっさり
先制。四番、五番の連続長打で加点した。三塁にランナーを背負ったところで、
早くもタイムを取る。
「ぽこすか打たれるなあ」
 味方の応援に早々と声を枯らした唐沢が、ため息とともに肩を落とした。純
子の隣の相羽の方は、あまり熱くならずに淡々と感想を述べる。
「かさに掛かって攻めるんじゃなくて、割と基本に忠実な感じだ。佐野倉との
対戦を控えているから、大振りの癖を付けないようにセーブしているのかな」
「確かに。コンパクトに振り抜いてる。下手すると狙い打ちされて、大量失点
になるかもしれねえ」
 我が校の元来のエースを全然信用していない発言に、純子は呆れて苦笑する
しかない。その純子にしても、佐野倉が出ない内は、相手チームの清水や大谷
が気に掛かる。次に打席に立つのが、大谷だ。
「大谷が出て来たよ。ど、どっちを応援しよう?」
 一塁側の応援エリア(椅子がないので応援席とは呼べない)から、三塁側を
指差しながら、純子が相羽達に聞いた。
 唐沢は端から気持ちを決めていたのか、真顔で即答した。
「どっちを応援と言われても、いくら中学のときの友達だからって、大っぴら
に敵チームに声援を送るわけにはな。相羽もそう思うだろ?」
「人それぞれ、好きに応援すればいいんじゃないかな」
「何だとー。ああ、嘆かわしい。近頃の若い奴は、愛校精神が薄い……」
 芝居がかってそう言って、右腕で目を覆い隠し、泣く真似に勤しむ唐沢。相
羽は無視して、純子に話し掛けた。
「もちろん、ここにいたまま、相手に声援を送るのはかなり勇気が必要だと思
うけどね。それでもやるって言うのなら、僕も一緒に大谷コールをしてもいい
よ」
「そんなこと言われたら、やれなくなるじゃない。別に、ぜひともしたいわけ
じゃないんだし」
 抗議口調で言ったちょうどそのとき、タイムが終わり、内野手が守備位置に
散る。渡部の表情は、まだ少し固いように見えた。もっとも、普段からこの人
のことを知っているわけではないので、何とも言えない。
「大谷がレギュラーで、清水は控えか」
 唐沢がつぶやくのを耳にして、純子は注釈しておく。遡ること三日前、試験
が終わって暇ができたと言って電話をしてきた清水から事情を聞いているのだ。
「メンバーは、まだ固定されてないんだって。清水の方が先発、じゃなくて、
えっと、スタメンに入ることもあるって言っていたわ」
「ふうん。俺の見た感じ、中学のときは、大谷より清水の方が若干うまかった
ように見えたから、ちょっと意外に思ったが、要は大谷が追い付いたってこと
か」
「二人ともレギュラーになれたらいいのに」
 かん、と金属音が響いた。
 渡部の何球目だったか、純子は把握できなかったが、大谷が高々と打ち上げ
た。方角はライト、定位置よりやや手前。でも、犠牲フライに充分な距離だ。
懸命の返送も、間に合わなかった。
 ベンチに戻る大谷は、小さくガッツポーズをし、納得の仕種だった。
「ちゃんと役目をこなしたなあ。自信を付けてる感じがするぜ」
「僕らが見てることを知ってるはずだから、ヒットを打ちたい気持ちが強いだ
ろうに」
 感心した様子の唐沢と相羽。純子は二人を気にしつつ、音を立てないように
拍手を大谷へ送った。
 四失点目を喫したが、どうにかツーアウト。次の打者をツースリーから暴投
気味のフォアボールで出した段階で、やっと開き直ったか、八番をショートゴ
ロに押さえて、チェンジ。八人を相手にした割には、短い時間の攻撃だった。
「いきなり四点も取られちゃった」
 スコアボードの白い文字を見つめる。野球のことはあまり分からないが、歴
然とした実力差があるようだ。
「今度はこっちの攻撃だ。元気よく応援しようぜ」
 唐沢のかけ声が、緑星応援団の鳴り物にかき消される。ホームだけあって、
応援の規模だけは負けていない。
 ところが、一回裏、緑星の攻撃は簡単に終わってしまった。細身の相手ピッ
チャーの球速は確かにあるが、手が出ないほどではない。ただ、変化球が切れ
る。スライダーを決め球に一番と三番を三振に討ち取り、二番打者は低めのボ
ール球を引っかけ、ゴロに倒れた。上がりかけた緑星側の意気も、これにはあ
っさりしぼんでしまう。
「うちを相手に、エースの今村(いまむら)を立ててくるとは、敵さんも容赦
なしだな。ははは」
 唐沢が半ば自棄っぽく、口を大きく開けて笑う。
 そのエースが二回の表、先頭打者としてボックスに立つ。が、打つ気がなさ
そうに、ただ突っ立っているだけ。渡部もあっさり、ツーストライクを奪った。
高校野球にしては珍しいと言っていいのか、打つ方は苦手のようだ。ここは確
実に一死を奪いたいところ。
 だが、三球目からに突如制球を乱した渡部。焦りの色を露に、フォアボール
としてしまった。
「交代みたいだぜ」
 とにもかくにもこれで打者一巡。いよいよ佐野倉の出番だ。消沈気味の緑星
側応援エリアが一時、湧く。
「……佐野倉君て、あんなに大きかった?」
 マウンドに向かって歩く佐野倉の姿を後ろから見て、多少の違和感を覚えた
純子は、感じたままを口にした。相羽が呼応する。
「大きいと言うよりも、力強さが出ていると思う」
 唐沢も首肯し、目を細めて佐野倉を観察する。
「身体を作ってきた、というんじゃないよな。自信を漲らせているせいかも」
 マウンド上の佐野倉はぺこりと頭を下げて、先輩の渡部からボールを受け取
った。そのボールを右手と左手の間で、何度か行き来させると、乾いた音がよ
く通った。
 相手チームや観客の視線が注がれていた。佐野倉にそれを意識した様子は微
塵もない。飄々とした態度で、ウォーミングアップを始めた。
 最初の直球が、キャッチャーミットに吸い込まれるかのように収まる。何割
の力で投げたのかは分からないが、全力でないことだけは確か。フォームを見
れば明らかだ。それでも先の渡部よりも速かった。粘投派の渡部に対し、剛球
派の佐野倉。タイプの違いはあるが、素質の面を取り上げれば、物が違う、と
いったムードが漂う。
 それからも続けざまにストレートばかり、ギアを徐々に上げつつ、規定の球
数を投げ終えた。あとになるにつれ、球威が増し、見ている者のどよめきも大
きくなる。
「はっえーっ」
 右隣の唐沢が、上体をそらしつつ声を上げる。
「練習じゃ、あんなに速くなかったと思うんだが、本気を出したってことか」
「練習してるところ、見たことあるの?」
 純子が尋ねると、唐沢は大きくかぶりを振った。
「ああ、キャッチボールしてたのを、リクエストして、ピッチング練習にして
もらったんだ。男ばかり見ていても力が入らないとか言ってたな」
「ふーん。試合だと本気になるのね」
「どうかねえ。案外、女の子が見ていたら、本気になるのかもしれないぜ」
 唐沢の言い種に、相羽がぼそりと突っ込む。
「誰かさんと同じというわけだな」
「うむむ。当たっているだけに、反論できん」
「二人とも〜。ほら、もうすぐ再開よ」
 苦笑を浮かべて純子がグラウンド方向を指差す。ちょうど主審がプレー再開
を宣した。
 注目の第一球。佐野倉は捕手のサインにすぐうなずくと、一塁ランナーを視
線で牽制して、投げた。
 またどよめきが起きる。
 主審の判定はボール。
 が、どよめきの原因はそんなとろこにない。佐野倉の投じた球が、カーブだ
ったためだ。
「何で変化球で入る? 豪速球が持ち味って聞いたのに」
「うん」
 唐沢と相羽の会話の意味が、いまいち掴めない純子。聞く暇もなく、ゲーム
は進む。
 第二球。今度はストレートだった。が、何故かスローボール。
 バッターはしかし、今度こそ豪速球が来ると力んでいたのか、派手に空振り
をした。
「あれだけのスピードボールを持ちながら、技も頭も使うらしいね」
「ああ。ウォームアップでストレートばかりに注意を行かせて、実際にはカー
ブで入る。次は力を抜いた球」
 牽制球を挟んだ後の第三投は、やっとまともなストレート。ただし、これま
た全力ではなく、六、七分程度の力で投げ込まれた、内角低めを丁寧に衝くス
トライクだ。
 バッターが自軍ベンチを見やる。監督のサインにしっかりと首肯し、バット
を構え直した。
 佐野倉は捕手のサインにまたも簡単にうなずく。普段よりも目を細くしてい
るのは、サインを見るためというよりも、相手に感情を読み取られないための
用心か。
 彼の手からボールが放れた刹那、打者はバットを傾ける。送りバント狙い。
気が付いてみれば、ランナーのリードも大きい。
 速球が来た。バットに当たる。
 スピードに打者の気持ちが引けたのか、フライになった。キャッチャーがこ
れを補ると、一塁に投げる。ランナーは無事に戻った。打つのが苦手らしい相
手ピッチャーも、佐野倉相手だと全力疾走も厭わぬ様子である。
 ワンナウトワンナウト!と声を張り上げ、定位置に戻るキャッチャー。佐野
倉は対照的に超然として、軽くうなずくのみ。
 次に登場した二番バッターに、佐野倉は真ん中やや低めに初球を投じた。結
果、セカンドゴロを打たせ、ダブルプレーにしとめた。注目の中登場した佐野
倉だったが、最初のイニングはあっさり終わってしまった。最速球を披露した
かどうかさえ、怪しい。
「佐野倉、ナイスピッチング! おまえ、すげーな!」
 ベンチに戻る佐野倉を目で追いながら、唐沢が言った。佐野倉はその声が届
いていたのかどうか、グラブをした方の手を軽く挙げた。
「まじで、あいつ一人でチームの力が一気にアップするかもしれねえなあ。俺
は野球は素人だけど、レベルが違うってのは分かる」
「確かに凄いね。学校で練習しているのをほとんど見たことなかったけど、あ
れは間違いなく、影で猛練習してる」
「天性のものかもしれないぜ。スポ根てイメージじゃないしな、佐野倉の奴」
「そうかな。少なくともスポーツの分野で、努力せずに高いレベルに達する奴
はいないと信じてるんだけどな。純子ちゃんはどう思う?」
 話に入れないでいた純子は、突然の呼び掛けに、「え?」と声を上げた。会
話を聞いていなかったわけではないので、落ち着いたところで答える。
「私も相羽君と同じよ」
 唐沢が「さいですか。仲のいいことで」と、肩をすくめる。ゲームの方は、
緑星側の攻撃が始まっていた。
「でも、ひょっとしたら、生まれついての野球の天才なんて人もいるかもしれ
ないし。ただ、一つだけ、確実に言えるのは……」
 純子が思わせぶりに台詞を区切ると、相羽が「言えるのは?」と繰り返した。
純子は微笑んでから続ける。
「緑星の野球部でもやる気を出してくれたみたいで、よかった。野球の強くな
いところに転校してきて、佐野倉君、投げ遣りになってるのかなって、ちょっ
と心配だったから」
 グラウンドの方から、かきん、と金属音が響いた。急いで振り向く。三塁線
を大きく越えるファールだった。
「ちゃんと観ておかないと、危ないな」
 誰に言うでもなく、相羽がつぶやいた。ファールボールが飛んで来るかもし
れないことを考えると、確かに余計なお喋りは慎むべきだろう。
 試合は両投手の好投でスコアは4−0のまま進んで、四回裏。緑星の攻撃は
既にワンアウトになっていた。今、左バッターボックスに立つ打者も、ツース
トライクノーボールと追い込まれている。
 相手ピッチャーはいわゆる技巧派で、適度にボールを散らして最後に高めを
振らせたり、打ち気を誘ってからのスライダーでしとめたりと、これまでの三
イニングで三振五つを奪い、被安打ゼロだ。その一方で、主審との相性がよく
ないのか、際どい球をボールと判定されるケースが多く、四球を三つ出してい
た。その都度、打たせて取るピッチングに切り換え、ダブルプレーで切り抜け
た格好だ。
「ずるずる行かないように、早いとこ、一本ほしいな。レベル差は存在しても、
届かない距離じゃないぞ」
「紙一重と言っても、破るのは難しいもんだぜ。あのピッチャー、打ち気を誘
うのが巧みで、みんな、つい手が出てしまってる感じだ。あれをこらえて、別
の球に狙いを絞れば、流れが掴めるかもしれない」
「そういう意味じゃ、ここがチャンスなのにな。佐野倉のピッチングをきっか
けに、何とか」
 唐沢が言った矢先、追い込まれてから粘ってツースリーまで持ち込んだバッ
ターが、不意にバントをした。ボールは勢いを殺されたまま、ピッチャーと三
塁手の間辺りに転がる。三塁手が掴んだ。一塁へ投げる。わずかに山なりにな
った。
 微妙なタイミングだったが、塁審判定はセーフ。バッターが左打席だったこ
とに加え、四球を期待していると見せかけてのバント故、さほど警戒されてい
なかった面も幸いし、初安打が生まれる。
「やった、出た! 言ったそばからこれだっ」
「慣用表現の使い方が、おかしいような」
 両手に拳を作って喜ぶ唐沢。相羽はぼそっと突っ込みを入れつつも、やはり
頬を緩めていた。
 被安打を許したことに気持ちを乱したのか、相手ピッチャーの今村は続く三
番にワンスリーから明らかなボールを放り、ランナー一、二塁とする。緑星の
四番はヒットエンドランを仕掛けて、結果、二死になるも各ランナーを進める
ことに成功した。
 ここで打席は佐野倉。一巡目は、慎重にボールを選び、チーム初出塁を果た
している。バッティングでのパワーは未知数だが、選球眼は確かなようだ。
「涼原さん」
 唐沢が手を伸ばし、純子の肩にちょいちょいと触れる。
「え、何? いい場面でしょ、点が入るかも」
「あいつに声援を送ってやりなよ」
「は?」
 にこにこ顔の唐沢に対し、純子はわずかに表情をしかめた。
「応援に来てる女子って少ないだろ。ここは一つ、女の子の声援で、佐野倉を
勢いづける」
「あはは。それで打てれば、苦労はいらないわね」
「いいから。早くしないと」
 唐沢が言い掛けたそのとき、第一球が投げられた。佐野倉は少しヘッドを動
かしただけで、見送った。際どいところでストライク。会心の笑みを覗かせる
ピッチャー今村。やっと取ってくれたかという顔つきだ。
 対照的に、首を傾げたのは佐野倉。足下をならしながら、当てが外れた様子
で、何度も首を捻る。
「ほーら、ぐずぐずしてたから早くもワンストライク。言ってやれって」
「僕も同感」
 唐沢が急かしたのに続いて、相羽も言葉を添えた。
「声援を送れば打てるとは限らないけど、送らずに打てなかったら悔いが残る」
「分かったわよ。言われなくても、私達の学校を応援するのは当然……。佐野
倉くーん、打ってー!」
 両手でメガホンの形を作り、思い切り叫ぶ。ボイストレーニングのおかげで、
声量の豊かさに拍車が掛かっているだけに、開けたグラウンドでもよく通った。
 すると、佐野倉は構えを解いてタイムを求めた。主審が認めて、しばしの中
断。打席を外した佐野倉は、身体を純子達のいる方に向けた。そして何を思っ
たか、右腕に持ったバットを高々と掲げると、
「分かった、ヒットを打ってやる!」
 と宣言した。しかも、その場にいる皆に聞こえるような大声で。
 敵味方を問わず、多くの者がどよめく。そんな中、どよめきの源となった佐
野倉は、何事もなかった風に打席に戻り、バットを持ち直した。
「な……」
 唖然とするあまり、絶句状態の純子は、ホームベースの辺りを指差しながら、
相羽達を振り返った。
「いちいち答えるなんて、変じゃない?」
「うむ。案外、まじで気があるんじゃないか。君に捧げるタイムリーヒット、
とか言ったりして」
「そ、そんなの困るっ」
 唐沢の言にまともに反応する純子は思わず、相羽の方に身体を寄せた。あと
少しで、腕にしがみつくポーズになる。が、そこまでやる恥ずかしさに気付い
て、思いとどまった。
「僕は困らないけど」
 相羽が言ったそのとき、金属音が鳴り響いた。グラウンドに目線を戻す純子。
 佐野倉がきれいに振り抜いていた。打球は若干左に曲がりつつも、外野手の
上を越し、レフトの奥、ラインぎりぎりに落ちた。フェンスがあればスタンド
インしていたかもしれない距離だ。
 緑星ベンチ及び応援エリアがわき返る。長打コースで、一気に二人がホーム
イン。打った佐野倉も三塁に達した――いや、回った。中継がもたつく間に、
ホームを狙う。歓声が一際大きくなり、悲鳴も混じる。
 クロスプレーになった。
 主審の判定は――。

――つづく





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