AWC 同級会と長州旅行 (2-4)   /竹木 貝石


        
#96/598 ●長編
★タイトル (GSC     )  02/09/25  22:17  (168)
同級会と長州旅行 (2-4)   /竹木 貝石
★内容

 第2日目 8月5日(月)

 朝食後まもなく、G夫妻が帰り、続いてB・I両氏も、今回欠席のQ氏(脳
幹変性症で静養中)を訪ねるべく、一足先に帰った。
 残る9人は、レトロ記念館を自由見物し、関門海峡クルージングをして、昼
食後に解散することになった。

 送迎用マイクロバスで記念館入り口まで来て、私とA君は皆といったん別れ、
『レトロ電気通信館』へ向かう。観光案内によれば、NTTの建物の一角に旧
い電話機などを展示してあるというので、今日こそ是非見学すべく、炎天下を
500メートル以上も歩いて、ようやく捜し当てたと思ったら、「月曜は休館
日」と書いてあって、がっかりした。
 昨日「15時までに集合」というのをあまりに堅く考えすぎたのが裏目に出
た訳で、幹事にも多少の責任はあるが、そんな不満をおくびにでも出せば、彼
女がきっと気にするだろう。友人であるA君の希望よりも、幹事であるKさん
の案内文を重視したのは、「公を優先する」という私の気分には合っているが、
結果的には読みが甘かったことになり、ルーズな人間が得をする世の中に、釈
然としないものが残った。自分だけのことなら我慢してもよいが、同行者のA
君に迷惑を掛けたのは取り返しがつかない。

 みんなと落ち合うまでの時間、クルージング桟橋へ行く途中で、二つの記念
館を見学した。
 旧 門司三井倶楽部:観光案内には次のように書かれている。
「大正10年三井物産門司支店の社交倶楽部として山手の谷町に建築され、翌
11年にアインシュタイン博士夫妻も宿泊した由緒ある建物。木造2階建で個
性的な外観と共に内部のマントルピースやドア窓枠などにアールデコ調のモダ
ンなデザインがみとめられ大正ロマンの香織を今に伝える貴重な建物である。」
 グランドピアノをおいて演奏会が出来そうな部屋もあり、林芙美子の資料も
展示してあった。階段の手すりや壁には、明治時代の洋風建築に特有の複雑な
彫刻が施され、教員養成校の校舎を思い出す。

 門司港駅舎:現在も使われている旧い建物で、二階と三階は展示室や展望室
として一般に公開されている。天井が高く、階段の段数が多いのには驚いた。


 入り江の大きな橋を渡って、クルージング乗り場に集合。
 乗船時刻を待つ間、桟橋に横付けされている船にそって二人で歩き、舳先か
ら船尾までの長さを実測した。ざっと30メートルはあり、
「この船は双胴船だよ。」
 とA君が説明してくれる。
 12時にスタートし、最初と最後は少し揺れたが、波穏やかな関門海峡を巡
ること約1時間、案内放送が録音ではなく生の声であるのが良かった。それも
その筈で、途中、潮流の方向と速さを表示する電光掲示板の仕組みを説明する
くだりは、時間帯によって数字や矢印の向きが変わるから、録音放送という訳
にはいかないのだ。来年のテレビ大河ドラマは『宮本武蔵』なので、厳流島の
説明には力が入る。「船の形に似ている所から、ふなじまと呼ばれていまし
た。」と聴いて納得した。

 船を降りた後、皆で『地ビール工房』に入って腰掛ける。
 品数の少ないメニューの中から、全員が『和風弁当』を注文し、1300円
はやや高いかと思ったが、良い味付けだった。5人で『地ビールのピッチャー』
を取り寄せ、コップに分け合って飲む。
 別れる前の一時、主に私が口火を切って、命名の過去や今にまつわるエピソ
ードをネタにして歓談した。
 食事とビールの勘定も、さし出がましく私が声を掛け、A氏が電卓で計算し
た金額を、D氏が徴集・支払いしてくれた。


 同級生と別れて、ここからはA君との気楽な旅になる。
 駅前からタクシーに乗り、関門トンネルの人道入り口に来た。
 40人乗りのエレベーターで下り、そこからなだらかな傾斜を海底に向かっ
て歩く。
「現在の気温は19度」の表示があるが、結構蒸し暑い。
 観光客はまばらだが、母親に連れられた小学生が走ったり反響音を楽しんだ
りしていた。
 トンネルの中はきちんと舗装され、照明や換気口も完備している。A君と両
腕を広げて計ったら、約4メートルの幅があり、傾斜は5度くらいだろうか?
 やがて、海底の一番深い所とおぼしく、足下に煉瓦を埋め込んだような横線
があり、さらに30メートルくらい行くと、そこがトンネルの中心地点であっ
た。
 登りの傾斜もなだらかで、やがて全長780メートルの人道を渡り終え、エ
レベーターで地上に登った。

 すぐ近くに『砲台』が在り、ここは長州兵が外国船打ち払いを行った所であ
る。コンクリートの台座に鋳物製の大砲の模型が作りつけてあって、筒口の直
径は8センチくらいで案外小さい。
 数メートルの距離に海がせまり、今は静かな波音が聴こえている。老人にカ
メラのシャッターを切ってもらった。

 N夫人との待ち合わせ時刻がせまっているので、他の見物を止めて、自宅へ
電話を掛けてみたが、既に出かけた模様で通じない。私達もタクシーで『赤間
神宮』へ向かう。

 NO君は子供の時からの友達で、小学部時代は寄宿舎の同室、中学部時代は
ラジオの英語会話を二人で勉強した。高等部時代は生徒会活動で協力し合い、
男声合唱団のコーラス仲間でもある。彼は私より二つ年下で、学年は1年後輩
だが、名古屋盲学校屈指の秀才と言われ、良い意味での競争相手だった。私は
教員養成部に1年遅れで入学したため、彼と同級生になったが、もはや学力で
は彼に敵わなかった。卒業後N君は下関の盲学校に赴任し、多方面で活躍して
人気も高かったが、後年、強度の難聴と高血圧に悩まされ、最後は胃癌のため
60歳で亡くなった。
 奥さんのU子さん(旧姓Vさん)は、私より年上だが、盲学校に入学したの
が遅かったため、学年は後輩である。高等部時代、私が男声合唱団の団長、V
さんは女性合唱団の団長だったが、話をしたことはほとんど無く、人柄もよく
知らない。彼女は元々箏曲の名手で、名古屋盲学校の音楽科を卒業し、ほどな
くN君と結婚した。

 赤間神宮の鳥居脇に、既にU子さんが待っていて、一緒に神社を参拝し、平
家一門の墓地、耳無し芳一の墓、厳重に囲った安徳天皇陵を見学した。
 暑さの中を20分ほど歩いて、『旧英国領事館』を見物したが、特に珍しい
物はなかった。
 U子さんが、
「向かい側のグランドホテルの四階で、美味しいコーヒーを飲ませてくれるそ
うよ!」
 と言うので、歩道橋を渡ることにし、私が
「札幌では、歩道橋のことをオカバシと言うから、最初何のことか分からなか
った。」
 という話をしながら、ホテルに入った。エレベーターで四階へ上がったが、
店が無いので、一階に戻り、静かな喫茶店の一角に腰掛けて、亡き人を偲んで、
1時間ほど話をした。

 今回の長州旅行に当たり、NO君の墓参りを思い立って、事前にU子さんに
電話をした所、応対が随分気張った感じに聴こえたが、実際に会ってみると、
そんな感じはなく、むしろ懐かしい印象だった。
「主人はホスピスに入ったから、痛みは全然無かったけれど、モルヒネを大量
投与するので、記憶が不鮮明になることがあり、それを見ているのがつらかっ
た。例えば、親しい人が大勢見舞いに来てくれても、その人が誰だか分からな
いまま適当な返事をしてしまい、後で誰それだったと気がついたときすごく後
悔して、『もっときちんと挨拶すれば良かった』と悩むんですよ。それを見て
いるわたしの方が耐えられなくて…。でも、痛みそのものは全然無くて、安ら
かに天国へ行けたと思います。ただ、わたしは息を引き取る瞬間を知らなかっ
たんですよ。夜通し看病して、やっと朝になったので、『やれやれ、これでひ
とまず危機を脱したんだ!』と安心し、ほんの一瞬うたた寝したちょうどその
間に呼吸が止まってたの。葬儀には400人もの人達が来てくださって盛大だ
ったけれど、生前主人は献体を希望していて、遺骨も何も無い葬式というのも
寂しいものね!」
「主人は、『盲聾者 友の会』の山口県支部を立ち上げて、1年も経たないう
ちに亡くなったので、わたしは今その仕事に振り回されてます。」
 と言い、NO君が友の会発足の挨拶をしている姿など、幾枚かの写真をA君
に見せたりした。私の質問に対し、
「盲聾者の人数は、県内に270人くらい居るという調査報告があるけれど、
家族が隣近所をはばかって隠してしまうため、実際に会合に出てくるのは10
人以下ですね!」
 と説明した。
「愛知県半田市に、わたしの母親が住んでいて、下関へ呼びたいんだけど、故
郷を離れて遠くへ来たくないと言うし、わたしもこちらが結構忙しいので、そ
の点困ってます。」
 とも言い、
「名古屋盲学校の先輩でも後輩でも、近くに来るついでがあったら、いつでも
遊びに立ち寄るよう伝えてください。なんなら、お二人も今夜のホテルをキャ
ンセルして、うちで泊まりますか?」
 と勧めてくれた。
 下関名産のうにの瓶詰めとふぐのお茶漬けをみやげにもらい、私は青柳うい
ろうの『四季づくし』を手渡した。
 喫茶店を出て、「おかばし」の所で、それぞれのバス停へと別れた。


 昨夜の国民宿舎『めかり山荘』は、部屋が狭く、床や畳が古びていて、お茶
菓子も出ていなかったが、窓からの見晴らしは良く、大浴場が七角形で情緒が
あった。
 そういえば、「めかり」の意味について、タクシーの運ちゃんが次のように
説明してくれたのを思い出す。
「この辺りの海からは良質のワカメが取れるので、めかり神社の毎年の正月行
事には、神主さん達が海に入って、初の若芽を刈り取って奉納する習慣になっ
てます。」

 二日目の『下関ステーションホテル』では、チェックインの際に夕食のこと
を訊ねると、
「十階のレストランでしたら、ビール一杯分サービスになっております。」
 と言い、無料の朝食券をくれて、
「こちらは一階の食堂で、バイキングになっております。」
 と説明した。随分サービスが良いと感じたのは早合点で、夕食を兼ねて十階
のレストランで飲めば、当然料理を注文することになるから、ビール一杯くら
いはすぐに元が取れる。とはいえ、ここで食べたコフク(子河豚)の空揚げの
絶妙な味は忘れられない。
 朝食は甚だ貧弱で、バイキングとは名ばかりの、小さなコッペパンとスープ
とゆで卵が在るだけ、牛乳も野菜サラダも無く、これなら無料でよい訳だ。





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