#85/598 ●長編
★タイトル (GSC ) 02/05/18 11:57 (155)
会津旅行記『春日八郎記念館』を訪ねて(3) /竹木貝石
★内容
第2日目
朝食はバイキング方式で、弱視のS君と全盲の私には難しくて手間取ったが、
係りのお姉さんは全然手伝ってくれず、説明も無愛想だった。
いよいよ今日はメインの春日八郎記念館へ行く。
急いで支度を整え、ホテルを出てバス乗り場を捜し、発車間際の9時直前に
どうにか乗り込むことができてほっとした。
ここのバス乗り場は駅舎のすぐ横にあり、行き先の異なるバスが3台、駅の
壁に沿って並んで待機していて、9時になると一斉にスタートする。S君の解
釈によれば、大雪が降っても、壁際の屋根の下からバスに乗れるから良いとの
こと。
乗客の人が教えてくれて、『赤城タクシー前』で下車したが、ここで良かっ
たのかどうか?
記念館は10時からなので、時間待ちを兼ねて、街の様子を見ながら少し歩
くことにする。歩道に面して、農機具類を売る店や、ニシンなど魚の干物をつ
り下げた店があり、タクシー営業所もある。
次のバス停まで行くと大きな神社があって、地元のおばあさんが諏訪神社だ
と教えてくれた。参道脇に『亀灯篭』があり、なるほど、大きな亀の甲羅の上
に灯篭が乗った形で、勿論石を積み上げて作ってある。ここも桜が満開で、S
君が、花の密集した桜の枝を私に触れさせてくれる。これはそめいよしのだろ
う。
神社に参拝したが、賽銭箱が見あたらない。
帰りの参道で見つけたのは、桜の古木が1メートルくらいの高さで縦に裂け、
半分だけ残っている幹もほとんど枯れはてているのに、それでも枝には満開の
花が咲いている姿だった。樹木のほんの一部分が生きていて花を咲かせている
のだ。
先ほどのバス停に近い『赤城タクシー営業所』に戻り、部屋の中に入れても
らって、暖炉のそばで腰掛けて待つこと5分、タクシーが来たので、記念館に
向かった。
タクシーの運ちゃんは会津訛の年輩者で、春日八郎について次のように語っ
た。
「若いときから仲間と組んでバンドなんかをやってたから、村のみんなはみの
るちゃんってよく知ってたさ。けど、いつの間に東京さ言ったかなあ? 春日
八郎って言われてもびっくりするよなあ! 小学校にピアノとか寄付してくれ
たりして、みんなみのるちゃんを誇りに思ってるさ。」
記念館の敷地へ入る所には、立派な歌碑と一本杉がある。
杉の木は柵の中に立っているが、ここでも私は勝手に柵の中に入り、杉の木
を触れてみた。一抱えほどの幹周りには目の細かい金網がかぶせてあって、こ
れはやむを得まい。根本の方には金網が無く、直に杉の木の樹皮に触れること
が出来た。
歌碑は、美しく磨いた大理石か御影石か! 台座に上がって両手を広げたら
2メートル半の幅があり、〈別れの一本杉〉の歌詞が彫ってある。中央部分の
下にスピーカーがあって、歌碑の前に立つと、春日八郎の2回目の吹き込みで
〈別れの一本杉〉のすてきな歌声が流れる。もうこれだけで、私は感動と敬愛
と感謝と憂愁の入り交じった、名状しがたい感覚に襲われた。
何年前からか、私には心の底から尊敬できる人物が居なくなってしまい、こ
れは寂しいことである。政治家は勿論、音楽家も小説家も科学者も教育者も、
歴史上の人物も現代の知名人も、全てただの人間に思えて、偉大な業績も偶然
か眉唾にしか見えなくなってしまった。
私があまりにも単純かつ愚かだったがゆえに、人々の言葉や行為をまっすぐ
に受けとめすぎたその反動かもしれないが、恩人も友人も男も女も、私自身も
含め、人間は所詮自己本位の存在に過ぎないと諦めるようになった。世の中に
立派な人間など居る訳がなく、さりとてどうしようもない人間も滅多には居な
い、要するに、人は各々一長一短、「欠点が特徴で特徴が欠点」なのだ。
人物その人を尊敬するのでなく、素晴らしい音楽や文学そのものを深く愛す
ることは私にも出来る。バッハやモーツァルトの作品は荘厳無比、吉川英治の
文章は完璧だ。
それと同じように、春日八郎の全盛期のレコードは、私を感動させ陶酔させ
る。青春時代に味わった感激を、この正月頃から再び実感出来るようになった。
そのきっかけは、Y君が貸してくれた320曲のカセットテープであり、この
中に納められている若き日の春日の芸術を再発見したのであった。
人間としての春日八郎がどのような人格であったのか私は知る由もないが、
少なくともデビュー曲の〈赤いランプの終列車〉を出すまでの彼は、随分辛酸
をなめたに違いなく、時期的にも私の苦難の時代とオーバーラップして、春日
の歌を聴きながら彼の苦労を思いやり、ふと瞼の裏が熱くなる。
そして、彼が次々とヒット曲を連発したのもつかの間、一番人気を三橋美智
也に奪われ、実力的にはむしろ春日の方が上であるのに、大衆の心は移ろいや
すく、春日の人気は衰えていった。
春日八郎の会津訛はいかにも迫力がなく、彼の控えめな言い回しと穏やかな
人柄は「知る人ぞしる」のかもしれないが、あの物言いは説得力に欠け、むし
ろ間が抜けてさえ聞こえる。彼は名声の割に幸せな時期が短かったのではある
まいか。
それやこれやを思い合わせるとき、春日の歌がこの上なく巧いだけに、私の
気持ちをつい寂しくさせるのだ。
記念館の建物はさほど広くなく、受け付けの女性が一人だけいた。年の頃は
30歳くらいだろうか? 最初口数の少なかったそのお姉さんも次第に慣れて
きて、来訪者名簿に名前を記載する頃から、
「名古屋の中川区春丘町から春丘さんという方が来られました。」
とか、
「鹿児島や福井からも…。」
「金沢の人は毎年いらっしゃいます。」
などと話してくれる。
場内には春日八郎の歌謡曲が常時流されていて、歌声の素晴らしさは言うに
及ばず、スピーカーの音質が実に鮮明なので、どういうレコードなのかを尋ね
たところ、
「3枚組のレーザーディスクです。」
と言い、これと同じCDは発売していないとのことだった。
記念館は一部屋になっていて、60坪くらいだろうか? 壁や台の上には、
写真、レコード、アルバム、ジャケット、記録類、衣装、盾、愛用のピアノな
ど展示してあり、関連グッヅや名産品も販売している。
私が密かに期待していたのは、春日八郎の20枚組または10枚組全曲CD
で、これを買って帰るつもりだったが残念ながら置いてなく、6枚組のオリジ
ナル新曲集(比較的晩年の吹き込み)と、同じく6枚組の日本の名歌集(春日
の持ち歌以外の曲も多数収録)が在った。そして、4枚組のCDで、〈SP原
盤再録による春日八郎ヒットアルバム〉というのがあり、従来あまりメジャー
でない歌も多数入っているので、私は一も二もなくこれを購入し、S君も同じ
CDを買った。但し、第1巻だけが売り切れになっていて、とりあえずそれは
カセットテープの物を買っておいて、後ほど手紙で注文することにした。
「カラオケは無料ですから、どうぞ歌ってください。」
と聞いて、私はふと心配になった。
この記念館の入場料も無料、カラオケで歌うのも無料! これでは採算が取
れないではないか。第三セクターが運営しているというが、CDやグッヅや名
産品を売るだけでは、赤字経営に決まっている。後でS君が言うように、
「この先5年続くかどうか。10年以上は無理だろうなあ。」
ということになるかもしれない。赤字もさることながら、春日八郎のファン
も今や高齢者になっていて、やがては忘れられてしまうのだろうか…。
ともかく歌うことにし、カラオケコーナーに移動して、クロス貼りの長椅子
に腰掛ける。4箇所のスピーカーから美しい音質の歌が流れていて、来客がカ
ラオケを歌う場合は、春日の声をOffにし、常時聞こえているレーザーディ
スクの伴奏音楽をそのままカラオケにして歌うことが出来る。そのカラオケ伴
奏は、私が以前に買って持っているLPレコードと同じ、オリジナル演奏に近
い伴奏である。最近はこういうカラオケレコードを使っている人が少なく、大
抵はエレキベースやドラムスや電子音をふんだんに用いた騒々しい録音なのだ。
レーザーディスクに入っている曲目は、1枚目と2枚目のうち知らない歌が
1曲しかなく、春日ファンなら誰でも知っているヒット曲ばかりである。私は
点字の歌詞カードを家に置き忘れてきたが、S君に所々歌詞を読んでもらって、
なんとか3番まで歌えた。S君と私がほぼ代わる代わるマイクを持って、20
曲以上は歌ったと思う。ワンコーラス毎に、受け付けのお姉さんが大向こうで
拍手してくれて、職員もなかなか大変だ。
そればかりか、テーブルにお茶と饅頭を出してくれたのには恐縮する。S君
の想像だが、
「あの饅頭は、おそらく受け付けの人が自腹を切って、ポケットマネーで買っ
てくれたんだろう。何しろ一箱で八つくらいも在ったからなあ。」
私はカラオケに夢中になっていた訳でもないのに、後で食べるつもりで結局
饅頭を一つも食べなかった。饅頭も欲しかったが、それよりも、せっかくの行
為を無にしたのが申し訳ない。
私とS君が歌っている間に、何回か客が入れ替わって、総勢50人以上の見
学者が訪れた。大部分がお年寄りで、観光バスの団体もあるらしく、品物を買
っていく人はいたが、カラオケを歌う人は居なかった。
さて、カラオケのでき具合についていささか触れておかねばなるまい。私は
過去に歌った自分のカラオケ録音を一部保存していて、先日もそのMDを捜し
て聴いてみたが、やはり満足のいく録音はほとんどなく、自分で聴いていて顔
の赤くなるものが多い。私は人前で歌うと緊張する性格なので、それが災いし
てカラオケが下手なのだと思いこんでいた。無論それも事実だが、つまるとこ
ろ歌心が乏しいことを認めざるを得ない。音程やリズムやテンポや発声をいく
ら正確に歌っても、歌謡曲としての表現が適切でなければ聴く人に感動を与え
ることはできない。それと、多少声が枯れていたりあがっていたりしたときの
歌でも、若い頃の歌声には張りがあり小節の切れも良いが、年齢とともに『お
っさん声』になり、高音も出ないし小節も廻らなくなっていく。現に最近はほ
とんど緊張せずに歌えるようになったが、あたかもそれと反比例するかのよう
に、歌唱力は衰える一方なのだ。しかしそれはプロ歌手でも同じことで、春日
八郎でさえも、晩年の歌は苦しそうで哀れを誘う。
学生時代のS君について、春日八郎の歌が上手という噂を聞いていたが、今
日もなかなか巧い。高音も私より出るし、小節も細かくよく廻る。S君は民謡
教室へ習いに行っているそうで、これは大変良いことだ。
12時を過ぎたので、カラオケを止めて帰ろうとしたら、お姉さんが、
「ディスクの1枚目と2枚目は済みましたが、まだ3枚目がありますから…」
と言ってくれて嬉しかったけれども、もう行かねばならない。