AWC 【OBORO】 =第4幕・異形胎動= (03/17)  悠歩


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★タイトル (RAD     )  01/12/15  20:12  (193)
【OBORO】 =第4幕・異形胎動= (03/17)  悠歩
★内容                                         01/12/28 15:55 修正 第2版


 優一郎は自分を悪人だとは思っていない。しかし、正義感にあふれる人間だと
も思ってはいない。
 教室で佳美に声を掛けたのは、彼女を孤立化させないためであった。優一郎は
決して、敵の多いタイプではない。田邊になつかれていたために、他のクラスメ
イトと話す機会は少なかったが、それは別に優一郎自身が嫌われていたからでは
ないのだ。実際、優一郎から声を掛ければ大抵は親しく応じてくれる。思い上が
りではなく、優一郎は人から好かれるタイプなのだ。田邊になつかれていたのも、
そんな優一郎の資質があってこそのことだった。
 その優一郎が親しげに話し掛ければ、クラスメイトたちも佳美に対する偏見を
和らげてくれるかも知れない。あの事件に関して、本来被害者である佳美がみん
なから避けられたり、責められたりする理由など、ありはしないのだ。そんなこ
とは皆理解しているはず。ただ普通に接するきっかけがつかめないでいるだけな
のだ。だからこそ優一郎には、まだクラスメイトたちの残る教室内で佳美に声を
掛ける必要があった。
 しかしそれは優一郎の正義感ゆえからの行動ではない。
 彼女に対する特別な感情が働いたためである。
 それは恋愛感情とは異なる。陵辱の痕を刻んだクラスメイトの裸身。それを目
の当たりにしたのならば、優一郎でなくとも男であればある種の思いに囚われて
も致し方ないことだろう。だが優一郎を動かしたのは、そんな感情でもなかった。
 仲間意識。
 そう言ったらいいだろうか。
 あの日、あの時間。地獄図のような現場に居合わせた同士。その歪んだ欲望に
相応しい姿の化け物となった田邊を知る者同士。他人に語ったところで、決して
信じてはもらえぬ経験をしてきた者同士。そんな共犯者のような意識が、優一郎
を動かしたのだった。
 だが声を掛け、共に教室を後にしたのはいいが、別段話すこともなかった。い
や、話すことが出来ないでいたというのが正しいだろう。
 優一郎にしてみれば、訊きたいことはいろいろとある。いまだ現実感の持てな
いあの事件について、優一郎の知らない側面を佳美は見聞きしているかも知れな
いのだから。
 しかし訊くことは出来ない。お互いに訳も分からないまま、非現実的な現実に
巻き込まれたことでは共通していたが、受けた傷は佳美の方が遥かに大きい。精
神的にも、肉体的にも。
 佳美はきっと、それを忘れようとしているはずだ。そして一日も早く、平穏な
生活に戻りたいと望んでいるはずだ。
 それを思えば、傷痕を掘り起こすような真似は出来ない。それでなくとも、そ
の望みに反し、要らぬ噂話に責められている彼女なのだから。
 お互い話す言葉もないまま、通常よりゆったりとした足とりで歩を進めていた。
学校を出るとすぐに広い空き地へと出る。以前は沼であったという空き地は、現
在埋め立てられているもののまだ利用目的も定まっていないらしい。反対側を見
通すことが不可能なほどに、セイタカアワダチ草が群生していた。その中央、空
き地を分かつよう、S字にくねった道がある。
 白い長方形のブロック。それを横に並べ作られた道。そこを二人は歩いていく。
下水道になっているのだろう。下からは水の流れる音が聞こえた。時折、蛇や蛙
が現れては登下校の学生たちに小さな騒ぎを引き起こす道だが、今日は行く手を
阻む者の姿もない。九月も後半になろうと言うのにいまだ夏の砂浜を思わせる陽
光が、歩道を成す白いブロックに反射して眩しい。
 風が吹いた。両脇を壁のように立ち並ぶセイタアワダチ草を揺らして。花粉症
に苦しむ者であれば、それだけでも充分に不快な状況であろう。花粉症を持たな
い優一郎にとっても、心地よい風ではない。この道を進み、空き地を抜けた先に
精肉の倉庫がある。時折開かれたままになったシャッターの奥に、全身の皮を剥
かれて吊された牛の姿は見て楽しいものではない。シャッターが閉じられていて
も、倉庫横に積まれた肉片から発生する臭気はおぞましいものがあった。その匂
いが、風に運ばれ優一郎たちの鼻へと届けられた。
 間もなく空き地を抜ける。会話もないままに。
 異臭の元である倉庫を過ぎれば、優一郎と佳美はそれぞれの家に向かい、違っ
た道を帰ることになる。
「ありがとう………陽野くん」
 教室を出てから初めて、佳美が言葉を紡いだのは別れ道まであと数十メートル
までと迫ったところであった。
「えっ?」
 足を止める優一郎。気がつけば佳美は優一郎より、三歩ほど遅れた位置で足を
止めている。
「ありがとう」
 聞き逃した言葉が繰り返される。それは優一郎に対し、礼を述べる言葉であっ
た。
「なに、そんな………別に俺、たいしたこと、してないから」
 佳美の言葉を、教室で声を掛けたことに対する礼だと解して優一郎はそう応え
た。
 「陽野くんが来てくれなかったら、私、きっと気が狂っていたよ」
「えっ………あ?」
 涙声の言葉。それは佳美の礼が、教室でのことを言っているのでないと優一郎
に知らしめる。田邊の部屋での一件に対するものであると。
 彼女は覚えていたのだ。あの時優一郎が、あの部屋に在ったことを。そしてそ
れは優一郎の経験が、決して夢などではないと告げることにもなった。
 柔らかいものが、一瞬、優一郎の頬を微かに撫でる。それが彼女の髪だと気づ
いた時にはもう、佳美はとうに優一郎を追い抜いていた。
「待って、大野さん!」
 優一郎の声が大きくなったのは、佳美との距離が開いたためである。はたして、
俯き加減に駆け出していた佳美に、その声が届いているのか、もう確かめようも
なかった。



 どれほど世間を震撼させた事件であっても、容疑者が捕らえられず、新たな事
実も出てこなければ、当初に比べ報道される機会は極端に少なくなるものだ。田
邊の起こした事件も、この例に漏れるものではなかった。
 発覚直後はその異様性、残虐性にくわえ容疑者が未成年者であることで事件は
大々的に報道されていた。マスコミの盛り上がりは当然として、優一郎の身の回
りでも話題を耳にしない日はなかった。まして事件関係者の大半が通っていた高
校である。マスコミ上は伏せられていた実名入りの、しかしながら九分九厘が口
さがない者たちによる噂と想像で練り上げられた情報が飛び交っていた。事件関
係者でただ一人、学校に復帰してきた佳美が口を閉ざしているのをいいことに、
無責任な噂は肥大の一途を見せるばかりであった。中には隣町で田邊を見掛けた
だの、事実を知る優一郎には明らかな嘘と分かる話ばかりが頻繁に出回る始末で
ある。
 ところが「人の噂も七十五日」のことわざ通り、いやそれよりも早く噂話の流
行りは廃れることとなった。すっかり影を潜めた、とまでは言えない。いまだ校
内で噂を聞くこともあったし、時折思い出したように校門にマスコミ関係者を見
ることもあった。それでも野次馬的興味でしかなかった人たちの関心は、早くも
風化しつつあった。
 十月も半ばを過ぎる頃になると、優一郎の身辺にもいくつかの小さな変化があ
った。
 一つはデザインの専門学校への進学を決めたこと。特にデザイン関係の仕事に
就きたいという希望があったわけではないが、いつまでも未定ではいられない。
大学へ進むことも考えたが、願書受付の締め切りも迫ったいまからでは難しいよ
うに思われた。
「とりあえず浪人するのもイヤだから、一年間専門学校に行きながら勉強して、
受験を考えてみます」
「おまえの学力なら、いまからでも頑張れば何とかなるかも知れんぞ。願書もま
だ間に合うし………それでもしダメなら専門学校でいいんじゃないか?」
「いえ、前から少しデザインにも興味があったし………とにかく、そう決めたん
です」
「ん、そうか」
 担任はほっとしたような表情で微笑んだ。クラスの中でも優一郎は最後まで、
自分の進路をどうするか決まらないでいたのだ。実際の進学や就職が決定するの
は、まだこれからである。だが全員の希望が出揃ったことで、担任の心労も少し
だけ和らいだのかも知れない。夏休みに起きた事件のせいで、他校の三年生担任
教師より数倍の苦労をしてきたのだろう。体育教師顔負けの体格を誇っていた担
任も、やつれて見えるようになっていた。目の下には隈も出来ている。

 もう一つの変化は、ある日突然現れた。
 その日、登校してきた優一郎が教室に入ったとたん、一人の友人が声を掛けて
きた。
「おう、陽野、聞いた?」
 馴れ馴れしいほどに、親しげな言葉。これも変化の一つである。
 もともと優一郎自身は嫌われていた訳ではなかったのだが、あの田邊が嫉妬深
い恋人のごとく常につきまとっていたため、他のクラスメイトたちに避けられる
ようになっていた。その田邊がいなくなったことで、優一郎と他の友人たちとの
距離は縮まった。
 さらには優一郎が佳美に対し、一番最初に声を掛けたことがクラスメイトたち
に好印象をもたらしたらしい。
 確かに佳美に対しては、悪意の含まれた噂も多く流布されていた。だがなにも
皆が皆、佳美への噂を楽しんでいたのでもない。むしろ多くの生徒は、被害者で
ある佳美の受けた肉体的、そして精神的な傷を思いやる心を持っていた。けれど
卑俗な興味のみで肥大化した噂の中、それに抗った行動をとる小さな勇気が持て
ないでいたのだ。その小さな勇気を呼び出すのに、大仰な鼓舞は不要だった。
 ごく普通に。
 単なるクラスメイトにとる態度を、誰かが見せればよかったのだ。偏見を持た
ず、あからさまな同情を抱かず。
 優一郎が話し掛けたことをきっかけに、佳美と他のクラスメイトたちを隔てて
いた垣根は消えた。もちろんそれで佳美に対する偏見が、全ての者から払拭され
るまでには至らない。まだ彼女に忌諱を露わにした目を向ける者も少なくはない。
それでも佳美自身が夏休み前までの刺々しさを捨てたことも手伝い、周囲に人が
集まるようになっていた。
 そしてそのきっかけとなる行動をとった優一郎は、図らずもその恩恵にあずか
ることとなった。本人には意識がなかったのだが、他の誰よりも先に示した勇気
がクラスメイトたちからの好感をかったらしい。
「なんだよ、いきなり『聞いた?』って言われても、なんことだか分からないぞ」
 鞄の中身を机に移しかえながら、優一郎は声を掛けてきた友人に応える。
「一年にさ、転校生が来るらしいんだよ」
「へえ」
 小学校や中学校とは違い、高校に転校生が来るのは確かに珍しいのだろう。だ
がそのこと自体に優一郎は興味が持てなかった。ただあんな事件の後だけに、た
かが転校生一人が来ることを大げさに語る友人を優一郎は微笑ましく感じた。
「でよ、それがかなりイケてるって話だぜ」
「ちょっと待てよ」
 中身を移し終えて軽くなった鞄を机の横に掛けると、優一郎は友人に苦笑いを
浮かべて見せた。極端に必要事項を省いた友人の言葉は、なにを告げようとして
いるのか分かりにくい。状況から察すれば、顔立ちの整った女子生徒が転校して
くると言いたいのだろうが。
「前田、おまえいま、『転校生が来るらしい』って言ったよな? ってことは、
そいつはまだ学校に来てないし、当然前田もまだ見てないんだろう。それがなん
でイケてる子だって分かるんだよ」
「それがよ、F組の椿って知ってるだろ? 陸上部の。あいつ親父の商売を継ぐ
ことが決まってるから、いまでも部活に顔を出しててさ。土曜日に見たんだって。
手続きに来たその子を。あいつ、女の子の好みにはうるさくてさ、ヤツが保証す
るんだから間違いないよ。それにな、これは教頭が話していたらしいんだけど、
その子編入試験って言うのか? その成績が抜群でなんでうちの学校に来たのか、
不思議がってたってさ」
 これもまた『らしい』だ。
「今日から登校して来るはずなんだよ。なあ、陽野も俺らと一緒に休み時間に見
に行かないか? その子をさ、一年のC組だってよ」
「おまえ、受験組だろう………ヒマだなあ。いいよ、俺はパスする」
 まだ個人的な懸案事項を抱えていた優一郎には、とてもそんな物見高い気分に
はなれず友人の誘いを断った。友人は特に気を悪くした様子もなく、『そうか』
と応じるとたったいま教室に入って来た別の男子生徒に同じ話を持ちかけるべく、
近寄って行った。
 優一郎はほんの少し、そのイケてる転校生とやらに同情をした。
 ただでさえ、転校生というのは過大な期待をされてしまう。なぜだか転校生は
美男美女であることを迎える者たちは義務づけ、そうでなければ失望をする。学
力や運動能力にも、標準以上を求めてしまうように思える。まして高校での転校
生ともなると、珍しさもあって、その期待は極限まで増幅をされてしまうのだろ
う。先刻の友人が話したことも、人から人へと伝わるうちに相当な装飾がなされ
たものと想像出来る。実際、前評判通りの転校生など、テレビドラマでもない限
りそういるものではないのに。
 自分の知らないところで、大きな期待をされている転校生は、しばらく嫌な思
いをすることになるだろう。けれどそのまだ見ぬ転校生には気の毒だが、これも
この学校が平穏に返った証拠かも知れない。
 始業の鐘が鳴り担任が教室に現れたのは、優一郎がそんなことを考えている最
中だった。




元文書 #31 【OBORO】 =第4幕・異形胎動= (02/17)  悠歩
 続き #33 【OBORO】 =第4幕・異形胎動= (04/17)  悠歩
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