AWC 五月の事件   永山


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#90/569 ●短編
★タイトル (AZA     )  03/05/24  23:09  (500)
五月の事件   永山
★内容                                         03/06/21 13:22 修正 第3版
 さくらさくら。
 ゆきやこんこ。
 桜と吹雪の桜吹雪。
 桜と雪。
 異常気象の日、彼女は僕と初めて出会い、勿論僕も彼女と初めて出会った。

           *           *

 独り、湖周辺の案内板の前に立って目を凝らしていた。肩を上下させジャケ
ットを羽織り直す。慣れない物を小脇に抱えているせいか、既に十回近くも羽
織り直している。
 突然、背中を騒音でかき毟られた僕。大きなバイクが現れ、接近し、ブレー
キを掛け、真後ろで停まったということは見てなくても想像可能だった。
「やあ」
「素晴らしい天気」
 彼女は云った。二人が順に喋ったみたいに聞こえた。最初の「やあ」の発音
が“Yeah”っぽかったので。ほんとに“Yeah”なら、彼女は僕に声を
掛けたんじゃないことになる。
 そして声に振り向くと、その先にいた彼女がバイクから降りるシーンに出く
わした。橙色と青からなるライダースーツに包んだ肢体は、細身だが強靭そう
に想像できた。柄はまるで違うのに、女豹と形容したくなる。
 フルフェイスタイプのヘルメットから解放された容貌は、目鼻立ちのはっき
りしたモデル系美人だ。二等辺三角形をひっくり返した風の、尖った顎を持っ
ている。でも眼は丸っこく、穏やか。右が緑色で、左が灰色だった。風になび
く髪は自然な栗毛。
 年齢は見当しづらいが、多分、僕と同じか少し上。バイクに縛り付けてある
大荷物が、やけに古びていて、この人に似合っていない。いや、似合っている
のか。
 只今、僕ら二人の間は――きっと三メートル十四センチ。薄い桜色をした桜
の花びらと、白い粒のような雪が、先を競って降り散っていく。
「ヘイゼルアイ?」
 ファンタジー小説に出て来たのを覚えた単語。日常生活で使える日が、意外
に早く来た。
「コンタクトレンズ」
 近付いてきた彼女は答えてくれた。ひなたぼっこして、気持ちよさそうにす
る猫みたいな顔をして。寒さに強い質らしい。
「少し、がっかり」
 僕が云って、また案内板に見入ろうとすると、彼女は前に回り込んできた。
「この髪の毛は本物よ。きれいだろ」
 肩に届くか届かないか、まあそのくらいの長さの髪を摘んで示す。艶のある
きれいな栗色と知れた。
「ええ。ケーキのモンブランみたいで」
 感じたままを口にする。彼女は戸惑いもなく、さらりと。
「ドレッドヘアにしたとき、云われたな。今でもたまに」
 それから僕の右隣に立って、同じように案内板を見つめる。手帳を取り出し、
細かく書き込み始めた。
 存在が気になって彼女を見る。モンブランが粉砂糖を被りつつある。会話を
持続させるために、ありきたりかつあまり意味のない質問をした。
「僕は一人で旅行中なんだけど、あなたは?」
「旅行」
「式典は正午からなのに、何故、こんな早くに?」
 案内板から携帯電話の時計に視線を落とし、彼女に尋ねる。五時間近く前だ。
「泊まったとこ、早く出るとそれだけ安くなるシステムでね。第一、式典のこ
とを知らなかった。何の?」
「湖開きと豊穣祈願。なかなか盛大で、テレビ局も取材に来る。といってもロ
ーカルのみで、全国的知名度はないに等しいでしょうけどね」
「そっちはどうして早くに?」
 手帳を閉じ、彼女は尖った顎をこちらに振る。
「僕のことに少しでも興味あるとは見えませんが、気になります?」
「興味はない。社交辞令ね」
 ならば答えるのも社交辞令だろう。
「学生生活最後の春休みを満喫したくて、ついつい早く目が覚めてしまった。
それだけ」
「旅行者にしては身軽な格好なのは、チェックアウト前だからか」
「イエス」
「何で急に英語になる?」
「興味を持ってもらってどうも。またも社交辞令?」
「ノー」
「特に理由はないですが、強いて云うなら、最初に聞こえたあなたの声が、英
語っぽく聞こえたから何となく、かな」
「英語だったかもしれないな。よく覚えてない」
 彼女は肩や頭の雪を払う。バイクのあるところに戻っていく。それじゃの一
言のあと、メットを被り、バイクに手を掛ける。
「式典は観て行く?」
 尋ねると、キーを摘む指が動きを中止した。そして茶飲み話でもする調子で
云った。
「君。止めてほしいのかい。それなら鮮明に意志を示すことね」
「意味が分かりません」
「嘘をついて旅人を装う君は、左脇下にある銃か何かを使って、式典に出席す
る何者かを狙うつもりだ」
 ……僕は、無口に、なった。

           *           *

 五月。彼女は僕と再会し、僕は彼女と再会した。

           *           *

 ゴールデンウィークも五月に入り、残すところあと二日。
 会社の同僚と親睦会を兼ねて一泊二日のキャンプに来た僕は、昼を過ぎても
一向に変わらない五月雨模様に気が滅入っていた。
 追い打ちを掛けるように、ジャンケンで負けた僕は、買い出しに行く羽目に
なった。ついでに、雨天でも楽しめる施設が周辺にないか調べる役目も仰せつ
かった。
 簡素なロッジを出、傘の縁から暗い空を目の当たりにして嘆息していると、
ふと、高校時代の記憶が蘇る。
「さみだれとは五月の雨と書くか、現代では五月に降る雨ではないんだ。この
五月というのは陰暦だからな、要するに梅雨のことだ」
 現代国語の教師が、そんな余談をしていた。小春日和がどうとかいう話に脱
線していったことまで、不思議と覚えている。
「ぼーっと突っ立ってどうかしたか」
 この声。
 え?と視線を普段の高さに戻して、周りに振る。
 一般道に続く小径に、彼女がいた。
 変わっていない見た目。約二十五ヶ月前そのまま。
 否。彼女自身は変わっていないだろうが、見た目は変わったと云わねばなら
ない。バイクが見当たらないし、出で立ちは黒のサマーセーターにブルージー
ンズ。髪は前よりも三センチほど長い。テンガロンハットを被れば似合いそう。
今の彼女の頭の上には、透明な安物の傘があるだけだが。
「な……んで、あなたがここに」
「こんにちは。久しぶり。再会の挨拶はこう云うものじゃないかな」
 彼女を指差していた僕は、僕の指を僕の手で覆い隠し、押さえ込んだ。
 数歩進み、ロッジの区画を出ると、彼女の前に立った。
「こんにちは。お久しぶりです」
「生きていて何より」
「そちらも。一人旅ですか」
「相変わらずね。バイクを修理に出して、たまには公共の交通機関を使ってみ
たら、思わぬ偶然の再会よ」
「荷物が見当たりませんが、昨日から泊まってる?」
「そ。向こうのテントで」
「この雨で?」
「慣れてるから。貸しテントは立派な代物だしね。それよりも、魚を釣って晩
のおかずにするつもりだったのに、これじゃあ予定変更」
「あ、買い物ですか。僕も同じ。車がありますから、一緒にどう?」
 キーを見せながら尋ねる。彼女は数秒考え、承知した。
 道中、僕は僕らのグループについて話した。最初に全員の名前を。魚里昇、
五木晴夫、五味さつき、笹井日美子、イライザ=ケームズ、それに僕、飯田陽
の六名だ。
「同世代、同じ会社の女と男が同数か。親睦会よりコンパと呼ぶ方が似合いそ
うね」
「イライザのための親睦会ですよ。今年の四月、研修のためにアメリカから来
たんですけど、日本的な物にはあんまり興味ないみたいで、アウトドアが好き
だとか。それで僕らが付き合ってキャンプに」
「だとしたら、あいにくの雨ね。アウトドア好きって、バーベキューが一番の
楽しみという人が多いだろうから」
「あ、イライザも残念がってたな。ただのヤキニク、ヤキザカナになる、と」
 妙なアクセントにしたことに気付いたのかどうか、後部座席に座る彼女が笑
った。初めて見たかもしれない。全体の印象が若干幼くなる。
「それにしても、たった一ヶ月前に知り合った人達と一緒に、キャンプに来よ
うという気になれたのは驚きだわ。普通なら、同国人相手でも警戒が解けるか
どうかって頃合じゃないかな?」
「ちゃんと理由があります。五木先輩が一昨年、アメリカに研修に行って、そ
のときイライザと顔見知りになったんですよ。今度のキャンプも、五木って人
が音頭を取ったんです」
「納得」
「大柄だけど結構美人で、五木さん、気があるのかと思ったぐらい。実際はそ
うじゃなかったんですけどね。ただ、五木さんが云うには、向こうには五月祭
という、こっちで云うところの豊穣際があって、女王が大事な役目を――」
「知っているよ、五月祭のことぐらい」
「そうですか? 僕は知らなかった。他の女子社員も聞いたことないと云って
たのにな。とにかく、五木さんがアメリカに行ったとき、その土地での五月祭
で、女王役にイライザさんが選ばれたんだとか。きれいな人であると同時に、
豊穣祭なんだから、大柄の人が適任なのかなと思いましたよ」
 最寄りの――一軒しかない――スーパーに着いた僕らは、買い物を手早く済
ませ、次いで書店を探した。この辺りのことが載ったガイドブックを欲しかっ
たからだが、書店そのものを見つけられなかった。代わりにコンビニエンスス
トアに入ってみたが、マガジンラックはあっても、目的の物はなし。
「ま、ぜひとも必要な物でもないから。携帯電話でも調べられるだろうし、い
ざとなったら地元の人に聞く」
「ロッジの管理人は」
「ああ、忘れてた」
 僕は彼女をテントスペースまで送り届けると、初めてあったときに聞き忘れ
たことを尋ねた。
「名前を教えてもらえませんか」

           *           *

 一ノ瀬メイ。

           *           *

 うだうだとお喋りを重ねて夜更かしはしたが、だからといって、目覚まし代
わりに悲鳴で起こされるとは、予想外だった。
 悲鳴と書くと、絹を裂いたような声を思い浮かべてしまいがちだが、このと
きのは踏み潰された蛙が発するような、性別不明の叫び声だった。
 上体を起こした僕の耳に、続いて、「シンデル!」という声が押し込められ
た。五味さつきのものだと分かる。最初の悲鳴も彼女が出したのなら、随分と
印象が違う。
 それから周りを見る。男三人相部屋なのだが、いるのは僕と魚里だけで、五
木の寝床は空っぽ。対照的に、魚里の奴は耳栓をして寝る質で、今も熟睡中で
ある。
 僕は時刻――七時四十分――を確認し、魚里を起こした。悲鳴があったこと
を告げると、魚里は眠たげに細めた目をこすりながらも、飲み込めたようで、
がばっと音を立てて布団を跳ねのけた。
「行ってみようじゃないか。どこから聞こえた?」
「分からない。誰かが呼びに来るかと思ったんだけどさ」
 結局、二人揃って部屋を出た。このとき初めて、窓からの眩しい光に気付い
た。昨日とは打って変わって五月晴れと分かったが、今はそれどころじゃない。
 息を詰めて耳を澄ませるまでもなく、ざわつきは、食堂のある方角からだと
知れる。木目調の、多分安物の板を踏み締めて駆け付けた。仕切りがほとんど
ないため、五味さつきら女性陣が呆然と立ち尽くし、あるいはひしと手を取り
合う姿が視界に飛び込んでくる。
「何が起きたんだ?」
 僕と魚里が同時に云った。一番冷静さを保てているらしい笹井が、五味の手
をやんわりと払って、こちらを向いた。斜め下、床の一点を指し示しながら、
濃淡のない声調で応じる。
「五木さんが……血を流して……亡くなってる」
 普段、職場では快活でしゃきしゃきとした一面ばかり見てきただけに、あま
りにも落ち着いた口ぶりがかえって違和感を生じさせる。
「まじかよ」
 上擦った物腰で反応した魚里は、口を鯉か金魚のごとくぱくぱくさせながら、
残るイライザと五味に目を向けた。
 僕は笹井の指差した方を見やり、五木の身体を認めた。そこは厨房に続く仕
切り扉のあるところで、五木はちょうど上半身を厨房の側に投げ出す感じで、
俯せに倒れていた。すぐ脇に小さな緑色の屑篭があって、昨日食べた魚の尻尾
や笹団子の葉っぱ、それに焦がして失敗した焼きおにぎりの残骸が覗いていた。
 五木の身体に近付くと、後頭部の辺りに赤黒い物が窺える。髪に埋もれては
いるが、血に間違いあるまい。事故か殺人かの判断はまだ無理だが、凶器らし
き物は見当たらない。だが、転んでテーブルの角にでもぶつけたような痕跡も
認められなかった。
 床にはじゃがいもや人参、たまねぎといった野菜が散乱していた。倒れた拍
子にぶつかったのか、持ち込んだ食材の段ボール箱が崩れていたので、そこか
ら昨晩の使い残しがこぼれたようだ。
 それらを踏まないように注意しながら、さらに近付く。念のため、脈を計り
たいと思った。
 慎重に、首と手首に触ってみたが、脈を感じることはできない。それどころ
か、かなり冷たくなっている。間違いなく、死亡していた。
「うん。亡くなっている」
 僕が口に出し、さらに気付いた点に言及しようとすると、癇癪を起こしたよ
うな反応が後ろからあった。
「だ、だから最初っからそう云ってるじゃない!」
 震え声の主は、五味さつき。僕の二年先輩に当たる。パーマが特徴的な派手
な感じの美人だが、実はぱっとしない素顔に化粧を超絶技巧で盛って、見られ
る容姿にしているとの噂を耳にしたのは入社直後のこと。
「電話は? 救急車が必要かどうか怪しいけど、警察は絶対に呼ばないと」
 魚里が尋ねたが、五味はとんでもないとばかりに、頭を左右に激しく振るの
み。
 イライザに顔を向けると、困惑した風に小首を傾げた。最前から、ブロンド
のロングヘアを忙しなくかき上げている。青い目を持つ整った顔立ちの彼女も、
今は憔悴の色が濃い。
 僕が五木の声を思い起こしていると、笹井が口を開いた。
「警察なんて考えもしなかった」
 腕組みをした彼女は、神経質そうに左手で右の腕をとんとんと叩いている。
「だってそうでしょう。まだ事件か事故か分からないんだし、動揺もしてたん
だから」
「非難してる訳じゃないんです。ただ、五木さんがこんな風にじゃがいもを握
りしめているのは、犯人を示そうとしたのかもしれない、と思って」
 僕はさっき気付いたことをようやく言葉にした。同時に、遺体の左手を示す。
そこには一個のじゃがいも――メークイーンが握りしめられていた。
「事件だという証拠になりませんか」
「確かに……事故としたら、じゃがいもを掴むより助けを求めるのが先ね。そ
うしなかったってことは、何者かに襲われた……」
「みんなで鍵を確かめましょう」
 僕の提案に、皆、不思議そうな表情を向ける。イライザがせっかちな調子の
日本語で、「どして?」と云ったのが、この場の雰囲気にそぐわなかった。
「強盗かもしれない。まさか今も潜んでいるとは考えにくいけれども、念のた
め、注意しないといけない。それにはまず、戸締まりがきちんとできていたか、
破られた窓やドアはないかを調べないと」
「なるほどな」
 魚里が奇妙な笑みを垣間見せた。
「外部犯が確定したら、警察に通報。逆に内部犯となったら、少々検討する時
間を持とうという訳だな」
「そこまでは云ってない」
「いやいや。はっきりさせておくべき点だ。よしそれじゃあ、みんなで回ろう」
 戸締まりのチェックが全員揃って行われた。結果を述べると、全て内側から
施錠され、ドアや窓、その他ロッジ内に異常はなし。さらにロッジのドアのキ
ーも、リビングのテーブルの上にあった。内部犯説が固まってきたのである。
「最初に五木さんがあんな風になっているのを見つけたのは誰?」
 リビングに引き返し、各自が席に収まったところで僕は女性三名に問うた。
「三人ともほぼ同時だったわ」と笹井が代表する形で答える。
「朝食を準備しなくちゃと思って、みんなで食堂に向かったのが七時半頃。起
きたのはもっと早かったのよ」
 身支度に時間を要したということだろう。それくらい承知している。僕は続
きを促した。
「厳密な意味で最初に見つけたのは、先頭を歩いていた私ね。声も出なかった
わ。俯せでも五木さんと分かって、すぐさま頭の傷に気が付いたから。足を止
めた私に、五味さんがぶつかって」
「そうそう。突然立ち止まるから、何よって腹立てそうになったんだけど、肩
越しに気味悪いものが見えて、怒鳴り声じゃなくて叫び声が出たのよね」
 五味は一気に喋った。遺体を見てほんの一時間弱経っただけで、もう普段の
自分を取り戻したようだ。
「三番目が私でした」
 イライザはまずそれだけ答え、顎に指先を当てると、上目遣いになって考え
る仕種をする。
「茫然自失というんですか。そんな感じになりました。恐かった。どうしよう
どうしようと、身体が勝手に震えました」
「分かりました。肝心なのは、そのとき明かりが灯っていたかどうか……」
「点いていたわ」
 笹井の即答に、五味もイライザも頷く。
「最初は天窓からの光に紛れて、気付かなかったけれど。ほら、今も点いてる」
 その通り、食堂の傘付きライトは、白い光を放っている。点灯は廊下からの
出入口の壁にあるスイッチで行うタイプだ。
「夜中に目を覚ました五木さんが、食堂の暗がりに人の気配を感じ、明かりを
点けたとは考えにくい。何故ならこの場合、明るくなったあと、五木さんは襲
ったことになるから、廊下に倒れていなくちゃおかしい。現実には五木さんは
奥に倒れていた」
「明かりが点いているのを見つけた五木さんが食堂に入った。そこを中にいた
何者かに襲われた……としても矛盾するわね」
 笹井の補足に、僕は「ええ」と応じる。
「他に考えられるのは、五木さんともう一人が夜中に食堂で会って、話をして
いた。その最中に諍いが起こった……」
「ふふん。さてさて、偉いことになってきましたよ、これは」
 ため息に苦笑いを交えて、魚里がこぼした。僕の見方を面白がっている様子
が窺える。
「恐らく、黒木さんは殺されたんだろう。鍵および明かりの状態から考えるに、
我々の中に犯人がいる」
「そんな」
 弱々しい声を漏らした五味。そこに被せるように、イライザが疑問を呈する。
「私達の中に殺した犯人いるなら、その人、どうしてドアも窓も閉めたままだ
ったか?」
「どういう意味です?」
「どこか一つ、ドアか窓開けていれば、ロッジの外から来た人を犯人だと思う
でしょう」
「ああ、そういう意味。ああ、なるほど」
 感心した風に首肯する魚里だが、じきに否定的意見を述べる。
「犯人が五木さんを殺したのは、きっとハプニングだったんだ。緊急事態に慌
て、動揺した犯人は鍵なんかに気が回らなかった。明かりが点けっ放しだった
事実ともぴったり符合するだろ」
「どうしても内部犯にしたいのね」
 笹井が批判的な調子で言葉を差し挟む。魚里も負けていない。
「外部犯だとしたらどうやって鍵を掛けたのか、説明が着かないじゃないか。
ロッジに抜け穴なんてないよな。スペアキーか? 真夜中にこしらえる時間が
ないはずだ」
「……認めざるを得ないようね。内部犯なら、通報をやめるのかしら」
「事故ってことで済ませりゃいい」
 しれっとして云い切る魚里。
「犯人以外にとっても、それが最良の選択だろうぜ。トラブル、スキャンダル
は出世の妨げ。殺し殺されるような予兆に気付かなかったのか!となっちまう。
事故死ならぎりぎりセーフだろうさ」
「そんなこと云ってあなたが犯人なんじゃないの?」
 五味の軽口に、魚里は鼻を鳴らして「違うよ」と答えた。
「そういった詮索を含めて、何もかもやめる。悪いことは云わないから、そう
しよう。な、な?」
「事故死にするのは賛成できなくもないけれど、私達の間だけでも、真実を掴
んでおいた方がいいんじゃなくて? でなきゃ、もしもあとで殺人だとばれた
とき、変に疑われる」
 態度を若干軟化させた笹井だが、魚里との溝は大きいようだった。
 そのとき、イライザが頃合を見計らっていた様子で口を挟んだ。
「どうやって犯人を見つけるですか? 事故死にするから名乗り出ろと云われ
て、犯人が正直に白状するとは思えません」
「各自の部屋や持ち物を調べたら、凶器が出て来るかもね」
 笹井はそう答えたが、自分でも期待していないのか、投げ遣りな感じだった。
そして重ねて云う。
「何となく、気付いてたんだけど……厨房の上の戸棚にフックがあるでしょ。
そこからぶら下がっていたフライパン、なくなってるのよね」
 笹井の差し示した先には、金属製のフックだけがあった。なるほど、確かに
灰色をした丸いフライパンが掛かっていた気がする。
「で、洗い物を置く篭に、そのフライパンらしき物が載っている」
 彼女の指先が空間を横切る軌跡を描き、やや斜め下で止まった。その言葉通
り、フライパンが裏向きに置いてあった。
 僕は昨晩の記憶を、脳細胞のぬかるみから努力して引き揚げる。
「……あれを洗ったの、僕だけど、食器が多いからと云われて、篭に置けなか
った。仕方がないからタオルで水を拭き取って、フックに掛けた。思い出した」
「誰かフライパン、移動させた覚えのある人?」
 笹井が場を見渡すが、反応はなし。沈黙に鳥の囀りが混じったとき、魚里が
云った。
「犯人がやったんだな。どんな風に事件が起きたのかは、これで大凡分かった。
何らかの発作的な理由から、フライパンを手にし、五木さんを殴り殺した。そ
の後、フライパンを洗うことだけは思い付いて実行し、それ以外の偽装工作を
せずに現場を離れた。不自然なところはない。事故に見せかけたかったのなら、
テーブルの角にでも血を付けてくれりゃよかったんだけどねえ」
「今からやれば? 魚里君が。得意でしょ、そういうの」
 五味の発言が皮肉っぽく響く。魚里は弛れたため息をわざとらしくついた。
「全員の同意と、他言無用の確約が取れるのなら、引き受けてもいいな。だが、
笹井さんはどうやら犯人を知りたくてたまらないみたいだ」
「当然でしょうが。殺人犯と職場で席を並べるなんて、想像しただけで鳥肌が
立つわ」
「ふむ。分からなくもなし。じゃ、事故死に見せかけることに賛成か反対か、
多数決を採るのはどう?」
「……私はかまわないわ。ただし、条件付きでね」
「条件とは?」
「五人で決を採るなら過半数は三だけれど、この場合、犯人は当然、事故死で
済ませることに賛成するはずよね。反対派の不利は最初から明らかなんだから、
ここは二票が入ったら、反対派の勝ちってことに」
「うーん……」
 否とも応とも返事をせず、ただ低く唸った魚里は、笹井を除く僕ら三人の顔
を順に見ていった。それが終わると、再び笹井に焦点を合わせる。
「案外、真犯人も自分が疑われないように、わざと反対に回るかも」
「それはないんじゃない? 少なくともあなたが賛成に回ると分かっているの
だから、真犯人も安心して賛成に回れるわ」
「……確かに。でもなあ、その条件を呑んで多数決となると、反対派が勝つ予
感がある。イライザさんと五味さんはともかくとして、飯田」
「ん?」
 急に呼ばれて、僕は薄ら笑いを浮かべてしまった。
「おまえはもしかすると、反対か?」
「どちらにでも靡く浮動票的存在さ。ただ、これからの平安のために、犯人を
知りたい気は充分に持ち合わせている」
「けっ。つまり、反対二票は確定ってことだな。しかし、どうやって犯人を突
き止める? 云っておくけどな、事故死に見せかけるにしたって警察に知らせ
る必要がある。通報は早い方がいいに決まってる。だから……ぎりぎり九時ま
でに結論を出さないといけないぜ」
「うん。手がかりは……まず、じゃがいも。それから、夜中に物音を聞いたっ
て人がいれば、新たな材料になる」
 僕は皆の発言を促したが、昨晩から今朝方に掛けて、誰も何も聞いていない
ようだった。尤も、少なくとも犯人は嘘をついた訳だが。
「結局、じゃがいもだけか」
「何か分かる? 犯人を差し示しているようには思えないわね」
 五味が端から推理を放棄したように、椅子に座ったまま大きな伸びをした。
「じゃがいも……いも。センスのない人をいもと呼ぶことがあるけれども」
 笹井がそこまで云って語尾を濁した。この中に極端にセンスが悪い者はいな
いし、いもと呼ばれるような者もいない。
「ポテトと解釈しても、つながりませんね」
 イライザが、一応云っておこうという風に口を開いた。異国の地で事件に巻
き込まれた不安からか、目に落ち着きがない。心なしか、今の彼女は小さく見
える。
「昨日の晩飯で、じゃがいもを一番食った奴が犯人、とかじゃないだろうな。
いや冗談だよ、冗談」
 魚里は自分の意見が非難の目を集めたと気付き、慌て気味にフォローをした。
そして疲れた様子で椅子の背もたれに片腕を載せると、「煙草、いいか?」と
皆に聞いた。今回のメンバーで、煙草を吸うのは彼だけだ。無論、残る五人全
員が嫌煙家という意味ではない。
「仕方がないわね。かまわない」
 嫌煙家である笹井は立ち上がると、換気扇を回しに厨房へと行った。五木の
遺体に一瞥をくれたが長く見続けることはできないようだった。
「タイムリミットまで三十分弱か。腹も空かないな」
 僕がつぶやいたその刹那、ロッジの玄関の方で激しいノックがあった。
 全員、緊張した面持ちを見合わせた。

           *           *

 彼女は云った。“メーデーで主役を張ったことある?”

           *           *

 朝からの予期せぬ来客は、“彼女”だった。そう、一ノ瀬メイと名乗った彼
女が、僕を訪ねてきた。
 僕が事件についてみんなから口止めされたのは云うまでもない。だがしかし、
彼女は玄関口で僕を一見しただけで、
「何が起きたんだ?」
 と聞いてきた。一瞬の内に、何かがあると見抜いたらしい。それでも即座に
認める訳に行かない。とぼけるに限る。
「何の話です?」
「血が着いている」
 いきなり云って、僕の左肩口を指差してきた。まさか?と反応して、右手を
肩に持っていったのが運の尽き。
「君、分かり易いね」
 左肩に血など着いていないことを確かめ、きょとんとしていたであろう僕に、
彼女はにんまりと笑った。
「流血沙汰があったんだ?」
「ひ、引っかけましたねっ」
 声の裏返った僕は、次に「どうして分かったんです」と聞いた。
「説明する義務はないけれど、今日は急を要するみたいね。特別サービス。声
の調子と顔色から、もしやと思った」
「全然説明になってません」
 この人はいつもそうだ。二年と一ヶ月前に、僕の殺人を未遂の段階で看破し
た際も、理由の全ては証してくれなかった。銃を脇に隠していたことぐらいは、
服の盛り上がり方や腕の動きの不自然さで分からなくもないだろうけど。
「あと、血の臭いがしたから」
「嘘でしょう?」
「いいから早く、全てを話しちまいなさいって」
 変な日本語で急かされて、それでも躊躇する僕に、彼女は更に恐ろしいこと
を続けた。
「云わないと、二年前の四月のこと、公にする」
 ……我ながら呆気なく陥落。僕はロッジで起きた出来事を話した。魚里らに
不審がられないかと気になるも、彼女から問われるがままに詳細を伝え切った。
「簡単じゃないの」
「……何か簡単なんです?」
「イライザさんを問い詰めたら多分、白状する。今の彼女はまだ精神状態が不
安定に違いないから、ちょっとつつけば認める。動機は本人から聞くこと」
「あ、あの。五木さんを殺害したのは、イライザさんだと?」
 強張る頬を懸命に動かし、そう問うた僕に、相手はロッジの天井やら壁やら
床やらを観察しながら、いかにも適当な感じで相槌を打った。
「何故、そうなるんですか」
「どうでもいいじゃない、そんなくだらないこと」
「よくない。説明してもらわないと、僕がイライザさんを問い詰められないじ
ゃないですか」
「あー、なるほどねっ」
 彼女の声が大きくなったので、僕は冷や冷やした。幸い、誰も出て来る気配
はない。最初に彼女を出迎えたあと、一旦引き返して、皆に「昨日の買い出し
のときに知り合った人だよ」と説明した効果が、まだ残っているようだ。
「ならば、手短に話してあげる。握ってたじゃがいも、メークイーンだった」
「ええ」
「イライザは五月祭で女王を務めた。メイクイーンだ。イライザの他にメイク
イーンを務めた人物は、関係者の中にいない」
「……はあ?」
 駄洒落じゃないか。僕は怒鳴りつけたくなった。
「君は知らないようだけど、五月祭を英語でメーデーという」
「……労働者の祭典と同じなんですか」
「そ。メーデーの女王だから、メイクイーン。本当よ。綴りは一緒だけど、日
本語で表記するときは、じゃがいもの方は必ずメークイーンと、メのあとを伸
ばすみたいね」
「雑学は結構です。それよりも、たったそれだけのことで、決め付けていいん
でしょうかね。確かに五木さんは、イライザがメイクイーンを務めたことをよ
く知っていたし、印象に残ってたでしょうけど」
「他の誰が犯人であっても、じゃがいもを掴むはずない」
「うん? どういうことですか」
「君が犯人だったなら、五木さんは焦げた焼きおにぎりを掴んだはず。飯つな
がりでね」
「え」
「笹井さんが犯人なら、笹の葉っぱを掴んだでしょう。笹団子を持ってくるな
んて珍しい気がするけれど、端午の節句だからたくさん売ってたのかしら」
 それはどちらかと云えば柏餅……。
「魚里さんなら、焼き魚の食べかすの尻尾でも握りしめたらいいし、五味さん
にやられたのなら、ごみ箱をそのまま抱けばいいのよ」
「で、でも。他の何かと間違えて、じゃがいもを掴んだ可能性だって」
「ゼロとは云わない。でも、食堂は明るかったんでしょう? いくら瀕死の状
態でも、見間違えない」
 考え込んでしまった僕の前で、彼女は風を起こしてきびすを返した。面を上
げた僕に、後ろ向きのまま片手をひらひらと振る。
「早いとこ片付けて、ちょっと出て来てよ。バスを待つまでの間、暇で暇で仕
方がない。暇つぶしに付き合ってほしいんだよね」
「……警察を呼ぶから、ご要望に添えられそうにないんですが」
「あ、そうなの」
 木製ドアのノブに手を掛けて出て行こうとした彼女の動きが止まる。顔だけ
振り返った。
「それじゃあ、次も偶然の再会に期待して、さよならとしましょうか」
 少し、いや、だいぶ困る。いつの間にか、僕は彼女に参っていた。
「一ノ瀬さん。名前の次は、連絡先を教えてくれませんか?」

――終





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