#352/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 10/01/18 23:58 (307)
お題>巡り巡って 前 永山
★内容 18/07/09 10:42 修正 第3版
恋人の藤前久司が殺された。刺殺だった。
彼を失ってから、二日が経とうとしていた。
夜、眠っていた私の夢に、ハンサムなピエロが登場した。そして彼が言う、
「後川慶子、君は当選した」と、かすれ気味の声で。
「人が死ぬ度に、くじ引きが行われる。当たる確率は非常に低いくじだ。くじ
は二度。一度目は、その死者自身を対象とする。死者が当選すれば、次は死者
を一番大事に思っていた者を全員列挙し、そこから一人を選ぶ。その者に与え
られるのが、大事な人の死をなかったことにする機会だ。機会を生かし、現実
にできるかどうかは、選ばれた者、つまり君次第」
私は黙って聞いている。どうせ夢だと思ったのではなく、一言一句聞き逃す
まいと、集中するために。
「与えられる機会とは、君が過去の世界に介入する権利だ。権利を行使できる
のは一度きり。大事な人――藤前久司の死の十三時間前を起点とし、そこから
最大で十二時間、過去への滞在を可能とする。藤前を死の運命から救うことに
成功すれば、君が過去に滞在中になした全てが現実になる。失敗に終われば、
全てはなかったことになり、藤前の死はそのまま確定する。過去にいる間に、
何らかの理由で君が命を落とすと、それもまた現実となるので、充分に注意を
することだ。
質問があれば、答えられる範囲で受け付ける。時間は十分間」
えっと。
涙を流すメイクをしたピエロにじっと見つめられ、私は戸惑った。考える。
尋ねたいことはいっぱいある。けれども時間を区切られたせいもあってか、優
先順位を決めかねて、すぐには出て来ない。とにかく聞こう。
私が過去にいる間、その時代に元々いる私はどうなるんですか?
「気にする必要はない。何故なら、君がその時代の君、後川慶子になるのだか
ら。君は藤前久司が死んだという記憶を持って、過去の君になる、と言えば分
かるだろうか」
私は頷いた。次の質問は……。
過去に持って行きたい物がある場合、持ち込めますか?
「できない」
だめか……。彼に直接、「あなたは十三時間後に死ぬから注意して!」と言
っても信じまい。だから、死んだ様子を収めた映像でも持ち込んで見せれば、
信じるんじゃないかという思い付きだったんだけど。
他に聞いておくべきことは、そう、もっと本質的な問題。
私が権利を放棄すれば、どうなるんでしょうか?
「何も変わらない。藤前の死が確定し、世界は淡々と歩み続ける」
いえ、そういう意味ではなくて、放棄した権利が、藤前久司を大事に思う他
の人、たとえば彼の両親に譲り渡されるのか、それとも全くの無駄になるのか。
「権利は消滅する。次に人死にが出れば、改めてくじが引かれる。君の権利放
棄により、次のくじの確率が上がることもない」
それなら私がやるしかない。自信がなくても、覚悟を決めなければ。
「質問はもう終わりか?」
決心を固めるため、無言になった私に、ピエロが聞いてくる。急いで応じた。
彼、藤前久司の死が、殺人だということはご存知だと思います。彼を殺した
犯人の行動を食い止めるために、私が事前に犯人を突き止め、たとえば殺して
しまったら、どうなりますか。
「特別なことは何もない。君のいる国の法律に従って、粛々と処理されるであ
ろう。藤前の命が助かるのは確かだが」
仮に正当防衛が認められたとしても、人を死なせるような事態に陥るのは嫌
だ。犯人に暴力で対抗するのは、どうしても彼を助けられなかったときの、最
後の手段。そう心に留め置く。
他に知っておきたいこと……そうだ。
私が元の時間に戻ってくる、そのとき、過去の世界ではどうなるんですか。
いきなり、私の姿が消える?
「そのような不自然さが生じないよう、こちらで調整が行われる。どうしても
不自然さが生じる場合は、関係した者の記憶をいじる。無論、君が藤前久司を
救うためにした行動全てが及ぼす結果には影響がないように、だ。だから安心
していい。ただし、君が我々の調整を受け入れない場合は、注意を要する。藤
前以外の者の生命に関わってくるかもしれないと、警告を発しておこう」
気になる警告だけれど、帰りの心配をしなくていいのは、とても助かる。消
える瞬間ぎりぎりまで、彼のために使えるのだから。
私は制限時間を意識し、最後の質問と思って聞いた。
過去に、その、出発するのはいつからですか。タイミングを選べますか?
「できない。この眠りから覚めたとき、君は過去に飛んでいる」
そうか。なるべくなら、警察の捜査を待って、犯人の目星を付けてから行き
たかった。無理なら、仕方がない。自分の頭脳を信じる。幸い、ある程度は警
察から捜査の進展を聞いている。それを元に考えを推し進めれば、先手を取れ
る訳だから――。
瞬きをする。うたた寝をしていたんだと理解すると同時に、すぐ目の前――
少し斜め左には、彼の顔があった。
生きて、動いている藤前久司。その姿を確認する。ピエロの言葉、本当だっ
たんだ。思わず、彼の方に手を伸ばし、触れようとした。届かず、もどかしい。
「お目覚めですか、後川サン?」
語尾に変なアクセントを付けて、彼が聞いてくる。彼、藤前久司は何かの書
籍を手にしていた。論文集だ。二年生でもう卒論の準備ってことはないだろう
けど、やっぱり勉強家だな、藤前は。この前だって、大学図書館で論文だか専
門書だかの取り寄せを依頼していたし。
二脚並べた長机を挟み、お互いパイプ椅子に腰掛けている。ここは……部室
だ。私達の通う大学の、クラブ棟三階にある、いや、そんなことよりも。
私は急いで携帯電話を取り出し、ディスプレイを凝視した。日付と時刻を確
かめる。
十二月十七日、十時四十分。
「え、十時四十分!?」
叫んでしまった。
はっとして藤前を見やる。彼は表情を固まらせ、こっちをまじまじと見返し
ていた。ぱたり、本を閉じる音がした。
「何でそんなに驚くの。午前の一コマ目が終わったら、だいたいこれくらいに
なると分かってるだろうに」
「そ、それはそうだけど」
「まだ夢の中だったか? それとも、何かする予定があったのに、眠りこけて
しまった?」
私は苦笑いでごまかしつつ、内心で計算をした。
目が覚めたのは多分、十時三十六分か三十七分ぐらいだろう。そこから十三
時間、時計の針を進めると、午後十一時半を少し回った頃。この時間帯に、彼
は殺された? いや、大学生なんだし、学校ももう休みに入るんだから、深夜
に起きていることは全く不思議じゃない。そんな時間帯に人と会うことだって
ある。
私が驚いたのは、死んだ時刻そのものに、だ。
警察から教えてもらった話だと、死んだのはもっと夜遅く、十二月十八日の
午前一時半前後と思われると聞いた。確か、科学的見地から死亡推定時刻を午
後十一時半からの二時間とし、そこへ関係者の証言を総合的に考慮検討するこ
とで、犯行時刻を午前一時半頃としていたはず。科学的な推定幅に含まれてい
るとは言え、二時間もずれるなんてある? 部屋で死んでいる藤前が見付かっ
たのは、同じ日の朝十時過ぎ。さほど時間が経過しているとは思えない。季節
や室温の見込み違い?
ただ、藤前の部屋の鍵は開いていたため、顔見知りの犯行とする線が有力視
されている。つまり、証人の中に嘘つきがいるのかもしれない。嘘をついてい
る人物がいれば、その人が犯人である可能性は、非常に高いんじゃないかしら。
私は記憶――未来から持って来た記憶を、懸命に手繰った。できることなら
書き出したいが、彼のいる前ではやりづらい。早めに一人になって、各人の証
言を照らし合わせなきゃ。
「――慶子。慶子? どうしたの、ぼーっとして」
藤前に肩を揺すられ、我を取り戻す。下の名前で呼ばれることは、学内では
あまりない。
「ごめんごめん。ちょっと考えごとしてた」
笑ってみせてそう言うと、私は近くまで来た彼の手を取り、存在を感触で確
かめた。間違いなくいる、このときまでは。藤前をあと十三時間足らずで失う
なんて、絶対に嫌。
「ねえ、お昼を食べたあと、どこか行かない?」
アリバイを検証しなくても、彼を殺人が行われたアパートに帰らせなければ、
あるいは犯行を防げるかもしれない。思い付いた私は、だめもとで誘ってみた。
前々から、今日十二月十七日が終わると、大学が実質的に冬休みに入る。当然、
帰省する人は大勢いて、藤前の入っているアパートでも同様だ。伝統的に、今
夜はアパートの学生仲間全員で忘年会を開くことになっていると聞く。
「三時ぐらいまでなら付き合えるけど、夜は無理だな。前も言ったように――」
「そこを何とか。クリスマスの前倒しのつもりで」
冗談めかし、手を拝み合わせる。藤前にわがままを通そうとして、すねたり
だだをこねたりしても逆効果だと、経験上承知している。あとのことも考える
と、今、強引に出るのは得策じゃない気がする。でも、着実に迫ってくるタイ
ムリミット。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、無理矢理にでも誘うべき?
「無理だよ。今年の幹事なんだし。クリスマスの前倒しじゃなく、二度あるな
らまだしも、なんてな」
「え。もちろん、クリスマスもデートするわよっ」
勢い込んで反応したが、彼は冗談だよと言うだけだった。
「でもまあ、そんなに一緒にいたいって言ってくれるのは、嬉しいと思わない
とな。アパートに来るか」
彼の目を見る。今度は一〇〇パーセントの冗談ではないみたい。
彼のアパートに行ったことがこれまでなかった訳じゃなく、何度か上がり込
んでいる。掃除や片付け、あるいは料理を作るぐらいで、泊まりはなかったけ
れども、八人いる他の入居者――男子学生ばかり――のほとんどとも顔馴染み
である。
だから、誘われて拒む理由は何もない。でも、今おかれた状況下だと、“普
段ならば”という但し書きを付けなければいけない。
果たして、私が藤前のそばにいることで、殺人犯の凶手から彼を救えるだろ
うか? 仮に藤前が殺されそうになる正にその場に、私が居合わせられるのな
ら、あるいは可能かもしれない。しかし、ピエロの言葉を信じるなら、私は犯
行の一時間前に、この時空?から元いた時空へ強制送還されてしまう。一時間
前までに女の私に何ができるだろう……。
ううん、だめだ、こんなことじゃ。迷っていても仕方がない。
「うん、行く。折角だから、みんなで食べられるような何か、作って持って行
くね。おでんは時間が厳しいから……」
「あんまり張り切らなくていいよ。あいつらに食べさせるのは惜しい。酔っ払
いだからな、味が分からん」
「じゃあ、藤前の分だけ、別に作ろうかな」
「それ、いいな」
いつものような他愛のないやりとりも、感情が表に出ないようにするには、
相当な努力が必要だった。
藤前との昼食が済むと、私はすぐさま自宅マンションに戻った。名目上は、
忘年会に持って行く料理を作るため。
けれども実際は、料理は出来合いの物を買ってきて、それっぽく器に盛るつ
もり。上の空でこしらえても、きっとひどい味になるに違いないから。それよ
りも、彼を救うために何ができるか、どうすればいいかをじっくり考えたい。
最初にすべきは、証言の検討だ。
大きな紙がいいと思い、残り一枚になったカレンダーを外し、裏返した。テ
ーブルに置いて、マジックを構える。キャップを外しながら、関係者の証言を
一つずつ思い出そうと努める。記憶はまだまだ鮮明で、その内、有力な容疑者
が浮かび上がってきた。
ランダムに並べると分かりにくくなりそうなので、とりあえず、当日いたア
パートの住人を列挙してみる。
東田幸一、今野裕太、白木公博、野島四郎、岬彦丸。以上五名と聞いた。全
員が藤前の部屋で開かれた忘年会に参加している。ちなみに、藤前の部屋が会
場になったのは、スペースを一番広く取れるからという理由だった。
忘年会は夜十時でお開きになったが、五人の内、岬さんだけは九時前に座を
辞した。というのも、岬さんはこの日、帰省の途につくことになっていたため。
岬さんは、アパートを離れる段階で、藤前を含めた五人全員が元気だったこと
を証言している。もちろん、みんな多かれ少なかれ酔っていたらしいけれど、
藤前について言えば、泥酔ではなかったらしい。
岬さんは鉄道での移動の途中、時間に余裕ができた折、藤前に改めて礼を言
うため、彼の携帯電話に掛けていた。が、電波の状態がよくなかったのか、つ
ながったと思ったらすぐに切れてしまい、それっきりにしたという。これが午
後十一時四十分頃。
他の忘年会参加者は、予定通り午後六時からスタートし、お開きになる午後
十時まで、ずっといた。片付けが済むと皆、自分の部屋に戻っている。内、警
察が死亡推定時刻を絞り込むのに役立つ証言をしていないのは、白木さん。こ
の人が一番酔っ払っていて、部屋に戻るとすぐに眠り、朝まで熟睡していたと
のことだ。
野島さんの証言は、大なり小なり関わってくる。遅くとも十一時過ぎには床
に就いたらしいが、日付が変わって午前一時半頃、がたんという物音を耳にし
た気がして起こされた。音の原因を探りに行くことはせず、そのまま再び眠る
が、三十分後にまた目が覚める。煙草を吸おうとライターを探すが見当たらず、
忘年会をした藤前のところに忘れたと考え、部屋に向かうが、明かりは消えて
おり静かだったのでノックもせずに引き返すと、コンロで火を着けて一服して
から、みたび眠りに就いた。
酒豪ぶりで知られる東田さんと今野さんの両名は、まだ飲み足りないとばか
り、防寒対策をして街に繰り出していた。前もって約束を取り付けていたよう
で、知り合いの女子大生達と合流し、近くのカラオケに向かう。店に着いてか
ら一時間ほどして、男と女の人数を揃えるという名目で、藤前に電話をし、呼
び出そうとしている。彼女(私のこと)のいる藤前を呼び出そうとした理由を、
警察は問い質していた。答えて曰く、他の二人の酔い具合を見て、とても来ら
れまいと判断したから、と。
今の私にとって、ここからが肝心。東田さん達が電話したのは、午後十一時
四十五分。このとき、藤前は電話に出て、誘いを断ったというのだ。
おかしい。藤前の死が十一時半過ぎなら、電話に出られるはずがない。東田
さん達は嘘をついている? 私は紙に大きくクエスチョンマークを書いた。東
田さんと今野さんはこのあと、夜中の三時頃になって帰宅したとのことで、警
察が打ち出した犯行時刻にはアリバイがある。
アパートの住人以外で、関係のある証言をしたのは二人。
一人目は部の後輩、山西菜々美。連絡係の彼女はこの日、藤前に伝え忘れて
いたことがあったのを夜になって思い出した。そして山西は、常識外れだが警
察にとってはある意味ありがたいことに、午前0時二十分という真夜中にも関
わらず、藤前に電話を入れた。このときも電話はつながり、眠そうな声で応答
があったという。謝意と用件を伝えると、「ああ、うん、分かった」と籠もり
気味な返事があり、通話は終了。
山西の証言も、藤前の死後に彼と会話したことになり、怪しくなる。疑問符
を付けざるを得ない。
もう一人の証人は、河原崎雷蔵。学生アパートの管理人をしている、中年の
おじさんだ。といっても常駐ではなく、緊急時以外は、週に一度ぐらいのペー
スで様子を見に来る。事件当日は、見回りするつもりはなかったが、天気予報
で明け方には急速に冷え込むと聞いて、アパートの配水管等が大丈夫か気にな
った。人と会う用事が生じたこともあり、ついでにアパートまで足を運んだと
いう。それが午前一時前後。全ては建物の外でできる作業だし、時間が時間だ
ったこともあって、学生には声を掛けていない。ちなみに、どの部屋の明かり
も消えていたと語っていたはず。
私は、河原崎管理人にはアリバイが成立することを思い出した。当日午後十
一時までは第三者と一緒に麻雀店におり、さらにその店から、犯行時刻である
十一時半過ぎまでに、アパートに駆け付けることは不可能だった。この人は犯
人ではない。一度は書いた名前の上から、二重線を引いた。
それにしても、もしも犯行が午前一時半なら、その三十分前に、部屋の明か
りが消えているというのは解せない。顔見知りの犯行を前提にすると、ノック
の音に目を覚ました藤前が明かりを点け、鍵を開け、相手を中に入れて、多少
は話をするものじゃないかしら? やっぱり、午後十一時三十六、七分に藤前
は殺されたんだと思う。私はピエロの不思議な能力だけでなく、ピエロの行為
が善意に裏打ちされていることを信じる。
一応、絞り込めた。証言に怪しいところがあるのは、東田さん達――東田さ
んと今野さんの二人で一組とみていいから、こう呼ぶ――と、山西菜々美。彼
らの内、午後十一時三十分前後のアリバイがあるのは?
まず、山西菜々美は、マンションで独り暮らしをしているから、アリバイは
なかったと聞いた。
一方、東田さん達は女子大生達とカラオケ店にいた訳だから、アリバイが成
立することになるが、証言が疑わしい今、そう簡単に認めていいものだろうか。
あの店は学生アパートからさほど離れていない。警察が、野島さんが耳にした
物音を主な理由に、犯行時刻だとした一時半にアリバイがあるのも、怪しい気
がする。時間が来れば自動的に音を出す細工なんて、簡単にできるだろうし、
携帯電話に着信履歴があるのだって、藤前の分を勝手に拝借すれば問題ない。
そして発見時のどさくさに紛れて、携帯電話を戻す。
こう考えてくると、山西の証言した、0時二十分の電話に死んだはずの藤前
が出たのだって、東田さんか今野さんのどちらかの仕業だったのかも? 寝起
きでくぐもったような声だったというから、あの子もごまかされた……。
いい線を行っていると思えてきた。だけど、東田さん達がカラオケ店にいた
というアリバイをどうにかしないと、二人の犯行だとは断定できない。まさか、
野島さんか白木さんのどちらかが第三の共犯で、実行犯? しかし、それだと
東田さんと今野さんばかり安全圏にいて、実行犯だけが損をする。あり得ない。
東田さん達二人が犯人なら、二人が組んだ意味があるはず。一人がアリバイ
を作って、もう一人が実行犯というような。
私は警察から聞いた話を思い返した。東田さんばかりが証言をしていて、今
野さんが出て来なかった印象がある。
もしかすると……今野さんは悪酔いしてトイレに籠もったように見せ掛けて、
こっそり店を抜け出し、アパートに向かったんじゃあないかしら?
今ここで確かめる術がないのが、もどかしい。元いた時空に戻り、女子大生
達に聞けば、多分、今野さんをほとんど見掛けていないことがはっきりするに
違いないのに。
今いる時空で、彼らの犯行であると確かめることはできるか? まだ起きて
いない殺人の証拠なんて、あろうはずがない。
やれるとしたら、犯行計画の証拠を押さえるぐらい。文章にしているとは考
えにくいけど、東田さんか今野さんのどちらかが、凶器を準備しているかもし
れない。凶器は確か、真新しい登山ナイフだった。
あるいは、動機を突き止めて、問い詰めるとか。そういえば、東田さんと今
野さんが犯人なら、どうして藤前を殺そうとするんだろう? 藤前から二人に
ついて悪い話は聞いてないし、実際に会ってみても、気さくで感じのよい印象
を受けた。強いて言えば、今野さんの方が若干暗いイメージがあるけれども。
このあと藤前に会ったら、聞いてみないと。
買ってきた串揚げの素を揚げて手料理風に仕立てると、ソースだけはオリジ
ナルの物をこしらえ、格好を付けた。容器を携え、マンションを出る。時刻は
午後四時。あと約六時間半しかいられない。彼のアパートには、一人で直接向
かうことにしている。普通に忘年会にお邪魔させてもらうだけなら、まだ早い。
でも、早めに行って、東田さんや今野さんと直接話し、探りを入れるのはどう
だろう? 無駄かどうか分からない。危険かもしれない。可能ならば、接近し
て、凶器の存在を明らかにしたい。無理?
そもそも、凶器を見つければそれでいいの?
頭の中で引っ掛かっていることがある。言い換えれば、ピエロに質問しなか
ったことを後悔している。それは――東田さん達が犯人で、私が凶器を取り上
げることに成功したと仮定する。その場合、もう殺人は起きないのか。それと
も別の凶器で犯行はなされるのか。あるいは、私が今、河原崎管理人にお願い
して、アパートへの見回りを一時間半ほど早く、夜十一時半頃にしてもらった
として、その時間に殺そうとしていた犯人は、管理人の気配を感じ取って犯行
を中止するのか。それとも、管理人をやり過ごしてから犯行に及ぶのか。
目的が、犯人を捕まえるためだったら、いくらでも手はあると思うの。でも、
それじゃあだめ。“ここ”に来た甲斐がない。藤前はまだ生きている。死なせ
ないようにするには、どこまですれば完璧なの? ピエロに尋ねたみたいに、
犯人を殺さなきゃいけないなんてことはないと信じたいのだけれど……。
迷っていても始まらない。限られた時間、有効に使わないと。アパートに向
かおう。
電車とバスを乗り継いで向かう間も、何かできることはないかと考え続けた。
たとえば、忘年会の済んだ後、藤前を誘い出してくれるよう、部の何人かに頼
むのはどうだろう。彼をアパートから遠ざければ、事件は防げるかも。私自身
が彼を誘ってもいいんだ。十時半過ぎに、今のこの私は戻ってしまうけれど、
あとはこの時空の本来の私がうまくやってくれるんじゃないか。
それとも、懸念しているように、殺人現場から遠ざけるだけじゃ、だめなん
だろうか。今日の犯行を防ぐ以外に、有効な手段て一体……分からない。悩ん
でいるだけで、時間は過ぎ、最寄りのバス停に到着してしまった。徒歩で五分
も行くと、学生アパート。もう見えてきた。
覚悟を決め、門柱の間をくぐった。
――続く