#351/598 ●長編 *** コメント #350 ***
★タイトル (AZA ) 09/11/30 00:52 (243)
お題>嘘のない世界 2 永山
★内容
メル刑事は数日後になるかもと言っていたが、実際には翌日の朝になった。
捜査の成り行きを頭の片隅で気にしつつ、今日も写真屋を始めるか、いや、あ
のカメラには触らないようにすべきかな等と迷っていると、顔馴染みになった
制服警官が現れたのだ。
「おー、ちょうどよかった。キムラさん、おはようさん。今日も商売ですかな」
「あ、おはようございます。ええっと……?」
「本官の名前だったら、ヘンデルス。ゾーン・ヘンデルス」
「ヘンデルスさん、おはようございます。写真屋は、今日はどうしようかと迷
っていたところでして」
「だったら、話す時間はあるってことだ。メル刑事からの言伝を預かってきた」
「随分早いですね。ひょっとすると、一発で解決しましたか」
「いや、それが……」
ばつの悪そうな顔をなす。不可解な振る舞いをしていたバンド・シリンガム
だが、殺人犯ではなかったのだろうか。私がその思い付きを口にすると、ヘン
デルスは「正にその通り」と認めた。
「コルト・シリンガムを殺害したのはおまえかと、バンド・シリンガムを問い
質すと、沈黙を挟むことなく、違うと答えたんだ」
「メル刑事は次に当然、空白の時間に関して尋問したんでしょうね?」
「いや、それは後回しだ。メル刑事が先に考えたのは、バンドが家族の誰かを
庇っている可能性だった。そこで、コルトを殺したのはおまえの家族の誰かか
と聞いた。すると奴は、これまたいいえと答えた」
「沈黙でもなく、『知らない』でもなく、きっぱりと否定したんですね」
「ああ。このあと、あんたがさっき言った通報の遅れについて、問い質した。
これには最初、だんまりだった。だが、なだめすかして繰り返し尋ねる内に、
少し喋らせることができたんだ。コルト・シリンガムの遺体に何らかの手を加
えたかという質問に対し、肯定の返事を引き出せた」
「それってもしかすると、いや、恐らく、首を切断した……」
親の首を鋸で切るなんて、あるのか。信じ難いが、そう考えるのが一番筋道
が通る。
「メル刑事もそう考え、重ねて問い質した。バンドは黙秘しようとしたようだ
ったが、結局、口を割ったよ。殺したのはバンドじゃないが、首の切断はあい
つの仕業だ」
「どうして黙秘を通さないんでしょう? いえ、証言を信じない訳じゃないん
ですが」
「ああ、キムラさんには説明しないと分からんだろうな。何かを答えさせる質
問ではなく、はいかいいえで答えられる質問に限れば、答えまいとすればする
ほど、嘘をつくのと同等になるんだ。黙り通すのが苦痛になってきて、しまい
には答えざるを得なくなる」
だったら分かる。私は経験できないが、さぞかし生きにくい世界に違いない。
それにしても……事件は混迷の度合いを増したようだ。コルト・シリンガム
を殺した者は不明だが、頭部切断はバンド・シリンガムの仕業。まずは切断の
理由を聞き出したいところだが。
「何で首を切ったのかは、今朝までに白状していない。メル刑事は別の攻め手
を思案している」
「……足跡は材料になりませんか」
「足跡? そういえば事件の発生前に雨が降って、泥んこ状態になっていたっ
けな」
「足跡は発見者であるバンドのものが、一往復していただけで、あとは皆無だ
ったと記憶しています」
「そうだったかな」
首を傾げるヘンデルスに、私は例のカメラを持って来て、該当する画像を示
しながら、メル刑事にも指示されたことを話した。
「メル刑事が重視するように言ったなら、間違いないんだろう。で、これが?」
「その前に……死亡推定時刻は出ていますか」
「確か、午前十一時から午後一時までだ」
「昨日の雨は十時にはやみました。シリンガム家のある辺りでも大差ないでし
ょう。殺害方法が何らかの自動装置を用いたものか、あるいは犯人が宙を飛べ
るかしない限り、犯人は離れから抜け出せない。足跡がないのだから」
「……その話、ぜひ、メル刑事にしてくれ」
職業柄、とするのが適切かどうか分からないが、元いた世界でも警察署を訪
ねたことは何度かある。元の世界とこちらの世界はほとんど同じで、警察署も
似通っていた。暮らしている人物は欧米風なのに、建物が欧米風でないのが不
思議と言えば不思議だが、ひょっとすると私の心象風景が投影されるのかもし
れない、なんて想像をしてみた。
「足跡には私も気付いていました。今日の午後にも、あなたの写真で確認を取
ろうと思っていたのですよ」
メル刑事とはロビーで会えた。衝立で仕切られた一角で、ソファに座って向
き合う。簡易ながら人目を避けられる空間だ。
「だが、その確認の前に、もう少し推理を進めていたんです。足跡がバンドの
他にないのなら、犯人はいかにして離れに入り、脱出したのか。入るときは簡
単です。雨が降っている最中に入ればいい。足跡は残らない」
私が頷くと、刑事もまた首肯し、続けた。
「問題は出るときです。足跡を付けずに移動するには……他人に背負ってもら
えばいい」
「第一発見者に、ですね」
私が即座に反応できたのは、ミステリの古典にあるトリックだから。
なのに、メル刑事は勘違いをした。
「キムラさんは察しがいい。私が思うに、犯人は殺害後、素早く逃げるつもり
だった。しかし雨が上がったため、おいそれとは逃げられなくなり、途方に暮
れていた。そこへバンド・シリンガムが表れる。犯人はバンドに助けを求め、
バンドはそれに応えた」
「とすると、犯人はかなり小柄ということになりますね。足跡の深さは、一般
的な男性のものと変わりがほとんどなかったと思いますから」
「ええ。ですから、恐らくはバンドの子供でしょう。しかし家族に犯人がいる
かどうかについて、彼は『知らない』と答えています。そうなると、年端のい
かない隠し子がいるのではないかと」
「隠し子は家族ではない?」
「それは本人の意識によります。とにかく、この見方に沿い、バンドへの尋問
を再開しようとしたところに、あなたが来られた」
「それはとんだ邪魔を……」
「いえ、代わりの者がやっていますので、問題ありません。結果が順調ならそ
のまま続行、芳しくなければすぐさま報告に来てくれと頼んでありま――」
言葉を途切れさせ、右を向いたメル刑事。私には聞こえなかったが、どうや
ら名を呼ばれたらしい。立ち上がり、衝立の脇から顔を覗かせると、「ショー
ラン、ここだ」と呼び寄せる。
現れたのは、赤毛のもじゃもじゃ頭が印象的な……多分、女性の刑事。よい
スタイルとは言えないが胸が確認できるし、声が男だとしたら高い。
「指示された通りの線で尋問をし、対するバンドの返答なんですが……」
言い淀む彼女の視線が、私に注がれる。メル刑事が、私のことを紹介し、話
しても問題ないと請け負った。
「いわゆる芳しくない結果ですが、かまわないので?」
「ああ。君がここに駆け付けた時点で、悪い結果は覚悟している」
「では――バンドに隠し子はいません。メル刑事の考えたトリックもぶつけて
みましたが、殺人犯を負ぶって運び出すようなトリックは使っていません」
「そうか。報告してくれてありがとう。しばらく君が尋問を続けてみてくれ。
質問するだけが能じゃない。感情的に揺さぶって、自白を引き出せれば、それ
に越したことはない」
「了解しました」
ショーラン刑事が立ち去ると、メル刑事は再び腰掛けた。こめかみを押さえ、
難しげな表情になっている。
「困りました。お聞きの通り、空振りだったようです」
「別のトリックが用いられたんでしょうかね。離れが殺害現場でなく、外部か
ら持ち込まれた、とか」
「理屈の上ではありそうですが、足跡の深さがネックになるかな。頭部を切り
離したぐらいでは、ごまかせないでしょうし」
「……自殺はありませんか?」
「自殺? だが、首を切断されている……ああ、父の自殺を見つけたバンドが、
頭部を切断したと解釈すれば、あり得る。しかし、何のために」
「先程、ショーラン刑事に、感情的に揺さぶってと指示されているのを耳にし
て、ぱっと閃いたのですが、こちらの世界では生命保険の制度はありますか?」
「あります。対象者が亡くなった場合、受取人に多額の金銭が渡る。キムラさ
んの世界と変わらないと思いますが」
「ええ。それで、自殺の場合はどうなります? 保険金は出るのか、出るとし
たら額は他殺や事故死と比べて減るのか」
「自殺ならどんな場合でも、保険金は出ません。生命保険の制度が生まれてし
ばらくの間は、自殺でも保険金がおりていましたが、自殺を強制するケースが
出始めたので、法律で規制するようになったんです」
「自殺では保険金が一切おりなくなったことを、コルト・シリンガム氏は知ら
なかった可能性はありませんかね?」
「知らなかった? それはまあ、お年寄りで床に就くこともしばしばだったよ
うですから、世情に疎くなっていたかもしれませんね。うん、分かってきまし
たよ、キムラさん。あなたが言いたいのはこうだ。コルト・シリンガムは保険
金目当てで自殺した。シリンガム家の稼業である染色工場を救うために」
メル刑事の言葉に、私は力を込めて頷いた。
「はい。そして、自殺した父を最初に見つけたバンドは、自殺では保険金がお
りないことを把握していた。だから、敢えて首を切断した。他殺に見せ掛ける
ために」
「雨上がりのぬかるみと足跡にまでは、気が回らなかったという訳ですか」
「恐らく」
私の返事を受け、腰を浮かし掛けたメル刑事だったが、何を思い直したのか、
また座った。
「今度こそ当たりだと思いますが、細部を詰めないといけない。コルト・シリ
ンガムがいかにして自殺したかが、目下の最大の問題になります」
「それなら想像が付いています。あ、話す前に、死因は判明しました?」
「遺体の状況、特に眼球から判断して、窒息死が有力だという鑑定が上がって
きています」
「よかった、仮説と合います。コルト氏は荒縄で首を吊ったんだと思います」
「……そうか。離れには荒縄もあったな。木材を縛るのに使うんだとばかり」
「バンドは遺体を下ろすと、荒縄を外して輪を解いてそこいらに放置したか、
もしくはあとで外部に持ち出して処分したんでしょう。また、首には吊った痕
跡ができていたはず。切断は、その痕跡を分かりにくくするため、重ねるよう
に刃を走らせた。結果、切り口が斜めになった」
「状況と悉く合致しますね。これで決まりでしょう。助かりました、キムラさ
ん」
「いえいえ。真相を確かめることが先です」
謙遜でも何でもなく、恐縮してしまう。私のいた世界で出回るミステリにお
いて、よくある手口なのだから。
その後、尋問に臨むため戻ったメル刑事を待つこと、およそ二十分。改めて
姿を現した彼は、事件の解決を告げた。
捜査に協力し、事件の解決に多大な貢献をしたという名目で、金一封込みの
表彰を受けることになった。署内で行われるささやかなセレモニーは、バンド・
シリンガムの処遇がおおよそ決定したあとになるというから、十日は先になろ
う。
「早くもらっておくべきだぞ、キムラさん。その前に帰ってしまう可能性ある
んだからな」
夕食後の席、明かせる範囲で話をした私に、ラウデソンさんはからかい気味
に言った。
「もしそうなったら、代わりにあなた達が受け取れるよう、メル刑事にお願い
しておきました。了解を得ています」
「何と。余計な真似をしてくれる」
大げさな動作で、両腕を広げるラウデソンさん。その大きな手のひらに、私
は紙を押し付けた。
「これ、大事に取っておいてくださいよ。覚え書き。メル刑事のサイン入りで
す」
「仕方がない。これが紙屑に変わることを祈っておこう」
別にかまわない。私が受け取ったとしても、まるまるラウデソン夫婦に渡す
つもりなのだから。それに、警察の謝礼なんて、大した額ではあるまい。私の
世界とは違って大金が支払われるのなら、それはそれで結構なことだ。
「そういえば、聞いておきたいことがまたできたんでした。戻るとき、私が身
に着けている物は、そのまま向こうの世界に持って行く形になるんでしょうか」
「ああ、そのはずだ。うむ、言うのを忘れていた。キムラさんが持ち込んだ物
も、身に着けていないとここに残ってしまう。注意しておかねばならんよ」
こうして暢気にお喋りを楽しんでいる間にも、いきなり元の世界に戻るかも
しれない。だったら、カメラなどを急いで身に着けるべきだろうか。いや、そ
のときはそのとき。置き土産にしていい。私の持ってきたカメラが元で、こち
らの世界の写真技術が開花し、飛躍的に発展するとは思えないが。
「悔いが残らないよう、お別れパーティも早めに開いておきませんとね」
マルシャ夫人は笑いながら言って、食後のお茶をテーブルに並べた。ラウデ
ソンさんも調子を合わせ、「いっそ、毎日開くのがよいかもしれんな」と冗談
を口にした。
そう、このときは冗談だったのだ。が、翌日の朝を迎えた時点で、本当にパ
ーティを開いておけばよかったと、ご夫婦は後悔していたかもしれない。
私は宛がわれた部屋に引っ込み、就寝したあと、次に起きたときには、元の
世界に戻っていた。時間が流れていなかったかのように、昼のうたた寝から目
覚めたところだった。地味なデザインの寝巻を着ていることが、大きく異なる。
一瞬、いや、しばらくの間、夢なのか現実なのか区別が付きかね、ぼんやり
とするしかなかった。見覚えのある探偵事務所、その室内が真昼の陽光に照ら
され、心地よい温度に仕上がっている。このままもう一度眠りに就けば、嘘の
つけない世界で目が覚める、そんな気さえした。
だが、時間が経つにつれ、意識の方も覚醒する。デスクの上にある新聞を引
き寄せ、日付を見やった。実際には一秒たりとも過ぎていないらしかった。
それから――懐を探る。二つあったカメラの内、現場写真を撮るために使っ
た方は、どこにも感触がない。万年筆型カメラのみが出て来た。こちらの方は
携帯電話と共に、身に着けて眠った記憶が頭の片隅にある。
私は万年筆型カメラのデータをアウトプットすることにした。写真屋の商売
とは別に、このカメラであちこち撮っておいたのだ。写っていれば、別世界の
存在を示す、確かな証拠になる。だからどうこうしようというつもりはない。
自分の中だけでいい、あの世界が存在する確かな実感が欲しい気がした。
……写っていなかった。
ならばと、今着ている寝巻に、何か証拠となる物がないか、調べよう。そう
思ったのはほんの短い間で、ばからしくなってやめた。依頼人が不意に訪ねて
きては困る。着替えだけ済ませると、寝巻は適当に畳んで紙袋に突っ込んでお
く。
およそ二週間ぶりの帰還。連綿と続いていた日常が途切れ、また戻るには、
記憶のつなぎ目をもっと明白にしておく必要がある。手帳を開き、スケジュー
ル欄に目を通そうとする。そこには、向こうの世界での出来事が書き綴ってあ
った。
「結局……あの事件を解くためだけに、向こうの世界に派遣されたようなもの
か、私は」
呟いてみても、現実感はない。けれども、間違いなく現実に体験したこと。
鮮明に思い出せる。
そういえば、最後の就寝の折に、自分は部屋の鍵を掛けただろうか。もしも
掛けていたら、私は密室から消えたことになる。本当の意味での完全な密室の
できあがり、という訳だ。ちょっと愉快な気持ちになる。
一人しかいないのに笑いを堪えていた私は、ふっと思い当たった。
私と同じようにこちらからあちらへ飛ばされた者がいて、もしもコルト・シ
リンガムの離れに出現したのだとすればどうなる?
突如現れた異世界人に、コルトは驚き慌てる。飛ばされた人間だって、同様
だろう。二人の間で乱闘が始まる可能性は、充分にある。そして飛ばされた人
間が勝った。荒縄で絞め殺してしまう。たまたま地蔵背負いの格好になったと
すれば、首に残る痕跡は首吊りの状態と似通っているはず。
我に返った“犯人”は、離れから逃げ出そうとするが、足跡が残ることに気
付き、簡単には逃げられないと理解する。母屋から誰かが来て、いつ見付かっ
てもおかしくない。自殺に見せ掛けることを思い付いた犯人は、考えを実行す
る。
そしてその細工が完了したあと、再び飛ばされ、元の世界――こちらに戻っ
てきた……。
謎解きは済んでいなかったのだろうか。
――終