#188/598 ●長編
★タイトル (AZA ) 03/11/10 18:32 (293)
翁の皿 (上) 永山
★内容 07/06/14 22:37 修正 第3版
※本作は、電脳ミステリ作家倶楽部の第二回競作イベント「共通の謎に挑戦!」
のテーマ候補の一つ“骨董屋の謎”に対し、自分なりに応えた物です。
* *
天気は曇りがちだったが、石井剛郎は晴れやかな心持ちだった。東京からN
県まで出向いて地元企業との契約を無事取り交わし、肩の荷が降りた彼は、本
来三日間、この土地に滞在する手筈になっていた。だが、予定よりも早くに仕
事を完遂できたため、昼過ぎから夜の接待までの時間がぽっかり空いた。
いつもそうするように(と言ってもこれまでにこんな機会は数えるほどしか
なかったが)、石井は身一つでぶらつくことにした。古い物が好きな彼の思惑
としては、骨董店を第一の目的とし、なければ博物館や美術館、城の類を見て
回るつもりだった。
ただ、事前に調べて足を運ぶほどの時間的余裕はない。それに、この土地は
城下町だった。大きな意味で、古い雰囲気を残す空間そのものを味わうのも、
石井の旅先での楽しみの一つである。地図で大まかな見当を付けてビジネスホ
テルを出た彼は、石畳の続く通りを当てもなく散策していた。
いや、骨董品の店という当てはある。それとなく探しながら、同時に、家族
への土産を何にしようかという考えも、頭の片隅に芽生える。会社同僚への分
は既に確保してあるのだが、家族の分はなかなか口うるさいので悩んでしまう。
「食べ物以外となると、好みがいまいち分からんからなあ……うん?」
角を折れて細い路地に入った途端、石井の目は「骨董」の文字を捉えていた。
「長富骨董、か」
縁起のよさそうな名前だと勝手に決め込み、石井の表情は自然とほころんで
いた。外灯のすぐ向こうに突き出た長方形の青い看板まで、約二十メートル。
小走りになった。
店の正面まで来ると、最初に目にした味気ない看板とは対照的な、古式ゆか
しい木彫りの看板が頭上に掲げてあった。年月を経た物で読みづらいが、重々
しさを与えている。
庇が張り出しているが、その下に品物は全くない。天候の崩れを気にしてい
るのだろう。ガラス戸越しに、やや暗い店内が窺えた。種酒雑多な物が、とこ
ろせましと並べてある。客がいない様子なのはいいとして、店の者の姿が見当
たらない。
「ごめんください」
扉を引くと同時に小さな声で言って、首から上を突っ込む。風鈴のような音
がした。
「らっしゃい」
このような店には似つかわしくない、どちらかというと八百屋か寿司屋のよ
うな台詞が、しわがれ声で届いた。次いで、声の主が姿を現す。
「さて。道をお尋ねか?」
赤ら顔でよく日焼けした男性だった。年齢は、六十に届くか届かないかぐら
いだろう。痩せているとまではいかないが、細身である。石井は店主らしき男
をしばし見て、その奥まった両眼が痩身の印象を醸し出すのだと分かった。
「いや、店の物を見させてもらおうと思って。初めての土地で、こちらも開い
ているのかどうか分からなくてね」
石井が答えると、男はにんまりした。愛想笑いにしては薄気味悪い。
「勝手に見てっていいよ。冷やかしでも何でも」
男は店の奧にある椅子にどっかと座り、足を組んだ。やけに旧式のレジが隣
の机に鎮座している。
「どうも」
石井は軽く頭を下げ、店内を回り始めた。書や掛け軸、仏像に彫刻に置物、
壷にお椀、大小の絵皿……この辺りまでなら興味の対象であるが、ダーツボー
ドやスロットマシン、ひどく古めかしい漫画雑誌にレコード、ブリキの玩具と
なってくると、さすがに価値の判断ができない。それらがきちんとジャンル毎
に区分けされているのは、ありがたかった。よい物を揃えていても雑然と並べ
るだけという店では、石井のような旅先の者にとって、時間がいくらあっても
足りない。
「……お」
そのおかげかどうか、石井の目に留まる品があった。一枚の絵皿。古さ、仕
事ぶり、保存状態からして、なかなかの逸品である。両手を揃えればすっぽり
収まりそうなサイズだから、出張中の身である石井でも持ち帰れるかもしれな
い。
だが、石井の心を掴んだのは、この小さな絵皿が、彼が自宅に所蔵する大型
の皿と二枚で一組とされる物と思われたからだ。二枚が揃えば値打ちは確実に
上がる。石井に投資の考えは薄いが、それでもこの二枚を揃えるのは魅力的で
ある。第一、出張先で二枚組の片割れを発見するなんて偶然に、ロマンを感じ
てしまう。
値を確かめようと、細長い紙の札を手のひらに載せた。五万五千円。
絶対に買いだ!と、心中でガッツポーズをした石井。だが、次に現実的な問
題として、財布の内幕を見やる。
次の瞬間、石井は舌打ちをしていた。一万円余りの不足。
財布にあるお金は全て、石井の私財である。出張費用として会社から渡され
た分は残っていたが、不用意に使ってしまわぬよう、宿に置いてきた。
値切ろうとの考えが頭をよぎる。
(どうやらあの店主、少なくとも絵皿についての鑑定眼はない。店も流行って
ないようだし、ふらっとやって来たふりの客が四万円の買い物をして行くだけ
で、充分じゃないか?)
そうしてレジの方に振り返りかけた矢先、相手から声を掛けられた。
「お客さん、どうしたね? 財布を開いたり閉じたり。買いなさるか」
「ん、ああ、どうしようかな」
先制攻撃にたじろいだ石井だが、持ちこたえ、欲しがっていることを隠そう
と努めた。
「この絵皿なんだが、まからないかね」
「ああ?」
椅子を離れ、ゆっくりと足を運ぶと、男は石井の指差す絵皿に顔を近付けた。
「ふん。お客さん、これに五万五千の値打ちはないと仰るか」
「そんなことはないよ、ご主人」
へそを曲げられてはまずいと、石井は穏やかに応じた。この種の店の主が偏
屈者ということは往々にしてある。
「充分に価値を認めてます。認めた上で、残念なことに、私には手持ちがあり
ません。出先だから、限られているんですよ」
「そのなりからして、お客さん、サラリーマン?」
「ええ」
品定めするような目つきを嫌に感じつつも、石井は頷いた。
「いい服着てるし、サラリーマンがカードの一枚も持って来てないの?」
「持ってはいるが……」
出張先で銀行口座のお金を出し入れするのは、あとで妻に見つかったとき、
言い訳せねばならず、面倒なのだ。
しかし店の男に意に介した風は微塵もなく、「だったら、下ろしてきてくだ
さいよ、お客さん。銀行ぐらいはありまさあ」と馴れ馴れしい哀願調で告げて
きた。それでいて手もみするでもなく、男からは横柄さが染み出ていた。
値引き交渉どころではないと判断した石井は、小さくため息をついて、
「分かりました。下ろしてきますから、その絵皿、取っておいてください。他
の方が欲しいと言っても売らずに。お願いしましたよ」
「いいとも。大事に取っておきますよ」
最後だけ馬鹿丁寧に言って、赤ら顔の男は頭を下げた。ひどく嬉しそうなの
は、買っていく客が滅多にいないからかもしれない。
「A銀行のATM、どこにあるかご存知ありませんか?」
「ATMは知らんが、支店なら前の道をずっと南に下れば、あるはずですよ。
歩いて十分もかかるまい」
「この辺りにコンビニエンスストアの**は……」
「そんな洒落たものは、駅前まで行かなきゃ無理じゃないかねえ」
支店まで足を延ばすほかなさそうだ。石井は何となく時計を見た。宴会の始
まる時刻までは、まだまだある。
「三十分ほどで戻れると思いますから。本当に頼みますよ」
石井はそう言い残し、店を出た。
長富骨董の文字を視界に捉え、石井は反射的に腕時計を見た。三十五分が経
過していた。
往路で僅かながら迷って、多少汗をかいたが、三十分ほどという言葉を違え
ずに済みそうだ。それでも石井は駆け足になった。いい歳をした背広姿の男が、
風情ある城下町の路地を走るのは不似合いも甚だしいが、致し方ない。
店の前に辿り着いたときには、息が乱れていた。整えるのももどかしく、戸
を開ける。
「ごめんください。ご主人。持って、来ましたよ」
途切れがちに言って、中に入る。すると、予想外の声音が反応した。
「はぁい。いらっしゃいませ」
若い女性の声だった。
どきりとした石井の前に姿を現したのは、二十代半ばと思しき、落ち着いた
雰囲気の“娘さん”――そう呼ぶのがぴったり来る――だった。化粧気は真っ
赤な口紅を細く引いたぐらいで、それでも充分愛らしい。和菓子屋の女性店員
が着るような衣装が、よく似合っていた。
「どうぞご覧になっていってください。あっ、何かお探しでしょうか?」
「え……と言いますか……」
珍妙な受け答えをしてしまった。石井は年甲斐もなく赤面し、後頭部に片手
をやった。呼吸が整ったところで、やっと説明を始める。
「最前、こちらに来まして……ご主人、あ、いや、この店のご主人に応対して
いただいたのです。ある絵皿を気に入ったのですが、手持ちが足りなかったの
で、銀行に行って――」
「あの、お客さま。お話がよく飲み込めないのですが……」
尖った顎先に指を当て、小首を傾げる娘さん。口を少し開き気味にして、困
惑げであった。石井は微笑を浮かべ、繰り返し説明しようとする。
「あの店主から何も聞いてません? 困ったな。絵皿を取っておいてくれとお
願いしたのですが、大丈夫かなあ」
「申し訳ありませんが、お客様。本日、当店は私が一人で応対させていただい
ております。その、店主、と言われましても……」
「店主がいない?」
声が大きくなった。
娘さんは脅かされたみたいに、びくりとして身を引いた。
「て、店主は父です。けれども、今日は所用がございまして、留守にしていま
すから……」
「そんなはずはないですよ」
この頃になると、石井と女性店員は、お互い奇妙なものを見る目つきになっ
ていた。
「私はさっき、確かに店主と話をした。痩せた感じで顔の赤い、肌がよく日に
焼けた、一見、漁師風の人だ」
「え? それなら、絶対に父じゃありませんわ。父は、丸顔で体格もがっしり
しているんです。それに、顔の半分くらいを覆う髭があって」
「は?」
しかめっ面になる石井。しばらく一つの単語も口から出なかったが、十五秒
ほど右手人差し指を宙にさまよわせると、やっと喋り出せた。
「じゃあ、店主じゃないんでしょう。他にいるはずだ、赤ら顔の男の店員が。
その人と約束したんですよ」
「いいえ。うちは家族四人でやっておりまして、父母と私、弟しかいません。
弟は赤ら顔ではありませんし、今、父と一緒に車で外に出ています」
「そんな馬鹿な」
思いもよらぬ成り行きに、石井は何故か笑顔になっていた。たちの悪い悪戯
に引っかけられた気がしたのだ。
「私は三十五分、いや、四十分ぐらい前に、ここに来たんだよ。そのとき確か
に、赤ら顔の男の人がレジの横に座っていて」
石井がレジの横にある椅子を指差すと、娘さんは一瞬ぽかんとした顔になり、
次いで軽く吹き出した。
「ご冗談を。あの椅子になら、午後からずっと私が座っていました」
「何だって?」
ボリュームが上がったのを聞きつけたのか、そこへエプロン姿の中年女性が
現れた。若い女性店員と血のつながりのあることは、教えられなくても容易に
推察できる。それほど似通っていた。
「どうかしたのかい」
最初にそう発したエプロンの女性は、石井の姿を認めると、「どうかなさい
ましたでしょうか。娘が何か……」と言い直した。
石井は一から順を追って説明し直した。が、母親店員も娘と同じ主張を繰り
返した。
「はい、娘の――克江の言った通りでございます。今日は午前中は私が、午後
からは克江が店番をすることになっておりまして、事実その通りにしていたの
ですよ」
「席を外すことはなかったですか?」
たとえばトイレとか……と続ける前に、娘の方が答える。
「それはもちろんありましたが、長くても三分ぐらいですね」
「じゃ、じゃあ、絵皿だ。絵皿があるはずです」
石井は必死の形相になっていた。最早あの赤ら顔の男が皿を取っておいてく
れたとは思えず、きびすを返して絵皿を並べてある一角を目指す。
「……ない」
「どのような絵皿でございましょう?」
苦々しくこぼした石井に、母親の方が背後から聞く。向き直った石井は大き
さから絵柄、形状まで事細かに伝えた。
「さあ……さような品が、うちにあったかどうか」
母親店員は甚だ頼りないことを言い、「覚えてる?」と聞かれた娘の方も首
を横に振った。
「あったかどうか、じゃない。あったんだよ」
石井もさすがに声を荒げる。笑みを絶やさない母娘と対照的である。
「他店とお間違えではございませんでしょうか」
「そんなはずは。ここ、長富骨董店だろう?」
「はい」
「近辺に骨董屋が他にありますか?」
「いえ。そのような話は耳にしたことがありませんわね」
「だったら、間違いない。さっきここに来て、赤ら顔の男を相手に、絵皿を買
う約束をした。五万五千円だった」
「そう言われましても……弱りましたねえ」
弱ったのはこっちだと言いたい。石井は怒鳴りつけたい感情を押し殺して、
建設的な方向を探した。
「防犯カメラなんて、ないんでしょうね」
「はい。万引きのような被害はこれまで皆無ですし、そんなに広い店でもござ
いませんから」
「……こんなこと言いたくないんだが」
大きく息を吐き出し、腰の両サイドに左右の手を当てる石井。
「もしかすると、あの男の店員が絵皿を取っておくべきところを、店番交代の
ときに引き継ぎ忘れたんじゃないか。そして、この三十何分の間に他の客に売
ってしまった。それを隠すために、男の店員なんていないと言っている……」
「さようなことは、決してございません、お客様」
母親は顔色一つ変えず、穏やかに答えた。娘の方は、刺々しい展開に身をす
くめ、口元に手をやっているが。
「しかしだね、私は確かに」
「何と言われましても、うちに男の店員は夫と息子だけです。お客様の仰るよ
うな赤ら顔ではありませんし、そもそも今日は店に出ていないんですよ」
押し問答に嫌気を覚えた石井だが、すんなり引き下がるのも腹立たしい。
「近所に聞いてもかまいませんか」
「はあ、何と?」
「私が見た店員が、本当にいないかどうか。近所の人なら、知っているはずで
すよ」
「……お好きになさってください」
ほんのわずかに間を取って、母親は静かに了承した。依然として、慌てた様
子は見られなかった。
「では、失礼。戻って来るかもしれませんがね」
石井は再びきびすを返し、足早に出て行こうとした。が、気が急いていたお
かげか、右の靴紐を左足で踏んでしまい、前につんのめった。
「あらあら、大丈夫ですか」
「あ、いや、平気ですよ」
恥ずかしさを隠しつつ、片膝をつく格好でしゃがみ込む。転倒は避けられた
が、靴紐がほどけたのだ。結び直しながら、床に目が行く。掃除をした痕跡が
あるが、それでも埃や砂粒みたいな物が残っている。つまらないトラブルを抱
えた直後だからか、埃一つでも、何だこの店はと思ってしまった。浮気の証拠
を探す主婦のように、過剰な厳しさでチェックをする。
が、こんなことをしても意味がないと思い直し、靴紐を結び終わると、石井
はすっくと立ち上がった。
「念のため、先ほど言った絵皿がないか、探してくれませんか」
「分かりました」
気安く請け負う返事をもらって、石井は店を出た。そして向こう三軒両隣を
見比べる。対面のスペース三つは、サイクルショップ、小料理屋とその駐車場
で占められ、骨董店の左隣は人家だがやけに静かだ。右隣には散髪屋。
話を聞き易そうだという理由でまず、斜め左の自転車屋を訪れる。散髪屋が
今日が定休日らしく、シャッターが降りており、小料理屋は営業時間までまだ
早いのかこれまた開いていなかった。
自転車店の扉を開けると、中からは大きな話し声が流れてきた。ラジオらし
い。
そのラジオのボリュームを絞って椅子を立った主人は、気のよさそうな小柄
な中年男性だった。白髪頭がかえって年季を感じさせ、信用度を増すところが
ある。石井が自転車のことじゃないんだがと前置きしても、相手は嫌な顔一つ
せずに応じてくれた。ただ、耳が遠いようで、石井は何度も同じ台詞を言って、
声を大きくすることでようやく伝えられた。
「長富さんのところの店員さんですか? はあ、一家四人で仲よくやってらっ
しゃいますねえ。私は一人でやっているので、偉い違いです」
「本当ですか。じゃあ、今日、私がさっき言ったような男が店に出入りするの
を見ませんでしたか」
「見ませんでしたねえ。何しろ、私はお客さんが来ない限り、奥に引っ込んで
いますので、通りはまず見えません」
「では、私が骨董屋に入ったのも見てませんよね」
疲労感にさいなまれながらも、石井は根気よく聞いた。だが、返答は予測通
り、見ていない、であった。
「ただ、見掛けない人が出入りすることはあるかもしれませんよ。長富さんの
娘さん、今度結婚するから、その関係で色々とね。あと一週間か十日ほどで式
だよ、確か。藤倉なんとか言う、資産家の一人息子で、いい縁談だって皆で噂
しているくらいだ」
「ははあ」
それで母親はあんなに穏やかだったのかと思わないでもない。いずれにしろ、
娘の結婚と今日の出来事とは関係なさそうだ。
「父親や弟さんが今日留守なのも、そのためなんですかね」
適当に話を合わせつつ、他に聞いておくべき点はないか、考える石井。
自転車屋の主は主で、律儀に答える。
「いやあ、そうかもしれませんが、掘り出し物を求めて、あちこちを車で回っ
ているんじゃないのかねえ」
「なるほど。ところであなたは、長富骨董店に入られたことがあります?」
「ああ、それはありますよ。でも数えるほどで」
「じゃあ、どんな絵皿があったか、覚えてらっしゃらないですかね」
「はあ、だめです。全く覚えてませんなあ」
恥ずかしげに答えて、頭に手をやる。気のいい人柄が滲み出ていた。
石井は礼を言って外に出た。
そのあと、閉まっている店を当たってみたが、いずれも応答はなかった。最
後に残った二階建ての人家を訪問したが、得られた情報は自転車屋の主人から
のものと大差なかった。
上がらない成果に、骨董店に顔を出しづらくなった石井は、そのまま宿に引
き返し、宴会までの時間を潰した。
――続く