#5163/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 8/31 2: 9 (200)
そばにいるだけで 51−2 寺嶋公香
★内容 08/01/17 05:28 修正 第2版
「二人とも、他校生じゃないの」
「友達には違いない」
おしぼりで手のひらを拭い、短く言い切る相羽。白沼はしばしの間を取って、
自らもおしぼりを広げながら、やがて、にっ、と笑みを浮かべた。
「それなら、私もそこへお邪魔させてもらってもいいかしら」
「白沼さんは、僕が教えなくても勉強できるからな」
「私も教える役で、よ。一人で二人を教えるよりも、二人で二人を教えた方が、
効率いいでしょうね」
「多分、富井さんや井口さんが、遠慮するんじゃないかな」
「……まあ、いいわ。代わりに、一緒に勉強する日でも、作ってよ」
白沼は首を傾けて、微笑みかけてきた。何が「代わりに」なのか、よく分か
らない。
「これぐらいしてくれても、いいんじゃない?」
「……」
「それとも、他にも女の子と会うから、忙しいとか言うんじゃないでしょうね」
「別に」
「あら、そう言えば、さっき、涼原さんの名前がなかったみたいだけれど、わ
ざと抜かしたのかしら。敢えて言うまでもない、ってね」
「何で、そんなことする必要があると、思うかなあ」
「おかしいじゃない。相羽君たら、いっつも、涼原さんと一緒にいるわ」
相羽は肩をすくめた。目線を厨房の方にやり、まだかなと思う。ウェイトレ
スが来る気配はない。仕方なく、向き直る。
「涼原さんは、モデルをやるから、夏休みはあまり暇がないみたいだよ」
「そうなの? ふうん、だったら」
改めて上機嫌になる白沼。それを後押しするかのようにタイミングよく、頼
んだ品が届けられた。
「お待たせしました。アイスカフェオレのお客様?」
ウェイトレスの声に、優雅な仕種で応じる白沼。相羽の方へ、返した手のひ
らを向けた。
「アイスティとクレープケーキのお客様」
白沼の前に置かれた。
ウェイトレスが下がってから、白沼が相羽に聞く。
「紅茶を頼まないなんて、珍しいんじゃない? 初めて見た気がするわ」
そんな感想を持たれるほど、白沼とお茶を飲んだ覚えはないのだが。
相羽はグラスの中をストローで軽くかき混ぜ、口を着ける前に答えた。
「紅茶は今朝、飲んだばかりなんだ」
「さすがに、続けては飲めないってわけね。私の方は、すっかり紅茶が好きに
なったわ、相羽君のせいで」
微笑みかけてくる白沼に、無表情を決め込む相羽。このままでは、臨時のデ
ートになってしまう。
「白沼さんの方は、夏休み中に大きな予定、ないのかい?」
一方的に聞かれるばかりでは、ずるずると押し込まれ兼ねない。相手の状況
を知った上でなら、対策も講じられよう。
「お盆に合わせてお墓参りして、そのあと別荘に……」
話の途中で白沼の目が、すっと動き、相羽を捉える。その刹那、相羽は嫌な
予感を覚えた。
「一緒に来ない? 相羽君の都合さえよかったら、喜んで招待するんだけれど」
思った通り、誘ってきた。何年か前から、夏が来ると誘われている気がする。
その都度、断ってきた。
「あ、外国へは行かないのかな?」
話を逸らす意味も込めて、聞いた。
「ええ。うちは主に冬に行くのよね。夏、絶対に行かないわけでもないけれど、
一家揃って割と寒がりなのが、関係してるのね、きっと」
「そっか。寒い地方に、色白の人が多いような気がするけれどな」
「それよりも、なあに? 外国だったら、一緒に来てくれるのかしら?」
「そうじゃないよ」
さすがに苦笑した。いい雰囲気になるのを避けようと、またすぐに表情を戻
す相羽。カフェオレを飲んで、調子を整えた。
「ピアノの先生が、アメリカに帰るから、何となく思い付きで聞いてみただけ」
「つまんないの」
がっかりして嘆息した白沼は、その開けた口に、ケーキの欠片をおしとやか
に含んだ。紅茶とともに飲み込んで、気を取り直した風に、首を軽く振る。胸
元に掛かっていた髪を、背にやった。
「どうせ、別荘の方もだめなんでしょうね」
「うん、悪いんだけど」
「いいわ」
白沼は相羽を真正面から見返し、本日最高の笑みを作った。秘密めかし、唇
を閉じ、目尻を少し下げて。
「今度、お家に寄せてもらって、いいかしら」
「――お家って、僕の?」
分かっていたが、わざと聞き返した。
「決まってるでしょう。私は、いつでもいいわ。相羽君とご家族の都合のいい
日、教えてちょうだい。それに合わせるから」
どうしてこうも自己中心的なのだろう。よく言えばマイペースだが、白沼の
場合、マイペースという言葉の響きが持つ、のんびりした風情は微塵もない。
口をつぐんだ相羽は、眉宇をしかめた。だが、きつく咎め立てしたくない質
なので、あからさまに注意することはせず、答を考えた。
「どうなの?」
催促してくる白沼だが、否定的な返事をされれば、途端に気分を害するだろ
う。どうせ強引なんだから、最初から、「あなたの家に行くわ」とでも明言し
てもらった方が、よほど楽だ。
「予定が全然決まってないから、いついつなんて約束はできない。来てくれた
なら、できる限りの応対はするけどね」
玉虫色の回答ってやつかな、と内心思った。
だが、それも仕方あるまい。無闇に傷付けたくないし、逆に、優しくしすぎ
て、本人や周りに誤解させてしまうのも避けたい。
「うーん、それでもいいかれど……何だか、張り合いがないのよねえ。暖簾に
腕押しみたいな約束をしてもらっても」
不平を口にしつつ、白沼は目を細めて喜んでいた。この分なら、もしかする
と暇さえあれば連日、相羽のマンションを訪ねる気かもしれない。
とにもかくにも相羽は一息つき、アイスカフェオレを飲もうとした。そこへ。
「あ、それとね。泳ぎに行きましょうよ。プールでも海でもいいわ。できれば
海がいいんだけれど」
白沼のリクエストは、しばらく続きそうな気配を見せていた。
相羽は額を手で押さえながら、密かに吐息した。
* *
純子は身震いをした。モデルの仕事を始めたばかりの頃の緊張感が、久方ぶ
りに蘇る。もっとも、緊張感の種類が違うのであるが。
(本当に、大丈夫かな? 今さらだけど、隠し通せるとは、とても思えなくな
ってきたわ……)
純子は――久住淳は、深呼吸を繰り返した。新人にも関わらず、大物扱いさ
れているので、個室を与えられたのは救いだ。これは、鷲宇憲親の口添えに拠
るところが大きい。
映画『青のテリトリー』出演の話は、トントン拍子にまとまった上に、主題
歌を唱うおまけまで付いてきた。これまた鷲宇の力が影響を及ぼしている。
おかげで、肩にのしかかるプレッシャーが、一段と大きな物になってしまっ
た感がある。無論、やり甲斐を覚えるし、仕事があるというのはありがたいこ
とではあるのだけれども……やはり、男のふりをし通すのが、最大の難関。
少しでもばれにくくするため、眼鏡を掛ける役柄に変えてもらった。演技に
不慣れだからと理由をこねて、他の役者と接近した演技も極力減らしてもらっ
た。見つめ合うなんて、論外。さらには、衣装を着けるのも、久住淳専属のス
タイリストだけが扱うことに。
これらの条件が飲まれなかったら、露見してしまう危険性は格段に増してい
たところだ。
(とにかく、私を知ってる人に、正体を気付かれないようにすること。これが
一番。よしっ)
気合いを入れて、精神集中。男になりきる。
身体の線を隠すため、ややゆったりめの衣装。その下では、胸を締め付けて
いる。肩パッドを入れて、男っぽく大股で歩く。靴は上げ底、気を付けなけれ
ば。身長を変えることで、かなりごまかせる。
最後に、眼鏡の位置を微調整し、純子は控え室のドアを押し開けた。
待っていた青木――スタイリストを務める――が、まじまじと純子の全身を
見つめ、それから不意に目を細めると、ほっとした顔付きをなす。
「よかった。完璧よ」
「青木さんのおかげです」
純子が謝意を表すと、しかし、青木はまだ不安そうな表情を覗かせた。顎先
に指をあてがい、唸るように言う。
「うーん、今日はスタジオ撮影で、きちんとした控え室があったからよかった
ものの、これからロケのときはね、環境がいくらか厳しくなるかもしれない」
「個別のバスで行くんでしょう?」
「ええ、その手筈だけれど……私って、元々コンサートの衣装合わせをやって
きたから、ロケバスの中でっていうのは、ほとんど経験ないのよね」
不安の理由を明かし、苦笑する青木。純子も合点が行き、撮影期間中はずっ
と緊張を強いられるのを、改めて覚悟した。
「さあ、もう行かないと。先輩方がお待ちかねよ」
「ええ、急ぎましょう」
まだ開始時刻には余裕があるが、新人は早くから姿を現しておくのが礼儀と
される。
ところが慣れないため、メイクや着付けに時間を要してしまった。ついでに
付け加えるなら、着替えの最中に他の俳優が控え室に来るのを避けるべく、わ
ざと時間をずらしたせいもある。
だが、そんなものは言い訳にならない。今日は鷲宇が来れないから、親なら
ぬ師匠?の七光りもない。ともかく、目立つ行為だけはしないでおこう。
「おはようございます。遅くなって、申し訳ありません」
純子はスタジオに入ると同時に、声を張り上げ、頭を下げた。
「いや、そんなに遅くない」
真っ先に声を掛けてきたのは、監督の殊宝美明。意外な感じがした。
監督とは今日を遡ること数日前に、“初対面”を済ませた。もしかすると、
この席で早速見破られるのではないかと、純子は戦々恐々としていたのだが、
それは杞憂に終わった。あとになって、殊宝監督には近眼の気があると聞いた
から、そのおかげだったのかもしれない。
とにもかくにも、殊宝は久住淳を気に入ったらしく、「絵的には香村と比べ
て遜色ないね」と、太鼓判を押してくれた。問題の演技の方は、撮影しながら
鍛えてやる、などと恐いことを言っていた。
そのときの印象が頭にあったから、純子は思わず、身体を引き気味にした。
「おはようございます。よろしくお願いします」
「ああ」
顎から頬にかけて髭を生やした殊宝は、サングラスをずらして頭に載せ、ほ
んの少しだけ、優しい眼差しを作った。
「ご覧の通り、準主役級の連中は、ほとんどまだ来ていない。トップ気取りか
どうかは分からんが、若いのが多いから、やりにくい」
殊宝の口ぶりは、香村がいるときとは、少し違うようだ。案外、香村の扱い
に苦労してきたのかもしれない。
「ま、君も同世代なんだから、その点ではやり易かろう。とは言え、歌手では
どれほどのものか知らんが、演技では新人なんだから、低姿勢に越したことは
ないわな。とりあえず、最初の内は固くならず、気ままにやってくれたまえ」
殊宝の話に、うなずきを繰り返していた純子だったが、最後のフレーズを聞
きとがめ、かすかに首を傾げた。
(最初の内は固くならず、って? 逆じゃないのかしら)
疑問に感じたが、聞き返すのはためらわれた。監督から話し掛けてくれて、
折角よい関係が築けそうな雰囲気になったが、ここで調子に乗って質問するの
は、大げさに言えば危険な賭けのような気がする。馴れ馴れしいと思われては、
マイナスだとし、純子は口をつぐんだ。
監督が去ると、入れ替わる形で、星崎譲が近付いてきた。それに気付いた純
子も、慌てて自ら近寄っていく。
「初めまして」
どうにか、先に挨拶ができた。本来、スタジオの建物に入った段階で、控え
室を回って挨拶しておくべきかもしれない。だが、時間がなかったのだ。
「久住淳と言います。よろしくお願いします」
純子は深々とお辞儀した。相手への礼儀に加え、顔をなるべく隠したいとい
う意識も働く。恐る恐る状態を起こし、相手の反応を伺う。
「こちらこそ、よろしく。初めまして、星崎譲です」
屈託のない笑みを浮かべ、星崎は手を差し伸べてきた。握手だと理解するの
に、数秒を要してしまった。
純子はなるべく力強く握り返し、再度、頭を軽く下げた。それでも、接近時
間が長くなるといけない。握手が終わると、距離を取る。
星崎は「そんなに気負わなくても」と、微笑した。
(力、入れすぎたかしら?)
男らしく見せようとした結果、少々演技過剰になったようだ。
「綸の代役で、意地悪い言い方をすれば、皆、お手並み拝見という目で君を見
るだろうけれど、気にしないでいいから」
「――ありがとうございます」
真正面から見つめられないよう、身体を斜めにしていた純子だったが、星崎
の優しい言葉には感激した。
「はは、先輩風を吹かして、すまないね」
「いえ、どんどん吹かしてください。勉強させていただきます」
――つづく