AWC BookS!(17)■封印■       悠木 歩


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#572/1159 ●連載
★タイトル (RAD     )  07/09/01  22:50  (109)
BookS!(17)■封印■       悠木 歩
★内容                                         07/09/02 23:34 修正 第2版
■封印■ 



「封印はまだ、完全に解かれた訳ではないのだ」
 黒いフードの下より、くぐもった声が響く。
 老人は足元の男を見下ろすような恰好をしていたものの、それほど関心を持
っているようにも思えない。
「完全ではない?」
 磯部はただ、老人の言葉をオウム返しする。
「左様。我が身に掛けられし封印は、幾重にも施されている。口惜しくはある
が、儂の魔術を以ってしても、完全に解くのは、些か難しい」
 吐き捨てるような物言いが、魔術師を名乗る己に施された封印に対する悔し
さを滲ませていた。
「さてお主に協力する約束ではあるが、それには障害がある。封印により、儂
は本より開放したこの者に従わねばならぬ」
 忌々しげに言う。
 と、その言葉を聞き、這い蹲っていた男の表情に変化が見られた。
 男が事情を全て理解しているとは思えない。予め本に封じられた魔人の話を
聞かされ、夢で老人と接触した磯部でさえ、戸惑うことは多い。何も事情を知
らない男が、これまでの会話で、どこまで理解をしていたのかは不明であった。
 ただ老人が自分に従うと発言したのは、しっかりと聞いていた。ならばそれ
を、自分にとっての好機と感じたのは、当然であるのかも知れない。
「お、お前、俺の命令をきくのか………そ、それなら、こいつらをやっつけて
くれ!」
 尚も地に伏したまま、磯部たちを指さして言う。するとその言葉自体が何か
の呪(まじな)いであるかのように、老人はこちらへと向き直る。
「このような者の命に従うは、我が誇りに傷が付くのだが」
 依然フードの下、覗き見えない目がこちらを見つめた。右手がゆっくりと、
挙げられて行く。
 老人は魔術師を自称するが、その証を磯部たちはまだ見ていない。しかし挙
げられた手に、言外の恐怖を感じた。
「ちっ、クソが!」
「いかん、木崎!」
 真嶋が気づいたときには、止めようもなかった。既に木崎は、手にしていた
拳銃の引き金を引いていた。
 あるいは三人の中で、木崎と言う男が一番、危機に対して敏感であるのかも
知れない。それは暴力を生業とする日常に於いて、身に着いたものであるのか。
一瞬の躊躇いさえなかった。
 鈍い発砲音。
 銃口は真っ直ぐ老人へと向いていた。
 さして距離もない。
 銃の扱いに慣れているであろう木崎が、外すとも思えない。
 ところが老人に、銃弾を受けたような気配は感じられなかった。右手を挙げ
た姿勢のまま、何処にあるのか定かでない目で、こちらを見つめている。
「ほほう、これは面白い」
 枯れ木のように細く、皺だらけの指が何かをなぞっていた。目を凝らしよく
見れば、空中に弾丸が停止していたのだった。
「!」
「なるほど、その筒内にて爆発を起こし、この金属を弾き出した訳か。ふむ、
これなら弓矢より早く、撃ち出せるな………さすがに儂の封じられた長いとき
の中、人も賢くなったらしい」
 感嘆し、賞賛の意味も込められているのか。老人は何度も何度も頷く。
 それは磯部たちにとって、絶望的な光景でもあった。拳銃さえ通じない老人
が、もし本気でその魔術とやらを使って来るのであれば、太刀打ちのしようも
ない。
「案ずるな、探求者とその仲間共よ」
 見えないはずの口元が、歪んだように見えた。老人は笑ったのであろう。
「協力する、そう言うた約束を破棄するつもりはない………それに」
 男の下した命令に効果はなかったのだろうか。老人は挙げていた手を下ろす。
そして再び男を見下ろす。
「うおっ!」
 突然の叫びは、木崎が発したものであった。磯部と真嶋の視線が、そちらへ
と向く。そして彼らが見たのは、木崎の後ろ、塀の木板に開いた小さな穴であ
った。どうやら、放ったはずの銃弾が返されたらしい。
「それに儂は、愚者に使われる気など、毛頭ない」
 もちろん老人の表情は分からない。しかしその言葉には、明らかな侮蔑の色
が見て取れたのだった。
「しかしあなたは、その男に従うように、封印されているのだろう?」
 言ったのは、真嶋である。
「そうだ。それに抗うは、中々に困難でもある」
「それではどうやって………」
「何、簡単なことよ」
 言うと同時に、老人の輪郭がぼやけ始めた。いや、よく見れば裂かれた布の
切り口のように、老人の身体が解れ始めていたのだ。
「儂と、この男。一つになってしまえばいい」
 解かれ、毛糸に戻されるセーターのように、老人の姿は失われていく。そし
て失われた部分、元は老人の身体であったものは、無数の細い糸屑となり、男
の身体を取り囲んで行った。
「何をする………や、やだ、止めて、止めてくれっ!」
 叫ぶ男の願いが、聞き入れられることはない。男を包む糸屑は、その一本一
本が意思を持った生き物であるかの如く、手足に絡み付き、皮膚へと潜り込む。
「やだやだやだやだ、止め、止めて、止めろっ」
 皮膚に食らい付く糸を、男は必死に引き千切る。だがその数は数千、数万に
も及び、男の手ではとても追い付くものでなかった。やがて無数の糸は皮膚ば
かりでなく、鼻や耳の穴、口や眼球の隙間、身体のありとあらゆる場所から侵
入を始める。
「うはぁ、がぁ、んごう、ぐあっ、んがっ…………」
 叫ぶ男の声は、最早言葉としての体を成さない。ぐしゅぐしゅと奇妙な音を
立て、糸の侵入は着実に進んでいく。
 小桃を車中に残して来て、本当によかった。
 おぞましい光景を目の前にして、磯部は思う。
 幾万ものまるで生き物かのような糸が、身体に潜り込んで行く。それは一体、
どんな気分なのだろう。とてつもない恐怖を感じているのであろう。苦痛もあ
るのだろう。
 喉の渇きを覚えた磯部は、缶入りの乳飲料を買って置くのだったと後悔する。
 諦めたのだろうか、あるいはもう意識を失ってしまったのか。男に抵抗する
素振りは見えなくなった。そして元は老人であった無数の糸全てが、男の中に
収まった。
 両手はだらりと下げられ、両膝は地に着けられている。白目を剥いた男は、
阿呆のように口を開いたままでいた。
 それが不意に立ち上がる。
「これにて、問題は解決された」
 剥いていた白目に、光が戻る。発せられた声は、鈴木清太郎なる男の声、そ
のものであった。

                          【To be continues.】

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