#552/1159 ●連載
★タイトル (RAD ) 07/07/27 20:54 (208)
BookS!(08)■ライバル■ 悠木 歩
★内容 07/07/28 21:46 修正 第2版
■ライバル■
「ほう、これは見事な」
思わず感嘆の言葉を漏らしたのは宗一郎であった。
色気のない、ある必要もない道場の床に敷かれた、可愛らしいキャラクター
が描かれたシート。更にその上に並べられた重箱の弁当。
明日香が用意したものであった。膨らんだ紙袋の正体がこれである。
一つ目の重箱の俵型の小さなお結びは海苔を巻いたものと、黒胡麻がふり掛
けられたものとがある。別の重箱には卵焼きと蛸型のウィンナー。自家製のき
んぴらごぼうにポテトサラダ、煮豆も入っていた。人参、蓮根、竹輪らを使っ
た筑前煮。更にもう一箱、こちらには生レタスを敷いた上に缶詰の蜜柑、兎型
に切られた林檎、黎の大好物である桃とフルーツ類で纏められている。
「あの、作り過ぎてしまって。良かったら、たくさん食べて下さい」
恥ずかしそうに言う明日香。
遅刻の原因はこれだと見て、間違いなさそうだ。所帯が小さいとは言え、そ
れでも総勢六名の剣道部である。その全員分の弁当を用意して来たのだろう。
「うむ、こいつは旨い。きっと神蔵くんは、将来いいお嫁さんになるだろうな」
お結びを一つ、口に運んだ宗一郎は少々大袈裟に、定番の台詞を吐く。
「ありがとうございます、椚先輩」
嬉しそうに微笑む明日香を横目に見ながら、黎もお結びを口に運ぶ。中には
鮭のフレークが入っており、飯とのバランスは絶妙なものであった。
「まあ、旨くはあるが、宗一郎は少し大袈裟だな」
黎にとって、既に馴染みの味である。特に両親が海外に渡って以降、神蔵の
家に呼ばれたり、逆に明日香が黎の家を訪れたりして、その料理に触れる機会
は少なくなかった。食べ慣れた味に、感動が薄くなっていたこともあるが、黎
にして見れば宗一郎の反応は大袈裟以外の何物でもなく感じられたのだった。
「うぐっ」
と、突然の肘打ちが黎の右脇腹を襲う。宗一郎の仕業である。
口に運ぼうとしていたウィンナーが落下する。それを床に着く寸前、黎の手
が受け止めた。
「おのれ宗一郎め、何をするか?」
黎は受け止めたウィンナーを口に放り込むと、芝居じみた口調を以って、宗
一郎へと抗議する。
「お前と神蔵くんとの関係は、充分心得ているつもりだがな。貴様は神蔵くん
に対して、評価が辛すぎるぞ」
「あ、あの、主将、私は別に、気にしていませんから」
些か厳しい口調の宗一郎に、明日香は慌てたように言う。宗一郎が本気で怒
っている訳でないと知る黎はそんな明日香が可笑しくて、吹き出してしまうの
を堪えるのに、相当の労力を要した。
「あー、いやいや、すまない神蔵くん。本気ではない、許してくれたまえ」
ばつが悪そうに、宗一郎は明日香に詫びる。
「あ………ごめんなさい、私ったら」
何やら恥ずかしそうにする明日香。入部して四ヶ月、何度も目にして来た黎
と宗一郎の関係がどのようなものであるのか、思い出したのだろう。
黎にとって宗一郎は、同じ部の仲間と言うだけでなく、よき友とも言えた。
同じ街に住みながら、学区の違いで知り合ったのは高校生になってから。まだ
一年余の付き合いしかない。しかし二人はまるで竹馬の友のように、ウマが合
った。
そもそも黎が剣道部に籍を置くことになったのも、宗一郎の存在があったか
らである。
運動能力に於いて、黎は大いなる自信があった。生まれながらにして自分は
運動の才を持っていると、信じて疑わなかった。事実小学校時代、いやもっと
以前、幼稚園、更に遡り物心付いてから、人に運動で負けた記憶がない。
中学時代は野球部に在籍しながらも、他の部へも助っ人を乞われ、参加する
ことも多かった。そしてそのスポーツでは不十分な練習のまま挑んだ試合でも、
常に好成績を収めていた。
自信はやがて思い上がりとなる。
黎はいつしかスポーツ自体を、そしてそれに打ち込む者を見下すようになっ
ていた。
高校に入学後すぐに、まず黎に熱心な勧誘を掛けて来たのは野球部であった。
君が入ってくれれば、甲子園も夢ではない。耳に心地よい言葉を受ける。続い
てバレーボール部、ラグビー部、バスケット部にサッカー部、諸々の部活動か
らの誘いがあった。中学時代、助っ人として様々な大会に出場していた黎は、
知る人ぞ知る存在となっていのだ。
もちろん全ての運動部から声が掛かった訳ではない。
弱小と成り果てていた剣道部もその一つである。
さて、どこに入ってやろうか。そんな気持ちで各部の練習を見て回っていた
時のこと。たまたま訪れた剣道場。そこに居たのが、入部して間もない宗一郎
であった。
ただのチャンバラ遊びにしか見えない上級生に混じり、宗一郎は明らかに他
と違っていた。スポーツ万能の自負する黎の心に、何かが芽生える。
「よう、お前が噂のスーパー新入生か」
そんな言葉で、最初に声を掛けて来たのは宗一郎のほうからであった。
「スーパーかどうかは知らないが、いろいろと誘いは受けている」
「ふうん、でもウチに入るつもりはないんだろう。ひやかしか?」
「たまたま足が向いただけだ」
「なあ、せっかく来たんだ。別に剣道部に入れなんて言わないが、一つ、相手
をしてくれないか?」
「お前と? んーまあいいだろう」
こんな遣り取りで、二人は勝負することになる。
黎の中学校に剣道部はなかった。しかし小学生時代、三年ほど剣友会に通っ
た経験があった。三年間のブランクはあるものの、すぐに勘は戻る。相手も多
少、腕に覚えがあるらしいが敵ではない。そう思って挑んだ練習試合。
「三本勝負でいいかい?」
借りものの防具を装着した黎に、宗一郎が言う。
「一本で充分だろう」
人の噂は千里を走ると言うが、数分間でどれほどその噂が走ったのか。剣道
場はいつの間にか観客たちに囲まれていた。
「始め!」
掛け声を合図に蹲踞の姿勢から立ち上がる両者。互いに中段の構えを執るが、
ブランクが原因してなのか、黎にはわずかな隙が生じていた。
いや、それは黎自身が意図しての隙である。相手が面を狙って来るよう、隙
を作ったのだ。
面を打ち込もうと竹刀を振り上げた瞬間、相手の右脇腹へ抜き胴を決める腹
積もりである。だが目論見は外れてしまう。
「面!」
相手の声を聞いたとき、既に竹刀は黎の面を捉えていた。
「こいつ………」
ある程度出来るとは思っていたが、その技量は黎の予測を上回っていた。打
ち込む際の足捌き、竹刀の切っ先がまるで見えない。
「もう一本だ!」
口惜しさに、自らの前言を翻す。同時に素早く相手へと飛び込む。油断しき
った宗一郎は、まだ構えを執っていない。面ががら空きであった。
「そりゃあああっ!」
気合一閃、振り下ろされる竹刀。しかしそれは空を斬る。
「!」
狼狽える黎の手に、痛烈な一撃が走った。宗一郎に小手を打ち込まれたのだ
った。あまりの衝撃に、竹刀が手から離れ落ちる。
わずかに五分ほど出来事である。その間に二本取られ、黎は敗北した。しか
し肥大したプライドが黎に負けを認めさせない。
「こん畜生」
左足を折り、右足を伸ばし、床を滑る。それから素早く拾い上げた竹刀を真
横に振るう。宗一郎の足元をなぎ払おうと言うのだ。もちろんルール違反であ
る。
だが、ルールさえ無視した攻撃も通用しなかった。
舞うようにして空に逃れた宗一郎は、着地と同時に黎の面を打つ。
ただでさえ強い衝撃を伴う宗一郎の剣である。それに落下の加速が加わり、
黎は目眩を覚えた。それでもなお、攻撃を止めようとはしない。
結局その後も立て続けに四本、計七本を宗一郎に許すこととなった。一矢も
報えぬままに。完敗である。
「なんだ、迫水って案外大したことないじゃん」
「いや、椚が強すぎるのさ」
観客たちは口々に好き勝手を言いながら、去っていった。
「なかなかやるじゃないか、噂以上だったよ」
疲労困憊、座り込みやっとのことで面を脱いだ黎に差し出されたのは、宗一
郎の右手。
謂れのない賛辞、手合わせする前の黎であればそう感じ、強く反発するところ
である。
ところがこの完敗が不思議と気持ちいい。
己を負かせた相手の手を、強く握り返した。
「椚、か」
垂に刺繍された相手の名前を読み上げる。
「強いな、アンタ。完全に負けたよ」
「いや、単に剣道での経験がお前より、長いだけの話さ。それよりお前の気迫
は恐ろしいくらいだった。もしお前にあと少し、経験があったのなら、どうな
っていたか」
世辞である。黎はそう思った。例えあと十年、修行を積んでもこいつには勝
てない。それでもいつか、こいつを負かせたい。いままで、覚えたことのない
気持ちである。
「迫水、迫水黎だ。今日から、世話になる」
「そうか。椚宗一郎、よろしく頼む」
これが宗一郎との付き合いの始まりであった。
「先輩?」
「どうした、黎? 脳みそが蕩け出したか」
覗き込む二つの顔。宗一郎と明日香である。
ふと気づくと、四つ目のお結びが、口元の寸前で静止していた。
「いや、なんでもない。ちょっと時間旅行をしていた」
静止していたお結びを、口へと放り込む。中身は昆布の佃煮だった。
小首を傾げる明日香。
よく見ればその面影が、昨日の少女たちと似ていなくもない。
宗一郎は深くため息をつき、首を振っていた。
「だから、その、宗一郎と初めて会ったときのこと、思い出していたんだ」
「椚主将と………ああ」
明日香が何やら得心したような表情を見せる。宗一郎との出会いについては、
何度か明日香にも話した記憶があった。
「初めて………覚えていないなあ」
惚けているのか、本気なのか、宗一郎はさてとばかりに首を傾げた。おそら
く惚けているのだろう。
「いや、満足、満足」
「ううっ、ちょっとばかり苦しいかも」
重箱には米一粒も残されていない。
六人分として用意された弁当を三人、いやその大半は黎と宗一郎の二人で食
べ尽くしたのである。
「お二人とも、すごい食欲ですね」
明日香は目を丸くしていた。
「神蔵くんの弁当があまりにも旨かったのでな、ついつい食べ過ぎたようだ」
笑いながら答える宗一郎の額には、汗が光っている。彼も随分と無理をして
食べたようだ。
弁当が残らなかったことが余程嬉しかったのか、上機嫌の明日香は鼻歌混じ
りで弁当箱を片付け始めた。
その様子を眺めつつ、黎と宗一郎は購買の自販機で買い求めた茶を啜る。
「そうだ黎、満腹でする話でもないが、どうだ。練習が終わったら、ウチに来
ないか? 晩飯くらいはご馳走するぞ」
「うーん、満腹で晩のことまで考えられないが………」
そう言いながらも、黎は暫しの間思案する。
とにかくいまは少しでも強くなりたい。宗一郎の家ならば上段者の父親と祖
父がいる。部活の練習後と言うのが少々ハードではあるが、稽古を付けて貰え
るなら都合がいい。それに現在一人暮らしの黎にとって、もっとも面倒なのが
食事であった。毎回外食では、金がもたない。稽古に食事が付くのなら、願っ
たり適ったりである。
「ああ、いいぜ。行くよ」
と、その時であった。
がらがらと響く大きな音。
「きゃっ!」
続いて聞こえて来たのは、明日香の悲鳴だった。
何事かと、黎と宗一郎は振り返る。
「あ、あの、ごめんなさい」
頭を下げる明日香。見れば少女の周りには、弁当箱が転がっていた。どうや
ら、片付けの最中、落としてしまったらしい。
「大丈夫か、神蔵くん?」
宗一郎は立ち上がり、片づけを手伝おうとする。が、明日香がそれを手で制
した。
明日香の両親は共に優しい人であった。幼馴染みの黎も、小さい頃より現在
に至るまで、随分とよくして貰っていた。しかしその一方、自分たちの娘は厳
しく躾けていた。特に母親は些か古い考え方ではあるが、女性の仕事に厳しく、
それを男性に押し付けるような真似は決して許さない人であった。
その教育の成果か、明日香はある意味に於いて、男にとって理想の女性とも
言える性格に育っている。
「やれやれ、どんくさいなあ、明日香は」
それを知る黎はただ座ったまま、笑うのであった。
【To be continues.】