#548/1159 ●連載
★タイトル (RAD ) 07/07/17 21:45 (374)
BookS!(05)■迫水黎■ 悠木 歩
★内容 07/07/18 20:39 修正 第2版
■迫水黎■(Rei Sakomizu)
閑静な住宅街を抜け、バスは高台を走る。目的の停留所に降り立ち、見遣っ
た腕時計は午後十二時十七分を示していた。
その先に聳える山々を目指すように、バスは走り去っていく。何処かでカッ
コウが鳴いている。都心からそう離れてはいないにも関わらず、妙に牧歌的な
土地であった。
バス停のすぐ前には、古さを感じさせる石造りの門が構えている。鳴瀬大学
の校門であった。
まだ高校二年生である迫水黎が大学を訪れた目的は、主に二つであった。
一つは見学。何れ来る、受験の折には志望大学の一つとして鳴瀬を受けよう
と考えていた。まだ早くはあるが、いまのうちに見学しておくのも悪くない。
もう一つはこの大学に勤める准教授、磯部慶太を訪ねるためであった。
黎は磯部の自宅の近所に住んでいた。故に近所付き合いがあった。
先頃、磯部の年老いた母親が病気のため入院をした。母一人子一人の家庭に
あった磯部は甲斐甲斐しく、毎日のように母親を見舞っていたようだ。
ところがここ一週間ばかり、仕事が忙しいのか病院に姿を見せなくなったら
しい。家にも帰っている気配がない。昨日黎が見舞いに立ち寄った際、息子を
心配した母親に様子を見て来て貰えないだろうかと頼まれたのだった。
「確か慶太兄の研究室は、西館だったよな」
呟き、校門を潜る。
「………って、西ってどっちだ?」
だだっ広いキャンパスの中に立ち尽くし、黎は周囲を見回した。
大学も既に夏休みに入っているはずであったが、校内では意外に多くの学生
の姿を見ることが出来た。そのため、目指す研究室も学生に尋ねて容易に辿り
着けた。
「慶太兄ぃ、いる?」
ノックもそこそこに、扉を開く。予想していたよりも随分と狭いそこに、人
の姿を見ることは出来なかった。
「ありゃ、昼飯にでも出ちゃったかな」
狭い部屋のことである。主の不在を確認するのに、手間は取らない。首をわ
ずかに振るだけでこと足りる。
「しまったな、俺も駅前のマックで昼飯、買っておくんだったなあ」
狭い上に、様々なものが置かれた部屋。しかしその割には、雑然としたイメ
ージはない。黎の知る磯部に成せる業ではない。他に誰か、生理整頓と言う言
葉を体現出来る人物が存在しているのに違いない。
黎はさてどうしたものかと、思案する。
自分も少しばかり空腹感を覚えている。見学がてら学食を覗いてみようか。
いや、行き違いになっても面倒である。何か制約がある訳でもなく、食事は
用を済ませてからで構わない。
結局、黎はこの部屋で磯部の帰りを待つことにした。
部屋の中央、窓の前に机がある。磯部のものであろう。黎はその椅子に腰掛
けた。
机の上には二世代は前のものかと思われる、古い形のパソコン。キーボード
とマウス、中身は飲み干され、氷が解けたものと思われる液体が少々残るグラ
ス。そして何冊かの本が置かれていた。
その本を黎が手にしたのは、単なる偶然であった。
数冊置かれた本の中でも、それはどこか奇異であった。黒い革製らしき表紙
には、全く何も書かれておらず、一見しただけではそれが何の本であるのか、
判別は不可能である。あるいはそれが、黎の興味を惹いたのかも知れない。
「なんだい、これは?」
無作為に開いたページ。そこに黎が見たものは、決して日本語ではないと断
定できる文字の並びであった。
英語でもない。フランス語、イタリア語、アラビア語、中国語にハングル。
読み書きは出来なくともイメージだけは頭にある言語とも一致しない。古代文
字のようでもあるが、世界史の教科書にわずかばかり紹介されていたものとも、
似ているようでもあり、異なっても見える。
読める訳でもないのに、黎はその文字群から目が離せなくなってしまった。
自分はいま、興奮している。そう黎は意識する。
読めない文字を眺めつつ、鼓動が早くなる。額には汗が滲み出す。周囲の音
も光景も、いまの黎には届かない。
扉をノックする者の存在にも、黎が気づくことはなかった。
「なによ、ここ。ウチのガッコーより田舎じゃない」
黎から一本遅れたバスで、女は鳴瀬大学校門前の停留所に降り立った。
冷房の効いたバスを降りると同時に、夏の陽射しが女の全身に降り注ぐ。殊、
袖なしではあったが、黒いレザーの上着は熱を存分に吸収する。急激に上昇す
る体温に慌てて、全ての皮膚が冷却のための汗を噴き出す。
天を突く、まるで剣山のような髪。両耳には粒状、下唇右にはリング状のピ
アス。左目下には星型のペイント。手にした紙袋には、都内有名服店のロゴが
入っている。
女、神崎雛子は同じ年頃の男女が行き交うこの場所に在っても、異彩を放っ
ていた。
「もう、何よ! この暑さ」
止めどなく流れ出る汗を、ハンカチで拭う。しかし女物の小さなハンカチで
は、その汗の量にとても追いつかない。
「とりあえず、人の居ない場所、探さないと」
女がこの場所を訪れた目的、それを果たす前にあることを行わなければなら
ない。そしてその行為に目撃者が在ってはならない。
女は校門を潜り、暫し人気のない場所を探して歩き回った。歩くこと数分間、
校舎の裏に東屋のようなものを見つけた。
日陰になったその場所に人の姿はなく、四囲は枝の張った広葉樹が植えられ
ている。女にとって、絶好の場所であった。
とは言え、いつ何時人が来ないとも限らない。ことは素早く済ませるべきで
あった。
女は紙袋から、一冊の本を取り出した。赤みがかった厚めの表紙。本を開く
と同時に、女の表情は厳かなものへと変わる。
「その者、全てを無へ帰する粉砕者なり。名はグラウド」
まじないを唱えるかのよう、言う。
女が台詞を終えた途端、風もないのに周囲の木々がざわめいた。そして何処
からともなく、十には及ぼうかと言う幾筋かの赤い光が射し、女の前で集まる。
集まった光の中、そこに寸前までは確かになかったはずの、人の姿が在った。
男である。
短く髪を刈り込んだ、長身の男。その鋭い視線は、ただそれだけでも凶器と
なり得るように思われる。
奇異なことに、男は鎧を纏っていた。人の血を連想させる、赤銅色の鎧。左
右に三本ずつ、まるで蟹の足のような突起が見られる。胸の中央には、羽ばた
く鳥らしき絵が刻まれていた。
「やれやれ、俺様が泥棒の真似事とはねえ」
頭を掻きながら、男は皮肉を込めて言う。
「ふん、文句は言わないの。アンタ、誰のおかげで本から出られたと思ってい
るの」
「はいはい、雛子には感謝している。だから大抵の命令には、従っているだろ
う」
「分かっていればいいのよ。で、どうなの? 他の本の気配は感じる?」
「ん、ああ」
男は気乗りしない様子で、ある方角に目を遣った。その先、ここから少し離
れた場所に、東屋のある校舎とは別の建物が見える。
「しかしほんの微かだ。余程厳重に封印が施されているか………でなければ、
雑魚かだな」
「どっちでもいいわ。私たちはただ、あの人の言う通りにすればいいだけ」
「あの人、ね」
男は「あの人」と言う単語に反応し、嫌悪感を露にする。男と女とでは、あ
の人なる人物への感情が大いに異なっているらしい。
「ほら、これを羽織りなさい」
紙袋から取り出したものを、女は男へと投げ渡す。男の手に渡ったものは、
丈の長いコートであった。
「なんだい、こりぁ?」
「見ての通りコート、服よ。鎧姿のまま歩き回る訳には行かないでしょう。目
立ってしょうがないわ」
「いらんよ、目立っても別に俺は構わない」
「私が構うの! いいから着なさい、命令よ」
まだ何か抗議しようとした男だったが、結局それを口に出すことはなかった。
そして渋々と、この季節には決して適さないコートに袖を通した。
「なんだ人、居るじゃない」
「……………」
「あの、こんにちは」
「……………」
「ちょっと、アンタ!」
「うわっ、えっ、あっ」
耳元での大声に驚き、黎は飛び上がる。慌てて振り返ると、そこには一人の
女が居た。
「えっと、何か………?」
磯部の教え子だろうか。しかし比較的地味な生徒の多いこの大学に在って、
その女は際立った存在に見える。
「あのね、ノックしたんだけど」
「あっ、ごめん。ちょっと夢中になってて」
「先生に頼まれて、本を取りに………ああ、それ! その本、渡して頂戴」
女は手を伸ばし、黎の前から本を取ろうとした。何か違和感を覚えた黎は、
女より先に本を取り上げる。
「ちょっと、どうして」
「先生に頼まれたって、村田先生のこと?」
「そうよ! 村田先生に頼まれたの! さっさと渡しなさい」
女は怒気も露に声を荒げた。そんな女に対して黎は、にいっ、と笑って見せ
る。
「残念だったね、この部屋の先生は村田じゃなく、磯部って言うんだ」
ちいっ、と舌打ち。
黎の言葉を聞いても女には狼狽する様子はなかった。ただつまらなそうな顔
をする。
「面倒なヤツ………まあ、どっちにしたって、本のことを知っていそうなヤツ
は始末するつもりだったんだけどね」
女は黎から視線を切る。そしてその視線は、廊下の方へ向けられた。
「で、俺の出番って訳か」
ドアに立つ一人の男。
夏場だと言うのに、丈の長いコートに身を包んでいる。
「それにしても、この恰好はクソ暑いわ」
そう言いながら、男はコートを脱ぎ捨てた。
何とも不自然で目立つ姿であったが、コートを脱いだ男の恰好は更に奇異な
ものであった。
「戦士でないものを殺めるのは本意じゃないが………許せよ」
コートの下から現れたのは、赤銅色の鎧。洋風の、そう、まるでアーサー王
の物語に登場する騎士が身に着けているような鎧であった。
何かのコスチュームプレイと言うやつであろうか。
女の言葉と共に、現実感に乏しい男の鎧姿に、黎はそう考える。
「粉砕者持ちたる武器は破壊の王」
素手の男が妙な構えを取った。まるで槍でも構えるかのように。後ろから聞
こえるのは女の声。
突然、黎は背筋に悪寒を覚える。理由も分からず、本を手にし、椅子から飛
び退いた。
間髪入れず、突き出された男の手。同時に轟音を伴い、机の上に置かれたも
の全てが消えた。何かに吹き飛ばされたのである。
「な、なんだあ」
すぐには事態を飲み込めない。
ただこれがコスチュームプレイと言う、遊びの範囲を大きく越えたものだと
は分かった。
見ればそれまで何もなかったはずだった男の手に、細長い武器が握られてい
る。槍のようでもあったが違う。その先端に槍のような鋭い穂先はなかった。
長さは三メートル、あるいはそれ以上あるだろうか。槍とは異なり持ち手部
分らしきものは中央にある。拳二つないし三つほどの持ち手部分こそ円筒形で
あるが、その先からは角柱、八角形に変わり、先端に行くに従い太くなる。材
質は鉄か、それに準ずる金属製と思われる。
「残念、外したわね」
茶化すかのように女が言う。
「何、いまのは小手調べ。本気じゃないさ」
それに応じる男の声。
黎はふと我に返る。
室内に散らばる、元はパソコンであったものの破片。引き裂かれた書物。
「冗談じゃない!」
連中は本気で自分を殺そうとしている。黎はドアの前に立った女を突き飛ば
し、廊下へ飛び出した。
「痛ったぁ………アイツ! ほら、追って」
長い廊下を駆ける、黎。靴音が響く。
後ろからもう一つ、何物かの足音が聞こえる。あの男のものであろう。かな
り早い。
廊下には他に人影は見当たらない。到着した折、幾つあった人の姿が、こん
なときに限って全くなかった。
「誰か、誰か助けて!」
走りながら叫ぶ、黎の声が狭く長い廊下に木霊する。だがやはり、応える者
はない。
やがて黎は廊下の突き当りへと達した。ここで黎は己の失態に気づく。
出口に行くためには、研究室をいま来た方向とは逆に進まなければならなか
ったのだ。
「くそっ!」
脇に上りの階段があるのみ。迷っている暇はなかった。が―――。
一瞬の躊躇が悪かった。
ぶぉん!
圧縮された空気が黎の髪を揺らす。殺気感じた黎は横へと飛んだ。黒い塊が
頬を掠めて行く。
「痛ぅ………」
紙一重の差で、鎧の男が繰り出した武器はかわした。しかし直撃こそ避けた
ものの、黒い塊は後ろの壁を砕いていた。大小の破片が黎の上に降り注ぐ。
倒れ込む黎の耳に、ひゅう、と口笛の音が届いた。
「へぇ、直撃を避けたか。兄さん、なかなかいい運動神経をしているじゃない
か」
皮肉にも思える賛辞の言葉を聞きながら、黎はふらつく足で立ち上がる。
額が熱い。
それが出血のためだとすぐには気づかない。いや、気にする余裕もない。
次なる襲撃に備え、黎は目の前の男と対峙する。
「ふふん、いい目をしているな。それでこそ狩り甲斐があろうというものだ」
口元に笑みを浮かべる男。身に纏う赤銅色が、まるで全身に鮮血を浴びたか
のように見えた。短く刈り込んだ頭に、左手を乗せる。
黎には剣道の心得があった。二度に渡る男の攻撃をどうにかかわせたのも、
日頃の修練の賜物であったかも知れない。もちろんいまの黎には、それを実感
する暇も、検証する余裕もない。
剣道の心得があったとしても、徒手空拳の身で反撃することは適わない。も
っとも何か武器を手にしていたとしても、黎の技量で男に太刀打ち出来るとは、
とても思えなかった。やはりここは逃げの一手しかない。
「スコーピオン、遊んでないでさっさと片付けちゃって!」
男の後方より声が飛ぶ。女であった。
女は右脇に本を抱えていた。なぜこのような場に、本などを持ち込んでいた
のか分からない。ただその本は、黎の持つものとよく似ていた。
スコーピオン、それが男の名前であろうか。確かに赤銅色の鎧、その左右に
三本ずつ、計六本の足のような突起物は、蠍を思わせなくもない。もっとも男
の使う武器は蠍の持つイメージ、「刺す」などと言う優しいものではないが。
「スコーピオン、ねぇ。その呼び方、あまり気に入らないなあ」
「あら、アンタ、アタシに逆らえるの?」
二人のやり取りは緊迫感に欠けていた。とてもこれから殺人を犯そうという
者同士とは思えない。恋人たちの痴話喧嘩のようでもあった。
反撃の術を持たない黎に対し、圧倒的優位な立場の男には余裕がある。その
ためであろう。女との会話に注意が向き、若干の隙が生まれる。
見れば先ほど男の武器が開けた壁の大穴が外へと通じている。階段で上階に
逃れるより、外へ出たほうがいいだろう。
男の気が女へと向いている間に、黎は全身のバネを最大限に発揮し、壁の大
穴を潜る。
「ほら、坊やが逃げた!」
ヒステリックに女が叫ぶ。
「フン、逃がしはしないさ」
いまもって己の優位を感じているのだろう。極めて冷静に男が応じる。
その言葉通り、男はすぐ様追って来るだろう。
黎は振り返らず、懸命に走った。その先には林がある。そこへ逃げ込めば、
男の長い武器は使いにくくなるだろう。身を隠す場所もある。
「ハア、ハア、ハア…………ッ」
飛び込んだ林の中でも黎は走り続けた。だいぶ奥まで進み、ようやく足を止
める。肺が酸素を求め息が荒くなるのを、呼吸音を聞きつけられるのではない
かと恐怖する。しかし意に反し、荒い息は簡単に収まらない。
激しく肩が上下する中で、黎は右腕に異様な重さを感じる。黎は本を手にし
ていたことを思い出した。
この本にどのような価値があるのか、黎には推測さえ及ばない。ただこの本
のために命が狙われているのは間違いなさそうだ。
「そろそろ息も整ったみたいだな」
突然の声に落ち着き始めていた息が、完全に停止しそうになる。
戻しそうになる胃液を懸命に抑えつつ、振り返る。
そこに居たのは予想通り、鎧の男であった。
「ぜいぜい言っているヤツを殺しても、面白くないからな」
黎を脅すつもりではないのだろう。男はごく普通の会話のように言い放つ。
林の中を走った黎の服は所々が汚れている。枝に引っ掛けたのだろう、解れ
も出来ていた。顔には男に割られた額の他にも傷が出来ていた。
しかし男には、顔にも鎧にも傷一つ、泥汚れの一箇所もない。
「な、何をしてるの? スコーピオン。早く片付けちゃいなさい」
遅れて女が到着した。こちらは黎同様に息をきらし、服や顔に傷と汚れを作
っていた。
「待てよ、あんたら。あんたらは、この本が目当てなんだろう。なら、やるよ。
だから………」
研究室で女は言っていた。本のことを知る者は、始末すると。無駄かも知れ
ない。望みは薄いと思いつつ、それでも黎は命乞いを試みた。
「そうよ、アタシはその本が欲しいの………でも本を頂くのは、アンタに死ん
で貰ってからでいいわ」
やはり望みは叶わない。
女の言葉を合図に、男は手にした得物を横に振りかぶる。
林立する木々が男の武器を無効化してくれるかも。微かな期待も無駄であっ
たとその時知れる。武器に触れた木々は、初めからそこになかったかのような
容易さで倒れ、空間を男のために譲る。
黎は男の持つ武器の特性を、改めて知る。
剣や槍、鋭い刃で斬る、あるいは突き刺すことで相手を討つ武器に比べ、そ
の刃を待たない男の得物は殺傷力に劣るようにも思えた。圧倒的な質量で相手
を打ち砕く武器は、棍棒にも似ている。ただテレビゲームに於ける棍棒は最も
弱い武器として扱われていた。しかし男の持つものは違う。
それを自由に使いこなす、信じ難いほどの男の腕力もあって、武器はとんで
もない殺傷力を有すものとなっている。
急所を外せば、反撃を受けることと成り得る剣や槍と異なり、その武器は掠
っただけでも相手を砕いてしまう。おそらく打ち砕かれた相手は、絶命までに
及ばなくとも反撃が不可能なダメージを受けるであろう。
もう逃げ出す隙も余裕もない。
黎はそれこそ無意味と理解しながらも目を閉じ、唯一手にしたもの、本を盾
代わりにと前方へ突き出す。
「なっ!」
どこまでも余裕のあった男の声に驚きの色が浮かぶ。
いや奇跡を期待するあまり、そのように感じただけだ。そう思った時である。
「こいつもリーダーなのか?」
今度ははっきりと聞こえた、意味不明の言葉。続いて手にしたものが熱を帯
びるのを感じて、黎は目を開ける。
「何だ、これは?」
これは黎の口から零れた言葉であった。
無地だったはずの本の表紙に、光り輝くサークルが浮かび上がる。男に向け
られた側の表紙も同じことが起きているらしい。男の顔に光のサークルが映っ
ていた。漫画やアニメに見られる魔方陣、と呼ばれる類のもののようでもある。
「構わないわ、やっちゃいなさい」
動揺も露に女が叫ぶ。それに呼応し、男は武器を振るう。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
初めて耳にする男の気合。黎と対するに圧倒的優位な立場にあった男が、武
器を振るうのに声を上げることなど、いままでなかった。
「くっ、南無三」
再び目を閉じそうになるのを、黎は懸命に堪えた。
あと一秒と待たず、自分は絶命する。
悔しかった。
理由も分からず、見も知らぬ相手に殺される。
その理不尽さに腹が立つ。
最期の瞬間まで目を開き、見届けることだけがいまの自分に出来る、唯一の
抵抗に思えた。
男の武器が本に触れる。
多少の厚みはあっても、たかが本。男の武器を防ぎ切る強度など期待するだ
け無駄であろう。何より本を持つ黎自身、衝撃に耐え切れる訳がない。
「チイッ!」
舌打ち。
が、それは黎のものではない。男が発したものであった。
信じ難い話ではあるが、本が男の武器を弾いたのだった。
しかし予想外の事象に対し、予想内の事象も起こる。黎の身体も男の武器の
衝撃を受けて弾かれた。
「ぐっ………」
後方の木に激しく背を打ち付けられ、声にならない声が漏れる。手にしてい
た本が足元へと落ちた。
「な………なん……だ?」
開かれた本のページ。見慣れぬ古代文字らしきものの羅列。
一文字とて黎に読めるものなどなかった、はずである。
これは気のせいであろうか。追い詰められた状況の中で、何か錯覚を起こし
ていたのだろうか。
古代文字の羅列の中、一箇所、ほんの一箇所だけが浮き出て見えたのだ。
「読める………えっ? 嘘、だろう」
確かに浮き出た文字列が読み取れたのだ。いやそんなはずはない。
これが本当に古代文字であるなら、そこに記された文章も古代言語によるも
のであるはず。日本語以外には、学校で習った英語をわずかに知る程度の黎に、
読み取れる理屈はない。
しかしそこには黎のよく知る日本語の文章が記されていたのだ。
いや正しくは日本語ではない。浮き出た文字列を日本語で解したと言ったほ
うがよいだろう。
そこで文字を読み取ったところで、この状況に変化があるとは思えない。言
葉を縋る意味もない。
単に興味だけだったのか。何かを期待したのだろうか。黎はその文字列を声
にして読み上げる。
「右に光、左に闇」
ただそれだけの簡単な文章であった。
「くそっ、やばいぞ」
男の声。
「な、なによ!」
女がヒステリックに叫ぶ。
そして。
天空より光の柱が二本、黎の目前に降りて来た。光を中心に、風が巻き起こ
る。風に飛ばされた木の葉が黎の顔を、手を、足を、叩いて過ぎて行く。
やがて風が治まると光の柱も消えて行く。そして消え去った光の後に、二つ
の影が残される。
少女、であった。
同じ容姿を持つ、二人の少女が立っていた。
【To be continues.】
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