#549/1159 ●連載
★タイトル (RAD ) 07/07/20 19:44 (306)
BookS!(06)■戦い■ 悠木 歩
★内容
■戦い■
過ぎ去った風に煽られていたのであろう。
長く細く、艶やかな髪が静かに舞い降りる。腰より、やや上ぐらいまである
だろうか。大きな瞳は幼さを残しつつも、凛として意志の強さを隠しはしない。
土の上に座り込んだままの黎を、じっと見つめている。決して高くはないが、
真っ直ぐと通った鼻筋。幼い顔立ちには些か不似合いな、情熱的で艶やかな唇。
身に纏うは薄手の衣。袖などもない。おそらく一枚布なのであろう。それを
巧みに身体へと巻き付けていた。それを腰の少し上で革のベルト、いや帯のよ
うなもので留めている。
一卵性の双子と言い切ってもいいほど、二人の少女は酷似していた。しかし
断定出来ない理由もあった。
一方、黎から見て右側に立つ少女は光。
透き通るような、あるいは降り積もったばかりの雪原をも凌ぐ、白色の肌。
陽光の化身と断言しても憚ることのない銀の髪。強い瞳は深い森の奥に、ひっ
そりと佇む湖を思わせる。
もう一方、左側に立つ少女は闇。
情熱的な、あるいは沐浴する烏の羽を思わせる褐色の肌。吸い込まれそうな
闇夜を想起させる漆黒の髪。怯えを知らない瞳は魔人の統べる国がかくあろう
かと思わせる、暗色。
如何に顔貌が似ようともその違いは一卵性双子のものではあり得ない。
「我らを目覚めさせたのはお前か?」
白い肌の少女の声が涼しげに響く。
「掟に従い、我らお前のため戦おう」
褐色の肌の少女の声が凛と響く。
「えっ………戦うって、君たちが」
黎は呆けた顔で言った。
華奢な身体つきの少女たち。黎にはおよそ二人の戦う姿など、想像出来なか
った。
「ちょっと、二人ってズルいんじゃない」
聞こえて来たのは女の声だった。
「何、問題はない。その本に封じられていたのは、お前らだったか」
男の声は、どこか嬉しそうにも聞こえる。
少女たちは男へと向き直った。ただそれだけのことである。しかし単純な動
きにも関わらず、黎にはそれが舞のように見えた。
「粉砕者か」
抑揚のない声は、白い肌の少女か。
「よう久しぶり。大将はまだオネムかい?」
また黎にとっては意味不明の言葉である。何か彼ら、彼女らの間でだけ通用
する会話なのだろうか。
対峙する三つの影。
二対一と数の上では少女たちが優位ではあった。だが数では勝っていても、
少女たちに勝機があるとは思えなかった。
男の持つ武器は、長柄の得物。一般に武器はそのリーチが長ければ長いほど
有利であると思われがちだが、必ずしもそうではない。長くなればなるほどに、
その扱いには高い技術が求められるようになる。技術が伴わなければ、長柄の
武器はその有利さを失うばかりか、却って通常の武器に対し後れを取ることと
なる。全ての戦国武将が加藤清正や前田利家のように長柄の槍を得意とした訳
ではなく、侍の全てが佐々木小次郎のように長刀を用いた訳ではないのはその
ためである。彼らは何れも共通し、長柄の得物を使いこなす、卓越した技量を
有していた。
スコーピオンと呼ばれる男もその技量は加藤清正、前田利家に引けを取るも
のではない。いや、あるいは遥かに凌駕しているかも知れない。
一方少女たちが手にする武器は、短剣であった。
しかも柄の部分には宝石が埋め込まれており、更に詳細は見て取れないが細
工も施されているようであった。武器と言うより宝飾品としての要素が強く感
じられる。
仮に少女たちが男と同等、またはわずかに上回る技量を持ち合わせていたと
しよう。ならば使用する武器の差で、戦いの分は男のほうにあるとしか思えな
かった。
「目覚めて早々に悪いが、消えてもらう」
男は手にした武器を上段に構えた。
「でやぁぁぁぁぁっ!」
気合と共に、男は少女たちへと突進して行く。
身構える少女たちはこれ避けようとする様子がない。正面から男の攻撃を受
けようと言うのだろうか。
「そんな無茶………」
言い掛けて、黎は悟った。
直前、少女たちは言った。「お前のために戦おう」と。
即ちそれは、黎を守る戦いである。
黎はいま、少女たちの真後ろにいた。もしここで少女たちが攻撃をかわせば、
男と黎とが対峙する形になってしまう。
「ダメだ、避けて!」
もちろん黎にしてみても命は惜しい。
訳も分からないまま殺されたくはない。
しかし男としてのプライドもあった。幼げな少女たちを犠牲に生き延びるこ
となど、己の心が許さない。
尤も少女たちが倒れれば、男は即座に黎の命をも奪うであろう。ただそこま
で考えは回らない。とにかくどうにかしたく、起き上がろうとする。だが蓄積
された疲労、ダメージは黎が思うより大きいものだった。身体が思うようにな
らない。殺虫剤を浴びせ掛けられた虫の如く、その場でばたばたとするばかり
であった。
「砕けろ!」
振り下ろされた男の武器は、まず軌道上の空気を粉砕して行く。耳慣れない
粉砕音が聞こえ、最初に少女たち、続いて黎の髪が風に舞った。
無言のまま、少女たちはそれぞれの短剣を交差させる。その重なり合った部
分で男の武器を受けた。鈍い音が響く。
「ぬっ………」
「くっ………」
小さな唇から声が漏れる。信じ難いが、そのままへし折られても不思議では
ない細い腕が、男の武器を止めた。
「ぬうっ」
止められてもなお、男は力を込め押し切ろうとしていた。少女二人の力より、
男の力のほうが勝っているのだろう。それぞれに両手を沿え、耐える少女たち
の腕が次第に下がって行く。
「せいっ!」
男が更に力を入れると、遂に少女たちは押し切られてしまう。
高く掲げていた腕が地に落とされる。バランスを崩した身体も倒れこむ。が、
少女たちが地に伏すことはない。宙で身を捻り、横へと飛んだ。
瞬間、男と黎は見つめ合う結果となる。
「いまよ、やっちゃえ!」
これが好機とばかりに、嬉々とした女の声。
「くそっ!」
距離は五メートル弱。武器の長さもある。男にして見れば二秒と掛からず、
黎にとどめをさせる距離であった。
ところが懸命に逃れようと手足を動かす黎を、男は無視したのである。
男は黎から見て、左方向に移動する。褐色の少女が飛んだ方向であった。
「喰らえ!」
落下点を男が薙ぎ払う。重力に任せて落ちて行く少女に、避ける術はない。
そう思えた。
ところが褐色の少女は、足で男の武器を蹴り、横へと飛んだ。落下しながら、
動く物体を蹴り、軌道を変える。それは言葉にするほど、簡単な行為ではない。
少しでもタイミングを外せば、怪我どころでは済まない。
「へっ、やるねぇ。寝起きとは、思えないぜ」
賛辞を贈る男は空振りとなった武器を、素早く後方へ引く。偶然か、分かっ
ていた上での行動か。いや、分かっていたのであろう。男の後ろには、白い肌
の少女が短剣を構え、迫っていたのだった。
「ちっ!」
危うくカウンターを喰らい掛けた少女は、寸前でこれを避ける。と、男は武
器の端を掴んだ手を上から大きく回す。
今度は体勢を立て直した、褐色の少女が前から斬りかかろうとしていた。
「つっ!」
後ろへ跳ね退けた褐色の少女は、そのリーチぎりぎりに男の武器をかわす。
叩かれた大地から、土埃が起きた。周囲の視界が悪くなる。
もはや男は黎に対する関心を全く失っているようだ。少女たちとの戦いを楽
しんでいる。
男と少女たちの力量は、ほぼ五分五分の関係に見えた。だがやはり手にした
武器の特性の違いは大きい。離れた位置から攻撃を仕掛けられる男に比べ、少
女たちは懐に飛び込むしか活路がない。もちろん男はそれを許さない。
「楽しいな。やはり戦いは、こうでなくてはいけない」
「てやーっ!」
今度は左右から同時に、少女たちが仕掛ける。数の優位さを生かそうと言う
のであろう。
「ぬうっ」
男は武器の中央を両手で握った。右手は下から、左手は上からと。それから
気合を込め、手首を捻ると、武器は二つに分かれる。
「それっ」
二つになった武器で、それぞれに少女たちの攻撃を受け止める。
「どうだい、俺のちょっとした隠し芸だ。面白いだろう?」
その武器は棍棒そのものの姿となっていた。棍棒による二刀流。マラカスの
演奏者のように見えなくもない。
「よいしょ、と」
男は受け止めた短剣を、回すかのような動きをする。片手でもなお、力で少
女たちに勝っているらしい。巻き込まれた武器同様、少女たちの身体も回転し、
倒れる。
それから男は、白い肌の少女へと狙いを定め、地面を蹴った。
倒れながらもそれを察知した少女は、宙で短剣を口に咥える。そして両手を
大地に突き、後方へ回転する。
そこに振り下ろされる棍棒を避け、さらに後方へ。また棍棒が振り下ろされ、
少女はまた後方へと。
だが奇妙な形での追いかけっこは、そう長くは続かない。一際太い木が、少
女の進行を妨げていた。
「どうする? 行き止まりだぜ」
男の気遣いは無用なものであった。
回転しながら木へと達した少女は、その細くしなやかな足が触れると、その
まま幹を駆け上ったのだ。そして飛び、身を翻しながら男の頭を越えて行く。
「ほほう、こいつは見事」
男は握っていた武器を地面に落とし、空いた手で拍手をする。
「我らを愚弄するのか」
敵からの賞賛を、素直に受けられるはずもない。まして武器を手放した男に、
侮蔑の意を感じたのだろう。
二人の少女は並び立ち、厳しい視線を男に送る。
「いやいや、そんなつもりはないよ。このところつまらぬ仕事が多くてね……
…今日は久々に楽しませてもらった」
「どういうことか?」
「今回はこれまでってことさ」
「ちょ、ちょっと、何勝手なことを言ってるの!」
男に駆け寄って抗議するのは、レザージャケットの女であった。自分が少女
たちの攻撃対象になるとは、考えられないのであろうか。
「それっ!」
男は、女に答えない。代わりに女の身体を引き寄せ、左腕一本で抱え込むと、
大きく跳躍する。
全てがそうであったように、その跳躍も常識外れのものであった。天空にま
で及ぶ跳躍で、男の姿が見えなくなるまで五秒と掛からなかった。
「逃げたか」
どちらの少女の呟きだったか、分からない。いつの間にか、地面に落ちてい
るはずだった男の武器も消えていた。
「誰が逃げろって言ったのよ。アンタ、まさか女相手にビビったんじゃないで
しょうね!」
男に抱えられたまま、女は怒鳴り散らしていた。
それへちらりと視線を遣った男は、これ見よがしにうんざりとした顔をする。
「少しは静かにした方がいい。俺の腕から抜けて、下に落ちてもいいと言うの
なら、別だがな」
男はまだ、空に在った。
どれほどの速度を出しているのか。強い風が全身にあたる。
「……………」
男の言葉を聞き、女はようやく大人しくなった。
「それでいい………時間なのだよ。それが不満ならば、もっと力を付けてくれ」
「あっ………そうか、ごめん」
滅多に聞くことのない、しおらしい女の返答に、男の顔にも笑みが浮かんだ。
「さてそろそろ本当にマズいな。着地しよう」
男が着地したのは広い河川敷だった。抱えていた女を降ろすとほぼ同時に、
男の姿が霞み始める。
「だけど、二人も封じられてる本があるとはね………」
「いや多分、二人ではないな。あの本は………」
全てを言い終えるより先に、男の姿は霧散するように消えてしまう。ただ一
人、女だけが残される。
「ところで、ここ何処なのよ? 駅はどっちなの?」
偉大なる芸術家の手による絵画を見るようでもあった。
こうして改めて見る少女たちの姿は、やはり美しい。
いまだ体力の回復しない黎は、尻餅を突いたままの恰好である。目の前に立
った、二人の少女を見上げる。
少女たちは本から抜け出したよう、思える。いや、本に現れた呪文を読み上
げることで、どこからか呼び出されたのか。出現のタイミングを考えれば、そ
う判断していいだろう。
ただ少女たちが黎の味方だとは、まだ断定出来ない。
確かに彼女たちのお陰で、黎は危機から救われた。しかし男が命を狙った理
由が分からないように、少女たちが黎を救った理由も分からない。
「我はリルルカ」
白い肌の少女がそう名乗った。
「我はミルルカ」
続いて褐色の肌の少女が名乗る。
「少年よ、力を付けよ」
耳に心地よく響く声。白色の肌の少女が発したものである。その声を聞くだ
けで、少女が黎にとってよい者だと思えてしまう。
「されば我らと、我らが守りし者、そなたの力となろう」
褐色の肌の少女の声は、上品な弦楽器の音にも似ていた。その音に酔いしれ、
全てを預けてしまいたい感覚に陥る。
凛々しくも美しい立ち姿が、風に揺らめく。と、そのまま二人の姿は風にか
き消されるかのよう、失われる。
「えっ………あっ」
慌てて視線を巡らせても、もう少女たちの影すら見出すことは適わなかった。
「お礼も、言っていないのに」
砕かれた木々、えぐられた大地。
戦いの名残だけが残された地で、黎は一人、体力が回復するのを待つしかな
かった。
■黒幕■
「君らしくもない失態だな」
男の口調は穏やかであった。その言葉を向けた相手が犯したミスを、強く咎
めるつもりはなかったのだ。
都心に近い、いや、いまやこの街が都心であるとも言えた。この地に聳える
巨大、かつモダンな造りのビル。現代の成功者たちが集うビルの上階に二人は
居た。
男は大きな窓ガラスの前に立ち、街の夜景を眺めていた。
「申し訳ありません。全ては本を外部に出してしまった私のミスです」
男に深く頭を下げるのは真嶋であった。
薄暗い部屋に一瞬だけ強い明かりが灯り、すぐに消える。窓際に立った男が、
煙草に火を点けたのだった。
「それで現状は?」
「はい、一冊は社内で保管していたため無事。社外に出した二冊、本間及び鳴
瀬に依頼した本がそれぞれ襲撃を受けました」
「ふむ、我々の他にも、本のことを知る者が在ると言うわけだな」
男が吐く煙と共に、バニラ臭が室内に広がって行く。
「本間のほうは、監視の者がすぐに気づき格闘の上、勝利。ことなきを得まし
た。しかし鳴瀬のほうは監視の者も気づかず、本の行方は不明」
「気づかなかったとは、どういうことなのだろう。まさか君ほどの者が、無能
者に監視の任を与えていた訳でもなかろう」
男は黒檀のデスクに置かれた、ガラスの灰皿に吸っていた煙草を押し付ける。
「報告によれば研究室及び廊下に破壊の跡があったそうです。また近くの林に
も戦闘の痕跡とのことです」
「戦闘と言うのは、誰と誰が戦ったのだろうね?」
「はっ、申し訳ありません。現在の所不明であります。本の解読を依頼してい
た磯部及びその助手は、食事のため外出しており無事。学校の関係者にも、該
当者は見られません。それと言い訳のよう聞こえるかも知れませんが、監視の
者が気づかなかったのは、結界が張られていたためだと推測されます」
「ほう、結界! 漫画だけの話かと思ったが、実在するのか、そのような技が」
「社長?」
「いやいや、済まん」
本が奪われたと言うのに、社長と呼ばれた男は楽しそうに笑う。
「君にここまでやらせておいて言うのも何だが………ぼくは全てを信じていた
訳ではないのでね。しかしこれで、信憑性も出てきたな」
「はあ………それで鳴瀬への襲撃はブックスの仕業と推測されます」
「ほほう、ブックス! いよいよ以って面白くなって来た」
笑いながら、男は二本目の煙草に火を点けた。
「本の行方と襲撃者については木崎たちに当たらせていますが、いまの所、皆
目」
「敵さんはブックスの呼び出しに成功しているのだとすると………我々もうか
うかしていられないな。解読を急がねば」
「仰る通りです」
「で、何か手は?」
「鳴瀬の磯部氏を、当社に招こうと」
「その磯部さんと言うのは、あてにしていいのかい」
「ええ、少なくとも権威主義の年寄り共よりは期待していいかと、私は判断し
ております」
「うん、まあ君が言うのなら、大丈夫だな。早速手配をしたまえ」
「はい、鳴瀬の理事長らには既に話を通してあります。当面磯部氏には、出向
と言う形で我が社に留まって頂くことになります」
「さすがにやることが早いな」
男は二本目の煙草を揉み消した。
真嶋は再び深く礼頭を下げ、退室しようとする。
「ああ、待った。鳴瀬のほう、大分破壊されたようだが、どうしたかね?」
「はっ、死者がなく幸いでした。関係者には口外しないよう、手配してありま
す。修復作業も明朝から取り掛かる予定です。夏休み中には、片付くことでし
ょう」
「よろしい、全く君は優秀だ。お陰で私は楽が出来る」
両手を広げ、男はオーバーアクション気味に部下を褒め称える。対して受け
る真嶋は己への賛辞に満足した様子も、恥らう様子もなく三度の礼の後、静か
に部屋を去った。
「ふん、我が優秀なる部下に、乾杯でもしようか」
残された男は、広口のグラスを手に取り、琥珀色の液体を注ぐのであった。
【To be continues.】
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