AWC リハビリ探偵と冷たい警部補   永山


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#514/567 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/03/02  17:22  (234)
リハビリ探偵と冷たい警部補   永山
★内容                                         22/11/01 14:10 修正 第2版
 天乃才人《あまのさいと》は名探偵である。ただし、現在休養中。
 かつては、警察が苦戦した無差別殺人を解決に導いたり、迷宮入りしていた一家皆殺
し事件に真相の光を当てたり、誘拐犯とされた女の冤罪を晴らしたりと、八面六臂の活
躍を見せ、名探偵の名をほしいままにしていた。
 ところが四年前の冬、山荘で起きた殺人事件を契機に自信を喪失し、自宅に籠もりが
ちになってしまった。依頼を受けることもなくなり、顔馴染みの脇田《わきた》刑事が
お知恵拝借とばかりに相談を持ち掛けても、途中で放り出してしまう。
 その脇田警部補が亡くなったことで、代わって天乃才人担当者にされたのが、やはり
警部補の岸井玲二《きしいれいじ》だった。
 岸井の部下である鈴木正《すずきしょう》は、今日初めて岸井に同行し、天乃探偵の
元を訪れるとあって、多少興奮していた。
「岸井さんは、天乃探偵と一緒に仕事をされたこと、あるんでしたよね」
「ああ。その腐れ縁で、こんな面倒な役割を押し付けられた」
 助手席で仏頂面のまま、前を睨むような顔付きの岸井。ハンドルを握る鈴木は意外に
感じていた。
「面倒ですか? 僕は凄く名誉に感じましたけど」
「鈴木、おまえは名探偵にどんなイメージを抱いてる?」
「それはもちろん、難事件を快刀乱麻を断つが如く、ばったばったと解き明かしていく
……違うんですか?」
「ああ、まあ、違っちゃいない。快刀乱麻云々てのは言いすぎだが、難しい事件を次か
ら次に解決に向かわせやがったと思う」
 いちいち棘のある物言いの先輩に、鈴木はこれは訳ありだなと推測した。ストレート
にぶつけてみる。
「岸井さんは天乃探偵との間で、何かあったんですか。捜査の過程で衝突したりとか、
手柄を持って行かれたりとか」
「ふん。それくらいなら茶飯事さ。まあ、厳密に言えば、常に正しかったのは天乃の
方。意見の衝突で間違えていたのは俺達、手柄は持って行かれたのではなく、正当な評
価を受けたってだけだ」
「でしたらそんな毛嫌いしなくても、認めていいのでは」
 車は高速を下り、一般道に入った。
「能力を認めてなかったなじゃないぞ。俺が気に食わなかったのは、奴の存在が警察に
マイナスに作用するってことだ」
「どういう意味でしょう?」
「分からんか。名探偵と言ったって、一般人の素人だ。そんな人間が、警察も苦戦する
事件を次から次へと解き明かしてみろ。こっちへの風当たりが厳しくなるのは分かるだ
ろ」
「それはまあ」
「税金ドロボーだの警察解体だの、うるせえんだよ。名探偵がたとえ百人いたって、警
察全体の代わりは務まらない」
「それはそういう見方をする一部の人達がよくないのであって、天乃探偵のせいではな
いのでは」
「そうだよ。だが、そんな状況を解決する簡単な方法がある。天乃が警察に入ればい
い。捜査に際立って有益である特殊な技能を持った人物として、採用可能だ。いざとな
ったら、特別顧問でも何でもいいから肩書きを用意したらいいさ。そのことを俺は前
に、天乃に直に言ったんだ」
「あ、そうだったんですか」
 信号のある交差点を左に折れ、住宅街に入る。ここからは速度を落とし、より慎重な
運転に努める。
「だが、あいつは断りやがった。警察のような組織に縛られるのは嫌だとぬかして」
「興奮しすぎですよ、岸井さん」
「知るか。おまえが思い出させるからだ。あいつは俺だけでなく、脇田さんが頭を下げ
て打診したのまで断ったんだ。まったく、俺達の気遣いや苦労も知らずに、あっさり
と」
「――あ、あそこでしょうか」
 気詰まりな車内の空気を早く振り払いたくなった鈴木は、まだやや距離はあるが、天
乃才人の自宅らしき建物を指差した。
「ああ、そうだ」
 岸井はぶっきらぼうに答えた。
「しっかり覚えとけよ。次の担当はおまえになるかもしれないしな」

 独身男の独り暮らしと聞いていたが、家の中はきれいに片付いていた。生活感の乏し
さが気にならないでもない。が、天才的な探偵能力を誇る人物の住まいであれば、これ
くらいはむしろ普通にあって欲しいと思える。
 鈴木は手土産の入った紙袋を最終確認し、玄関から上がった。
「あの、家の人が出て来てませんが、いいんですか」
「いいんだ。事前に連絡を入れて、了解を得ている。おまえ、さっきのインターフォン
でのやり取り、見てなかったのか」
「見てましたが、まるで忍者のやり取りで」
 インターフォン越しに「市場で針と糸を買って来た訳は?」と問い掛けられ、「古典
的密室を作るため」という返事をすると、「どうぞ上がってください」と言われた。冗
談なのか本気なのかよく分からない符丁だ。
 廊下を奥まで行き、右手の部屋のドアを岸井がノックしようとしたが、ドアが半開き
なので互いがよく見えた。
「――やあ、岸井警部補」
 大きな書架の前に立ち、重たげな本を開いていた男が言った。すぐに本を棚に戻す
と、些か覇気に欠ける幽鬼のような足取りで、近寄ってきた。「そちらは?」と鈴木の
方を見やる。
「日本で一、二を争う数の鈴木に、正しいと書いてすずきしょうだ。俺の下っ端だ」
「初めまして、鈴木正です」
 お辞儀をする鈴木に、天乃は片手を差し出してきた。握手しながら、
「初めまして、天乃才人です。鈴木さんのことは何とお呼びすれば? 鈴木刑事?」
 プロ野球選手を思い浮かべるからその呼び方はやめとけと、諸先輩からはよく言われ
るのだが、鈴木本人は気にしていない。
「何でもいいです。あの、これ、お好きだと聞いて」
 袋に入った菓子を差し出す。天乃探偵は両手で受け取り、中身をちらと覗いた。
「ああ、これは嬉しいな。どうもありあがとう。ところで今日は何用で?」
「月一の恒例のやつでさぁ」
 岸井が言った。
「日の感覚もなくなりかけかいな? 前回からだいたい一月経ったんですよ、天乃名探
偵?」
「言われてみればそのくらいか。分かりました。書斎に移動しましょう」
 廊下を挟んで反対側の部屋に移った。最初の部屋に比べると、書架は一つしかなく、
代わりに大きめの机がでんとスペースを取っていた。
 その机のサイドの面を天乃探偵が何やらいじると、その面がぱかっと外れ、弧を描く
風にして外へ広がり出た。椅子のようだ。反対側でも同じようにして、椅子が姿を現
す。
「適当に座って。ああ、悪いがお茶は出ないので」
 菓子を紙袋ごと机の陰に置きながら、天乃探偵は言った。鈴木達が座るのを待って、
次の言葉を発した。
「岸井警部補、今日はどんな事件なんだろう?」
「ああっと、今日は少々荒療治でもかまわないと言われてるので、昔のことを蒸し返さ
せてもらいましょうか」
「昔のこと?」
 岸井の言葉に、天乃探偵の目にわずかながら警戒の色が浮かぶ。
「そう、あんたが大きなミスを犯した、雪の山荘事件を軽くおさらいして、それから本
日の事件と行きましょう」
「うぅ……嫌とは言えないのだろうね」
「嫌と言われたら、私らは帰るだけで」
 小さくお手上げのポーズを取る岸井。天乃は不承不承といった体で頷き、話を促し
た。
「では早速。――雪の山荘事件、あれは四年前の一月だった。女主人の誕生パーティに
呼ばれたあなたは、御多分に漏れず、殺人事件に遭遇する。一人目の被害者は女主人の
年の離れた妹で、状況から女主人と見間違われて殺されたと思われた。二人目は屋敷の
メイド頭で、雪の原っぱで死んでいた。いわゆる雪の密室、足跡なき殺人だったが、こ
れに対しあなたは近くにある村の設備、逆バンジーの仕掛けを利した巨大な人間パチン
コによる放擲殺人だと判断した。そして問題の三つ目。これまた近くにある池が凍り、
そこにバラバラに切断された女主人の遺体が氷詰めの状態になっていた」
「ああ……その先も言うのかい」
 皆までは口にしないが、哀願するような目を向ける天乃探偵。鈴木は内心、気の毒に
感じていた。一方、上司の岸井は冷たい口調で言い放つ。
「言わなきゃ意味がないのでね。あなたは一連の殺人事件を、女主人の犯行だと推理し
た。一件目の殺人はいかにも女主人に間違われて妹が殺されたような状況だったが、そ
の
状況を故意に作れるのは女主人だけである。二つ目の事件で、冬場閉鎖されている施設
の鍵を偽造できるのは、かつてフィギュア造型師として働いた経験のある女主人だけで
ある。そして三つ目、女主人のバラバラ遺体は実は精巧に作られたマネキン。犯行現場
を無闇にいじってはならないという心理を利用して、氷に閉じ込めることで、作り物で
あることがばれるのをしばらく防げるという狙いだとした」
「ああ……」
「そしてあなたは警察の到着を待たずして、池の氷を破壊し、女主人のマネキンを取り
出そうとした。ところが……それは作り物の人形なんかではなく、正真正銘、女主人の
切断された遺体だった。推理は大外れに終わった」
「仕方がなかったんだ。もしマネキンのトリックが使われていたとしたら、それは犯人
が逃走時間を稼ぐためだ。一刻も早く、氷の中にあるのはマネキンだと示す必要があっ
たんだ。それに、女主人の亡き夫の職業が、マネキン人形師だったのも大きい。妻にそ
っくりのマネキン人形を残していてもおかしくない。そして女主人はそのマネキンを用
いてトリックを実行したのだと、勝手な絵を描いてしまった。うう、思い返すだけでも
顔から火が出そうだが、それだけなんだ」
「それだけじゃあないでしょう。後に我々警察で捕まえた真犯人の男は、あなたのこと
を揶揄していた。小説や漫画、クイズに出て来たトリックをそのまま使ったように見せ
掛けて、裏をかいただけなのに、まんまと引っ掛かるなんてとんだ迷探偵だ、と」
「もうよそうじゃないか。やめてくれ。もうたくさんだ」
 耳を両手で塞ぐ探偵の天乃。いや、元探偵と言わなければないかもしれない。そんな
風に鈴木は思った。それだけ今の天乃才人からは哀れさを感じる。
(岸井さんも、過去の鬱憤を晴らすみたいに……そこまでこき下ろさなくても。僕らを
熱く指導することはあっても、ここまで冷淡な人だったなんて)
 先輩に対する多少の非難と、伝説の名探偵に対する憐れみ、そしてほんの少しの失望
を感じながら、若い鈴木には見守るしかできないでいた。
「この話はここらでやめてもいい。だが、もうたくさんでは済まないんだな。これから
が本題だ。今日のお題ってやつさ」
「無理だ。こんな精神状態で、まともに解けるはずがない!」
「いいから聞けよ。解けなかったら解けなかったでいい。それが今の天乃才人の実力
だ」
 岸井はポケットから手帳を抜き取り、さらにページに挟んであった紙を手に持った。
「えー、殺人事件が起きたのはちょうど半年前。一月末の頃だ。現場の洋館があるの
は、北国の一地方としておこう。気になるのなら、あとで検索でも何でもしてくれれば
いい。
 周辺は前日に降った雪で白く染まり、五センチ近く積もったそうだ。そして日付が代
わった事件当日の午前七時頃。その館を所有する一家の一人娘が死体となって発見され
る。死因は、頸動脈の辺りをナイフですぱっと。ナイフはその場に落ちていたが、持ち
主は不明。出所も量産品なので犯人特定の決め手にはなりそうにない。
 場所は館の敷地内で、ちょっとした藪になっていたため、遺体は隠れてしまっていた
らしい。敷地は塀に囲まれ、その向こうも断崖等で人が簡単に移動できる環境になく、
外部からの侵入者は考えられない。かといって、館からも難しかった。というのも遺体
の周辺には、館から三十メートルほど続いた第一発見者――父親と兄の足跡を除くと、
被害者自身の物しかなかったからだ。
 娘は前日の昼から館を出ており、いつ帰ってきたのか分からない。朝になって、一度
戻った痕跡があることに気付いた父親と兄が探しに出て、見付けたとのことだ。死亡推
定時刻は当日の午前一時から三時までの二時間。雪は前日の午後十時頃から当日の朝十
時頃まで、ずっと止んでいた。――ここまでで質問は?」
「……とりあえず……被害者の足跡の様子を」
 ぼそっとした声だったが、しっかりとした意図を持って質問したらしかった。という
のも、天乃探偵の目が死んでいないことを、鈴木はちゃんと見ていたから。
「おう、それなら今まさに言うところだった。精神的にどうにかなっていたのか、若
干、ふらふらした、一定しない足取りでね。深さも一センチのところがあるかと思え
ば、三センチのところもあるという具合にまちまちだった。歩幅などから、走っていた
のではない、つまり犯人に追われていたのでないことははっきりしている」
「深さ三センチ……。積雪五センチなのに、三センチというのが気になる……踏み潰さ
れて圧縮されたとしても、二センチも変わるものなのか。念のために窺いますが、館か
ら遺体のあった地点までの足跡は、新雪の上に付いた物だと、間違いなく断定できるの
でしょうか」
「……いや、それは分からん。ただ、何箇所か計測されたポイントのいくつかでは、
元々深さが三センチほどしかなかったのではないかと疑われる場所もあった」
 天乃探偵の目が輝いたように、鈴木には思えた。
「岸井さん。関係者の中に、それなりに大柄もしくは体力があって、ドローンを操縦す
るのがうまい人物がいるか、分かるだろうか?」
「ほう、何を閃いたか知らないが、その質問にすぐに答えるのは無理。俺達の管轄で起
きた事件じゃないんでな。だが仮にそんな奴がいたとしたら、そいつが第一容疑者にな
る?」
「ああ。犯人は館の中で娘の意識を奪い、背負って現場に運んでからナイフで殺したん
だ。足跡は通常よりも深いものがあちこちにできたはずだが、往復時になるべく踏み潰
したのに加え、館に戻ってからドローンを放ち、館から遺体まで雪を吹き飛ばしながら
飛行した。さらにドローン底部に、被害者の履き物を固定し、足跡を地面に残せる道具
にした。この仕掛けなら足跡は残せるが、深さがまちまちになったのは、操縦者も気が
急いていたんだろう」
「……ふむ。なかなかユニークな推理だった。これまでのリハビリでは、一番よかった
ように思う。真実を見抜いているかどうかの判定は、現時点ではしないし、できない。
ただ、まあ、そうだな。回復の兆しが見られていることにしとくよ」
 岸井はちょっとだけ口元を緩めた。
「さあて、最初に断った通り、俺達現役の刑事は、のんびりしている暇がない。そろそ
ろお暇させてもらいますよと」
 席を立った岸井は、鈴木にも立てと、目配せで知らせた。

「密かに調べてみたんですけど」」
 天乃宅から帰りの道すがら、運転手を務める鈴木は、助手席の岸井に疑問をぶつける
ことにした。
「岸井さんが話した北国の洋館での殺人事件、本当に発生してます?」
「……ふふ。気が付くのが意外と早いな」
「ということはやっぱり、作り話なんですか? 道理で検索してもヒットしないと思い
ましたよ」
「まあ許せ。おまえにまで種を割っていたら、もっと早くに天乃探偵に勘付かれる恐れ
があった。敵を欺くにはまず味方からってやつさ」
「いえ、そんなのはいいんです。分からないのは、わざわざ嘘の事件をでっち上げた理
由ですよ」
「そんなもの、決まっている。天乃に復活を促すためだ。天乃探偵向けで、天乃探偵が
閃き易い真相を設定し、天乃探偵がこちらの用意した答に辿り着いたら万歳!ってわけ
だ」
「……」
 車は行きと同様、再び高速道路人入った。
「この嘘の事件の脚本家は誰ですか。まさか岸井さんじゃないでしょうね」
「俺なんだよな、それが。脇田さん亡き今、天乃探偵を一番知っているのは俺ってこと
になってるから、仕方ない。文学青年に戻ったつもりで必死に作った。おまえから見て
どうだった? まずまずの出来映えだと自画自賛してたんだが」
「何と言いますか……謝ります」
「はあ? 何で」
「僕は今日の岸井さんがやけに冷たいなと感じてたんです。それがお芝居と分かった。
それどころか、天乃探偵のために、自ら苦労して事件の考案までしたなんて。あなたは
全然冷たくなんかありませんでした」
 道は渋滞の気配が出つつあったが、まさか車を止める訳にも行かず、ハンドルを握る
鈴木は、目礼だけした。
 岸井は少し遅れて、反応を示した。
「あたぼうよ」

 終わり





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