#95/598 ●長編
★タイトル (GSC ) 02/09/25 21:10 (241)
同級会と長州旅行 (1-2) /竹木 貝石
★内容 02/09/25 21:31 修正 第2版
まえがき
私は昭和36年に、某教員養成部を卒業した。
その時の同級生は、理療科22名(男19・女3)、音楽科2名(男1・女1)で、
卒業後は教員として全国各地の盲学校に就職し、現在は大部分が退職している。
卒業二十周年に岡山で同級会を開き、以後、下呂、伊香保、奈良、神戸と、3〜5年
に1回の割合で、有志が集まり旧交を温めてきた。その同級会(三六の会)を、今年は
8月4〜5日に門司で行い、幹事は北九州在住のKN子さんが当番である。
思えば昭和34年度の入学試験で、名古屋盲学校から教員養成部に四人も合格したの
は快挙と言われたが、そのうち一番若いNO君は既にこの世になく、LM子さんは
同級会に一度も出てきたことがない。
私とAA君は、過去5回の同級会に無欠席で、下呂で開催した折りには幹事も務めて
いる。今回も早々と参加を申し込み、メールで打ち合わせて、ついでに長州旅行をする
ことにした。つい四ヶ月前には、二人で春日八郎記念館を訪ね、会津旅行をしているか
ら、気の合った同士の〈弥次喜多道中〉と言ってもよい。
下記は、A君が作成してくれた旅行計画である。
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同級会と長州旅行 02.8.3
第1日目 8月4日(日)
9:14 浜松発 こだま405号 10:06名古屋着
10:30 名古屋発 ひかり101号 12号車13DE 14:12 小倉着
14:24 小倉発 普通列車 14:39 門司港着
14:50 徒歩で電気通信レトロ館まで行く
15:30 バスに乗車 220円 終点「めかり山頂」下車 15:40着
同級会会場 国民宿舎「めかり山荘) TEL 093-321-5528
九州の最北端、小高い山の頂上に建つ旅館、関門海峡をはさみ
下関が一望できる。
第2日目 8月5日(月)
10:00 旅館発バスに乗車
10:15から門司港レトロ見物と昼食
12:00 門司港発 クルージング 関門海峡 彦島 壇ノ浦など
13:00 門司港着
13:40 門司港発 タクシー 13:50 国道人道入り口着
14:00 関門海峡の下の歩道を歩く 14:15 下関側に着く
14:20 みもすそ川公園で外国船を撃った長州砲を観る
15:00 みもすそ川バス停乗車 15:05 赤間神社前着
15:30 赤間神宮入り口でN夫人と待ち合わせ。
赤間神社宝物館 安徳天皇陵 下関条約記念館
藤原義江記念館 旧英国領事館など見学
17:00 下関異人館(喫茶店) イギリス風紅茶を飲む
18:00 魯山亭で夕食 ウニのぶっかけ丼1800円
19:00 唐戸バス停からバスに乗る 19:15 下関駅着
19:10 「下関ステーションホテル」10階建て98室
電話0832−32−3511 朝食付き約5000円
第3日目 8月6日(火)
9:00 ホテル発 徒歩 9:05 下関駅着
9:20 山陰本線 特急「いそかぜ」 11:05 東萩駅着
11:15 東萩駅前よりタクシーで高杉晋作の家見学
12:00 がんこ亭で昼食 出雲ソバ
12:30 桂小五郎の旧宅
13:00 タクシーで 萩焼の窯元 萩城 城下町 松下村塾 東光寺など
16:30 旅館着
国際観光旅館 萩本陣 0838−22−5252
温泉と料理が自慢の宿
第4日目 8月7日(水)
9:30 旅館発 タクシー 9:37 東萩着
9:55 秋芳洞方面行きバス 11:05 秋吉台着
秋吉台 博物館 エレベーター 秋芳洞を見物 昼食
14:30 秋芳洞発小郡行きバス乗車 15:11 小郡駅着
15:29 新幹線乗車 ひかり104号 14号車 7DE
18:50 名古屋駅着
18:54 名古屋発 こだま484号 19:42 浜松着
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いいわけがましくなるが、私は退職後5年間に沢山の文章を書いてきて、近頃いささ
か飽きぎみだ。『四本立ての趣味』もおろそかにはできないし、娘の結婚式をひかえ
て、毎日家の片づけと大掃除をしなければならない。この文章を書き始めたのが旅行一
週間後、今は既に二十日も過ぎていて、忘れてしまったことが多く、不正確かつ簡略な
記録になりそうだ。
第1日目 8月4日(日)
名古屋駅は、JR在来線から新幹線への乗り換え通路が2箇所あり、私はいつも中央
連絡通路を利用していて、北側通路が在ることを、A君のメールを読むまで忘れていた
くらいだから、
「待ち合わせは中央通路にしよう」
と打ち合わせておいた。
ところが、今日は私の最寄り駅でプラットホームの前の方から中央線に乗ったため、
名古屋駅で下車して新幹線の乗り換え口へ来たら、そこが北側連絡通路であった。いっ
たん出札口を出て、コンコースを歩き、中央改札口を入って、大廻りする形でようやく
新幹線の中央乗り換え口に来た。携帯電話をプッシュした途端に大向こうからA君が来
て、無事合流、妻はそこから家に帰った。
ひかり101号は定刻に発車し、いよいよ愉快な旅が始まる。A君と並んで座り、リ
ュックサックを棚に上げ、ウエストポーチは腰に巻いたままで、携帯用スリッパを履い
た。これが私の車中スタイルである。
新幹線で西の方へ行ったのは岡山が最長で、いずれ終点の博多まで乗ってみたいと思
っていたから、今日小倉まで行けるのは嬉しい!
車内での話題については今回省略するが、ちらし寿司の弁当を食べた他は、どんな風
だったか記憶にない。
小倉で在来線に乗り換え、門司港駅へ向かう間、20年前を追想してみる。
T氏と二人で「普通列車の旅」を計画し、西鹿児島まで行った折りに、小倉のホテル
で一泊した筈だが、そのときのことは何も思い出せない。
門司港駅前は今は寂れているが、昔栄えた港町の歴史が偲ばれ、潮の香りの中にも異
国情緒が漂って来る。
幹事からの案内文によれば、
「15時までに、国民宿舎『めかり山荘』へ集合」
となっていて、A君は
「15時というのは、おそらくチェックインの時刻を目安に書いたのだろう」
と言ったが、私は
「もしも我々だけが遅刻するようなことになっては申し訳ないから」
と、時間厳守を主張した。それで、『レトロ電気通信館』を見学するのは明日にし
て、『バナナのたたき売り発祥地』だけを見ることにした。
駅前通りを数分歩いた所に、30センチ角で高さ2メートルくらいの石の柱が立って
いて、「バナナの叩き売り発祥の地」と刻まれている。その横には1メートル四方の看
板が在り、旅行後A君からのメールによれば、下記の説明文が記されていた。
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バナナの叩き売り発祥由来の記
昔を思えば大陸、欧州、台湾、国内航路の
基幹と九州鉄道の発着の基地点として
大いにはってんした。ここ桟橋通りは昔の
絵巻の一こまとして、アセチレンの灯の
にぶい光の下で、黄色くうれたバナナを
戸板にならべ、だれとはなしに産まれ
伝わる名セリフは大正初期から昭和13、4年頃
まで不夜城を呈し日本国中の旅行
者の目を楽しませた。バナナの叩き売り
の風情は門司港のこの地 桟橋通り付近
を発祥の地と由来せり。
昭和53年4月
門司港発展期成会
北九州市観光協会
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「同級生の内で、我々より先に宿へ到着した者が何人いるか、賭をしよう」ということ
になり、私は「7人以上」と言い、A君は「6人以下」と予測した。
ホテルに着いてみると、なんと! 幹事のKさんだけが来ていて、他には誰もいなかっ
た。全員揃ったのは6時過ぎだから、「こんなことならレトロ電気通信館を見てくれば
良かった」と悔やんだがどうしようもない。そして、翌日さらに落胆することになるの
である。
浴衣に着替えて入浴を済ませ、追々到着する同級生と久々の挨拶などして、ゆったり
と時間を過ごした。
I氏はこのところ心霊術の巫女(教え子の拝み屋)に凝っていて、毎度ながらの入れ
込みぶりに、C氏は心配顔だし、I氏と親しいB氏も当惑気味だ。
本日の出席者は13人。年齢の高い方から、B(前橋 弱視)、C(徳島 全盲)、
D(奈良 弱視)、A(浜松 弱視)、E(高地 全盲)、F(東京 弱視)、G夫妻
(盛岡 全盲・奥さんは晴眼)、竹木(名古屋 全盲)、I(奈良 弱視)、J夫妻
(長野 全盲・奥さんは弱視)、K(北九州 弱視)で、夕食並びに宴会には、G氏の
奥さんを除く12人が出席した。
最初にKさんが幹事の挨拶の中で、
「この会場を選んだ理由は、亡くなられたNさんとPさんが長年住んでいた下関に近い
からです。窓から対岸間近に下関の街が見えますので、どうかお二人を偲んでくださ
い。」
と述べ、A君が持参の写真を廻した。
次回の幹事を決めるに当たり、皆が沈黙しているので、Kさんが私を指名した。確か
前回(3年前の神戸)で、私が次のように発言したらしく、Kさんがそれを覚えていた
のである。
「順番からいくと、今度の同級会は九州で開いてほしい。Kさん(北九州)が、Q君
(佐賀)またはR君(長崎)と組んで、幹事を引き受けてもらえるとありがたい。そう
したら、その次は私とA君で必ずやりますから…」
結局今回はKさんが一人で骨折った訳だが、そういう経緯があるので、私は隣に座っ
ているA君の同意を求めてから言った。
「では、誰も居なければやりましょう。と、調子よく引き受けるのは私で、実際に仕事
をしてくれるのはA君でして…。A君などと偉そうに呼んでますが、彼の方が一つ年上
で、私は常々尊敬してます。」
正にその通りだ。
宴会はなごやかそのもので、一人ずつ近況や趣味などを語る毎に、周囲から合いの手
や茶々が入ったりする。I氏の「楽しい英会話練習」、A氏の「パソコンメール・イン
ターネット」、J氏の「障害者運動」、J夫人の「一言ご挨拶」、E氏の「コーラスや
点訳活動」、K氏の「講師は多忙」、F氏の「毎朝9千歩のウォーキング」、G氏の
「手で見る博物館」、B氏の「同級会には必ず出席」、C氏の「理療・俳句・海外旅
行」、D氏の「往復4時間の通勤」等等、各々元気に活躍している様子がうかがえる。
私は学生時代の思い出のうち、Kさん(今回幹事)との出会いなどについて語り、後
ほどテープレコーダーを借りて、持参したカセット『教員養成部 昭和36年 卒業記念
録音』を再生した。F君とKさんは、この録音が残されていたことに驚き、大層懐かし
そうだった。
宴会場の食堂を出て、二次会は408号室に集まった。ここだけが三人部屋で広く、
C氏の希望により、バストイレ付きになっている。(他の部屋は狭くて洗面台も無い
が、そのことは大目にみるとしよう。)
二次会はほぼ二グループに別れ、さらに色々な話題で弾んだが、詳細は省く。
やがて、私とA君は405号室に戻り、暫く話してから眠りに就いた。
第2日目 8月5日(月)
朝食後まもなく、G夫妻が帰り、続いてB・I両氏も、今回欠席のQ氏(脳幹変性症
で静養中)を訪ねるべく、一足先に帰った。
残る9人は、レトロ記念館を自由見物し、関門海峡クルージングをして、昼食後に解
散することになった。
送迎用マイクロバスで記念館入り口まで来て、私とA君は皆といったん別れ、『レト
ロ電気通信館』へ向かう。観光案内によれば、NTTの建物の一角に旧い電話機などを
展示してあるというので、今日こそ是非見学すべく、炎天下を500メートル以上も歩
いて、ようやく捜し当てたと思ったら、「月曜は休館日」と書いてあって、がっかりし
た。
昨日「15時までに集合」というのをあまりに堅く考えすぎたのが裏目に出た訳で、
幹事にも多少の責任はあるが、そんな不満をおくびにでも出せば、彼女がきっと気にす
るだろう。友人であるA君の希望よりも、幹事であるKさんの案内文を重視したのは、
「公を優先する」という私の気分には合っているが、結果的には読みが甘かったことに
なり、ルーズな人間が得をする世の中に、釈然としないものが残った。自分だけのこと
なら我慢してもよいが、同行者のA君に迷惑を掛けたのは取り返しがつかない。
みんなと落ち合うまでの時間、クルージング桟橋へ行く途中で、二つの記念館を見学
した。
旧 門司三井倶楽部:観光案内には次のように書かれている。
「大正10年三井物産門司支店の社交倶楽部として山手の谷町に建築され、翌11年に
アインシュタイン博士夫妻も宿泊した由緒ある建物。木造2階建で個性的な外観と共に
内部のマントルピースやドア窓枠などにアールデコ調のモダンなデザインがみとめられ
大正ロマンの香織を今に伝える貴重な建物である。」
グランドピアノをおいて演奏会が出来そうな部屋もあり、林芙美子の資料も展示して
あった。階段の手すりや壁には、明治時代の洋風建築に特有の複雑な彫刻が施され、教
員養成校の校舎を思い出す。
門司港駅舎:現在も使われている旧い建物で、二階と三階は展示室や展望室として一
般に公開されている。天井が高く、階段の段数が多いのには驚いた。
入り江の大きな橋を渡って、クルージング乗り場に集合。
乗船時刻を待つ間、桟橋に横付けされている船にそって二人で歩き、舳先から船尾ま
での長さを実測した。ざっと30メートルはあり、
「この船は双胴船だよ。」
とA君が説明してくれる。
12時にスタートし、最初と最後は少し揺れたが、波穏やかな関門海峡を巡ること約
1時間、案内放送が録音ではなく生の声であるのが良かった。それもその筈で、途中、
潮流の方向と速さを表示する電光掲示板の仕組みを説明するくだりは、時間帯によって
数字や矢印の向きが変わるから、録音放送という訳にはいかないのだ。来年のテレビ大
河ドラマは『宮本武蔵』なので、厳流島の説明には力が入る。「船の形に似ている所か
ら、ふなじまと呼ばれていました。」と聴いて納得した。
船を降りた後、皆で『地ビール工房』に入って腰掛ける。
品数の少ないメニューの中から、全員が『和風弁当』を注文し、1