#1/598 ●長編
★タイトル (CWM ) 01/12/01 00:29 (160)
夢想武闘会(上) 憑木影
★内容 01/12/04 20:48 修正 第2版
夜明けの街は静かだった。
むろん、その迷宮のように入り組んだローズフラウの街が、清冽な朝日の元にさら
けだしているのは、その静寂の世界にはあまり似合わないものだったが。例えば、昨
夜の乱闘騒ぎによる血糊のあとや、壁に描かれたなんらかの呪術に関係すると思われ
る文様や、生贄に捧げられたのであろう動物の死体等が、そこ、ここに残っている。
しかし、そのまだ薄闇が残る歓楽街はいずれにせよ、熱が去った後の熱病患者のよ
うに気怠い空気に満たされていた。その惰眠を貪る街の裏路地を二人の男が歩んでゆ
く。
「ねえ、まだつかないのぉ」
後ろを歩くでっぷりと太った男が、あくびを噛み殺しながら言った。前を歩く細身
で長身長髪の、そしてしゃれた遊び着に身を包んだ男が答える。
「もうすぐつくから、待ちなって、ジークさん。だいたいあんたが、しゃきしゃき歩
かないから時間がかかるんだよ」
「なんだよぉ」
ジークと呼ばれた男は眉をしかめる。そのきらきらと光る金髪の下の青い瞳は、真
夏の空のようであったが今は眠さのためか多少曇っていた。
「なんでおれが、あんた呼ばわりされるんだよぉ」
「ちゃんと、ジークさん、てさんづけにしてるじゃん」
「じゃんて、」
でっぷりと太ったジークは、むふうとため息をついた。
「態度でかいよ、おまえ。一銭ももだずにさんざ飲み食いして踊り手、歌い手も呼ん
で乱痴気騒ぎしたあげく、金はもってないから家まで取りにこいとかいった立場のく
せして」
その細身の優男はにいっと笑った。
「まあ、怒りなさんなって。払わないとはいってないじゃん」
その柔らかな笑みとどこか優雅な物腰には、怒る気持ちを削ぐものがある。優男は
言葉を続けた。
「だいたいさ、そりゃ金の無いやつに飲み食いさせるほうが悪いよ」
それはそうかもしれない、とジークは思う。けれど、
「だからといってさあ、偉そうにしていいっていう理由にはならないよ」
ジークの言葉を優男は手で遮った。
「ほら、」
優男は薄暗い路地の奥を指差す。そこには仄暗い影につつまれた、古めかしい館が
あった。どうもいつのまにかローズフラウの中心からはずれ、居住区に入っていたら
しい。というか、おそらく居住区と歓楽街のちょうど境目あたりに、その館はあった。
「あそこだよ、おれの家は」
ジークはやれやれと肩を竦める。
「待ちなよ」
優男はジークを押しとどめる。ジークは明るく輝く青い瞳で、じろりと優男を見た。
「なんだよぉ」
「あんたさ、格闘技やってるんでしょ」
ジークは瞬きして、優男を見なおす。
「だからなんだよぉ」
「うちはさ、ああ見えても武道の修練所なんだわ」
「それがどうしたのよ」
「いやさ、あんた強そうだから。うちにはね、強いやつを見ると黙ってないやつがい
っぱいいるんだわ。あんたがさ、うちにはいるときっと大変だよ」
優男はにやにやと笑う。ジークはむふう、とため息をついた。
「なんだよ、大変って」
「いや、だからさ、きっと道場破りにきたと思われてね、ただでは帰れないよ」
ジークはむうと唸ると、なぜか上機嫌な優男と、路地の奥の館を見比べる。確かに、
なにかいやな殺気のただよう建物だった。
「で、どうしたいわけ?」
「ま、見てのとおりあそこの館は出入り口はひとつ。つまりさ、逃げることはない。
ここから先はおれにまかせなよ。おれが一人でいって金持って帰ってくりゃあ、すん
なり片付くんだよ」
ジークは目を凝らして館を見る。シンプルな作りの建物だった。確かに出入り口は
一つしかなさそうだ。
「んじゃ、おれはここで待っとくから、さっさと戻ってこいよ」
ジークの言葉に優男はにっこり笑って答えると、懐から何かを取り出した。それを
ジークにほうる。
「なんだよ?」
ジークは反射的にそれを受け取ると、優男に尋ねる。
「ま、あんたにゃ手間かけたし、ちょっとした礼だよ」
ジークは手にしたそれを見る。鎖だった。水晶の細工ものがついたネックレスらし
い。ジークは会釈すると、それを懐におさめる。そして、手ではやくいけと優男に指
示する。
優男は頷くと、小走りで館に向かった。ふわあ、とジークは大あくびをひとつする。
太陽は次第に明るさを増し、あたりは暖かくなってきた。
ジークは目を擦る。いつもなら仕事を終えて、眠りにつく時間だ。酒場の用心棒と
しては、とんだ時間外労働ということになる。
一人残されると、えらく疲労感が沸いてきた。何しろ、乱痴気騒ぎに一晩付き合わ
されたのだから、麻薬に酔って暴れ出したやつを店の外にたたき出したり、無理やり
踊り手の女の子を口説こうとするやつを張り倒したり、結構な重労働をやったわけで
ある。疲れていないわけがない。
それにしても。
静か過ぎる。
それに戻ってくるのが遅すぎた。
ジークはその疲労で鈍った頭で、のろのろと考える。
(一杯くわされたのかよ)
ジークは修練場の中に踏み込んだ。
しん、と静まり返った天井の高いその部屋には、誰もいなかった。
修練場らしく、木剣や革の防具が並べられている。しかし、部屋の空気はどう考え
ても長い間そこが使われていなかったような匂いを漂わせていた。ジークは部屋の中
央にゆく。木の板が敷き詰められた床は、埃が積もっている。どうも、ここは空き屋
らしい。
「何かここにご用ですか?」
突然、背中から声をかけられ、ジークはあわてて振り向く。入り口のところにひと
りの老人が立っていた。
「ここはもう、使っていないのですが、何かようですかな?」
その痩身で背が高い老人は、鋭い瞳でジークを見つめている。ジークは、寝ぼけた
ような声で老人に尋ねた。
「ここは、武道の修練場なの?」
「そうだったというべきでしょうな。私はここの主、アッキといいます。何しろ道場
主である私がこの通り老いてしまったもので、武道の指導はとてもできませんので」
ああ、とジークは頷くと、大体の状況をアッキと名乗った老人に説明する。
老人はふむふむとうなずいて、話を聞いていた。
「その男の名はなんといいますかな?」
アッキの問いに、ジークは答える。
「ええと、確か。そう、カイルといってたと思うよ」
「なるほど」
アッキはうなずく。
「私のせがれの名です。もう何年も昔に縁を切りましたがね」
ジークはもう一度、アッキの顔をじっとみつめる。その端正で彫りの深い顔は、ど
こかあの優男の面影があるようにも思えた。
アッキは入り口のそばの床を蹴る。がこん、と板張りの扉が床に開いた。そこには
地下通路へ続いているらしい、暗い口がある。
「カイルは、ここを通って逃げたのでしょうな。多分、もう街の外へついてますよ」
ジークは強烈な脱力感を覚え、その場にへたりこんだ。
「なんで、こんなとこに抜け道があるんだよう」
「武道の修練場というのはやっかいなところでしてね、時折物騒な連中が道場破りと
称してやってきたりします。そうしたときに、いちいち相手をしていられないので、
この抜け道からこっそり抜け出すんですよ。相手を入り口の外に待たせておいてね」
はあ、とジークはため息をついた。目の前が少し暗くなる。
「まあ」
アッキは、ジークに語り掛ける。
「縁を切っているとはいえ、わが子のしたこと。私がかわりに金を払ってもいいとは
思うのだが」
「だが、かよ」
ジークは、あまり期待していない目でアッキを見る。
「いくらですか、カイルのやつがつかったのは」
「金貨10枚ほどかなあ」
「ほう、よく一晩でそんなにつかいましたね」
「まあ、なんせ、踊り手、歌い手を呼んだ上に、友人という女の子がわんさかいて、
店中の酒をのみつくしたからねえ」
「それだけの金となると、さすがにただでというわけにはいきません」
そうだろうね、とジークは頷く。
「で、おれになにしろと?」
「あなた、ジークさんでしたな。強いのでしょう」
まあね、とジークは多少投げ遣りに答えた。
「強いよ」
「相当なものでしょう」
「地上最強を名乗っているさ」
うむ、とアッキは頷く。
「私も若いころはそこそこ強いと思っていましたが、今のあなたほどではないと思い
ます」
「で、何させたいのよ」
ジークはのっそりと立ち上がった。その瞬間。
光が疾ったようにしか、見えなかった。短刀がジークの喉元につきつけられている。
もし、ジークが左手でその短刀を止めていなかったら、間違い無くその短刀はジーク
の喉を貫いていただろう。
短刀をジークの喉元につきつけているのは、アッキである。全くの自然体、殺気も
なく、姿勢も自然なままであった。
短刀の刀身は、ジークの左手に握り締められている。その左手には幾重にも包帯が
巻かれていた。
アッキは、無造作に短刀を引く。包帯が切れ、はらりと床に落ちる。そこに現れた
のは、夜の闇。魔物が持つ瘴気を微弱に放つ、闇色の左手であった。
アッキは無表情であったが、その瞳には感嘆の色がある。
「なるほど、黒砂掌ですな。ラハン流格闘術を学ばれたと見える」
ジークは漆黒の左手をたらすと、不機嫌に言う。
「ためされるのは嫌いだよ」
「なにしろ、金貨十枚ですからねえ」
「判ったよ、判った。んで、なっとくしてくれた?」
「もちろん。鋼鉄よりなお硬いというれる黒砂蟲で左手を覆った方なら、地上最強を
名乗られても不思議はない。私のたのみを聞いていただければ、金貨十枚払いましょ
う」
「だから、そのたのみはなんなのよ?」
ここではなんですからと、アッキはジークを館の外へ導き出す。アッキの自宅はそ
の修練場である館のすぐ隣にある、こじんまりとした家だった。
アッキはそこで簡単な酒の支度をする。酒を飲みながら、ジークは話を聞いた。