#848/1336 短編
★タイトル (AZA ) 97/ 8/ 9 1:38 (120)
お題>ノックの音がした>ヘブンズドア 室生薫子
★内容
ノックの音がした。
青年カミは、周囲を見渡し、挙げ句に叫びたくなった。
馬鹿な!と。
彼は今、無人島にいる。
カミは人間であり、その彼がいるからには、無人島という表現は正確でない
が、カミが来る前までは、誰も住まない島だったのだ。
孤島と呼ばないのは、彼のいる島が、群島の一つだからである。もっとも、
他の島も、どれも無人らしいから、全体で孤島と言えなくもない。
さて、一般常識の通り、無人島にはドアなどない。元々、建物一軒ない、全
くの手つかずの状態で土地が、自然が残されているのだ。
加えて、何度も書くが、この島にカミ以外の人間はいないはず。仮にドアが
あったとして、誰がノックをしたというのだ。気まぐれなキツツキがいいとこ
ろだろう。
かような理由から、カミが馬鹿な!と叫びたくなったのも、無理ない。
ところが。
空耳だったのかと考え、カミが耳の穴を右、左の順に小指でほじくっている
と、それこそ馬鹿げた現象が島の上で起こり始めた。
彼の目の前に、ピンク色をしたドアと、その枠が現れたのである。なかなか
大きくて、立派なドアだ。立て付けもよさそうである。
地面に座り込んだまま、唖然とするカミ。
彼の動揺なぞお構いなしに、ドアはそろりそろりと開かれ、できた隙間から、
黒サングラスをかけ、髪をつんつんに立てたパンクな男が現れた。
そいつはきょろきょろと首を動かすと、何やら異国の言葉でぶちぶち言いな
がら、全身を現した。
最初の印象よりも、ずっと小さかった。カミよりも年下のようで、少年と呼
ぶのがふさわしい。
少年の手によってドアが閉じられるまでの間、向こう側に見たこともないよ
うな世界が広がっているのが、カミには見えた。
突然の事態に、訳が分からず、しばし大口を開けていたカミだったが、不意
に正気を取り戻すと、パンク少年に取りすがらんと、駆け寄った。
肝心なことを書き忘れていたが、カミは遭難者なのである。仙人のような暮
らしに憧れ、島に渡って独り暮らしをしているのでは、決してない。船が難破
し、彼だけが幸運にも、この島へと漂着したのである。
その遭難者たるカミが、助けてくれ!と言いながら手を伸ばした先には、鋲
やらとげとげやらが無数に装着された、黒革のベストがあった。
少年は跪いているカミを見下ろすと、カミには理解できない言語で何やらま
たぶつくさ言ってから、ポケットに入っていた半月型の財布のような物を取り
出し、さらにその中に手を突っ込んだ。
再び現れた手には、手の平サイズの直方体が握られていた。
ぬめぬめと灰色にてかり、ぬるんと震えるその奇妙な物体を、カミは初めて
見た。腐ったゼリーかとも思ったが、どうも違う。
その気味悪い物−−カミは知らなかったが、こんにゃく。ある特殊なこんに
ゃく−−を、少年はまずそうに食べた。喉の動きを見ていると、嫌いな物を我
慢して食べるときのように、一気に飲み込んだらしいと分かる。
「おっさん、ボクの言葉、分かるかい?」
少年は唐突に、荒っぽいながらも、カミの国の言葉で喋り始めた。
「あ、ああ。わ、分かるよ……」
「よし。この道具は正常だ」
ご満悦な笑みを浮かべ、サングラスの少年は舌なめずりをした。
「さて、帰るかな」
くるりと向きを換えた少年に、カミは慌てて取りすがった。飛び出した金属
製の棘が痛かったが、そんなことを気にしているときでない。
「待ってくれ! 僕を助けてくれ。き、君はどこから来たんだ? 僕はてっき
り、この島には誰もいないと思っていたが」
「……ああ、それで合ってるよ。この島には、おっさん一人しかいない」
「だが、君がいる。君はどこから来たのか、さあ、教えてくれ」
「教えてくれと言われてもなあ。色々ややこしいし、面倒だし」
立ったまま貧乏揺すりをしている少年。一刻も早く、帰りたいようだ。
それを見て取ったカミは、もう理屈なんてどうでもよくなった。とにかく、
この島から脱出できさえすればいい。
「分かった。事情は聞かない。頼む、僕を連れて行ってくれ」
「……それは、難しいな」
「何故だ? そのドアを使えば、どこにでも行けるんだろう?」
当て推量を述べるカミ。いや、それはもはや、確信に近い。−−どんな仕組
みか知らんが、この書き割りみたいなドアがあれば、二点間がどれほど離れて
いようとも、簡単に行き来できるに違いない!
「そりゃまあ、そういうようなもんだけど。いつ壊れるか分かんねえんだよな」
「壊れる?」
「ごみ捨て場に転がってた青っぽいロボットから、かっさらってきたがらくた
だからな。その性能チェックをしてるの、ボク」
「話が見えないが……いいじゃないか。君もこのあと、元の場所に戻るんだろ
う? 僕も君に引っ付いて」
「だめだめ。一回、試したんだ。二人続けて通ろうとすると、がたぴしゃ、軋
んじまって、危なっかしいんだよな。ほい、こっちから見てみろよ」
と、少年は指をくいくいと曲げ、カミを呼ぶ。
「あんたの側は頑丈そうに見えるだろうけど、こっち側は、ほら、こんなにが
たが来てるんだぜ」
黒い手袋をはめた手で示されたドアの反対側は、確かに薄汚れており、所々
にひびが入っている。下の方の黒ずんだ箇所は、かびか。
「一人で慎重に使う分にゃあいいけどよ、二人目からが危ないんだ。そういう
訳で、ボク、危険は嫌だから」
元の側に戻り、ドアノブに手を掛けた少年。
しかし、カミはあきらめなかった。
扉が開くや、少年の肩を後ろから掴み、ひっぺがす。そのまま向こうへ転が
り込もうとした。
が、長きに渡る遭難生活故か、足腰が弱っていた。もつれる。
「てめえ、いい度胸だな」
少年はちっとも恐くない声で凄みながら、素早くカミの身体にのしかかって
きた。
「気をつけて扱えって、言ってんだろ? ボクが帰れなくなるじゃないか!」
一発、殴りつけ、カミを伸してから、すっくと立ち上がると、少年は気持ち
よさそうに手をはたいた。
「じゃな。達者で暮らせよ、っと」
通るのに邪魔なカミを、少年が蹴りつけようとした。
それが間違いだった。
カミはその蹴り足にしがみつくと、骨をも折れよとばかり力を込める。
「連れてけ! 俺を連れてけ!」
「わ、馬鹿、放せ、このやろ」
残った足で蹴り飛ばそうともがく青年だったが、カミにもこのチャンスを逃
したら最後という必死さがある。幸い、かいな力の方は、まだまだ衰えてはい
ない。
「馬鹿やろっ、さっさと、どけ! ドアが閉まったら……やり直しが利かねえ
んだっ」
「うるさい。へへ、放さねえぞ。絶対、放さねえ」
「こら、放せ! こんな、暴れたら、壊れる! あ、あ、閉まる!」
「へへへ、帰れるんだ」
ぱたんと音を立てて、ドアは閉まった。隙間なく、完全に。
そして……ドアが一枚、残った。
ご存知の方はご存知に決まってるが、このドアが正常に動作したならば、目
的地に行って、また元の場所に戻って来た時点で、目的地上に現れたドアは消
えるのだ。
それが今、島にはぽつんと、ドアが残った。
島の真ん中に、ドアとその木枠だけが建っているのも、それはそれでシュー
ルな眺めかもしれない。が、このドアは二度と開かないだろう。
かの有名な、未来からやって来た猫型ロボットとやらがいれば、修理してく
れるに違いないが、それは叶わぬ願いのようだ。
カミと少年が、どこに行ったのか。どこを彷徨っているのか。
それは誰も知らない。
−−EXIT