#840/1336 短編
★タイトル (AZA ) 97/ 8/ 6 0:34 (101)
お題>ノックの音がした>透明な訪問者 亜藤すずな
★内容
ノックの音がした。
ここは工学科の院生用大部屋。今も、十名ほどの人がいる。
が、誰も応じようとしない。
仕方なく僕が立ち上がったのは、音が気になったし、ドアに一番近かったし、
入学したばかりの僕は部屋の中で最も若いから、という理由もある。
「はい」と言いながらドアを開けてみると、その向こうには誰もいなかった。
左右に顔を振って、白く長い廊下を見通したものの、人影はなかった。
首を傾げつつ、室内を振り返り、諸先輩方に尋ねてみる。
「あのお」
先輩達は勉強なり雑談なりに打ち込んでいたが、僕の声は割に通るらしく、
ほとんどの人が顔を向けてきた。
「さっき、ノックの音がしましたよね?」
「うん? 知らんなあ」
近くの先輩が答える。他の人も同じだ。
「そうでしたか? おかしいな」
「寝ぼけたらいかんよ」
などと冗談混じりにくさされた。笑いが起きる中、僕は頭をかきながら席に
着いたが、合点が行ったわけではなかった。
一回限りで終わっていたのなら、忘れていただろう。
だが、主のないノックは、何度も繰り返された。
もちろん、本当に人が尋ねてきてる場合もあったが、影さえ見当たらないケ
ースが少なくない。
それにも増して不可解なのは、僕以外、誰もノック音を耳にしていないこと。
先輩達に聞いても、「知らない」「聞いてない」という返事ばかり。
ならばと、僕はテープレコーダーを密かに持ち込み、録音してやった。
下宿に戻って再生してみると、間違いなく、ノックの音が録れていたのだ。
僕は勇躍、録った音を親しい先輩に聞いてもらったが、「どこで録音したか、
分からないじゃないか」とか何とか言われ、曖昧な返事しかもらえなかった。
そのあまりにすげない態度から、僕は推論を重ね、可能性を導き出した。
先輩全員がぐるになって、僕をからかっているのではないか。
ノックをしているのは、小さなロボット……いや、単純なリモコンで充分だ
ろう。ドアの上方か、壁の高い位置にマシンを固定し、室内にいる誰かが操作
することで、ノックの音が出る。
推論の正しさを証明するべく、僕はチャンスを待った。はっきりさせない内
は、勉強に手が着かない。
そして二日後。
ノック音がするや、僕は弾かれるようにして立ち、ドアを開けた。
誰もいないことを確認すると、ドアを振り返る。
「……ふふふふふ」
思わず、笑みがこぼれるが、止められない。やった。見つけたぞ。
僕は勝ち誇った表情になっていただろう。そのとき部屋にいた先輩全員を呼
びつけ、無言で、ドア上方に固定された超小型ユンボのような機械を指差した。
先輩達は皆、苦笑いを浮かべて、僕に謝ってきた。
こうやって、伝統的に、新入りをからかうのだそうだ。
加えて、何とも腹立たしいことに、何日目に僕が気付くかというトトカルチ
ョも行われていたらしい。全く、人が悪い。
まあ、いいや。やっと疑問が解けて、勉強に打ち込める。
来年は、僕もトトカルチョに一口、乗せてもらおう。
ノックの音がした。
僕は何の気なしに立ち上がり、ドアを押し開けた。
誰もいない。
何だ何だ? もう終わったはずだ。訝りながら、先輩達に文句を言う。
「え? 知らないぜ」
「機械なら、ほれ、ここにあるぞ」
“ノックマシン”制作者の人が、机の片隅にある機械を指差した。
僕は馬鹿みたいに口を大きく開け、それでもドアを調べるのを忘れない。廊
下側に取って返し、長方形の金属版を、ためつすがめつ、穴が開くほど見つめ
た。さらに、表面を触ってみたが、仕掛けは見つからない。
「……すみません。空耳だったみたいです」
うなだれがちに謝る僕へ、先輩達は優しく言ってくれた。
「幻聴かい? 俺達のいたずらのせいで、ノイローゼになったんじゃないだろ
うな。頼むから、しっかりしてくれよ」
耳がおかしくなってしまったのか。
いや、もしかすると、おかしくなったのは、頭の方かも。
いつまでも幻聴が聞こえる。先輩達のいたずらは、もう終わったはずなのに。
あのノックの音は、僕の身体に直接響いてくるみたいだ。今では、“透明人
間のノック”を、普通のノックと聞き分けることができる。
あの忌まわしきノックを聞きつけるや否や、自分の胸は苦しく締め付けられ、
動悸が激しくさえなる。心臓に悪い。
ここしばらく、大学に行っていない。
しかし、透明人間みたいなやつは、僕を追っかけてきてるんだ。下宿にいる
ときも、ノックを聞く。真夜中、眠っていると、こつこつ、こつこつと聞こえ
て来るんだ。
恐い。もう聞きたくない。
* *
「教授、やりすぎましたね」
「うむ。こんな結果になるとは、彼には気の毒なことをした」
「それだけですか?」
「……君ぃ、どうしろと言うのだね?」
「人が一人、死んだんですよ。実験を中止して、全てを」
「冗談はよしたまえ。そんなことをすれば、身の破滅だ。私も、君もね」
「しかし」
「君は院生とは言え、私の共同研究者だ。彼の椅子の背もたれにスピーカーを
仕込み、ノックの音を聞かせるアイディアは、君が出し、実行した。忘れるな」
「し、しかし、人間工学の実験として、僕らのやってるいたずらを元に、心理
的プレッシャーをかけ続ければ、ターゲットがどうなるかを調べてみたいとい
う、アウトラインを示したのは教授−−」
「そうだよ。だから何だと言うのだね。何も、君一人に責任を押し付けような
んて気は、さらさらない。私と君の責任だ。我々が口を閉ざせば、誰も真相は
分かるまい。自分がかわいいだろう?」
「……」
「さあ、早く椅子を取り換えてきたまえ。あれさえ処分すれば」
二人の会話の途中、ドアが鳴った。
こんこん−−。
−終.