#5404/5495 長編
★タイトル (AZA ) 01/01/31 23:12 (199)
そばにいるだけで 56−7 寺嶋公香
★内容
久住淳のまま声を張り上げた純子に、鷲宇は少なからず驚いた気配を覗かせ
た。表情が固まって、それからくすりと笑う。
「はははっ。世の中、君みたいな人間ばかりだったら、どんなにいいだろうね」
「な、何を……冗談言ってないで、真面目にお願いします、鷲宇さん」
「冗談なんかじゃない。今の一瞬、本気でそう感じたんです、僕は」
「……」
その台詞さえ冗談に聞こえるものだから、純子は唇を尖らせた。そこへ鷲宇
が、「モデルがそんな顔しちゃだめでしょうが」と、根負けしたような苦笑と
ともに注意してくる。
「久住君、君は一年前と変わってないな。コピーしたみたいに、いや、タイム
マシンで一年前から現代へ連れて来たみたいに、全く同じ考え方の持ち主だ」
「そ、そうでしょうか」
「そうさ。一人でも助けたい。順番だの機会の平等だの、そんなことは後回し
にして、とにかく周りの人から救っていこうっていう」
「もしかして、子供っぽいんでしょうか……」
不安になってきた。それが顔色に現れたのか、目が合った鷲宇が、また一段
と豪快に吹き出す始末。
「考え方は十人十色、百花斉放、千差万別」
「あのぉ、何だか適当に言ってるみたい」
「分からない語がもしあれば、家に帰って、辞書を引きなさい。とにかくだ、
君は間違ってないよ。少なくとも僕が保証する」
「じゃあ、鷲宇さんも協力して!」
「間違っていないけど、絶対に正しいわけでもない」
「……難しくて分かりません」
目を伏せて考え込む純子の肩に、鷲宇は手の平を置いた。
「ふふ、難しくないですよ。今年、僕は久しぶりにサンタクロースになろうと
思う。ひょっとすると、これっきりかもしれないが。物事を金で解決する嫌な
サンタとそしられても、今回は我慢する」
「じゃ、じゃあ」
目を起こした純子。鷲宇は今さらながら、首を縦に大きく振った。
「手術に掛かる費用の不足分を、我々の手で用意しよう。実はね、さっき君が
美咲ちゃんの相手をしている間に、親御さんから話を伺って、決意を固めてい
たんだけどさ」
「――人が悪いんだから、もう!」
純子が鷲宇の手を払って、その胸を拳でぽかぽか叩くと、またも注意された。
「ほら、また言葉が」
各所を回ってのボランティアコンサートが終わり、純子はパーティ会場にい
た。当然のごとく、扮装を解いて、女の子に戻っている。ドレスで着飾って、
むしろ正装と言えよう。
(今年は欠席させてもらうつもりだったのに……)
グラス片手にため息。鷲宇の強い要望に、押し切られた形だった。
(まあ、友達と約束があったわけでもなかったから、いいか。久しぶりに、郁
江や久仁香達とクリスマスをお祝いできるかなって、ちょっとだけ期待してた
けれど、やっぱり難しいわ)
壁際に佇み、ぼんやりと会場前方を眺めると、ステージが設けてあるのが見
えた。まさかカラオケ用のお立ち台でもあるまい。何かショーでも用意されて
いるに違いないが、今の純子はあまり興味を持てなかった。
ジュースを口に運び、ほとんど口に含まないまま、再びため息が出る。
(昔は、女子の中に相羽君と唐沢君がいてくれたら、楽しくてなごやかになっ
たのにね。今は……相羽君がいたら、きっとぎくしゃくしてしまう)
認めたくないが、それが恐らく現実。純子はグラスの中身を一気に煽り、飲
み干すと、ふーっと息をついた。
「いい飲みっぷりだね」
スタッフの男性から冷やかされた。愛想笑いを浮かべて応じるくらいしかで
きない。会場内で最年少の純子は、どうしても浮いてしまう。
(去年は、相羽君がいたんだ……)
不意に思い起こされて――何故か涙ぐむ。
郁江や久仁香といった友達皆が許してくれても、これまで通りに会えるわけ
じゃない。ましてや想いを伝えるなんて、できない。
それを思うと、去年はまだ幸せだったのかもしれなかった。相羽が外国のJ
音楽院に行くと言い出して大騒ぎしていた上に、白沼と二人でデートしている
ところを目撃もした。それでもなお、今よりは幸せだった。
(同じ街にいながら、顔を合わせるのがつらいなんて……遠く離ればなれにな
る方がまだましよ)
せめて今日相羽と会いたい、その気持ちがますます膨らんでいく。電話で声
を聞いてから、だいぶ経っている。効力は薄れつつあった。
「すまないね」
後ろからの鷲宇の声に振り返る。ノーネクタイのスーツ姿があった。相当量
のお酒を飲んでいるはずなのに、ちっとも酔った風に見えない。
「何がですか」
「君が退屈そうにしているから。今回は同じ年頃の話し相手もいないし」
「おかまいなく。鷲宇さんはホスト役で、忙しいでしょ? 私なんかにかまっ
てないで、がんばって役目を果たしてくださいね」
「天下の久住淳をつかまえて、“なんか”扱いはできません。当人がそんなこ
と言ってどうするんですか」
「あは、今は久住じゃないですよ」
「じゃあ、天下の風谷美羽としよう」
「どっちでもいいです〜」
「――疲れてるのかい?」
投げ遣りな調子に気付いたか、鷲宇は心配げに覗き込んできた。
「ううん。眠たいことは眠たいけれど」
「疲れてるのと眠たいのは、おんなじように思うが……」
「考えごとをするのがしんどいっていう感じかな。去年はこの会場で、鷲宇さ
んと言い合いになっちゃいましたね。ボランティアのことで」
「ああ。今年は先に済ませておいて、正解だったかな」
「ええ。だから、私も楽しんでますよ」
笑顔を作ってグラスを持ち上げてみせた純子だったが、鷲宇の方はまだ納得
行かぬ様子で眉間にしわを作った。
「食べて飲んでるだけで楽しいかい?」
「え、まあ……珍しい物がたくさんありますよね」
「……自分でも食べられるでしょうに。稼いでるんだから」
「お金の話はやめましょう」
「いや、だから、珍しい物を食べてるだけで楽しいのかなあと」
「……あんまり」
(分かってて言ってるんだわ、鷲宇さん)
じとっと、上目遣いになって相手の顔を見つめる。
(気を遣ってくれてるのかな。嬉しいけれど、こうして話し相手になってもら
ったあと、また寂しくなるのよね)
「今度、アニメの話が来てるんだってね。声優と主題歌」
「は、はい。話が来てるというか、もう決定みたいなんです」
「歌もだろう? 僕以外の曲は、初めてになるわけだ」
「あ、そうですね。うわぁ、改めて言われると、不安が」
胸に手を当てようとしたら、胸元のリボンに触れて違和感があった。慣れな
いドレスを着続けるのは、どうも苦手だ。ファッションショーならすぐに脱ぐ
から問題ないのだけれど。
「いじめられたら、僕に言っておいで。抗議してあげるよ。ははは!」
「お願いしまーす」
ぺこりとお辞儀する純子。そうして二人でひとしきり笑った。収まったあと、
鷲宇が切り出す。
「ところで、クリスマスプレゼントはもらったかい?」
「うーんと。そう言えば、まだ誰からももらってません。今夜にもらうのが一
番雰囲気出るじゃないですか」
これ以上ないほど満面の笑みになる純子。本人は気付かないが、最も魅力的
な表情になっていた。美しさとかわいらしさ、純真無垢さ、明るさ……全ての
プラス要素が詰め込まれていると表しても、過言でない。
「――そうか。涼原さん、君はサンタクロースを信じてるね」
「はい。あ、あの、精神的にですよ」
ここでも相羽の影響を受けているのかもしれない。ただ、このときの純子は、
そこまで意識はしなかった。
「分かっている。僕も信じてるから、よく理解できます」
鷲宇も無邪気に笑った。
「僕の場合、サンタクロースになろうとして、蹴躓いた口なんだけれどね。で
も、小さな子達がサンタを信じる気持ちっていうのは、本当に大事にしたい」
「私も小さな子に入るんですか」
「君はもう立派な大人だから、入らないな」
「二十歳までまだまだあるのに」
ちょっぴりむくれてみせる。久住に扮しているときは年齢をよく上の方に見
られるから、せめて普段は等身大に見られたいという欲求が、少なからずある。
その反面、鷲宇から大人として認められたのは、歌手としての力を評価しても
らえたような気がして、嬉しくもあった。
「二十歳を迎えたからって、一律に大人になるわけじゃない。君は自分で判断
して、行動できる力を身に着けているからね。そういう意味で、立派な大人だ」
「鷲宇さん、その台詞は、すっごく老けた印象ですよ。ファンの子が聞いたら、
耳を疑いそう」
純子の冗談に、鷲宇は真面目な顔つきで応じた。
「そんなことを言いますか。プレゼントを用意していたのに、あげるのをやめ
ましょうかね」
「え、プレゼントですか? 本当に?」
喜びを素直に表現する純子。鷲宇を見つめ返す瞳が、光を受けてきらきら輝
いている。
そのさまに鷲宇はからかい口調を収め、優しげな真顔になった。
「いいね、そういう反応をされると。こちらも楽しくなる。ただし、あんまり
喜びすぎないでほしいな」
「うふふ、望遠鏡を期待してるわけじゃありませんから、安心してください」
「それなら。ま、期待せずに、楽しみにしていていいよ」
よく分からない言い回しをすると、鷲宇は純子に背を向けた。
肩すかしをもらった気分になった純子は、念のために尋ねる。
「あれ? 今すぐじゃないんですか」
「パーティが終わるまでには、プレゼントするさ。くれぐれも言っておきます
が、君一人のためのプレゼントだからね」
「? はあ、ありがとうございます……」
やっぱり分かりにくい。首を傾げる間に、鷲宇は立ち去ってしまった。
純子は椅子に腰掛け、しばらく休むことにした。
「某ホテルでのディナーショーを終えて、友人が駆けつけてくれました」
突然のアナウンスは、鷲宇の声だ。たったそれだけのフレーズで、あとは何
の説明もなく、照明が徐々に落とされ、会場は暗くなっていく。点々と明かり
が残っているから、芯の闇にはならないが、急な展開にさざ波のようなざわめ
きが漂っていく。
(何か始まるのかしら)
純子は座った体勢だったので、さほど慌てずにすんでいた。心持ち首を伸ば
し、ステージの方を注視する。
と、そのステージにスポットライトが投じられた。目に痛いほどの白。
同時に曲が掛かる。歌詞はない。強弱のはっきりした、不安と期待を一度に
煽る作りのムード音楽だ。テクノがかっている。
程なくして、一人の男が舞台に現れた。白の燕尾服に白のシルクハット。背
が高く、スマートで、足も長い。ハットのせいで、顔は完全には見えないが、
西洋と東洋のハーフといった雰囲気を醸し出している。
男は何ら喋ることなしに、始めた。そう、その出で立ちから期待される通り、
マジックを。
まずは肩慣らしとばかり、曲に乗せて、真っ白なハンカチを取り出した。表
裏を改めたあと、手の中に丸め込むと、フラッシュのような炎が一瞬起こり、
それとともに鳩が現れた。白い小鳩はしばらく羽ばたき、マジシャンの右手指
先に止まる。
拍手に軽く一礼すると、続けざまに鳩を幾羽も出した。観客に、どこに隠し
ているのだろうと考えさせる暇もないほど、次から次へ。色彩も白、黒、赤、
青、緑、黄……とバラエティに富んでいる。その全てが、マジシャンの肩や腕
に、行儀よく止まっていく。
十羽が揃ったところで、マジシャンはシルクハットを脱いだ。顔が露になっ
たが、仮面舞踏会で見られるような目を覆うタイプのマスクをしていた。一歩
間違うとコミック調になりそうなところを、見事に着こなしている。
もっとも、見ている者の注意はすでに手品の展開に向いていた。
マジシャンは鳩を一羽ずつ順番に、シルクハットに入れていった。どう見て
も十羽入るとは思えないサイズなのに、収まっているのだ。
そして次の刹那、白煙がふんわり立ちこめ、シルクハットそのものまで消え
てしまった。
最初のときよりも一段と盛大な拍手が沸き起こり、歓声が飛ぶ。マジシャン
は、今度は腕を胸の前に持って来て、大きく礼をした。
(あの人、上手! 生き物を使う手品って、あんまり好きじゃないけれど、そ
れでも見取れてしまうわ)
純子もたちまち興味を引かれ、今や椅子を離れ、ステージになるべく近付い
ていた。それでも足りず、爪先立ちしてよく見ようとする。
アシスタント役らしき女性が舞台袖から現れ、主役のために新たな道具をワ
ゴンに載せて持って来た。テーブル代わりのワゴン上には、ガラスのコップと
陶器のポットがそれぞれ複数個。それに何かの――多分プラスチック製の黒く
細長い筒があった。
――つづく