AWC そばにいるだけで 56−3   寺嶋公香


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#5400/5495 長編
★タイトル (AZA     )  01/01/31  23:05  (200)
そばにいるだけで 56−3   寺嶋公香
★内容
 英語の問題を書き写しながら、唐沢は下を向いたまま、純子に聞いた。
「ええ」
 少なからず、どきりとする。それでも返事の口調は平坦だった。
「それが?」
「自分はいつも通りの電車に乗ったつもりなのに、どうしてこうなるんだろう
なと思ったもので」
 唐沢のその返答から、車で来たこと自体は知らないものと分かった。
(……隠すことじゃないわよね)
 しばし黙考し、結論を出す。純子はありのままを伝えた。
 聞き終わった唐沢は、ペンの動きを止めて、手の甲で鼻の頭をこすった。
「へえ。よかったじゃん」
「何?」
「相羽と一緒で」
「――ばか言わないで。どうして今さら、相羽君と一緒に車で来たことが、よ
かっただなんて……」
「そうかな。今朝は普段に比べると、表情が一段と明るく輝いているよ」
「そんなこと」
 否定しつつも、両頬を押さえる。押さえてから、ひょっとしてこれは、唐沢
にかまをかけられ、見事に引っかかってしまったのではないかと思い当たる。
急いで手を引っ込めたが、遅いだろう。
「隠さなくていいんだぜ」
 唐沢がノートを閉じた。まだ全問写し終わっていないはずだが、どうしたの
だろう。
 純子は自分のノートを引き戻し、仕舞った。うつむいて首を振る。
「だめ。言わないで」
「何を隠す必要があるのさ。俺、聞いたんだ」
「え?」
「君の友達はみーんな、相羽から手を引いたんだろ」
「……関係ないわ」
 素気なく答えた純子を、唐沢が咎める。
「いくら何でも、それはひどいぜ。関係ないことないはずだ」
「ごめんなさい、言い方が悪かったわ。だから……それは、私達が元通りにな
れただけで、相羽君のことには何も影響ない」
「……そんなもんかねえ」
 唐沢のつぶやきとも問い掛けとも取れる言葉に、純子は反応しなかった。黙
って、次の時間の準備を始める。
「でもさ、普通に話すぐらい、いいんじゃないか」
「……相羽君と?」
「もちろん」
「普通に話せるようになったら、そうしてもいいかな。今は、普通でいられな
くなる。どうしても」
「普通でいられないのなら、変わる必要なんかないってことだろ」
 返事をせずに、ため息をつく。そこまで割り切れたらどんなに楽だろう、と
思わないでもない。でも思うだけで、実際にはとても無理。
「あのさあ」
 純子を見つめていた唐沢が、不意に口を開いた。純子は振り向くと、黙って
続きを待つ。
「もし、君に……」
「……私に、何?」
 唐沢の台詞が途切れてしまった。純子が問い返しても、どこか躊躇があるら
しくて、なかなか言おうとしない。
「悪い、やっぱいいわ。今のなし」
「変なの。気になるな」
 くすっと笑ってみせる純子。本人は気付かなかったが、随分寂しそうな笑み
だった。

           *           *

「――いたいた。相羽ーっ! 時間あるかあ!」
 唐沢の声に、歩きながら肩越しに振り返る相羽。程なくして追い付いた唐沢
は、相羽の肩を後ろから掴み、前後に揺さぶった。
「どうなんだ?」
「にぎやかだな。そんなに叫ばなくても、聞こえてる」
 手を払い、耳を押さえてみせる相羽。唐沢は委細かまわず、急かした。
「いいから、時間あるか、今」
「急いでいることは、急いでる」
「何だよ、また練習か? ピアノだか武道だかの」
「いや。バイト先に寄って、スケジュールの調整を頼み込む」
「それなら、急がなくてもいいんじゃないか。別に今日中にってことはないん
だろ」
「早いに越したことはない」
「今日のところは、俺を優先しろ。いいな」
「強引」
「こいつ、単語で答えるか。俺はこれでも、女の子の誘いを断ってきてやって
るんだぞ」
「自慢げ」
「単語で答えるなっつーの」
 ヘッドロックを仕掛けた唐沢だったが、相羽に腕を取られ、あっさり切り返
された。
「大事なデートを取りやめてまで、友情を取ったほどなら、確かに重要な話だ。
分かったよ、聞くよ」
「分かってくれて嬉しいぞ。ただ、その前に」
 ひきつった笑みで振り返る唐沢。
「手を離してくれ」

 試験期間も過ぎて、図書室の利用者は少なかった。これなら、図書委員の生
徒や司書の先生も、多少のお喋りには目を瞑ってくれるものと期待できる。そ
の上、暖房が入っており、内緒話をするにはもってこいの環境と言えよう。
「相羽、この頃、涼原さんと話してないのか」
「……純子ちゃんとよく一緒にいる唐沢君にそう見えたのなら、きっとそうな
んだろう」
「珍しい。ひねくれた返事だな。しかし、俺はおまえのそういう反応、嫌いじ
ゃないぞ」
「……」
「逆に、おまえの欲望が見すかせたみたいで、非常に楽しい」
「何が言いたいんだ?」
 両拳を握り、目を細めて喜び露な表情をなす唐沢に、相羽は怒り口調で聞い
た。強引に呼び止められ、付き合ってやった挙げ句のこの仕打ちに、相羽の苛
立ちはボディビルダーの着るランニングシャツのごとく、ぱんぱんに膨らんで
いる。
 唐沢は急速に真顔になって、さらりとした調子で尋ねた。
「おまえ、まだ好きなんだろ」
「ああ」
 即座に答える相羽。誰を?とは、敢えて問い返さなかった。
「なら、話しろよ」
「――何のこっちゃ?」
「だいぶ前、ふられたとか言ってたよな。相羽は、それでも心変わりしてない
んだろ。友達付き合いは続いてるんだから、せめてもっと会話しろよってこと」
「いまいち脈絡が理解できない。話す機会が少々減っても、大事な友達の一人
であることに変わりはないよ」
「俺の感情的発言に、理論的に答えるなよ、まったく」
「付き合いきれん」
 席を立とうとする相羽を、唐沢はすぐ引き留めた。両肩に手を置き、椅子に
再度座らせると、真顔に磨きを掛ける。
「相羽。おまえ、他の女の子から、告白されたことあるか?」
「……あるよ」
「何回?」
「そこまで答えなきゃだめか?」
「ふむ。まあいいさ。それで、全部断ってきたよな、当然?」
「ああ」
「つまり、涼原さんをあきらめていないってことだ」
「……論理の飛躍がある」
「何だ何だ?」
 眉を寄せて怪訝がる唐沢に対し、相羽は人差し指を立て、机の表面を一度だ
け叩いた。
「僕が他の子からの告白を断ったのが、僕が純子ちゃんにふられたあとでなけ
れば、唐沢の論法は成立しない」
「はあ……」
 唐沢はぽかんと口を開けた。そして表情を歪めて吐き捨てる。
「しょーもない。数学の先生みたいな言い種しやがって」
「間違ったことは言ってない」
「うるせー。俺がやっとまじめに話そうという気になったのに、何だ、その出
鼻をくじきやがって。あーあ、もう話す気なくなってきた」
「最初からまじめに話してくれていれば、こんなことにならなかったのに。残
念だな」
 またもや立ち去ろうとした相羽を、唐沢は引き留める。
「いい加減にしろよ、唐沢。話を聞く暇ならあるが、掛け合い漫才をやってい
る暇はない」
「分かった分かった。ただ、おまえも、涼原さんの名前を出しただけで、態度
をそんなに硬化させるなよ」
「話し手次第だよ、それは」
「よし」
 一人、気合いを入れて決意を固める唐沢。
「じゃ、ストレートに言う。過剰包装なしの、採れたて野菜みたいにな」
 最初からそうしてくれ、とつぶやいた相羽。
 唐沢はこれには無反応のまま、相羽に指を突きつけ、話を続行。
「おまえ、もう一遍、涼原さんに告白してみろ」
「……ストレートすぎて、話が見えないな」
 唐突な流れに、相羽はむしろおかしさを感じて吹き出していた。
「どこをどういじれば、そういう風になるのか、教えてくれよ」
「いいから、してみろ」
「ちっともよくない。一度ふられてるんだぜ。自分で言いたくないんだがな、
こんな話を何度も」
「それはだな。時間が経たんだから、向こうの気も変わったかもしれないじゃ
ないか」
 急に歯切れの悪くなる唐沢。相羽は首を捻った。
「根拠なき希望は、空しくなるだけじゃないか」
「相羽、おまえさあ……」
 台詞の中途で、前頭部の髪に手を突っ込み、かきむしる仕種をする唐沢。続
きを考えているようだ。やがて言った。
「涼原さんに告白して、何て言われたんだよ。差し支えあっても、教えろ」
「言ってなかったか」
 考える目つきになる相羽。思い出そうとしてか、上目遣いだ。
「正直言って、早く忘れたかったから、記憶もおぼろげで……」
「大まかでいいから」
「友達の中では最高だと言われたような気がする。でも……要するに、恋人と
かそういう目では見られない、とか」
「他に好きな奴がいるとは、言わなかったんだよな」
「ああ。だが、いたとしても、口にするかどうか分からないだろ」
「余計なことは答えずに、黙って聞け。――涼原さんにとって、最高の友達は
おまえ。また、涼原さんに彼氏はいない。この二つから導き出されるのは? 
数学が得意な相羽クン、答えなさい」
 腕組みをして、一応考えた相羽。だが、次に口を衝いて出て来たのは。
「それら二つの間には関連がないよ」
 大まじめなその物腰に、唐沢は鼻を鳴らした。
「何かあるだろーが」
「いや。仮にあったとしても、一年以上も昔のことを根拠に、何を導き出した
って、今に影響を及ぼす可能性は非常に低いんじゃないかな」
「おまえ、本当にそう思っているのか」
 相羽は答えなかった。口を閉ざし、頬杖をついてそっぽを向く。
「じゃあ、ふられたのはどうしてだと考えてる?」
「……純子ちゃんが僕を嫌い……じゃないよな。嫌いじゃないと言っていたし」
「そりゃそうだ。嫌いなら、何でずーっと仲よく話せるんだよ」
「他に好きな人がいるわけでもない……と」
 ありそうな項目を、思い浮かべては一つずつ消していく相羽。
「あ、でも、いっとき、唐沢と付き合ってんじゃないのかと、感じてたんだけ
どな」
「何でそうなるんだよ。もしそれが事実だったなら、当の俺が泣いて喜んでる」
「クラスが違うと、不安になるものらしいや。ちょっと話しているのを見かけ
ただけでも、やけに仲のいい雰囲気が感じられるんだぜ」
「完璧、被害妄想だ」
「そう、だな」
 相羽はうなずき、苦笑いに頬を緩めた。唐沢は肩をすくめて、「それよか、
もっと考えてみろよ」と促す。
「そう言われても。結局のところ、純子ちゃんは今は、誰とも付き合いたくな
いんじゃないかな。そういうことを考えたくないのかもしれない」
「どういう理屈だ、それ」
「こう考えたら、自分の慰めになる」

――つづく




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