#5049/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 3/30 11: 3 (200)
そばにいるだけで 46−9 寺嶋公香
★内容
「何とでもなります。他の役のオーディションに差し替えるなり、オーディシ
ョンそのものをなかったことにするのもね」
「……はあ」
ほぼ予想できた回答だったので、相槌を打った。とは言うものの、釈然とし
ない。だいたい、純子が引き受けるものと決めてかかっている節が垣間見えて、
感じよくない。
「個人的には反対しておきます」
相羽の母が決然と意思表示した。
「幸い、写真を撮った人も週刊誌編集部も、香村君と一緒に写っている子が誰
なのか特定できていないと、現時点では判断されますわ。正直な気持ちを申し
ますと、写真が公になっても私どもには何の影響もない。わざわざスキャンダ
ルの渦中に飛び込むのは、遠慮します」
「そう仰られる気持ちも分からなくはないですが、我が方はイメージダウンの
可能性大なんですよねえ」
含み笑いをしながら、しかし眉間にしわを作る藤沢。
「責任の一端を担いでくれてもいいとは思いませんか?」
「この写真を撮られたのは、誰の責任でもないでしょう。違います? あえて
言えば、有名人なのに油断をしていた香村君と純子ちゃん本人にあるかもしれ
ませんが――」
自分の名前が出たこと、「責任」という単語に、びくりと反応してしまう純
子だった。
相羽の母の話は続く。
「――仮にそうとしても、責任は五分と五分。私達の方だけ負担を重くされて
も、困りますわね」
「メリットもあるじゃないですか。香村綸の相手役となれば、アイドルとして
も認識される。以前、目隠し状態で出演したドラマとは段違い。映画だし、素
顔が出るし、この効果は絶大だ」
「少なくとも私は、純子ちゃんのそういった方向での成功を、積極的には期待
しておりませんので、メリットとは受け取れません」
「……当人の気持ちを聞きたいですね。どうですか」
純子の前に座り、覗き込むように顔を少し寄せる藤沢。純子はすぐさま答を
返した。
「私にはできないと思うんです。演技がうまくありません。それに」
それに、映画の上でとは言え、香村と恋人関係になるのは避けたい。香村に
限らない。誰ともそういう関係になりたくはない。
(相羽君への想いに整理がつくまでは……)
言葉を途切れさせ、純子は目を伏せた。
「それに、何?」
藤沢が不審そうに首を捻る。純子は慌てて新しい答を探した。幸い、理由な
らたくさんある。
「えっと、オーディションを受けるつもりの人達に凄く迷惑がかかってしまう
から……」
「――どうして、こんなに欲がないんですか。謎ですよ、まったく」
肩をすくめ、相羽の母の顔を恨めしそうに見やる藤沢。
「純子ちゃんにしても、あなたにしても、タレントとしての成功は望んでおら
れない。あくまでモデルにこだわる、ですか」
「ええ、まあ」
これには曖昧に返事した相羽の母。市川の方針を思い描いたに違いない。な
るべく風谷美羽への干渉をさせないようにしているけれど、影響が完全にない
とは言い切れない。むしろ、鷲宇の意向の反映と相まって、一人二役による仕
掛けが将来、何らかの形で開花・始動するのは九分九厘確実。故に、ここで限
定的な答を口にするわけにいかない……。
「ファッションモデルがタレント、俳優として成功した例はいくつもあります
よ。いや、モデルとしてスタートをして、タレントとして有名になり、今もタ
レントで活躍している人の方が、私にはたくさん思い浮かびますね」
「何と言われましても」
相羽の母は最後まで言わず、意図を匂わせるにとどめた。それから純子に話
を向ける。
「映画出演、したくないんでしょう?」
「は、はい。少なくとも、今は無理です」
純子は恐る恐る、藤沢を見つめ返す。幸い、このマネージャーの表情は怒っ
ているようでも落胆しているようでもなかった。ただ、困っているとだけは言
えるかもしれない。
「仕方ありません、一旦、引き下がりましょう。しかし、写真が載れば、説明
をしなければなりませんよ。まず、我々ガイアプロのところにマスコミが押し
寄せる。当然、記者会見を要請される。何らかの答を用意する必要があるんで
すよ。それは分かってくださるでしょう、相羽さんも?」
「ええ。ですが、その前に、記者会見を開かねばいいんじゃありませんか?」
「そんなことしたら、仕事に支障が出かねない。恐らく、香村の行く先々にレ
ポーターが引っ着いて来ます。記者会見した方がまし」
「言われてみれば理解できますけど、会見で話せるようなよい答は、思いもつ
きませんわ」
「いざとなったら、我々は風谷美羽の名を出しますよ」
何気ない調子の藤沢に対し、相羽の母は目つきを細くした。穏やかになって
いた空気が、再び緊迫感を帯びる。
「それはおど――」
「とんでもない」
皆まで言わさず、両手を肩の高さで振る藤沢。さすが駆け引きに慣れている
だけあって、タイミングを心得ている。
「巻き込んで、迷惑をかける気は毛頭ありません。ただ、あの『ハート』の女
の子だと示唆するだけですよ。そして、ドラマで一度競演して以来、友達付き
合いが続いている、と」
「それは……」
「嘘は言ってませんよ。これっぽちも。ねえ」
純子に同意を求めてくる藤沢。仕方なく、肯定した。その直後、純子は先の
ことを想像した。
(でも、写真の載った雑誌が出て、相羽君に見られたら……)
考えるのも嫌だ。
(私の本当の気持ちを相羽君が知らないのはいい。仕方ない。私が悪いんだか
ら。だけど、あの写真が載ることで、私の気持ちが香村君に向いていると思わ
れるのだけは避けたい!)
急速にそんな思いがこみ上げてきた。しばらく我慢すれば乗り越えられる壁
だと覚悟を決めかけていたのが、角度を変えてみると、とても乗り越えられそ
うにない。
「藤沢さん。私、やっぱり、写真が出るのは困りますっ」
「――それはまたえらく大胆に、状況を巻戻しましたねえ」
呆れたような笑みで応じられる。でも、純子だって必死だ。胸元に引き寄せ
た両腕に拳を作り、同じことを繰り返す。
「理由は?」
「いいじゃありませんか、そんなこと」
相羽の母の凛とした声が、藤沢の問いを遮る。純子の気持ちを敏感にキャッ
チしてくれている。続けて言った。
「週刊誌に掲載されないよう、手を尽くします。いいですね」
「はあ――そちらがそのつもりであれば、かまいませんよ。ただ、最初から仰
ってください。こういうのは即座に止めにかかったとしても、成功するかどう
かは五分五分なんだから」
疲れた風に嘆息し、肩をすくめる藤沢。次の瞬間には、携帯電話を取り出し、
あちこちへ電話をかけ始めた。
「髪、短くしてはだめですか」
帰り道の車中、純子は相羽の母に、本来のお願いを切り出した。
黄色から夕日色へと変わった太陽の光を右から浴びて、相羽の母はまぶしそ
うに目元をしかめた。
「美生堂との契約があるし、売り込みに使った資料の写真がロングヘアだしね。
極端に短くするのはだめよ。せめて、肩にかかる程度は残してくれなくちゃ」
「そうですか……そうですよね」
後部座席でうつむき、首を振る純子。ルームミラーには、相羽の母の心配げ
な眼差しが映った。
「どうしてもショートにしたいのであれば、ウィグを貸し出せるけれど? よ
りどりみどりよ」
「いえ、いいんです。そこまでしなくても」
「急に言い出すなんて、どうかしたの? もしかして、週刊誌に写真が出てし
まった場合を考えて?」
「あ、違います、さっきの話は関係ないです。あの話を聞く前から、髪を切ろ
うと思ってたんですから。何となく、気分転換したいなあって」
「ああ、そうか、高校入学を機会にというわけね」
相羽の母の早合点を、純子は否定せずにおいた。まさか、「信一君と失恋確
実になったから」と言えるはずもなし。
「ま、今日はとんだことになったけれども、もしも写真が掲載されてしまって
も、やましいところはないんだから、堂々としていればいいのよ」
「はい……」
「対応策は、私や市川さんが相談して決めるから、安心して。ガイアプロさん
の意向は横に置くとして、私達としては名前が出るのだけは避けたいわ」
「そうですね」
生返事をする純子。名前が出てほしくないのと同じくらい、写真記事を相羽
にだけは見られたくないとの思いが強い。
車が方向を換えると、夕日がまぶしかった。
「純子ちゃんの髪のことだけど」
相羽の母が、前を向いたまま言った。
「ヘアスタイルなら、ある程度は自由にしていいから。希望があればいつでも
言って。その気になったら、一流のヘアスタイリストだって呼べるんだから」
「――学校に行けないような髪型にされそう!」
少し無理をしたら、少し元気が出た。
* *
夕餉の席で卒業式にまつわるお喋りが一段落したあと、母が何気ない調子で
切り出す。
「純子ちゃんたら、髪を切りたがってるみたいよ」
母の話に、信一は本から目線を上げようとせず、「ふーん」とだけ応えた。
内心では、たまらなく気になったにも関わらず。
「信一は何か聞くなり、感じるなりしてない?」
「何をさ」
本に没頭している風に、頭を動かさない信一。
「髪を切りたがる理由よ。卒業式で、様子がおかしかったとか」
「知らない」
「本当に?」
信一は母の目がこちらを捉えていることを確かめてから、無言でうなずいた。
「とにかく、気を付けてあげていて。今日、精神的に結構ハードだったはずだ
から」
「何があったの」
押し殺した声で聞く。さすがに本は閉じた。
母が仕事の関係で純子を連れていったのだけは分かっていたが、その中身は
全く知らされていない。気になっていたのだが、卒業式のことが尾を引いてい
て、積極的に尋ねるまでにはなれないでいた次第。
母からはなかなか返事がなかった。思慮のあとに出て来た答も、
「……口が堅い信一にも、ちょっと明かせないことなのよ」
と、肩透かしを食わされた格好だ。
(秘密にするような仕事って、何なんだ?)
心を大いにかき乱される。興味や好奇心なんかではない、純子のことを案じ
る気持ち。
「どっちの仕事なのかも、秘密?」
「どっちって……ああ、関係あるのは風谷美羽というか、女の子としての純子
ちゃんよ」
ますます気になる言い方をしてくれる。もう一度だけ聞いてみようか、信一
は葛藤を抱いた。そこへ、母から補足がなされる。
「それと、厳密に言うと、仕事じゃないから」
「は?」
「芸能人ならではのことだから、その辺は察してね」
「分かんないよ」
「とにかく、信一は純子ちゃんの様子に気を付けてくれればいいわ。あんまり
詮索しちゃだめよ」
相矛盾しているような気がする。
(僕はマネージャーや付き人じゃないって! ……なれるものなら、なりたい
けれど)
自分の心のつぶやきに、うつむいた顔を少し赤らめ、頬を一度かいた。そし
て今日のことを思い出す。鮮明なのに、すでにどこかセピア調の思い出。
(『友達としてしか見ていないから』、かあ。そりゃま、ふられたんだから、
友達で精一杯だろうけどさ)
それ以上は、まだ考えられなかった。考えたくない。もやがかかったみたい
に、先が見えない。
「普通に、会えるのかな……」
独り言のように言った信一に、母が首を傾げる。
「なあに? あなたまでどうかしたみたいに見えるわ」
「ん。ちょっと。大したことじゃないよ。心配しないで」
強がりと言うよりも、あきらめの気持ちの色彩の方が濃かった――今は。
* *
――『そばにいるだけで 46』おわり