#5029/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 2/29 1:54 (173)
そばにいるだけで 45−2 寺嶋公香
★内容
* *
職員室で担任の牟田先生から最後の受験指導をしてもらったあと、純子は別
の先生の姿を探した。席にはいなかったが、ちょうど部屋に戻ってこられた。
「小菅先生!」
思わず声を大きくして、そのまま足早に近寄る。
「ああ、涼原さん。何かしら? 国語の質問?」
「いえっ、先生自身の話」
満面の笑みを見せる純子に、小菅先生は戸惑ったように小首を傾げた。手に
したA3サイズのプリント類の束――恐らく一クラス分ある――を持ち直し、
目で問い返してくる。
「あのお話です、年明け早々にって言ってたじゃないですか」
目配せする純子。受験に忙しくて、確かめよう確かめようと思いつつ、聞き
そびれていたこと。それを暗示したつもり。
先生の方は、ともかくプリントを自分の机の角に置き、それからはっと思い
出したらしく、動きを止めた。ぎこちなく振り返ると、
「その話は外でね」
と、純子の肩に手を回して、廊下に出る。
廊下に出てからも周囲を気にする風の小菅先生に、純子は探りを入れる調子
で聞いた。もちろん、小さな声量で。
「あの、他の先生には内緒なんですか、結婚……」
「そういうわけではないのよ」
同じく小さな声の先生。自然と、内緒話をする感じになる。
「伝えたら、みんな、祝福してくださったわ。だけど、時期がよくないのよ」
「時期、ですか」
「あなた達のこと。受験。今年度、私は三年担任じゃなかったけれど、三年担
任の方々がね、今はぴりぴりされているから」
「はあ……それは分かりましたけど。それじゃあ先生、結婚は延期?」
残念そうに両手を組む純子の様子がおかしかったのだろう、先生は苦笑を浮
かべた。それでも辺りをはばかり、一層低く喋る。
「ううん。籍はもう入れたのよ。でも、式の方はね、さすがにこの時期には無
理。受験が終わって、新年度の準備も済む頃にって、三月末に」
「――よかった。おめでとうございます」
「ありがとうね」
「裕恵ちゃんも喜んでます?」
「ううん。どちらかと言えば、嫌がってるみたい。姉としては複雑な心境よ」
ため息混じりの小菅先生。その心境が手に取るように想像できるからこそ、
純子は微笑してしまった。
「じゃあ、きっと披露宴では大変ですね」
「かもしれないわ。やっぱり、ある程度は大人しくしてくれないと……ふてく
されてでもいいから。そう言えば、生徒代表で涼原さん、どう?」
「はい?」
「披露宴に出席してくれないかしらと思って」
「しゅ……」
あまりの意外さに口をぽかんと開け、しばらく経ってから声を出した純子。
「冗談ですよね、先生」
「ううーん、結構、本気なのよ。一人くらい、有名人に来てもらいたいし」
「有名人……」
やっぱり冗談なんだわと、半ば呆れ、半ばほっとする純子。
「無理かしら?」
それでも誘ってくる小菅先生。純子は息を深くついた。
「他にも生徒がいっぱいいるのならともかく、一人だと荷が重いですよ」
「そういうものかしら……そうよね。招待できる枠はそんなに残っていないし」
どうして冗談にこんなに時間を掛けるのだろうと純子が訝っていると、小菅
先生の口から答を聞くことができた。
「実はね、裕恵が言ってたのよ。『レイが来るなら、大人しくしてる』ってね」
「――あはは」
簡単に想像できたそのときの先生と裕恵との様子が、純子を楽しくさせた。
「三月末は私も忙しくなるかもしれませんから、披露宴は無理だと思いますけ
ど、新婚旅行のあと、押し掛けさせてもらいまあっす!」
「うん。歓迎するわ」
にっこり微笑んだあと、先生は先生らしい一言を付け加えた。
「気分壮快でやって来られるよう、高校受験、がんばって」
「俺に話し掛けんでくれー」
そう叫び、単語帳を片手に握りしめたまま、耳を塞いだ唐沢。
往来なので、他の人から注目されてしまうんじゃないかと、慌てて辺りに視
線を走らせた純子だったが、それはいらぬ心配だった。
「叫ぶとこぼれるんじゃないか。覚えた端から」
相羽が冗談めかすのへ、唐沢はじろりと視線を送っただけで、再び単語帳に
集中し、ぶつぶつ言い始めた。
相羽と純子は互いに見合わせて、微笑混じりの白いため息をついた。
「寒さはきついけど、降られずにすみそうだ」
天を見上げ、相羽がぽつりと呟く。
緑星高校受験、いよいよ本番。頭寒足熱と言うし、これぐらいの気温がちょ
うどいいのかもしれない。
「天気予報では雪と言っていたから、どうなるかと思ったけど」
「外れてよかったわ」
「縁起の悪いこと言わないでほしいな。外れだなんて」
二人の会話に唐沢が口を挟んだ。明らかに気にしすぎのようだ。
「直前まで山をかける俺の苦労を分かってちょうだい、涼原さん」
「ご、ごめんなさい」
真剣な口調に、静かに謝る純子。横を行く相羽が嘆息した。
「邪魔したくないけど、ぎりぎりに無理矢理詰め込むと、混乱するかもしれな
いぜ。公式なんかは特に」
「俺がやってるのは英単語だから」
また没頭する唐沢。受験が目前に迫り、表面上はおちゃらけて見せようと努
力しているようだが徹しきれず、ぴりぴりしている。
「見えたわよ」
高校の校舎のシルエット。もう少し行けば、あの塔の時計の文字盤で時刻が
確認できる。
「ゆっくり歩かない?」
唐沢が言った。ペットの犬みたいに、哀願する目線を向けて。
「歩いてもいいけれど、遅刻したら洒落にならない」
「そう言えば、白沼さんは車で送ってもらうんだって。羨ましいわよね。時間
を有効に活用できて」
「でも、車って、渋滞に巻き込まれたら恐いよ。もしものことを考えると」
「そっか。でも、今日は日曜だから、そんなに混まないでしょ」
相羽と純子は、会話しつつも、歩くスピードを落とすことなく進む。
「……ああっ、もう、しゃあないなあ!」
踏ん切りを付けたか、鞄のポケットに単語帳を突っ込んだ唐沢。
純子は拳を作った両手を胸元に持って来て、声を掛けた。
「大丈夫よ、唐沢君。学校でもテストの順位、上がってきてたんでしょ? 全
力を出しきれば」
そんな純子を唐沢は見返して、緊張が解けたように頬を緩めた。
「うむ。涼原さんに言われたら、その気になってきた」
校門が目の前に迫る。相羽がいい具合に力の抜けた調子で言った。
「じゃ、がんばりますか」
「うん」
純子は、ポケットの中のお守りを握りしめた。あの琥珀の入ったお守りを。
全ての試験科目を終えて、受験票を大事に仕舞い込むと、会場である教室を
出る。廊下を歩きながら一息つくと、試験中は気にならなかった寒さを感じ、
自然と足早になった。
待ち合わせ場所の校門に急ぐ。他校の生徒も当然、同じような行動を取るか
ら、結構混雑していた。
二人は先に着いて、待っていた。
「――相羽君、唐沢君!」
昼食休みに顔を合わせて以来の再会。心細かったのが、何だかほっとする。
試験問題について話をしていたであろう相羽と唐沢は、純子の声に反応して、
顔を向けると大きく片手を振った。
「どうだった?」
三人の声が、ほぼ重なった。ゆっくり歩き出しながら、会話は続く。
「分かんないけど、やるだけのことはやったつもり」
純子が首を傾げながら答えると、唐沢は自身を指差しながらうんうんとうな
ずく。
「俺も。とにかく、全部埋めた。書かなきゃ絶対に点はもらえない」
「まるで宝くじ――買わなきゃ絶対当たらない」
相羽が茶化し加減に笑みを浮かべると、唐沢は「そうそう。抽選で決まるか
ら」と乗ってから、「違うだろっ」と突っ込みを入れてきた。
「……その様子だと、相羽君は余裕?」
純子が尋ねると、相羽が答えるよりも早く、唐沢が応じた。
「相羽せんせーは、手応えあったようで。おみくじの結果なんか、ものともせ
ずに。な?」
「さあ? とりあえず、凶ってことはなかったと思う」
「ああ、余裕の感じられる言葉!」
唐沢は短く叫ぶと、立ち止まり、純子の両手を取って、がっくりうなだれた。
否応なしに、純子も足を止める格好に。
「相羽はいいとして、涼原さんと離れ離れになりたくないな〜」
「い、今は、忘れましょ。くよくよしたって、仕方ない」
「……涼原さんも自信あるんだ?」
顔を上げる唐沢。再び目つきがペットの犬みたいになっている。
純子は首を横に振った。
「そんなことない。もう、周りの人の鉛筆の音が気になって……みんな、凄く
頭よさそうに見えた」
「おんなじだ」
いくらか安心したように、唐沢は呟いた。いや、こんなことで安心しても仕
方ないのだが。
相羽が少し先まで行って、コートのポケットに両手を突っ込み、ぼんやりし
た目で振り返ってくる。待ちぼうけを食らって退屈そうだ。
「とにかく終わったんだし、何か楽しいこと考えよう、ね?」
純子が促し、唐沢の背を押す。
「それじゃ、これからどっか行かない?」
唐沢の提案を聞きながら、相羽に追い付く。唐沢は言い足した。
「三人で」
「何が」
話の流れを知らない相羽が聞き返す。相羽は同じ話を繰り返した。
「私、遊びに行くのはパスしたい。気分が凄く疲れた感じよ。行くんだったら、
二人で」
純子が正直なところを言うと、男子二人はちらっと視線を合わせ、相羽は頭
をかき、唐沢はうつむいた。
「ファーストフードならいいだろ? お茶飲んで帰ろう」
顔を起こした唐沢が言った。
「……相羽君はいいの?」
唐沢から相羽に視線を移す純子。相羽は黙って大きくうなずいた。
「さあ、決まり決まり」
唐沢が俄然元気を出して、鞄を振り回さんばかりの勢いで、先頭を切る。白
い息をついて、相羽があとを追う。その背中を見つめながら、純子も続いた。
(高校、一緒に行きたいな)
改めて思った。強く、強く。
――つづく