AWC そばにいるだけで 45−3   寺嶋公香


        
#5030/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 2/29   1:56  (171)
そばにいるだけで 45−3   寺嶋公香
★内容

 カーテンの向こうでは、星がよく見えていた。冬のいいところは、空気が澄
む点だ。普段はぼんやりとも見えない星さえ、顔を覗かせる……。
 純子はカレンダーを見つめて、大きく嘆息すると、机に突っ伏すようにもた
れかかった。
 バレンタインデーのプレゼントをどんな風にするか、アイディアをまとめな
くてはと思うのだけれども、いまいち乗り切れないでいる。どんな顔をしてあ
げればいいのか分からないという事情もある。
 だが、それよりも今は、受験の結果が気になって、気になって……。
 純子は琥珀を茶巾袋から取り出して、机にそっと置いた。すぐ目の前に半透
明の茶色い石がある。
(お願い。どうか、相羽君と同じ高校に行かせて)
 瞼を閉じ、念じる。これまで、色んな場面で頼りにしてきた。その結果、実
際に心強くなったこともあったし、元気づけられもした。今度もつい、頼って
しまう。
 目を開けると、純子は琥珀を摘むようにして手に取った。次いで、椅子を半
回転させ、琥珀を斜め上に掲げる。電灯の光に当てて、透かし見るために。
「……」
 それは不意に湧き起こった。
 琥珀の向こうに、あの子の顔が浮かんだような気がした。恐竜展で琥珀を譲
ってくれた、あの男の子。
 こんなときにおぼろげながらも思い出すなんて。純子自身、どうしてなのか
分からず、不思議な感じがする。
 もちろん、お守り代わりの琥珀を見たときは、いつも思い出してはいた。し
かし、それは単に「あの男の子」の存在を思い出すだけで、姿形まで浮かべる
ようなことはなかった。
 もっと不思議な点がある。
(香村君に重ならないような気がする……?)
 腑に落ちない。が、次の瞬間には、気のせいに違いない、と信じた。
(私ったら、どうかしてる。香村君だと分かっているのに、イメージが合わな
いなんて。勘違いしてるのよ、こら、純子)
 自分を叱りつけてみても、違和感を拭いきれない。逆に、徐々にではあるが、
輪郭や目鼻立ち、背格好が明確になっていくようだ。まるで、双眼鏡の焦点を
合わせるみたいに。
 とにかく、きちんと思い出せるところまで思い出してみよう。そう誓って、
目を閉じる。ますますイメージが固まり始める。
「何だか、本当に思い出せそう」
 呟いてみて、急いで黙った。折角よみがえりかけた記憶なのに、喋るとそれ
だけ、薄れてしまいそう。消したくない。しっかり、つかまえなければ!
 やがて脳裏のスクリーンに像が結ばれる。
(……あ。え、あれ?)
 遂に思い出せた!と感じたのと同時に、困惑が小さな竜巻のように純子を瞬
時に取り巻く。
 しばらくの間、自分自身に呆気に取られてしまっていた。顔に表情が戻って
来た。苦笑い。
(あはは、は。やだ。相羽君の顔を思い出してどうするのよ!)
 真顔になって、頭を抱える。額を押さえ、改めて思い出そうと試みるが、も
う相羽の今の顔しか浮かんでこない。
「……ばか」
 自らのこめかみをこつんとやる。
(こんなときまで、好きな人を思い描いてしまうなんて……)
 手の内からするりと逃げていった琥珀の男の子。ちょっぴり、自己嫌悪。
(いいわよ。あの子が香村君なのは間違いないんだから)
 無理にでも、気を取り直そうとした。
 香村に対する申し訳なさが湧き起こって、彼のことを考え始めた。
(恐竜展の内容を、香村君はあんまり覚えてなかったけど、それを悪く言えな
いわ、私。あのときの香村君の顔さえ覚えてないんだから、だめだなぁ……。
今度会ったら、謝ろうかしら)
 同じことで以前に謝ったに等しいのだけれど、それと今の気持ちとは切り離
して考えている。
(合格発表が終わる頃に、詳しい連絡を入れるって言ってたよね、香村君。ど
うしよう)
 先送りにしていた重要な問題を思い起こしてしまった。そう、香村から、付
き合ってほしいと言われたことに対する答。
(今度こそ、返事しなきゃいけないのかな。時期的にもバレンタインだから、
きっと、嫌でもそういう方向に話が行ってしまう。断ったら機嫌悪くされそう
だし、先延ばしを続けるのも香村君に悪いし……。嫌いじゃないんだけど。気
が重い、と言うより、荷が重い感じなのよね)
 それに、今の自分はもっとずっと好きな人がいる――。
 胸の内に奥深く押し込めてしまって、心の中のつぶやきにもならなかったけ
れども。
(一度、他の人とも会いたいって頼んでみようかしら? 加倉井さんや星崎さ
ん達と久しぶりに会いたいのは本当だし)
 香村と二人きりになるのを避けるためには、ちょっとしたアイディアだと思
った。しかし、そんな自画自賛はすぐに壊れる。冷静に考えると、全員のオフ
がうまく重なるはずがない。
(だめかぁ……。ま、いいわ。いつか、星崎さん達と会おうっと。でも、覚え
ててくれるかな。加倉井さんはまだしも、星崎さんとはあのドラマの一回きり
だもんね。忘れられていたら、また一から頑張らなくちゃ。――あっ、そうだ
わ。ルミナちゃんとも会いたいな!)
 とりとめがなくなってきた。
 でも、再会場面を色々と想像をして、最終的にご機嫌になれたから、純子に
とってはいいことなのだ。

 合格発表の日は、朝から落ち着かない。何せ、試験で合否を判定されるのは
初めての経験であるのだから。大なり小なり、将来を左右する関門でもあろう
し。
 ただ、そのことを差し引いても、純子のそわそわぶりは傍目から見て大げさ
だと言えるかも。
(もし……そんなことないと思うけど、もし、相羽君、合格してなかったら、
J音楽院に行ってしまう?)
 受験が終わってからのここ数日、こんな考え方が頭から離れないでいた。そ
れに関わる答が、今日出される。
(アメリカ……遠いよね。久住淳でも風谷美羽でもいいから、凄く有名になっ
たら、アメリカに行けるかしら)
 突飛な方向に思考が進む。
(そうだ、鷲宇さん! アメリカでも活動なさってるんだ。荷物持ちだって何
だってするから、連れていってもらいたい……無理よね)
 そんな空想めいた希望も、出かける時間が来るまでだった。受験票を手に取
ると、純子自身が受験生であることを嫌でも思い出す。
「行って来まーす」
「気を付けてね。すぐ電話ちょうだいよ。万が一にも――」
「分かってるって」
 母の話を聞いていたら長くなる。純子は早々に打ち切らせてもらった。
「もしもペケだったら、私、芸能人になるもん――なんちゃって」
「そういうことじゃなくてねえ、純子」
 ため息をつく母に手を振って、家を出た。
 受験日は相羽や唐沢と待ち合わせをして揃って出向いたが、今日は別々。特
に約束はしていない。ただ、張り出される時刻に緑星高校に到着するように家
を出るとだけ言っていたので、顔を合わせる可能性はある。
(できれば一人で見たいもんね。知ってる人に見られてるっていう状況は、な
るべくなら避けたい)
 でも、一人だと心細いもの。電車に乗って揺られている内に、心臓の鼓動が
激しくなってきたような気がする。これから行くところが、凄く恐い場所のよ
うに思えた。
(郁江達も今日発表かぁ)
 町田、富井、井口らの面々とはあとで中学校で落ち合う約束になっている。
互いの結果報告をするためだが、明るいまま終始できるだろうか。
(はあ……)
 心中で息を大きくついた。お祈りする。
(せめて、相羽君と一緒に合格させてください。お願いします)
 高校最寄りの駅に着いた。空気の冷たさにダッフルコートの前を重ね、唇を
噛みしめてから駅構内を抜ける。
 合格したら四月からここを何度も行き来するんだわと想像しながら、学校を
目指してひたすら歩く。気負い込んでしまって、普段よりもずっと早足だ。
 校門をくぐると、途端に足取りが重くなった。他の受験生達がたくさんいる
せいもあったが、それ以上に、いよいよ結果が分かるとあって、気が重くなる。
 時計を見ると、合格者番号の張り出しが始まって、すでに五分ほど経過して
いた。朝早くから見に来る人は、それだけ自信があるのかなと思えてきた。す
れ違う受験生は今のところ誰一人として泣いていない。笑顔と声であからさま
に喜びを露にする人だってそこここに見かける。自信がなくなってきた。
 知らない内にうつむいていた面を起こすと、人だかりと掲示板の頭が見えた。
付き添いだろう、ちらほらと大人の姿もあるが、ほとんどは子供だ。
 純子は覚悟を決め、一生懸命歩いて、掲示板の前まで行った。大勢いるから、
まだよく見えない。とりあえず、受験票を取り出そう。
「五二八」
 復唱する。ふと、気が付いた。
(これって……相羽君の誕生日と同じ)
 偶然だ。でも、途端に勇気が出た。この番号で、悪いことが起きるはずがな
いじゃないの。試験のときは気付かずに、今この瞬間に気付くなんて、いい巡
り合わせに違いない。
 一歩踏み出すと、自然に道が開けていくかのように、隙間ができた。何とは
なしに、視線を感じる。純子は気にせず、よく見える位置まで出た。
 五百番台を確認。上から順に見ていく。
「――あった」
 小さく呟き、音を立てずに手を合わせる。五二八、間違いない。それでも目
をこすって、見直す。五一八や五三八を見誤ったのではなく、やはり純子の番
号、五二八だった。
 全身に安堵感が溶け込んでいく。表情も勝手にほころんだ。
(よかった。これでみんなと……相羽君は何番だったかしら)
 気になってたまらない。おぼろげに浮かんだ数字があるにはあるが、確証が
ない。違っていたら、意味がない。
「……」
 純子は、名前を呼びそうになりながら、相羽の姿を探して後ろを振り返った。
見渡すが、先ほどより人がさらに増えていて、分からない。
 これでは邪魔になると思い、掲示板から離れる。それから少し考え、丸く刈
り込まれた植え込みの前まで移動した。ここなら、来る人全員をだいたい見通
せる。相羽を見つけられることを期待して、しばらくいようと決めた。
 程なくして、知っている顔が通りかかった。白沼だった。ロングスカートに
カーディガン。比較的軽装であるところを見ると、車で来たのかもしれない。
 声を掛けようかどうしようか純子が迷っていると、当の白沼はあっさり通り
過ぎてしまった。自信ありげに顎をちょっと突き出し、でも、表情はいつもに
比べると硬いかな。
(行っちゃった……まあ、帰り際でいいかしら? 白沼さんなら合格間違いな
しだろうし)
 その予想通り、二分とせずに引き返してきた白沼は、口元に笑みを浮かべて、
すました態度で足早に行く。無論、表情はほぐれている。当然の結果を確認し
に来た、という風情が漂っているように見えた。
「白沼さん!」

――つづく




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