#4989/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/12/25 9:46 (200)
そばにいるだけで 43−3 寺嶋公香
★内容
演劇部の打ち上げには行かないつもりでいた。相羽のことで精一杯なのだ、
これ以上精神的疲労を招くような真似は控えたい。
だから、純子が飛鳥部のクラスを昼休みに訪ねたのは断るためだった。
「ああっ、涼原さん」
廊下まで小走りに出て来た飛鳥部は、いきなり純子の手を握ってきた。予想
外の展開にきょとんとしてしまう。
「な、何、飛鳥部さん」
「私、あなたに謝らなければいけないわ」
勢いもそのまま、頭を下げる飛鳥部。事情が飲み込めず、ますます混乱する。
「もう、どうお詫びしたら償えるのか、頭が痛くて……」
「待って。ちゃんと最初から話してよ。何をそんなに謝ろうとしているのか、
分からない」
「それが……文化祭の私達の劇で、涼原さんの衣装が本番直前になくなったで
しょう? 言いにくいのだけれど、あれ、演劇部の後輩の仕業だったの」
「え。まさか、そんなことって」
意表を突かれた思い。意外すぎて、笑ってしまいそう。現に表情は、頬が緩
んで笑顔に近くなっている。
飛鳥部は真顔で首を振り、続ける。これぞ沈痛な面もちという形容がぴたり
と当てはまる。
「終わったあと、あの失敗が誰の責任で起きたのか、追及したのよね。最初は
しらばっくれていたのを、おかしな空気を感じ取ったから、白状させたわ」
演技に秀でた飛鳥部の詰問はさぞかし迫力があるだろうと、妙な部分で感心
し、納得した。
「二年生の――」
「あ、名前はいいっ、聞きたくない」
慌てて首を激しく振る。衣装を隠されたというだけでショックを受けている。
そこへ名前を知らされては、ショックに加えてわだかまりが強くなりそう。
「理由は? 理由を教えて。私が悪かったのなら――」
「ううん。むしろ悪いのは私なのよ。部長の私のせい」
長い息を吐き、飛鳥部は純子の目を恐る恐る見返してきた。
純子はまた理解困難な展開に、黙って相手の話を促す。
「正直に言うわね。私は涼原さんを試すために、劇に誘った」
「……うん。何となく、分かってた」
「テレビドラマに出た人がどれほどの実力なのか、目の前で見てみたかったの
もあるし、はっきり言って私個人の演技力なら負けない自信があったわ。去年
の人気投票では負けたけれどね」
根に持たれていたのかしら。純子は思わず苦笑したが、どことなく強張って
しまった。
「あなたが出演を約束してくれた直後に、私は部員全員に通達したの。プロの
腕前がどれほどのものか見極めるため、涼原純子に徹底して厳しく当たること
ってね。要するに、わざと意地悪くしろっていうようなものよね。あとになっ
て冷静に考えたら、かなりみっともないんだけれど」
視線を逸らし、顔を赤くする飛鳥部。こればかりは絶対に演技ではないだろ
う。素の飛鳥部を見られて、純子はほっとした。
「練習の厳しさは、そんな事情もあったのね」
「まあ、そういうこと……。それで、一緒にやっていく内に、私は涼原さんを
認めたのよ。お世辞じゃなく、本当に」
再び語勢強く気持ちを吐露し始めた飛鳥部に、純子は「ど、どうも」と戸惑
い気味に応じた。
「私の気持ちの変化を、後輩の子達はほとんど気付かなかったのね。きちんと
言わなかった私も悪いかもしれない。それに私、本番が迫ってくると、没頭し
ちゃう方で、劇以外のことに目が行かなかった。意地悪が変な方向へエスカレ
ートして、衣装を隠す話ができあがってたなんて、全然気が付かなかった。部
長失格だわ」
「そ、そんなこと」
「あるの。個人的感情で勝手なこと始めただけでも問題あり。その上、後輩に
ブレーキ掛けられなかったんだし、あなたにも嫌な思いをさせてしまった。だ
から、ごめんなさい」
改めて深々とこうべを垂れる飛鳥部。
壁を背にした純子は、どうしたらいいのか困ってしまった。他生徒の目もあ
ることだし。
「あ、あのね、飛鳥部さん」
「許してくれなくてもいい。とにかく、謝らせて。劇のことでこういう事態を
招いたのが、自分で我慢できない」
「いいよ、もう」
とにかく正面を向かせて、笑いかける純子。確かに嫌な思いもしたけれど、
それ以上にやっていて楽しかった。勉強になったかどうかはともかく、舞台劇
も面白いと思った。
それに……衣装の代わりを捜し回ったのは、相羽との最後の楽しい思い出に
なるかもしれない。
「終わったことなんだし。私は楽しんだわ」
「そう言ってくれるだけで、ほっとする。ありがとう」
安堵したあと、飛鳥部は純子をじっと見つめた。そして口を開く。
「涼原さんて、本当に噂通り。プレッシャーに強いし、優しいのね」
「そんなことないって。劇だって、沈没寸前だったんだから」
苦笑しながら手を振ってから、真面目に答える。
「みんながいるから頑張れた気がする」
「その気持ち、よーく分かるわ」
飛鳥部が最後に言った言葉で、また少し元気づけられた。
「これから先、ずっと涼原さんを――風谷美羽を応援してるから。一緒に頑張
りましょ」
助走の勢いを保ったまま、右足で踏み切る。胸を天に向け、身体を反らせる。
重心はバーの下をくぐる、らしい。
逆さの景色を見ながら次の瞬間、緑とオレンジ色のマットに落ちた。
「――余裕でクリアーよ」
同じ班の前田が大きな声で告げた。そして用紙に記録してくれる。
純子はマットの上で状態を起こすと、両腕でガッツポーズを取った。自分で
はどの程度余裕があるか分からないため、飛べたら何でも嬉しい。
「やった!」
起き上がると、バーの高さを下げた。次に飛ぶ遠野に合わせるのだ。この高
さをすでに二度失敗している遠野に声を掛ける。
「高さは充分よー! あとは踏み切りのタイミングだけ。多分、ほんの少し早
いみたい」
「う、うん。遅らせてみる」
うなずいたものの、自信なげな遠野。きっと、頭ではおおよそ分かっている
のだが、それを実際にやるとなると身体がうまく動かない、そんなところなの
かも。
「合図送るってのは?」
次に跳ぶ準備にストレッチをしつつ、前田が提案する。
「いいかもしれない。遠野さん、どう?」
「え、っと……かえって失敗しそう。合図がいつ来るか、どきどきしちゃって」
「じゃ、合図しない方がいい?」
「と思う……」
そうなったものの、いざ遠野が走り出して、バーの手前まで来たとき、純子
は思わず声を掛けていた。
「今よ!」
そのおかげかどうか分からないけれど、今回は成功した遠野。互いに見合っ
て、苦笑い。
「仲のよろしいことで」
前田も呆れた風に笑みをこぼしていた。
と、そこへ真横の方から一際大きな歓声が届いてくる。純子達三人は無意識
に振り返った。
「何だか盛り上がってるわね」
同じクラスの男子の班の一つだ。やはり走り高跳びをやっているところ。
遠野がまぶしさに目を細めながら、小さくつぶやいた。
「相羽君と唐沢君がいる」
その通りだ。どうやら二人の競争になっている。その周囲には小さいながら
も人垣が出て来ており、自分達の記録の計測をほっぽりだして声援を送る女子
の姿もあった。
「相変わらず、凄いわね」
先ほどとはまた異なる呆れた笑みを浮かべ、肩を落とす前田。
「それにしても……どうしてあんなに必死になってるのかしら」
相羽も唐沢も、表情が真剣だ。運動能力測定に真剣に取り組むのがいけなく
はないが、程度というものがあろう。これから跳躍しようという唐沢も唇を噛
みしめ、女子の声援には軽く手を挙げるだけで大げさな反応は見せない。むし
ろ、うるさがってさえいる? その証拠に、周りが静かになるや、駆け出して
一気に跳んだ。
「――おっしゃ」
バーが微動だにしていないことを自分の目で確かめ、ガッツポーズを力強く
取る唐沢。ここでようやく表情をわずかばかり崩し、相羽の方へ指を向けた。
「どーだ。着いて来れまい」
「……」
相羽は何も言わず、爪先を左右順番に地面にとんとんと当て、リズムを取る
ような仕種をした。
舌打ちのあと、マットから退いた唐沢は、お手並み拝見、それともプレッシ
ャーを掛ける意図があるのか、バーの真横に立った。
それでも無言の相羽が助走を始め、軽い調子で跳ぶ。ベリーロール。一瞬時
間を止めたかのような跳び方だった。
「まだ、平気だ」
マットの上で身を起こした相羽が、唐沢を見上げ、話し掛ける。目は涼しげ
な中にも挑戦的な光を宿していた。
「そうこなくっちゃな。上等」
唐沢は手をはたきながら、再び助走路に立つ。これをずっと繰り返している
と見える。
「二人だけで競ってる感じ……」
横で遠野が首を傾げている。純子も同感である。何がきっかけであんなに熱
くなって跳んでいるのか、事情が飲み込めない。
「面白そうだから私達も見に行きましょうか」
若干のからかい口調を交え、前田が促す。
「私はいい」
「どうして」
両手を腰に当て、声のトーンを若干上げる前田。裏の事情を知っているだけ
に、感じ方もまた違う。
「他人のことより、自分の記録を取らなくちゃ。さあ、集中集中」
表面的な答でお茶を濁す純子。バーの高さを調節して、助走の位置に着こう
とした。その腕を前田が取った。
「前田さん?」
「行きましょ。面白いから」
有無を言わせぬ迫力を感じる。何よりも、純子の腕には前田の握力がじんじ
ん伝わってくる。
「絶対、あなたのためになるって。多分ね」
「……そこまで言うのなら」
放してもらい、とぼとぼと着いていく。遠野も一緒だ。
相羽と唐沢の競争はまだ続いていた。近くで見物すると、二人の真剣さが一
段とよく認識できる。
「どういうわけでこういうことに?」
近くの女子に前田が聞くが、明朗な答は返ってこない。事情は知らなくても、
とにかく応援に精を出しているらしい。
「俺、知ってる」
清水がいつの間にかそばにいた。純子と前田へ交互に顔を向けて、にやにや
している。
「もったいぶらず、教えてよ」
黙ったままの純子に代わり、前田が聞いた。そこへ歓声が被さった。相羽が
成功したようだ。
「俺も大谷から聞いただけで、見てたんじゃないが……意地の張り合いには違
いない。唐沢の方から言い出したらしい。おまえの本気を見せてみろって」
「『おまえの本気』……分からないわねえ。要するに、高跳びの真剣勝負をし
ようという意味?」
「さあなあ。唐沢は『本気だったら、俺に勝ってみろ』と言ってたってさ」
再び歓声が被さる。唐沢もクリア。女の子の声援を楽しむかのように、両手
を広げてアピールしている。まるで、ゴールを決めた直後のサッカー選手みた
いに祈りを捧げさえしている。
純子は唐沢が言ったという台詞を吟味していた。
(……走り高跳びのことじゃないわ。もしそうだとしたら、『本気だったら、
俺に勝ってみろ』じゃなくて、『本気出して、俺に勝ってみろ』と言うはず。
何か別のことで二人とも競争してるんだ、きっと)
そしてそれは、恐らく相羽のJ音楽院合格の一件が関連しているのだろうと
想像できる。
「――おーい! 涼原さんも応援してね!」
見やれば、唐沢が両腕を大きく振っている。
その横で、腰に手を添えた相羽がうつむきがちになり、精神集中するかのよ
うに目を閉じていた。
当然と言うべきであろう、丞陽女学園中等部の学園祭は雰囲気が違っていた。
まず、入場口でチェックを受ける。学園外の人間で招待状のない者はたとえ
女性でも入れない。純子達は国奥から招待状をもらっていた。
――つづく