AWC そばにいるだけで 41−7    寺嶋公香


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#4952/5495 長編
★タイトル (AZA     )  99/10/31  13:19  (200)
そばにいるだけで 41−7    寺嶋公香
★内容
 押し殺した声で、努力して丁寧に言う相羽。目を横に背けた。
 デッサン画の段階ではあったが、その絵の人物の顔は間違いなく純子のそれ
だった。
「何故だね? 素晴らしく美しいじゃないか。もっとよく見たまえ。本当は見
たいんだろう? じっくりと見て、脳裏に焼き付けるがいいさ」
「仕舞ってください」
「分からないことを言う。欲望に正直になりなさい。今の年頃では関心を示し
てこそ正常」
 相羽との距離を縮めた紅畑は、楽しげに笑い声を漏らした。
「これは、彼女がモデルになったんだよ。ぜひ描いてくれと」
「仕舞ってくださいと言っているんです。それに、嘘をつくのをやめてほしい」
「嘘? 何がだい?」
 紅畑が口笛を吹くときのように口をすぼめた。同時に肩をすくめている。
「この絵のモデルに涼原純子君がなったということかい? どうして嘘なんて
言えるんだろう?」
「……涼原さんの身体はそんなんじゃない。仕舞ってください」
「何だ、その口ぶりは」
 紅畑の顔色が、わずかばかり変化した。怪訝さと驚きの混合物。
「まるで、本当の裸を見たことがあるような口ぶり……」
「あります。余計な詮索をされたくないから先に言いますと、偶然、見てしま
っただけですが」
「――ははは。そうか。私の想像と本物とでは、全く違うと権うのか」
「はい。そろそろ仕舞ってください。でないと、破きます」
「破く? それはいい。破ってもらいたいね」
 紅畑が勢いを取り戻す。水を得た魚。
「君にその勇気があれば、だが」
「勇気?」
「人の持ち物を奪い、破損する行為は許される物じゃないよ。学校の中に限ら
ず、実社会においてもな」
「……じゃ、僕は帰るだけですね。そんな絵、金輪際、見たくない」
「たとえば、だ」
 きびすを返し掛けた相羽を、紅畑のハミング混じりの声が呼び止める。
「この絵をコピーし、大量にばらまいたらどうするね?」
「……恐らく、それは犯罪になります。あなたを告発することになるかもしれ
ません。賢明な人なら、他人を誹謗中傷する自作の絵をコピーしてばらまくよ
うな真似をするはずがない」
「ほう、中学生のくせして、よく知っているな」
「推理小説が好きですから、それで知ってるだけです」
「では、絵はやめておこう」
 この段階で、やっと絵をバッグに戻した紅畑。だが、その表情は相変わらず
いやらしい笑みを続けている。
「しからば、こういうのはどうかね。君は小菅先生に担任してもらったことが
あったよな。あの先生、体調をしばらく崩していただろう」
「……」
 返事はしなかったが、相羽は思い出していた。
(二月頃だっけ。小菅先生が何日か学校をお休みになったのは)
「あの原因を作ったのは、私なんだよ」
「な――」
 相羽が険しい顔付きになると、紅畑はバッグを置いて手を打った。喜んでい
るらしい。
「そう、それそれ。そんな顔が見たいんだよ。君が嫌がる顔、苦しむ顔」
「どうして小菅先生を。どうやって」
「君でも分からないか? これまた愉快だな。教えてやろう。電話を使った、
ただそれだけさ。しつこいぐらいに掛けてやった。無言電話や嫌がらせの電話
を日に何度も何度も何度も……。あの女の周りの人間についても、あることな
いこと吹き込んでやった」
「何故、そんなことを」
 相羽は強張りそうになる口を必死に動かした。目の前にいる人間が、かつて
先生だったとはにわかに信じられない。
「理由? そんなもの、決まっているだろう。あの女教師は君をひいきしてい
たからさ」
「僕をひいき? そんなことあるわけないでしょう」
「笑わせてくれるねえ。君のような出来損ないの、いびつな生徒をまともに扱
うなんて、ひいきをしている証拠だ」
 紅畑の両目がぎらぎら輝いているように錯覚した。獲物を前にしたは虫類を
想起させる。
 相羽は目を瞑った。反論を一時中止しようと決め、目を開く。
「あの女め、案外柔な精神をしていたらしくて、ほとんど日にちが経たない内
に、ノイローゼの症状を呈してきた。簡単だった。まあ、私も鬼ではないから、
一ヶ月ほどで許してやったがね」
「……」
「同じ理由で、あの関屋先生にもちょっとした罰を加えた」
「え?」
 沈黙を遠そうとしていた相羽だが、他にも犠牲者がいると言われてはそうも
していられない。
 紅畑は絵の入ったバッグを教卓に載せ、いよいよ調子づく。
「あのご老体は、小菅先生ほど罪深くないから、一日だけで許してやった。だ
から君は知らないかもしれないが、今年の二月のことだ。私は早朝、彼の家ま
で雪の中をわざわざ出向き、あの先生の車のタイヤにちょっとした悪戯をして
やったのさ」
「それって……バレンタインの日、関屋先生が歩いて来られたことを言ってい
るんですかっ」
 勢いのあまり、つばきが飛んでしまった。手の甲で口元を拭う相羽。
「そんな細かい日付は知らない。忘れたね」
「あの日、関屋先生は雪の中、学校まで歩いたんです。どうしてそんなひどい
ことができるんですか」
「言っただろう。私は君が嫌いだ。君をひいきする先生も嫌いだ。それだけの
ことさ。単純明快だ」
「僕が嫌いなら、僕だけを相手にすればいい」
「おや、言われるまでもなく、そうしてきたよ。しかし、君は全然参った素振
りを見せなくてつまらん。それどころか、けしからんことに、逆襲に転じてき
た。生徒としてあるまじき行為だよ」
 さも当然のような態度でうそぶく紅畑。
「君が一番堪えるのは何か、じっくり考えた。そして、気付いたよ。君に近し
い人物を傷つければいいとね」
「……何故、僕に打ち明けるんですか。黙っていれば、分からなかったものを」
 おおよその想像はできていたが、相羽は敢えて確認を取った。紅畑の答を聞
いた瞬間、一線を越えてしまうことのないようにと、椅子に座りながら。
「いい点に気が付いたねえ。優秀な生徒だ」
 紅畑は嫌味に満ち溢れた大げさな動作で、指を鳴らした。話しぶりは、「優
秀」にアクセントを置いている。
「言わなければ面白くないじゃないか。君の悔しがるさまを目の当たりにした
かったんだよ」
「……」
「私がこうして白状しても、君は何もできない。他の先生に訴えるかい? そ
うするのは君の勝手だが、その前に、生徒と先生、どちらの言い分が信じても
らえるものなのか、ようく考えることだ。そもそも、私がやったことには証拠
がないのだからね」
「……最低だ」
 膝の上で拳を握った。それくらいでは我慢できそうにない。相羽は立ち上が
った。歯噛みして、相手をにらむ。
「またその目だ」
 吐き捨てる紅畑。だが、表情は笑顔。
「私はその目が大嫌いだ。でも、今は気分がいい。その目は、君が私に何もで
きないという証に過ぎない」
「本当に何もできないと思っていますか」
 机を離れ、胸元で拳を構える。
 その様子に気付いた紅畑は気圧されでもしたか、一歩と半分ほど後ずさった。
それでもまだ余裕がある。
「暴力に訴えるのかね? よかろう。私にとっちゃあ、思う壷というやつだ」
 教壇を降りた紅畑。そちらへ近付く相羽。
「今、君は大切な時機だよねえ。進路が決まる。もし君が私に暴力をふるえば、
内申点が一気に下がる」
 相羽は立ち止まった。紅畑の指摘のせいではない。
「君は成績はよいようだが、内申が悪くなると、まずいんじゃないかね? 聞
けば、身の程知らずのところを目指しているそうじゃないか。外国の音楽学校
とは、大きく出たものだ」
「そんなことまで知ってるんですか」
「ああ。さっき聞いた。近くの進学校を蹴るんだから、変わり者だと思われて
いるようだねえ。三年の学級担任達が引き留めに必死らしいじゃないか。とも
かく、進学校にしろ音楽学校にしろ、内申が重要なのは君も分かっているはず。
元とは言え、教師を殴ったとあっては、問題児扱いされるのは確実だよ」
 相羽は拳に込めた力を解いた。一旦は。
 新たに握り直すと、息を吐いて心を整える。
「僕のせいで傷ついた人がいると分かって、大人しく引き下がれやしない」
「……え?」
「それに、このままだと、もっとエスカレートするでしょ、紅畑『先生』。そ
んな絵を描くだけでも許せない。その上に、実際に涼原さんに被害を及ぼすよ
うなことをしでかすんじゃないかって、気が気でない。そうさせないように、
ここでけりを着けるべきかなと思うんですよね」
「ほ、本気か?」
 信じられないものを見るかのように、目を大きく開く紅畑。開きっ放しのま
ま、薄笑いを口元にたたえた。
「まさかな。たかが片想いの相手のために、将来を棒に振るような真似、でき
るはずがない」
「さあ、どうでしょう。幸か不幸か分かりませんが、今、あなたの手元には情
況証拠がある」
 と、相羽は紅畑のバッグを顎で示した。
「僕の訴えを聞いた先生方がその絵を見れば、生徒への嫌がらせと判断するか
もしれない」
「ふん。芸術作品だと主張するまでのことよ。美術の教師だった私が、このよ
うな絵を描いて何が悪い。顔があの女生徒に似てるのは偶然の一致だと押し切
れば済む」
「実験してみますか。どっちの判断が下るか」
 再びにじり寄った相羽。
「い、いずれにしろ、だ。暴力に出た方が負けになるのは明らかだぞ」
 紅畑の動揺ぶりが見て取れる。滑稽でさえあるが、笑う気分にはまったくな
れない。相羽が足を止めると、紅畑は開き直った。
「――ふはは。殴るんなら殴ってもいいんだよ。できまい? さっきは偉そう
に言ってくれたが、所詮は口先だけ」
「……できるさ」
「それならやってみなさい。やってみろよ、ほら」
 からかうような調子で顔を突き出す紅畑。手を伸ばせば充分に届く距離にな
っていた。
(こじれない内に我慢をして帰っていればよかった)
 相羽は後悔しつつ、最後の決心をした。右拳を固める。その間にも紅畑から
嘲笑の言葉を浴びせられていた。
 どうやら紅畑は挑発して敢えて手を出させ、相羽の内申評価をおとしめよう
と本気で考えた節が窺える。とうとう先ほどの絵まで取り出した。
「こうしてみたら、どう思うかね」
 絵の表面を撫で回す。その仕種を見せつけるようにする紅畑。
「やめろ」
(どうせ音楽学校に行けなくなるのなら、思い切り殴っても関係ない)
 相羽はそれまでと一転し、大きな声で叫んだ。
「――お望みでしたら、試しにやってみましょうか!」

           *           *

 校舎の外に出ると、最初は肌寒く感じたが、木陰を過ぎて陽の当たっている
ところではまだ暖かい。
 唐沢と二人きりで下校するのは、滅多にないことだった。
 相羽が慌ただしく立ち去ったあと、唐沢が他にも分からないところがあると
言い出したので、少しの間、図書室で勉強をした。その帰り。
「いやー、自分一人でやってるときより、断然能率が上がったよ」
 唐沢は常にも増して饒舌だった。
(唐沢君てば、凄く嬉しそう……。分からなかった問題が解けたせい? それ
にしては大げさな気もするけれど)
 純子は苦笑いを小さく浮かべ、話に耳を傾ける。
「涼原さんの教え方が上手なんだろうな。先生になってもらいたいくらい」
「また冗談を……」
「いやいや。ほんと、将来、先生になるってのはどう? 教えるのうまいし、
小さい子の面倒を見るのも得意だし」
「そうかしら。小さい子に懐かれるけど、ほとんど遊ばれてる感じよ。大変な
んだから」
 前を向き、嘆息する純子。横合いで唐沢は笑い声を立てた。
「それでも、嫌がってないじゃないか。あんなにまとわりつかれたら、俺だっ
たらいい加減、暴れたくなる」
「先生ねえ……小学校の頃は考えたことあったっけ」

――つづく




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