#4626/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/10/31 1:42 (193)
思い込みの完全 9 永山
★内容
「出川の知人に当たってたら、ちょいと引っかかる証言を得ましたよ」
報告する古村は、童顔を幸せそうにほころばせていた。
苦笑で受ける飛井田。
「どんな話が聞けた?」
「出川は亡くなる直前、金の心配から解放されそうだと語っていたらしいんで
すよ」
「ほう。ちょいとばかし、気になるな」
「これだけじゃありません。金の心配云々とはまた別の機会に、持つべきもの
はよい恩師だとも言ったそうです。いずれも酒の席で、口を滑らせたようなニ
ュアンスだったようですがね」
「具体的に何のことを言ってるかは、分からないんだな?」
「はい、そこまでは残念ながら」
申し訳なさで表情を曇らせる古村。飛井田は片手を目の前で振った。
「しかし、大した収穫には違いない。線で結べば、簡単に一つの光景が見えて
来るねえ。出川は、谷中が入山殺害の犯人である証拠ないしは証言を掴んでい
た。それを材料に、谷中を強請って金を得ようとしたんだな。ところが逆襲に
あってしまった」
「はあ、自分も今になって、飛井田さんの推理が当たっているように思えてき
ました。でも、失礼ですけど、証拠がありません」
古村は頭をかきつつ、言いたいことをずばりと言った。
飛井田はと言えば、顔をくしゃくしゃにして応じる。
「はっはっは、その通りだな。――ようし。一つ、やってみるかな」
飛井田の悠然とした物腰は、勝算ありと語っていた。
「こんなところに呼び出すなんてな」
自家用車を降りた谷中は、太陽のまぶしさに目を細くしながら、吐き捨てた。
彼の正面には、入山美憂の家が。話によると、まだ警察の監視下にあるらし
い。見ればなるほど、警官が立っている。もっとも、今日、飛井田が来ている
ためかもしれない。
谷中はしばらくぽつねんと立ち尽くしていた。待っても待っても、飛井田が
姿を見せない。
煙草を吸おうと取り出したが、火を着ける直前に、近付いてきた警官に咎め
られた。
「何だ? 煙草ぐらいかまわんだろう」
「ここは現場の敷地内です。余計な物が散らないようにしなくてはいけません」
丁寧だが、押しの強い物腰だった。
「事件の現場は、家の中じゃないか」
「私は職務を守っているだけです。抗議は上司にお願いします」
「ちっ。分かった。じゃあ、車の中で吸えばいいんだね? 全く、やりにくい
ったらないね。こんな寒空の下、人を呼び出しておきながら」
ぶつくさ言いつつも、車の中に引きこもろうとした谷中だが、ドアを閉めか
けたときに、聞き覚えのある耳障りな声に呼び止められた。
「やあ! 谷中さん」
飛井田が家の玄関口から上半身だけ覗かせ、手を振っている。やけに明るい
表情をしているのが、谷中にとっては珍しかった。
「煙草の一本も吸わせてくれんらしいな」
独り言のあと、谷中はことさら鈍重な動きで車から出た。無論、わざとだ。
「こっちへ来てください。早く」
飛井田は同じ姿勢で、今度は手招きの身振りをした。
「呼び付けておいて、第一声がそれかね」
距離を狭めながら、谷中は悪態をついた。
それが飛井田に通じたのかどうか、刑事は頭を垂れた。
「どうもどうも。お忙しい最中、よくお越しくださいました」
「ふん。君が事件解決に必要だからと強く言うから、来てやったんだ。元指導
教官の身としては、事件の結末がどうなるのか気になるしな」
「はい。捜査へのご協力、我々も心底感謝しております。それでですな、今は
犯行の過程を検討している段階なんですがね」
「ふむ」
「自分らは先入観を持ってしまいかねない。当然ながら、捜査内容を知ってま
すからね。だから、矛盾点を見過ごしているかもしれないんですよ。そこで、
谷中さんに加わってもらおうと。グッドアイディアでしょう?」
「よい案かもしれんが……」
顎を撫でた谷中。吹き出してしまいそうになるのを、渋面を被ってこらえる。
「部外者にそんなことをさせて、問題でないのか?」
「なあに、捜査は柔軟にやらないといけませんや。とにかく、中へ」
刑事に背を押され、谷中は歩を進め始めた。寒風に二人とも首をすくめた。
入山宅の客間は、外とほとんど変わらぬ寒気があった。さっきまで飛井田が
おり、さらには古村が居残っていたにも関わらず、である。これは、人が暮ら
さなくなったせいなのかもしれない。
「早速始めましょうか。いいですか」
「ああ、かまわんが、私は何をどうすればよいのだろう?」
谷中はさすがに緊張感を覚えながら、二人の刑事を交互に見やった。すぐに
は返事がなく、間を持たせようと、頭を撫でた谷中。
「先ほども言いました通り、事件の検討のため、再現をしますが……谷中さん
には被害者役をやってもらおうか」
飛井田は古村に呼び掛けた。
「それがいいですね。僕は犯人役」
「私が入山君の役か。こりゃ、ミスキャストだな。婦警の一人ぐらい、呼べば
よかろうに」
谷中は苦笑した。安堵の苦笑だ。犯人役をやらされるのは心理的に避けたか
っただけに、内ではほっとしている。
「そう言わずに、お願いしますよ」
「ああ、承知した。最初に何をすればいい?」
「そうですねえ……入山さんのコンタクトレンズが流しに落ちていたことから
考えて、台所で何かをしているときに、後ろから犯人に襲われたと見ています。
この点は問題ないでしょう?」
「うむ。そうだろうな」
「台所でやることと言ったら、料理か洗い物でしょう。凶器に包丁が用いられ
た点から、被害者は包丁で何かを切っていた可能性があります。ひとまず、こ
のシチュエーションでやってみましょう」
「なるほど。では、私は台所で包丁を持って立っていればいいんだな」
「ええ。客間に背を向けて」
飛井田の指示に、谷中は淀みなく応じた。台所に足早に向かうと、手を上げ
て扉を引き開けた。
そこにあった箱を手に取る。台に置き、中から穴あき包丁を取り出すと、続
いて立てかけてあったまな板を横にした。
「実際に何かを切らなくてもかまわんのかな?」
「――はい。必要ありません」
「だろうな」
そうして包丁でまな板を軽く叩き始めた。
「ストップしてください、谷中さん。音を立てていると、話が聞こえなくなる
かもしれない」
「む? つまり、早速矛盾点が見つかったと」
谷中の問い返しに、飛井田はうつむき加減に首を横に振った。客間にいた彼
ら二人の刑事が、台所へと移ってくる。
「な、何だ」
「谷中さん。あなたは今、この包丁の入った箱を、上の棚から取り出しました。
私と彼が見ていたから、間違いない」
飛井田は右の人差し指を下に向けて問題の包丁を示し、次に古村を肩越しに
一瞥した。
「それがどうした」
「これが事件に用いられた凶器だったのも、厳然たる事実です。まあ、本物は
よそに保管してますんで、同じ種類の包丁という意味なんですが」
「だから、それが何だと言うんだね」
口調を若干荒げた谷中。気が付くと、飛井田の目つきが鋭くなっている。
「二つほど、伺いたいことがあるんですが、答えていただけますか」
「ああ、いいとも」
「この包丁が凶器であることを、公表していないんですよ」
「そんなはずはない。新聞記事で読んだ。包丁が凶器だとあったじゃないか」
「それは、ただ『包丁』としか言っていない。穴あき包丁だと知っているのは、
捜査陣だけです。あ、まあ、ブン屋さん連中の一部にも漏れているかもしれな
いが、とにかく、この情報はマスメディアに乗っていない」
「……ふむ。どうやら君らは私を疑っているようだ。しかし、凶器の件がたと
えその通りだとして、何になると言うんだ?」
谷中は頭の中でめまぐるしいほどに検討しつつ、言葉を選んでいた。怒りの
表情を作るのも忘れない。
「私はあんたの指示を受けて、包丁を取り出したんだ。それがたまたま穴あき
包丁だったというだけさ」
「はい、その理屈は分かります。しかし、分からないことが残る。あなたは何
故、包丁の在処をご存知だったんですかね。私には不思議でたまらない」
飛井田は右手の人差し指を伸ばし、ずいっと突き付けてきた。威圧感に、谷
中は胸をわずかばかり引いた。
だが、気力はまだまだくじけていない。確かに、しまった!という思いはあ
ったが、この急場を切り抜けられる自信もあった。
飛井田の演説を聞き流しつつ、脳細胞をフル回転させて考える。
「さっき、谷中さんは何の躊躇もなく、また探したり迷ったりする素振りも全
くなしに、この棚に手を伸ばした。ここに包丁があると知っていたんだ。とい
うことは、あなたはこの家に来たことがある。さらに言えば、包丁の置き場所
を知る立場にあるからには、入山さんとはかなり親しい間柄だったはずだ。こ
んな重大な事実を隠していたのは、疑うに充分な――」
「うるさいな、飛井田さん。黙っていれば、ぺらぺらぺらぺらと。反論の機会
さえ与えてくれんのか、ええっ?」
「どうぞ」
気勢をそぐような、実にあっさりした受け答えをする飛井田。
谷中は唇をゆっくりと湿らせ、大きな声で言った。
「たまたま、上の棚に手を伸ばしたんだ。いつもの習慣だよ。たったそれだけ
のことで、犯人扱いするか? 無理があるとは思わないか?」
「いいえ、思いません」
最前とは全く違う、堂々とした断定だ。1+1は2であると言うときのよう
に、飛井田の自信満々の物腰に、谷中は眉をひくつかせた。何か、記憶をくす
ぐる嫌な予感が不意に湧き起こった。
「先日、谷中さんのご自宅にお邪魔させてもらったとき、包丁さばきのことを
話題にしました。その際に、私、見たんですよ。しっかり覚えています」
「――ああっ」
飛井田にじっと見据えられ、谷中も思い出した。
「あなたの家の台所は、包丁を下の扉に仕舞ってました。そんなあなたが包丁
を探そうとして、真っ先に上の棚を開けるでしょうか。まさか。常識から考え
ても、上に仕舞うのは危険だ。入山さんの場合、普通の包丁に加え、穴あき包
丁を購入したために、置くスペースがなくなったんでしょうねえ。それで仕方
なく、上に置いた。この特殊な置き場所に、ごく自然に反応したあなたは」
「もういい」
絞り出す風な声で吐き捨てた谷中。途中から、飛井田の説明なんて、耳に入
ってこなくなっていた。言い逃れるための抜け道を求め、意識を集中させてい
たのだから。
だが……疑いの目から逃れる術は、もはやないと悟った。遅かれ早かれ、容
疑者として調べを受けるだろう。そうなると、テレビで生きる谷中にとって、
致命傷だ。
そもそも、入山からの金銭要求に応じてきたのも、テレビで生きるため、自
分のイメージを守るため、やむを得ない理由があったからだ。
ここに至って、罪を認めようが認めまいが、谷中にとって同等……。
「飛井田刑事。動機は分かっているのだろうか?」
「入山にしろ出川にしろ、あなたを脅して金を要求していたらしいとは推測し
ています。だが、脅迫のネタとなると、まだ」
首を傾げる飛井田に対し、谷中は口元を歪めて笑った。優越感に浸れるもの
が、まだ残っていた。
「出川は、入山を殺したのが私だと見抜いたんだ。入山は、私が学生の彼女を
指導していたときの、ある一件でね」
「何です、それは」
「ふん――いわゆるセクシャルハラスメントというやつだ」
谷中は自虐的な、泣き笑いの表情になって言った。
飛井田は相棒と顔を見合わせた。
古村が唇を噛みしめ、首を小さく振る。そして、安物のガムを噛んでいるみ
たいに、端切れ悪くつぶやいた。
「何とも……言えませんね。テレビに出るっていうのは、そんなにイメージが
大切ですか」
谷中は声には出さず、静かにうなずいた。それぐらいしかできない。
虚脱感に覆われた場をしばらく見守っていた飛井田だったが、髪を一つかき
上げると、
「教師も、他人が思うほど完全ではないということですな。色々な意味で」
と言った。
−−終