#4147/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/10/ 6 17:32 (164)
肉筆原稿 2 武雷暗緑
★内容
最初に、アンドリューが経過を説明する。かいつまんで記すと、アンドリュ
ーは「我が妹が、旧友のアームストロング氏へ譲渡した長編作品について、今
後起こるであろうもめ事を最小限に押さえるために、我々遺族が原稿を買い取
ることで話を分かり易くする」云々と語った。嘘が含まれているような匂いが
ぷんぷんしたが、敢えて言う必要もないだろう。今の目的は、原稿を手に入れ
ること。それだけだ。
次に、各社間の相談に入る。
競争入札だけは避けねばならない。我が社にとって不利な上、アンドリュー
ら遺族にいい目を見させてしまうことにもなる。いくら金を産む原稿を握って
いるとは言え、その作者ではなく遺族に労なくして余分に儲けさせる気はない。
「うちはご存知の通り、あと三作を出版する契約を、ミッシェル先生と交わし
ていた」
フレデリクスが予想通りの主張を始めた。
「当然、今度見つかった『Service - Lips』も、クロケイド社の物となる」
「それには疑義がありますわね」
唯一の女性であるジャニスが、強い調子でストップをかけた。彼女は、私が
期待していた通りの反論を行った。
「契約書そのものを見せていただいたことはもちろんありません私ですが、噂
によれば、契約したのは、その時点から未来において書かれた作品、つまり新
作のみを対象としているそうじゃあ?」
「……確かに。その噂は正しいですよ」
若くてエネルギッシュなフレデリクスは、渋面を作ってのろのろと認めた。
「では、話は白紙だ」
額の禿げ上がったエデンが、水を得た魚のごとく元気になった。
フレデリクスも負けていない。
「ミッシェル先生の新作がもはや未来永劫期待できなくなったんだから、その
補填をするには、過去を振り返って未発表原稿を発掘するしかないでしょう。
少なくとも三作品は、クロケイド社の物だ」
「いや、『Service - Lips』に限っては、私のところに優先権がある」
私はここぞとばかり、主張する。アームストロングからの電話は録音してあ
るし、原稿のコピーも手元にある。強く出るべきだ。うちにはこれしか拠り所
はない。
しかし、大手三社の編集連中は、中堅風情が何を吠えていると言わんばかり
の眼差しを送ってきた。
エデンが代表するように言う。
「アンドリューさんも、最もよい条件で契約できる相手を求めて、このような
場をセッティングされたのだ。ビッグスカイ社さんはお呼びじゃないと思うね。
それでもこの場に招かれたのは、お情けであって……」
無言でうなずくのがアンドリューの姿が、視界の端で確認できた。
私は冷静さを失わないように、奥歯を噛みしめた。
「ひどい言われようだ。だが、何と言われても引っ込みやしませんよ。原稿を
手にするためには、法的手段に訴えることも考えています」
「法的手段だって? 著作権者の遺族と原稿の所有者、どちらが強いか、分か
りそうなものだ」
クロケイド社のフレデリクスが嘲笑う。と言って、彼が法的判断の行き着く
先を正確に把握しているとは考えにくい。
「『Service - Lips』に関する諸権利の大部分を、ミッシェル先生がアームス
トロング氏へ譲渡したという見方もできるはず。たとえば、出版契約を自由に
結ぶ権利。アームストロング氏はそれを行使して、我が社と口頭での合意に至
った。横やりを入れてきたアンドリューさん達に対しては、場合によっては、
遺憾ながら損害賠償と原稿の差し押さえを請求したい。無論、問題解決を待た
ずにどこかが『Service - Lips』の出版を強行するようであれば、出版差し止
めの仮処分申請を即刻行います」
「そんなことをする権利、あると思ってるの?」
煙草を吹かしながら、ジャニスが言った。男の編集者三人は吸わないのに、
彼女一人が喫煙者だと言うのは、時代の変化を感じさせる。
それはさておき、負けていられない。反論、いや、はったりをかましておく。
「あるかないかを含めて、裁判で争う用意がこちらにはあります。それぐらい
の覚悟はできている」
「……大変だな、おたくも」
からかい口調のフレデリクス。にやにや笑って顎をなでていたかと思うと、
急に身を乗り出してきた。
「どうだろう? うちがハードカバーで出して、二年後に、ポケットブックは
そちらが出すというのは」
「抜け駆けは許さない!」
私が返事しない内に、他の二社から声が上がった。
遅ればせながら、ビッグスカイ社の方針も示そう。
「うちとしても、ハードカバーで出したい。当然でしょう」
決着は今日中には出そうになかった。
アンドリューの厚意により、一泊させてもらえることになった。時間を気に
せず、議論してくれと言うことだろう。
食事は缶詰めにワインというアンバランスな物を提供された。冬なら寒くて
たまらなかっただろうが、今の時期、ちょうどよかった。
出口の見えない話し合いに疲れて、割り当てられた部屋に各人が引きこもっ
たのが、午前一時頃だったろうか。
ハプニングに目を覚ましたのは、午前三時十分だった。
アンドリュー=ミッシェルが殴り倒され、原稿が暖炉で燃やされたのだ。
意識を取り戻したアンドリューが大声で助けを求めた結果、皆が起き出した
のだが、正直なところ、アンドリューが襲われたことより、原稿全てが完全に
焼失した事実の方がショックだった。
暖炉の清掃が完全でなかったのか、部屋の中にはいくらか煙がこもっていた。
それを追い出すため、窓を開け放ってある。
ひとまず、警察へ通報がなされたが、山深い別荘地のため、到着にはしばら
くかかるという話だ。
「アンドリューさんは、原稿をどこに置いていたのですか?」
後頭部の怪我の手当てをしてやりながら、ジャニスがアンドリューに尋ねる。
「自分の部屋だ」
短い返事のあと、うめくアンドリュー。かなり苦しげだ。
「あれだけ貴重な物を、金庫に入れてはいなかったんですか?」
エデンが非難がましい調子で言うと、アンドリューも吐き捨てるように返す。
「あなた方を疑えばよかったのかね? 原稿の存在を知るのは、あなた方と私、
それにアームストロング氏だけだ」
「それは……」
「原稿に対する編集者の執着心の醜さを、私は知らなかったようだ。ふん」
「まあまあ、アンドリューさん。誰に襲われたのか、全く分からないのですか」
なだめる口ぶりで、フレデリクスが聞く。
「分からん。真夜中……二時四十分頃のノックに不審を感じたが、さほど気に
せず、ドアを開けた。そしたらいきなりさ。長い物が振り下ろされ、首筋に激
痛が走った。あとは分からん。気を失った。−−ああ、ありがとう」
手当てが終わり、ジャニスに礼を述べたアンドリュー。
「この中にアンドリューさんを襲い、原稿を燃やした馬鹿者がいる訳だが」
酒の入ったグラス片手に、フレデリクスが場を眺め回した。
「原稿を燃やす理由が、僕ら編集者にはないように思える。だが、こう考えた
らどうか。原稿を自分の社の物にできる見込みがないと知って、ならばいっそ
原稿そのものをこの世から消してしまえ!」
「他社の邪魔をした訳ね」
ジャニスの言葉に、フレデリクスはグラスを掲げて応じた。
「さて、じゃあ、可能性のなかった出版社はどこかを考えようじゃないか」
言うなり、私の方を見やってくるフレデリクス。続いてエデンやジャニスも。
私は肩をすくめた。
「昨晩言ったように、私はちっともあきらめていませんでしたよ」
「しかし、君だと考えると、納得が行くのだがね」
「−−そうだ! ビッグスカイ社はコピーを持ってるんだったな?」
突然、エデンがわめいて、私に指を突き付けてきた。
その一言で彼の言いたいことが分かった。
「我々を出し抜いて、出版するつもりなんだろう。そうは行かん」
「コピーがあったからこそ、安心して燃したのね。計画的だわ」
ジャニスも軽蔑の視線をよこしてくれた。
私は再び肩をすくめると、気疲れして椅子の背もたれに身体を預けた。
「おたくら、冷静に考えてもらいたいね。コピーがあるからと言って、それが
即、うちから出版できることにはつながらないだろう」
「だが、有利なのは間違いない」
目を細めるフレデリクス。その狡猾な笑みを目の当たりにすると、私を追い
込むために、あたかも私が優位であるかのようにへりくだっているとさえ思え
てくる。
私は必死に脳細胞を働かせ、抗弁の糸口をどうにか見つけた。
「私はマッチもライターも持っていない」
この反論は意外と効果があった。
疑いの目が、一気にジャニスへと向けられたのだ。
「な、何よ? 私がやったって言うのかしら?」
そう、彼女はここにいる編集者の中で唯一の喫煙者だ。女らしい洒落たデザ
インのライターを持っている。
その点を確かめると、彼女は嫌々ながら、ライターを取り出した。
「だけど、火を着ける道具ならいくらでもあるでしょうよ。暖炉のそばに、マ
ッチがあるんじゃなくて?」
「いや、ないのだ」
痛みのためか、アンドリューが弱々しく首を振った。
「季節柄、暖炉は使わない。マッチの類は仕舞ってある。家中を探せば見つか
るだろうが、犯人がそんな手間暇をかけるのは不自然だろう」
「それじゃあ……コンロの火を持ってくればいいのよ!」
光明を見出し、勝ち誇った風に胸を張るジャニス。
「この別荘にガスは引いていない。夏と冬のバケーションをすごすときだけ、
ボンベを持ってくるのだ。今回は短期滞在。コンロで火は着けられない」
アンドリューが先ほど手当てしてもらったばかりの頭をさすりながら告げる
と、ジャニスは観念した様子で息をついた。
彼女が無茶をしでかしたことにも驚いたが、あとになって原稿が出て来たこ
とにはもっと驚かされた。
「原稿が燃えてしまったように見せかけて、こっそり持ち帰るつもりだったわ」
大きなバッグの底に押し込んでいた原稿をテーブルの上に置くと、彼女は自
嘲しながら説明をした。暖炉で燃えていたのは、ただの白紙の束だった。
「しかし、そんなことをしても、出版はできないだろう。リードライト社がこ
の原稿を本にすれば、君の犯行が露見してしまう」
私が疑問を呈すると、ジャニス=ウォルシャムは薄く笑ったものだった。
「私はね、編集者である前に、ジョニー=リー=ミッシェルの大ファンなのよ。
新作を二年も待てないほどのね」
彼女の視線は、原稿へと落とされていた。
「一刻も早く読みたかった。他の読者のことなんて、どうでもいい。私さえ読
めればよかった」
窓からの風が、原稿の一枚目を軽く持ち上げた。
癖のある Service - Lips の題字が踊る。
−−END