#4146/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/10/ 6 17:29 (164)
肉筆原稿 1 武雷暗緑
★内容
興奮のためよく覚えていないのだが、その知らせを聞いたとき、私は小躍り
せんばかりに歓声を上げたと思う。何しろ、ジョニー=リー=ミッシェルの未
発表原稿を持っていると言うのだから。
ジョニー=リー=ミッシェル!
デビュー以来ヒット作を飛ばし続けてきた当代随一のエンターテイメント作
家で、四年前に、クロケイド社と向こう十年で五作の独占出版契約を結んで話
題になった。その契約額が凄い。前渡し印税という形で一千万ドルだという。
十一年目以降も、クロケイド社の他に二社が加わっての争奪戦になる状況があ
った。我がビッグスカイ社のような中堅出版社には、手も足も出ない高嶺の作
家となってしまった訳だ。彼女を世に送り出したのは我が社だというのに、情
けない。当時の編集者どもに眼力がなかったし、売り出す力もビッグスカイ社
に備わっていなかった。
この人気作家が急死したのは、つい半年ほど前。クロケイド社から二作目を
刊行したばかりの頃だった。犬の散歩中に交通事故に遭い、呆気なく逝った。
新聞に載った顔写真は、二年に一作のペースでベストセラーを書き続けてきた
作家には見えなかった。家庭と隣近所のことしか知りそうにない、人のよさそ
うな中年の婦人だった。
彼女の外見はともかくとして、その新作がもう読めないという事実は、ミッ
シェルファンのみならず、多くの読書人にショックと悲しみを与えた。クロケ
イド社にとっても大打撃だったろう。
そんな折、私が受けた電話の主が、夢のような話を持ち込んできた。「ジョ
ニー=リー=ミッシェルの原稿を持っているのだが、本にできないものだろう
か」と。
果報が向こうから転がり込んできた!
などと最初は喜んだ私もすぐに冷静に立ち返り、眉に唾しながら、事情を聞
き出してみた。悪質な詐欺の類だったら、即刻、追い払わねば。
相手はミッシェルの昔のボーイフレンドで、カーコイル=アームストロング
と名乗った。大手繊維メーカーの重役とかで、なかなかに忙しい身らしい。
「昔のと言われますと、どの程度前の?」
「学生時代ですよ」
私の質問に、アームストロングは穏やかな調子で答えた。
「かれこれ三、四十年ほど前になりますか。パティとはSの州立高の卒業パー
ティで知り合いましてね。同じB大学に進むと分かって、そのまま親交を続け
たのです」
「パティ?」
「え? ああ、失礼を。ご存知ありませんでしたか? 彼女の本名はパティ=
ミッシェルです。当時の呼び名で、つい……」
あとで調べると、アームストロングのこの言葉は事実だった。ペンネームに
用いたジョニー=リーは、彼女が好きだったアジア系の映画俳優の名前から取
ったらしい。
「大学を出ると同時に彼女とは疎遠になってしまいました」
「ああ、その辺りはいいですから、あなたがミッシェルの原稿を保有していた、
そのいきさつをお聞かせください」
「彼女は学生時代、文学少女でした」
彼の喋りには、懐かしむ響きが確かにあった。
「勉強そっちのけで熱を入れていましたよ。創作学科に行かなかったのが不思
議なぐらいにね。そんな彼女の数少ない読者が、私でした」
「ほう。当時のミッシェルの習作を読む立場にあったと」
「その通りです。私と同じ役目を負っていた者は他にもいたようなのですが、
ずっと続けていたのは私一人だったようです」
「それはまた何故? 多分、その頃からミッシェルの小説は面白かったでしょ
うに」
疑問を口にすると、受話器を通して微笑の息が聞こえてきた。
「小説の善し悪しについて論じる能力に、私は自信ありませんが、当時の彼女
の作品はプロ作家になって以降と比べると、恋愛の要素が過剰すぎたように思
います。それでも、面白い作品ではあったのでしょう。それよりも問題だった
のは、彼女が非常に悪筆だったことです」
「悪筆?」
「はい。読むのが困難なほどに。タイプライターを使えば?と薦めても、機械
音痴だからと言って受け入れませんでした。なかなか、頑固でしたね」
「あの、字が汚いから、読む方が投げ出してしまったと?」
「そうです。いや、私は投げ出さなかったのだから、これは想像ですが」
これもあとで調べて、ジョニー=リー=ミッシェルが相当な悪筆だったこと
は事実だと判明した。我が社からデビューしたその一作のみ肉筆原稿だった彼
女は、その後タイプライターを購入し、やがてワードプロセッサーの使い手と
なっていた。故に編集者も困らなかったらしい。
それからも、ミッシェルのプロフィールを淀みなく話すアームストロングに、
私は好感触を得た。当然、会いましょうと約して電話を切った。
一週間後、カフェで実際に顔を合わせても、私の感触は変わらなかった。
想像していたよりも若々しかったが、カーコイル=アームストロングは紳士
然としていて、笑みを絶やさぬ人だった。
「とりあえず、原稿をお見せいただけますか?」
「もちろん。これです」
黒いビニール製の手提げ袋から、ぼろぼろになった紙袋を引っ張り出したア
ームストロング。紙袋に大学の名前が入っているのが、何とか読み取れた。
そして彼は改めて紙袋に手を入れ、原稿の束を取り出した。
「実はお電話してから心配になって、パティの著作全部に目を通してみたので
す。まさか、すでに彼女が出版していたら、私は大恥をかいてしまう」
こちらに原稿を向けながらのアームストロングの言葉に、私は背筋が寒くな
った。その可能性を完全に見落としていたのだ。
「ど、どうだったんですか」
「ははは。大丈夫でしたよ。どの作品とも違います」
胸をなで下ろしたが、私は緊張を新たにした。そうなると、目の前にある原
稿はいよいよ貴重な物となる。もう読めないジョニー=リー=ミッシェルの新
作で、しかも肉筆原稿だ。破くことはもちろん、手垢を着けさえしようものな
ら、業界のあらゆる方面から総攻撃を食らうに違いない。
作品は相当な分量があった。何万語あるのか、見当も着かない。
私はともかくも、最初になすべきことを始めた。筆跡鑑定のため、ビッグス
カイ社の保管庫に眠っていたミッシェルの生原稿、その一部をコピーしてきた。
「……なるほど、この字は間違いなく、ミッシェルの手による物のようです」
私は専門家ではないが、コピーした紙片の文字と、原稿にある文字とは同じ
に見えた。タイトルに Service - Lips と筆記体である。Lの崩し方が特にそ
っくりだ。
「これは大作だ。すぐさま読むという訳にはいきませんね……。コピーを取り
たいところですが、よろしいでしょうか」
「ああ、私はかまいませんよ。所有権に関しても、問題ないでしょう」
「と、言いますと?」
自信ありげな相手に向けた私の表情は、きっと怪訝なものだったろう。
アームストロングは実に楽しそうに苦笑した。
「先日、お話ししたように、私は学生時代のジョニー=リー=ミッシェルの読
者役をやっておりました。当時、立て続けに原稿を渡されましたから、卒業ま
でに読み切れなかった物が残ったんです。社会人になってからは忙殺されてい
ましたが、ミッシェルがプロデビューしたのを知って、思い出しました。いつ
か読んで、返そうという頭はあったのですが、ついつい、先送りになってしま
って。
それが、デビュー直後の彼女と何度か手紙をやり取りしまして、その中で預
かる形になっている原稿にも触れておきました。それに対する彼女からの返答
は、読者になってくれたお礼の意味を込めて、私にプレゼントするというもの
でした。一旦は辞退した私ですが、パティも引き下がらないものですから、あ
りがたくちょうだいすることにしたのです。そのときの手紙も、きちんと保管
していますよ」
「ふむ。しかし、出版となると著作権も絡んできますので、遺族の方とも話し
合いませんとね」
生涯独身だったミッシェルだが、その家族で健在の者はかなりいると聞いて
いる。
「そう言えば、アームストロングさんはどうして我が社に話を持ち込まれたの
でしょうか?」
「パティの作品を最初に拾ったのは、ビッグスカイ社なのでしょう? 結果的
に彼女の最後の作品となった『Service - Lips』もまた、ビッグスカイ社から
出してやるのが、彼女も喜ぶんじゃないかと思いました」
「はあ」
私は内心、おかしくてたまらなかった。ミッシェルはきっと、もっと大きな
出版社を願っているだろう。
そう言えば、この原稿の存在を知ったら、クロケイド社も黙っていまい。契
約を盾に、「『Service - Lips』の出版権はうちにある」と言い出さないとも
限らない。
契約の中身が分からない内は何とも言えないが、「新作」という意味合いの
文言があるかないかで、情勢が大きく変わるだろう。いずれにしても、よい弁
護士を雇う必要が出て来るかもしれない。
「そうですね。では、とりあえずコピーを取って、それを社に持ち帰って、会
議にかけましょう」
「お願いします。パティのためにも」
アームストロングは、しんみりと言った。
事態が急転したのは、それからまた一週間後だった。
ミッシェルの遺族代表から、通知が来たのだ。
その書状によると、アームストロングが保管していた原稿を、遺族が高額で
買い上げたらしい。そして改めてクロケイド社を筆頭とする大手出版三社にビ
ッグスカイ社を加えて、四社の編集者とお会いしたいと言ってきた。どうやら、
最も儲けるための道を模索しているようだ。
私は早速アームストロングへ電話を入れたが、すでにその住所に彼はいなか
った。名刺を頼りに、彼が勤めるはずの大手繊維メーカーに問い合わせしたと
ころ、退職していた。ミッシェルの遺族らが一体どれほどの金額を彼に払った
のか、想像もつかない。
裏切られた気持ちに落ち込みつつも、今度の原稿争奪戦に限れば、我がビッ
グスカイ社も他の三社と同じ立場にある。ひょっとすると、後ろめたさを感じ
たアームストロングがせめてもの罪滅ぼしに、口添えをしてくれたのかもしれ
ない。まあ、感謝するほどではないが。
ミッシェルの遺族らからの通知を受け取ってから、今度は三日後。私は、K
山脈をいくらか分け入ったところにある別荘地へ向かった。ミッシェルの遺族
の一人で、彼女の兄に当たるアンドリュー=ミッシェルが所有する豪邸のよう
な別荘で、ビジネスの話し合いをするためだ。
着いてみると、私が最後の客だと知れた。
と言うのも、他の三社から使命を背負ってやって来た編集者達は顔を揃えて
いたし、他の遺族に関しては、アンドリューが代表して全てを仕切っていると
聞かされたからだ。
アンドリュー=ミッシェル。
クロケイド社のロン=フレデリクス。
スイングブック社のトーマス=エデン。
リードライト社のジャニス=ウォルシャム。
そして私の五人で、火の入ってない暖炉前のテーブルに着き、会合は開始さ
れた。
−−続く