#4106/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 8/27 9:21 (200)
記憶喪失症 4 永山
★内容
「君の言いたいことは、よく分かった」
そう言ってから、目を見開く。
「だが、それだけでは……解決にならない。私やコナン警部を元に戻す、ある
いはフリージアをみんなに認識してもらうためには、記憶をどうにかする能力
を有す魔玉の者を倒せばいい。問題は、そいつをいかにして見つけるか、そし
ていかにして倒すかだ」
「分かっています」
「では、どうやるつもりだ?」
身を起こしたアベル。本は閉じられ、枕元に投げ出されている。
「それは……フリージアさんから、よく話を聞き出せば、糸口が掴めるはずで
す。そう信じています」
「それは当然だが、私は、フリージアからもう何度も話を聞いているんだぞ」
フランクの後ろ、何をしたらよいのか戸惑った風に、フリージアが立ってい
た。アベルに見つめられ、彼女も弾かれたように口を開く。
「そうよ、フランク。私は繰り返し、話したわ。みんなが私のことを忘れちゃ
った日の朝から、両親の家に行って、知らん顔されるまでを。それなのに、何
にも分からないのよ」
最初の衝撃がよみがえったのだろう、急に涙ぐむフリージア。
「待ってくれ、決め付けなくていいじゃないか、二人とも。冷静に、もっと遡
って検討してみれば」
フランクが、「遡って」と言ったのは、当て推量もいいところだった。とに
かく二人を落ち着かせようと口からこぼれた、出任せに過ぎない。
しかし、この一言が、フリージアにとっての引き金となった。
「−−そうだわ! その前の晩、妙なことがあったんだ!」
「妙なこと、どんな?」
フランクは内心では期待していなかったが、今はどんな些細な事象にでもす
がりたかった。フリージアへ身体を向け、言葉を待つ。
「同じ工場で働く男−−ドランゴっていう外国人なんだけど、彼が私のアパー
トを訪ねてきたの。初めてだったわ」
「待った。ドランゴって人とは、当然、言葉が通じるんだろうね?」
「ええ、もちろん。それで……そいつ、工場に住み込みで働いててね。薄暗い
部屋で作業しているせいか、陰気な奴なのよ。いくら話せるからって元々外国
人だから無口だし、気味悪いから、私も他の女工員もほとんど相手にしなかっ
たのよ。でも、その日の昼間、ドランゴが仕事上の失敗をやらかしたから、み
んなでやいやい言ってやったの」
「何故?」
「何故って……」
困った様子で、頬に片手を当てるフリージア。やがて、いくらか気恥ずかし
げに答えた。
「ドランゴは滅茶苦茶きっちりした性格なのよ。馬鹿が付くぐらい。いつも私
達の失敗をがみがみ言うから、ここぞとばかり、言ってやった。それだけのこ
となんだけど……」
「ふん、まあいい。それで?」
「ドランゴがやって来たのは、九時頃だったかしら。話をする気はなかったん
だけど、騒ぎになりそうだったから、仕方なく聞いてあげて……。で、変なこ
とを言い出したのよ、そいつ。工場を辞めてやるから、その代わりに『忘れて
くれ』と言え、だってさ」
「うん? 『忘れてくれ』?」
怪訝に感じ、顔をしかめるフランク。
「そうなの。変でしょ。気味悪かったんだけれど、言うぐらいならいいか、約
束を守らせられたらめっけものだと考えて、私、言ってやったのよ。そうした
ら、ドランゴはさっさと帰っちゃって」
「……ドランゴという人は、翌日、工場を辞めていたかい?」
「分かんない。自分のことをみんなが忘れちゃってて、それどころじゃなくな
ったから」
「そうか、仕方ない。工場に行って、調べる必要があるな。ドランゴの足取り
を掴んで、これ以上動くのを阻止しないと」
言いつつ、アベルへと視線を返すフランク。どう思います?と目で尋ねる。
アベルは己が今置かれている状況のためか、自信なさげに首を捻り、ぽつぽ
つと述べる。
「ドランゴが魔玉の者にされている可能性は、そこそこあると思う。だけどね
……日にちが合わない気もするんだ」
「日にちというと……」
「魔玉の者を創り出してから、その能力を確かめるために、一般の人を相手に
−−言葉は悪いが−−実験をするのがパターンだったと思う。記憶に自信がな
いんだが、違うかな?」
「合ってます」
「それなら、今回は特殊と言える。フランクが言うところのKの存在を、私が
忘れてしまったのは、恐らく十日ほど前から。フリージア、あなたの前にドラ
ンゴが現れたのは、えっと、四日前か。Kの目的は本来、私やフランクへの対
抗策なんだろう? 順序が逆のような気がする」
アベルの言葉に、フランクは考え込まされてしまった。
「しかし、ロビンソン博士のことをあなたが忘れたのは、この一日ほどの間だ。
それ以前は、間違いなく覚えていた。つまり、ドランゴは、恐らくはKの命令
でロビンソン博士の前に現れ、『忘れてくれ』と言わせることで、博士の存在
を皆の記憶から消し去っている。現在もドランゴが動いている証拠です」
そこまで口走ってから、フランクの内に戦慄が走った。
そしてそれは、同時に、フランクへ光明ももたらした。
「守りを固めろ、だ」
フランクは低くつぶやいた。
その男の衣服は、何度も洗濯したおかげで、所々すり切れていた。見てくれ
もよいとは言えない。髭を伸ばし、足を引きずるように歩いている。
彼、ドランゴは、何日間も探し続けた挙げ句の成果に、思わず笑みをこぼし
ていた。
あの日−−仕事場の雰囲気に耐えられなくなって、衝動的に身投げを考えた
あの夜、カインと会った。
カインの持つ雰囲気に取り込まれたかのごとく、ドランゴは身の上話を伝え
た。そして話が終わったとき、カインは「面白い」とだけつぶやき、ドランゴ
の胸を切り裂いた。
死ぬ、と思った。
だが、ドランゴが次に目覚めたとき、彼はまだ生きていた。言い様のない違
和感を覚えながらも、起き上がると、そこはカインの根城らしかった。あらゆ
る窓が閉め切られ、鎧戸が降ろされた上に黒い幕で覆っているため、外の様子
は全く分からなかった。昼か夜なのかさえ、知れない。
カインがマントを翻しながら現れたとき、困惑の最中になったドランゴは、
実に確かな安心感を得たものだった。
それからカインは言った。「己の内からこみ上げてくるような高ぶりはない
か」と。
ドランゴは、彼にとっての外国語の感覚を掴みにくかったこともあって、ゆ
るゆると首を横に振った。実際にはある種の高揚感があったが、それを吐き出
す術を、このときの彼は知らなかったのだ。
「ふむ。おかしいな」
クッションが効いていそうな椅子に腰を下ろしたカインは顎に拳を当て、不
審げに首を捻った。
「魔玉を入れて、生きているのだから、おまえの内には何らかの力が生まれて
いるはずなのだが……アベルやロビンソン達を打ちのめす能力がな」
「ど、どうしたらいいんでしょう」
ドランゴは、カインの役に立てないでいることを、敏感に察知した。それは
ドランゴにとって、とても申し訳なく、恥ずかしい状況でもある。
「どうすれば、カイン様のお役に立てましょうか」
「……まあよい。今は現れないだけかもしれん。何の力も引き出されなかった
としても、興味深い例でもあるしな」
「カイン様……」
「ドランゴ。今日のところはよい。先の言葉は、忘れてくれ」
そのときだった。
ドランゴの身体の中、もしくは頭の中で、はっきりと力が意識できたのは。
ドランゴが身に着けたのは、彼に向かって「忘れてくれ」という意味の言葉
を吐いた人間あるいはそれに類する者を、他の人間の記憶から完全に消し去る
能力だった。
ただ、最初の能力発揮の時点で誤算だったのは、ドランゴ自身も、自分が人
間だったときに知り合ったカインの存在を、その記憶から大部分を失ってしま
ったことである。魔玉の者としてのドランゴも、カインと短い間、知り合って
いたため、完全に忘れ去りはしなかったが。
故に、ドランゴはその後、能力を行使する度にそうするのと同様、能力の対
象となったカインの前から、立ち去ろうとしたのだ。
このときのカインは、何が起こったのか、事態をまだ飲み込めなかったに違
いないが、とにかく追いかけた。しかし見失ってしまい、日が昇ると行動が制
限される彼は追跡を、やがてあきらめざるを得なかった。
その後、カインが配下の魔玉の者、スーパーレンズを使い、ドランゴの行方
を探させていたことを、ドランゴ自身は知る由もない。
カインの前から姿を消したドランゴは、自分自身の恨みを晴らそうと、フリ
ージア=オルメスに狙いを定めた。彼は工場の女工のほとんど全員に恨みを抱
いていた。その中でフリージアを選んだのは、自ら仕事で失敗してみせたとこ
ろ、彼女が最も過激に反応したからに他ならない。
そしてドランゴは復讐を実行し、仕事を辞めた。己の力が間違いなく発揮さ
れたことに、満足しながら。
この頃になって、彼はようやく「恩人」の名前を思い出す。だが、カインの
居場所までは思い出せなかった。
カインの恩義に応えたいドランゴは、正式な命令を受けた訳ではないが、ア
ベルとロビンソンなる人物を探し出し、その存在を他の者から消してしまおう
と企んだ。
が、もちろん、どこの何というアベルないしはロビンソンをターゲットにす
ればよいのか、ドランゴには全く分からない。調べる手段もない。
彼が取った安易で迂遠な方法は、アベルやロビンソンという表札を見つける
度に、その家のドアを叩き、応対に出た家人に「忘れてくれ」と言ってくれる
ように頼むというもの。
現在、五件のロビンソン邸を制覇し、カインの敵たるロビンソンと巡り会っ
たかどうかは判断できないが、ひとまずロビンソン狙いは休止にしようと考え
たドランゴ。次の狙いは無論、アベルである。
ドランゴの動き回れる範囲で、アベルという名の家は少なかった。それに何
故か、太陽の光を浴びると自分の身体に多大なダメージが及ぶことを知った。
昼間、出歩けないドランゴにとって、夕方辺りから明け方近くまで特定の名の
家を探して回ることは、警官に怪しまれる行為でもある。勢い、慎重にならざ
るを得なかった。
ために、最初のアベル邸を見つけたのが、今夜になってしまった訳だが……。
「乞食を装っても、こんな時間では開けてくれまい」
すでに腕時計は売り払っていたが、おおよその時間は見当付く。
彼はせいぜい身なりを整え、放浪の歌人か占い師にでもなりすまそうと考え
た。少なくとも、物貰いよりは相手にしてくれる目があるだろう。
「……もし。もしもし」
頑丈そうな玄関の戸を叩きながら、ぼそぼそと呼び掛ける。外国人だと知れ
ると、それだけで相手にされない場合が多いのは、経験で心得ていた。
二回目のノックで、ドアが開かれた。
なるべく印象をよくしようと、愛想笑いを作ったドランゴであったが、その
顔がひきつる。現れたのは、二メートルはあろうという大男だった。
「何か用でしょうか?」
薄明かりの中、男の低い声が届く。
「あ、あの、アベルさんのお宅でしょうか、こちらは」
本来、臆病な部類に入るドランゴは、叫び出したいのを必死にこらえながら
聞いた。全ては、カイン様のため。
「−−そうですが。あなたは?」
相手の声が、一瞬、緊張を帯びたかのごとく高くなった。が、すぐさま元通
りになり、優しさまで感じさせる声音になる。
「わ、私はつまらない旅の者でして。尽きかけた路銀を稼ぐため、家々を回ら
せてもらっております。我が故郷に伝わるおまじないを唱えて、アベル家の繁
栄を祈らせていただきたいのですが」
「ふん、いいよ。やってくれ」
「ありがとうございます」
歌人の気さくな調子に勇気を得て、ドランゴは母国語でまじないを唱え始め
た。真実、一家の幸福と繁栄を祈願するまじないである。
「−−以上で終わりです」
三分近く祈ったところで、ここからが本番と、表情を固くするドランゴ。
「最後に、私に向かって、こう言ってほしいのです。さすれば、今のおまじな
いは効果を発揮するのです」
「ほう。何と言えばいいのかな?」
「よくお聞きください。『忘れてくれ』、これだけでございます」
乾いた唇をなめ、相手を見返すドランゴ。
大男は、ゆっくりとうなずいた。
「分かった。君もよく聞いてほしい」
成功を見越して、会心の笑みを浮かべるドランゴに、男の腕が伸びてきた。
その大きな手は、ドランゴの胸ぐら辺りの衣服を破り、露呈した赤い石−−
魔玉を鷲掴みにした。
「な、何を−−」
戸惑うドランゴに、相手は囁くように告げた。
「悪く思うな、ドランゴ。命は助かる。この石は、君には必要のない物だ」
何故、自分の名前を知っているのだろうと不思議に感じながら、ドランゴは
意識を失った。
−−終