AWC 記憶喪失症 1   永山


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#4103/5495 長編
★タイトル (AZA     )  97/ 8/27   9:16  (200)
記憶喪失症 1   永山
★内容
 欄干に片足をかけ、飛び込もうとした刹那、ベル=ドランゴの肩を掴む者が
あった。
 有無を言わさぬ力で引き戻され、石畳に叩き着けられた。
 薄闇の中、しばし悶絶する。
「手荒なことをしたな。死のうとした訳を聞こう」
 尻餅をついた格好のまま、口をぽかんと開けたベルを、大仰なマントを羽織
った背の高い男が見下ろしてくる。
「……」
「理由さえ聞けば、おまえが死ぬのを邪魔はせぬ。そのときは忘れるがよい。
他人の生死なぞ、私には関係のないことだ」
「−−俺を」
 見知らぬ男に自分自身のことを語りたくなった理由は、ベルにもさっぱり分
からなかった。
 もしかすると、相手の瞳に魅入られてしまったのかもしれない。年端の行か
ぬ子供が、小動物が次にどんな行動を取るかを観察するときに似た、冷静さに
かすかな興味を含ませた眼差し。
 我が身の全てを預けてもいい。ベルは両眼をこすり、男を見上げた。
「俺を知ってくれ」

 夜も九時を過ぎてからの予定外の訪問者なんて、決して心地のよいものでは
ないだろう。
 フリージア=オルメスも、同じ考えの持ち主であった。
「誰?」
 ノックの音にドアを開けもせず、ぶっきらぼうに尋ねると、男の声で返事が
あった。
「ドランゴでございます」
「ドランゴ……さん」
 繰り返しになるが、予定にない夜の訪問者は、嫌なものだ。
 加えて、それが自分が好きでもない会社の同僚(異性)となると、なおのこ
とであるに違いない。
「何か御用ですか? 私、忙しいんですけど」
「少しだけでいいですから、話を聞いてください」
 異国人特有のなまりのある声に、内心いらつくフリージア。それが収まらぬ
内に、来客は再び、ドアをこんこん叩き始めた。
「よしてよ、やかましいわね」
「と、とにかく、開けてくださいよ。話を聞いてもらえたら、帰りますから」
 舌打ちをして、フリージアは仕方なく、扉を開けた。
 アパートメントの廊下には、ぼんやりしたガス灯の光が、どうにか届いてい
るが、その程度では来客の顔は判然としない。ただ、ドランゴとは休みの日を
除いて毎日、工場で顔を合わせているから、容易に想像はできる。
「話って? 早くしてよ」
 開けたドアの隙間を塞ぐように立ちふさがるフリージア。入って来られるの
はもちろん、室内を見られるのも嫌。
「夜遅く、すんませんね。……材料調達で、数が足りなかったことは確かに、
私の失敗です」
「そんなことで、わざわざ謝りに来たの?」
 馬鹿みたいという言葉はどうにか飲み込み、フリージアは相手をさげすむよ
うに見下ろした。
「謝りに来たのではなく、文句を言いに来たのです」
「……何ですって?」
「普段は空気のように無視をしておいて、私が失敗したときだけ、年に一度の
お祭りみたいに騒ぎ立てないでいただきたい。あなたを始めとする皆さんは、
三日と続けて失敗をせずにはおられないではありませんか」
「……もう一度言ってご覧なさいよ、この外国人!」
 罵りに、ふんふんとうなずくドランゴ。
「ええ、私の出身はあなた方とは違います。だが、名前があるのだから、そち
らで呼んでいただきたい」
「うるさいわね。ドランゴだかドラゴンだか知らないけど、妙な名前は口にし
たくないのっ。文句を言うんじゃない、偉そうに。あんたみたいなのがいるか
ら、私達女性の立場が悪くなるのよ。仕事が減る! この国から出て行け!」
「……出て行ってもいいですよ。ただし、一つだけお願いがあるのです」
 単なる罵倒をまともに受け止められ、フリージアは戸惑った。さらに続く奇
妙な申し出に、首を捻る彼女。
「簡単です。私に向かって、『忘れてくれ』と言ってくれればいいのです」
「わ、忘れて……?」
「そうそう。そうしてもらえたら、私はあなたのことを忘れます。この国から
出て行ってもいい」
「本気? 嘘じゃないでしょうねえ」
 最初は気味悪かったが、次第に面白くなって、フリージアはせせら笑った。
「本気ですよ」
「信じられないわね。工場、辞めるのかしら?」
「はい、もちろん。こうして、届けを用意していますよ」
 ポケットから、折れ曲がった封筒を取り出すドランゴ。表面には、几帳面な
文字で辞表の意が記されている。
「ちゃんと形式は整えてあります。信用してくれないのでしたら、フリージア
さんに預けてもいいですよ」
「……ふん、本当かどうか、すぐに分かるわ。あんたが自分で出しなさい」
 手を引っ込め、吐き捨てるように言うフリージア。得体の知れない外国人の
持ち物を預かるなんて、気色悪くてできやしない。
「では、言ってください。はっきりと」
「ええ、言葉なんて無料だからね。いくらでも言ってあげるわ」
 髪をなで上げ、フリージアはドランゴを見据えた。
「さて、いいかしら?」
「どうぞ」
 言って、ドランゴはどういうつもりか、両手を左右の耳に当てた。
 フリージアは鼻で笑って、その台詞を口にした。
「『忘れてくれ』−−これでいいのね? さ……」
 フリージアの勝ち誇った口調が終わる前に、ドランゴはきびすを返し、その
場から立ち去っていく。
「何よ……変な奴。約束、守れよ、馬鹿!」
 通路の柵にもたれかかり、往来を行くドランゴに叫ぶフリージア。
 それからすっきりした表情になると、彼女は再び髪をなで上げ、自分の部屋
に戻った。

 翌朝、出勤したフリージアの頭には、ドランゴのことなぞ気にかける意識は
なかった。せいぜい、どうせ約束は守られないだろうという程度の、ぼんやり
した考えがあるだけだ。
 他の工員−−ほとんどが女性−−に混じって、レンガ塀の合間に設けられた
門を通り、工場前の長屋めいた建物に入る。工員はここで着替えて、作業場へ
向かうのだ。
「おはよう!」
 中に入るなり、親しい顔を見つけて、声をかけた。
 だが、返事がない。それどころか、その親友は振り返りさえしないのだ。
 フリージアは訝しみながらも、人違いである可能性に思い当たり、慎重に覗
き込んだ。
「なあんだ、やっぱりモリィじゃないの」
 気さくな調子で呼びかけ、肩に手を触れると、やっと振り返ってくれた。
「おはよ」
「……あなた、誰?」
 怒った顔で短く言うと、モリィは忙しげに上着を脱ぎ捨て、制服を頭からす
っぽりと被る。
「ちょっと、冗談きついわ。私よ」
「だから、誰? 名前は?」
 明らかにうるさがっている友人に、フリージアは呆気に取られ、次に怒りを
覚えた。
「あのね、モリィ。いい加減にしないと、怒るわよ。私はフリージア。フリー
ジア=オルメス。お忘れ? もうお年かしら」
 相手が自分を引っかけようととぼけているのだと決め込み、皮肉る口調で返
すフリージア。
 だがしかし、着替えを終えたモリィがジョークで応じることはなく、目を吊
り上げて声を荒げた。
「フリージアなんて、知らないわよ。何で私につきまとうの? 関係ないでし
ょうが」
「モ……モリィ。本当に、いい加減にしてよ! 私よ、ほら」
 相手の真正面に回り込み、顔を近付ける。笑顔を作ろうにも、ひきつってし
まってうまくいかない。
 モリィの手が、疎ましそうにフリージアの身体を押し退ける。
「……ちょっと!」
「あんた……見かけない顔ね? 本当にここの工員?」
「な、何を言い出すのよ」
 否定する声に元気がない。フリージアは、自信がぐらついているのを意識し
始めた。
「私は丸三年、ここで働いてるわ!」
「ふうん? じゃ、聞いてみようかしら。ねえ、みんな?」
 モリィの張りのある声に、その場にいた者のほとんどが振り向いた。
「ここにいるこの女、知ってる人はいる?」
 フリージアは、自分に集中する視線に一瞬、気後れしたが、次いで安堵もし
た。何故なら、彼女は決して友達が多い方ではないが、今彼女を見つめる者の
中にフリージアの知り合いは何人もいるからだ。
 ところが。
「知らない」
「誰、それ? 見たことないわね」
「新人なら、挨拶してよ」
 そんな声ばかり飛ぶ。フリージアは髪を振り乱し、大声を張り上げた。
「みんな、何を言ってるのよ! 私よ、私! フリージア=オルメス! ずっ
と一緒に働いてきたじゃない。スワンソン、ケティ、ドーリー……ほら、思い
出してよお」
 工員仲間の名前を列挙し、大きく腕を広げた。これで思い出してくれるだろ
うという期待感−−いや、願いから、顔に作ったような固い笑みが浮かぶ。
 ざわめきが起こった。
 それはフリージアの存在を認知したからではない。
「ど、どうして私の名前を知ってるの?」
「気味悪いわ。どこで調べたのよ、あんた」
「こんなことして、何か企んでるんじゃないの?」
 騒ぎが大きくなり、フリージアが弁明する間も与えられず、一人が「工場長
を呼んでくるわ!」と叫んで、外に走った。
 始業時間が迫っていたが、もはやそれどころではない。
 蜂の巣をつついたような騒ぎの中、フリージアは必死の声を絞り出す。
「みんな、どうかしちゃったの? フリージア=オルメスよ、私は。ギャレッ
トおばさん、あなたの隣で糸を取っていたでしょう?」
 中年の女性を指差し、懇願する目つきで迫るフリージアだったが、ギャレッ
トは困った風に首を傾げただけだった。
 そこへ工場長のトム=サットンが現れた。まだ着替えの終わっていない女性
工員達は、慌てた手つきで済ませにかかる。
 一段落着いて、サットン工場長が、着替え部屋の扉を開けた。
 波を打ったように静かになった部屋を見渡し、サットンは優しい口ぶりで始
めた。
「もめていると聞いたが、どうしたんだね。始業が遅れちまうよ」
「……あの」
 互いに牽制する中、先ほどのギャレットがおずおずと切り出した。
「こちらの方が、うちの工員だと言って、聞かないんです。私達は誰一人とし
てこの方を知らないのですが、この方は私達の多くを知っているみたいで……
何だか変な感じが……」
「新しく雇われたんですか、工場長?」
 別の若い声が飛んだ。
 サットンはすぐには答えず、フリージアに視線を合わせる。
 フリージアの方は、やっと一息つけていた。工場長なら、面接のときに顔を
合わせているし、工場でも何度か話をしている。覚えていないはずがない。
「君……」
 やがてサットンの唇が動いた。
 目を輝かせるようにして、うなずくフリージアは、声を弾ませて返事をした。
「はい!」
「君は……誰だね? すまないが、思い出せん」
「サ、サットン工場長!」
 一転して、金切り声になるフリージア。
「少なくとも、初めて見る顔のように思えるのだ」
「わ私は、フ、フリー、フリージア=オルメス、です。お忘れでしょうか?」
「フリージア、オルメス……ふむ」
 腕組みをして考え込む様子の工場長。後退を始めた髪の生え際辺りをなで、
懸命に思い出そうとしているのがよく分かる。
「だめだ、思い出せない。と言うよりも、知らんようだ」
「あ、あの、お言葉ですが、工場長!」
 フリージアはサットンに掴みかからんばかりに接近した。工場長が身を引く
のにもかまわず、唾を飛ばして続ける。
「先日、見回りに来られた際に、私が代表して試作品をお渡ししました。それ
を工場長は素晴らしい出来だとお誉めになって、えっと、これなら自分の頭を
隠す帽子がほしくなるなと冗談をおっしゃって、場を笑わせてくださいました」
「確かに、そういう覚えはあるが……君だったか? 別の誰かに」

−−続く




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