#3935/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 6/15 22:31 (199)
欠けた星は血であがなえ 9 永山
★内容
「な、何を言い出すのよ」
声を高くし、腰を浮かす恭子。
そんな彼女の振る舞いを、洋治が手で制してきた。
「仮定の話だよ。もし、俺−−僕がもう芸能生活は嫌だと言ったら、母さん、
どうする?」
「そんなこと、ファンが許さないわ。恐らく、あなたの意志だけじゃ、どうに
もならない地点まで来ている。分からないの? 実感がないのは無理ないけれ
ど……」
「僕は何も知らない。けど、母さんの言いなりにはなりたくないな」
「ど、どうして! またそんなことをっ」
思わず出てしまった大声に、慌てて口を押さえる恭子。
しばし間を取ったが、加藤医師がやって来る気配はなかった。改めて会話を
再開する。
「お願いだから、言うことを聞いて頂戴」
「さっき、『また』と言ったね」
「え? ええ」
「記憶をなくす前の僕も、母さんに不満を持ってたんだね? 一体、何が理由
で、僕と母さんは仲違いをしてたんだい? お父さんは? 兄弟はいないの?」
詰め寄ってきた洋治の視線を、恭子はこらえきれず、顔を背けた。
「……その話は、また折を見てね」
「母さんっ」
「いいじゃない。どうせ、今日明日に帰るんじゃないし。私もしばらくこの島
にいるから、じっくり話し合いましょう」
ゆっくり言うと、洋治も不承不承といった感はあったが、うなずいた。
電話が簡単に通じたので、恭子はほっとしていた。
と言っても携帯電話では無理だったため、港近くの公衆電話を使った。
デラの事務所に連絡を入れ、春ヶ見島に留まること等、必要な事項を伝える
と、加藤医師の家に戻る。
「電話ぐらい、うちのを使ってもらってよろしかったのに」
出がけと同じように、加藤は親切に言ってくれる。
「いいえ、とんでもないですわ。泊めていただける上、大事な電話を占領して、
もしも患者さんからの緊急電話が受けられないなんてことになったら、お詫び
のしようがありません」
「それはそうかもしれませんが……。ところで、洋治は本当に、天城丞一郎で
したか?」
「え、ええ。まだ六分四分といった確率ですけど」
騒ぎにしたくない意識も働き、そんなことを言う。
「ふむ。もし天城本人だと確認されたら、当然、連れて帰ると」
「そのつもりですが、先ほど申しましたように、話を詰めてみなければ、何と
も言えません」
「いやあ、そうであってほしいです。でも、まさかっていう気持ちですよ。あ
のフェリー事故現場とこことじゃ、距離がありすぎて、とても結び付けて考え
られなかったですねえ。漁船に助けられたのは、本当に幸運だ」
「そう言えば……彼が救助されたのは、フェリー事故から何日経っていたのか、
分かります?」
「ああ、そうですねえ……一ヶ月近かったんじゃないでしょうか。正確には覚
えておりませんが」
「漁船に出会うまでの間、どうやって生き延びたんでしょう?」
「もちろん、救助用のボートに乗り込んでいた、と聞いてますよ。助けられる
よりもかなり前に、食料や水は尽きていたそうです。他に荷物は、一切なしだ
ったとか」
「本当に……幸運だったんですわね。女神に魅入られでもしたかのように」
運命の不思議を恭子は改めて思い、息をついた。
あのとき、死んでいてくれたら。
この一年と数ヶ月は、あのとき死んだと思ったからこそ、悪夢にうなされ続
けた恭子は、ここに至って、逆を願うようになった。
(現時点じゃ、思い出していないようだけれど……放っておく訳に行かない。
いつ破裂するか分からない時限爆弾のような物)
用意された寝床の中、まんじりともせず、善後策に頭を悩ませる。
長期休業に入った直後の天城丞一郎−−浅見義正に会いたいと言ったのは、
恭子の方からだった。
南方のとある地方のひなびた宿での密会を約したのだが、恭子はここで息子
の殺害を考えていた。「秘密」を守るためには、我が子であっても口封じせね
ばならない。そこまで追い込まれていた。
計画は、別々に部屋を−−無論、偽名で−−取り、行きずりの女を連れ込ん
だ天城がそのまま殺されたように見せかけるという、大雑把なものだった。
だが、計画は未遂に終わる。
フェリー転覆の一報が入ったのは、約束の時間を二時間近く過ぎていた。
脱力した恭子だったが、息子を自分の手に掛けずに済んだことと、秘密を知
る者がいなくなったこととで、大いなる安堵感を得た。
その安寧も続かない。天城丞一郎がどこかで生きているのではないかという
愚にも着かない想像が、心の大部分を占めるようになった恭子は、次第に仕事
に集中できなくなり、悩んでいた。
そんな折、天城の追悼映画が具体化した。恭子は利用しようと考える。つま
り、映画の筋書きの中で事故に巻き込まれた天城が、実は殺されたということ
にして、自らの安心を得ようとしたのだ。
BITとの不仲もあり、映画は中断しかける。ときを同じくして、問題の手
紙が届いた。
ある離れ小島で開業医をしている人物からのその手紙には、恭子が恐れてい
たことが記されていた。天城丞一郎が生きていた……?
恭子が春ヶ見島を訪れたのは、天城丞一郎の無事を確かめ、世に再び送り出
すためではない。無事であったのなら、その息の根を止めるために来たのだ。
(現況じゃあ、殺せない。船に乗せ、事故で海に転落、溺れたように見せかけ
る。これが一番だ……)
そう信じている。
(そのためには、あの子を何としてでも説得して、島を出なければ。小さな連
絡船の中で、事故に見せかけるのは難しい……。戸土良島からは飛行機でなく、
旅客船に乗るとして、船内で決行すれば)
見通しが立ち、目を瞑る恭子。
眠ろうと努力する。
意識が途切れる刹那、恭子は、就寝時、一人切りじゃないのは久しぶりだと
気付いた。
目が覚めたとき、恭子は心臓が止まるような気分を味わった。
「義正……どうかしたの?」
枕元に立っていた洋治を見上げながら、急いで身体を起こす。
周りを見れば、まだ薄暗い。
「ああ、漁のお手伝いをしているんだっけ。もう行くの?」
恭子の推測を、洋治は首を振って否定した。
「お母さん。聞いたよ」
「……何のこと?」
分からず、目をぱちぱちさせた恭子。起きたばかりの頭で考えても、全く理
解できない。
「よほど疲れているんだろうね。寝言で言っていた。『義正、許して頂戴』っ
てね。謝るようなことをしたのかな」
「……」
絶句し、口を手で押さえる。
(寝言……? まさか、私ったら……)
要らぬことを喋ってしまい、さらに聞かれたとしたら。
そう考えるだけで、顔面から血の気が引いていく。
「他にも何か言ってた。あのとき死んでくれたら、こんな目に遭わずに済んだ
とかどうとか。説明してくれる?」
「知らないわ。何を言ったとしたって、全ては寝ていたときの言葉。意味なん
か全然ないのよ」
「ごまかそうたって、だめだよ。母さんは、天城丞一郎を殺そうとした。そう
だね?」
口調は穏やかだが、幼児の目は鋭かった。
恭子は唇を噛み、どう応じるべきかを必死に計算する。
「言っておくけれど、僕は浅見義正じゃない」
「−−何を言うの?」
「残念だが、奇跡のような偶然は、起こらなかったと思うよ。僕はね……浅見
隆光なんだ。メーキャップを多少したとは言え、気付かなかったみたいだね」
この言葉が耳に届いた瞬間、恭子の内部で、柱が崩れた。
息子二人を区別できなかったこと。一歩間違えれば、隆光まで死に至らしめ
ていたかもしれないこと。
この二つが、重くのしかかってくる。耐えられない。
耐えられなくても、泣き崩れはしなかった。表面上だけでも取り繕いたかっ
たような気もするが、本当に涙が出なかったのかもしれない。当人にも判断で
きなかった。
「また会えた」
一恵は、隆光の姿を見つけ、叫ぶように言った。
墓石に手を合わせていた隆光は振り返り、しばらく考えてから、一恵のこと
を思い出したよう。
「君はよほど、墓参りが好きみたいだ」
「だって、今日は月命日だから」
遠慮しいしい、周りにきょろきょろと頭を巡らせながら、一恵は近寄った。
「あのぉ、お一人ですか、浅見さん?」
「一人だけど、それが?」
「日本でも有名人になられたのに、不用心だと思って」
「髪を切った僕なんて、誰も分からないだろう」
苦笑する隆光。アメリカのドラマ制作会社と、髪の毛を無断で切ってはなら
ないとの契約を結んでいたそうで、相当なペナルティを支払ったという。
一恵は、天城丞一郎の墓へのお参りを済ませてから、改めて隆光に尋ねた。
「立ち入ったこと、聞いていいですか」
「だめだ」
有無を言わさぬ返事に、くしゅんとなる一恵。
「どうせ、浅見恭子が芸能から完全に手を引いたことや、兄の追悼映画に僕が
出なくなったことなんだろう」
「は、はい。私、どうしても気になるんですよね。雑誌に書かれていることが
本当だとしたら、浅見恭子は丞一郎と仲が悪かったどころじゃなく、憎んでい
たとしか思えない。それがいつからなのかを見ていくと……多分、戸土良島で
の輸血が関係してるような気がする。あれからしばらくして、丞一郎はデラか
らBITに移ったんだもの」
「好奇心は猫をも殺す。いない人をあれこれ言うのも、したくない」
いない人とは誰を指すのか、分からなかった。
* *
病名を知って以来、身体が疲れやすくなったという意識が、義正にはある。
いや、正確に言うと、病気にかかって以来、だが。
倦怠感を常に覚える。
「大ごとにするな、だって?」
母親の話に、耳を疑った。
「そうよ。折角の美談がぶち壊しになるわ。採血の際の不手際で、肝炎を感染
された天城丞一郎が医師を訴えるなんて」
「冗談じゃないっ。どっちが大事なんだよ? 人気と子供の身体」
「命に関わる病気じゃないんだから、いいじゃないの。過剰な運動やアルコー
ルの過度の摂取さえ慎めば、このまま行ける。問題ないわ」
「その逆をすれば、急速に悪化し、命を落とすこともあるって聞いたぜ? ラ
イブで大人しく弾き語りでもしろっての?」
「いい機会だから、イメージチェンジするのも手だわね」
あくまでことを穏やかに収めようとする母、恭子の言葉に、義正は歯がみを
繰り返した。
「二、三曲だけ全力で動き回って、あとはバラード調の曲編成にすればいいわ。
だいたいね、向こうも示談金として充分な額を提示してるのよ。下手に騒いで、
こちらのイメージを落とすことはないわ。肝炎にかかってることも、世間に公
表しなきゃいけなくなる。スターが肝炎だなんて、格好つかないじゃないの」
「……」
呆れて物が言えなかった。
相手に背中を向けると、義正は潮時だと考えた。
(一緒にやっていくのも、もう限界だ。父さんや弟が早々と離れたのが、よく
理解できる……)
母がまだ何か言っているのを聞き流しながら、さらに思う義正。
(どうせなら、仕返しをしてやる。今度のことだけでも全て記録に付けておけ
ば、あとで脅せるだろう)
肩越しに、盗み見た。
薄い笑みを浮かべながら、熱弁を奮う浅見恭子がいた。
(母親失格。いや、それどころか、人間として欠陥があるよ、あんたは)
心の中でつぶやいてから、義正は向き直った。
おしゃべりをやめた相手に対し、ゆっくりと告げる。
「分かったよ」
「本当? あぁ、嬉しいわ」
喜色を露にする恭子。今や、母親とも思えなくなった。
「もちろん。血は水よりも濃いと言うからね」
−−終わり