AWC 【迷昧】1              悠歩


        
#3936/5495 長編
★タイトル (RAD     )  97/ 6/15  23:52  (189)
【迷昧】1              悠歩
★内容

迷昧(めいまい)

 強い風が吹いた。
 風に乗り勢いを増した雨が水面を叩き、音を立てる。
 それは一分にも満たない時間の事だった。
 風が過ぎた。
 そして風が連れ去って行ったかの様に、雨も降り止む。
 雲間から月が顔を覗かせる。
 風の名残か、或いは雨の名残なのか、水面には小さな幾つもの波。
 月明かりを乱反射させ、きらきらと輝く。
 しかしそれもまた、ほんの一時。
 波は次第に消え入り、水面は滑らかさを取り戻す。
 否………
 滑らかであるべき水面に、一つの異物。
 真っ白な半紙に落とした、一滴の墨の如く。
 いや、この形容は不適切だ。
 「墨」と例えるにはその異物は美しすぎる。
 学校のプール。
 その中央に、まるで月を愛でているかの様に仰向けで浮かぶ少女。
 長き黒髪が高名な舞台作家が手による演出された様に、美しく水面に広がって
いる。
 そう、あたかも一枚の絵の如く。
 そう、あたかも映画の一シーンの如く。
 しかしこれは絵ではない。
 映画ではない。
 美しく悲しい現実。
 また雨が降りだした。



 激しい嵐の去った翌日。
 澄み渡った空の下、地に落ちたすずめがあった。
 昨日の嵐を乗り越えることが出来ず、その命を失ってしまったのだろう。濡れ
た羽は逆立ち、首は不自然な方向にと曲がっていた。
 近くでは何事もなかったかのように、他のすずめたちが、ちゅんちゅんと囀り
戯れていた。
 死したすずめを気にする者など、誰一人いない。昨晩からもう幾人もの人々が、
すずめの横を通り抜けていった。中には亡骸に一瞥をくれる者もあったが、それ
は一瞬のこと。そのまま何事もなかったかのように過ぎて行く。五分と経たぬう
ちには、もうすずめの亡骸がそこにあった事すら、覚えてはいないだろう。
 裕樹とて、別にすずめの亡骸をどうしてやろうとも思いはしなかった。ただ失
われた小さな命を可哀想にと感じながら、しばらくの間学校に向かっていた足を
止め、亡骸を眺めていた。
 誰か埋めてやるくらいのことは、してもいいのに。そう思いながらも、自らの
手で埋葬してやる気にはなれない。失われた命を哀れと感じながらも、そこにあ
る亡骸は手で触れのを躊躇われる、汚いものとしてしか見ることが出来なかった。
 行き過ぎる人の中、ついに亡骸の前で足を止める者が現れた。
 青みがかった緑色のスカートから覗く白い足。裕樹と同じ中学校の女子の制服
だ。
 少女はすずめの亡骸の前にしゃがみ込む。そして悲しそうにすずめを見つめ、
おもむろに両手を差し伸ばした。その動きには、僅かな迷いすらない。
 その亡骸を命あるものを扱うのと同じように、掌でそっと包み込み、立ち上が
る。
 その時、少女の顔が裕樹にも見る事が出来た。
「琴音ちゃん」
 裕樹は見知った少女の名を、口にする。同じクラスの、裕樹が秘かに想いを抱
いている少女の名を。
 裕樹には気づかず、少女は掌に亡骸を抱いたまま歩き出す。向かった先は、近
くの公園の植え込みだった。悟られぬように、裕樹も後を追った。
 静かに屈み込むと、そっと亡骸を柔らかい土の上に置く。その仕種は、赤ん坊
を扱う母親の姿にも似ていた。
 少女はゆっくりと首を周囲に振り、何かを探しているようだった。だが目的の
ものが見つからないと知るや、両手で直に土を掘り起こし始めた。
 裕樹はただ、息を呑み少女の行動を隠れて見ているだけだった。
 適当な大きさの穴を掘り終えると、少女はすずめの亡骸をその中へと移した。
布団を掛けてやるように、そっと土を掛けていく。やがてすずめの亡骸は、完全
に土の中へと消えた。
 少女は泥にまみれた手をすずめのために合わせ、目を瞑る。閉じられた瞼の端
に、涙が光っていた。



 彼女が笑う。
 友だちが何か楽しい話をしたのだろう。
 彼女の笑顔で、その周りが少し明るくなった。
 比喩ではない。
 本当に彼女の周囲の明かりが、ほんの少し強さを増したのだ。
 少なくとも裕樹にはそう見えた。
 彼女−−今中琴音(いまなかことね)の顔を自分の席から、そっと見つめる。
 それが裕樹にとって、何よりの楽しみだった。
 楽しみだった………そう、それももう過去形になりつつある。
 中学二年生に進級し、彼女と同じクラスになった時、裕樹は心の中で秘かに歓
声を上げたものだった。
 始めは一日に何度琴音が笑ったか、何度寂しそうな表情を見せたか、それを数
えるだけで満足していた。
 だがそんなことが二ヶ月ほど続くと、ただ彼女を見ているだけでは満足出来な
くなって来た。
 彼女と話をしたい。
 彼女と街を歩いてみたい。
 彼女と二人きりの時間を過ごしたい。
 そんな想いが日に日に大きくなり、それを抑える事が苦しくなってくる。
 この想いを彼女に伝えよう。
 何度そう考えた事だろう。
 しかし今日まで、それが出来ないでいた。
 美人で明るくて、頭も良くて誰にでも優しい琴音は同級生はもちろんのこと、
先輩や後輩たちにも人気が高い。それは異性のみならず、同性の女子にまでも及
ぶ。
 実際、彼女のファンを自称する女の子は裕樹の知るだけでも、十指ではとても
足りない。
 一方裕樹は、見てくれは決して悪い方では無いのだが、生来の引っ込み思案な
性格のため今日まで女の子とまともにつき合いをした記憶がない。
 そんな自分と琴音とでは誰が見ても、釣り合いがとれない。
 所詮は高嶺の花。叶わぬ想い。
 人に言われずとも、そんな事は分かっていた。
 けれどこれ以上彼女の事を想い、独りで悶々と過ごす日々に堪えきれない。
 砕ける事が分かっていても、この気持ち、彼女に伝えよう。告白して断られて、
ショックを受けるだろう。それでも、この気持ちを伝えよう。
 その胸の中で一大決心を固めていた時。
 裕樹の視界の中で微笑む琴音の肩を、誰かの手が叩いた。
 琴音の肩を叩いた手は、そのまま裕樹の方を指さす。
 そしてその指を追うように、琴音の視線が裕樹に向けられた。
「えっ」
 心臓が止まるかと思うほど、裕樹は驚いた。
 まるで今までの心の中の呟きを聞かれたしまったような気がして、顔が熱くな
る。
 さり気なく視線を逸らせばよかったのだろうが、金縛りにでもあったように身
体が固まってしまっている。
『なんとかごまかさないと………』
 思わぬ事態に、告白を決意した筈の心がパニックを起こしている。
 先に視線を逸らしたのは、彼女の方だった。
 恥ずかしそうに、いや、困ったような顔で俯いている。
 安堵とともに絶望感が広がる。
 変な奴だと思われたかも知れない。告白するまでもなく、玉砕が決まってしまっ
た。
 泣きたい気持ちで、裕樹もまた彼女から視線を逸らそうとしたとき。
 先程裕樹を指さした手の主の顔が、琴音の耳元に寄せられて行くのが見えた。
「あっ」
 裕樹はまた、視線を逸らせなくなった。
 並んだ二つの顔に。
 寸分の狂いもなく、一致した顔。
 そう、裕樹の視界に入った二つの顔は、全く同じものだった。
 二人の琴音………
 いや、そうではない。
 琴音と同じ容貌をもつ少女の名は静音。
 一卵性双生児の琴音の姉である。
 静音は裕樹たちとは違うクラスなのだが、休み時間を利用して琴音を訪ねて来
ていたようだ。
 二人の同じ顔の少女の、それぞれの正体が分かった今でも、ともすればどちら
がどちらで有るか見失ってしまいそうだ。ずっと見つめていたので、裕樹には席
に座っている方が琴音で有るとは分かったが、もし今二人の方へ視線を向けたば
かりなら判断が着かないだろう。
 或いはもし、裕樹と同じクラスになっていたのが静音ならば、静音に対して恋
心を抱いてかも知れない。
 それ程まで二人は似ていた。
 だがそれは容姿に限っての事。黙ってそこに並んでいれば、二人を見分けられ
る者は誰もいないのではないだろうか。髪型もお揃いで、顔や手など人の目に触
れる部分の肌には、ほくろ一つない。外見上、二人を見分ける方法はない。
 二人の決定的な違いは、その性格であった。
 姉の静音は活発な性格で、太陽の下で走り回るのが好きなタイプ。誰とでも気
軽に話をする。静音の周囲は、彼女を中心としていつも賑やかだ。
 一方琴音は、深窓の令嬢タイプとでも言おうか。静かに読書をしている姿を見
る事の方が多い。口数は少なくいが、やはり周囲に人は集まってくる。琴音の場
合は、周囲が賑やかだ。
 だが二人とも、高い学力と運動神経の双方を兼ね備えていた。そのため、学校
内での生徒たちの人気は琴音と静音で二分、と言うよりこの姉妹が独占している
に等しかった。
 始業前の予鈴が鳴り渡った。
 こちらを見ていた静音が、つ、と動き出す。
 自分の教室に戻るためか………いや。
 歩きながらも、静音の視線は裕樹に向けられたままだった。双眸に裕樹を映し
たまま、歩み寄ってくる。
 そして、裕樹の耳元にようやく届くほどの声で言った。
「うじうじしてないで、思い切って告白しちゃいなさいよ、橘くん。琴音も、ま
んざらじゃないみたいよ」
 ぽんと微かに裕樹の肩を叩き、静音は去って行った。
「まんざらじゃない………? えっ?」
 後ろ姿を見送りながら、静音の言葉を反芻して、はっとする。
 琴音へと視線を戻す。
 いつの間にか琴音は、次の授業で使う教科書を開いていた。しかし心なしか、
顔が紅潮している様に見える。
「まんざらじゃない?」
 もう一度、裕樹は静音の言葉を呟き返した。
 本当に? 心の中で問いかけながら。
 確かにそう思ってて見れば、琴音は裕樹の視線を感じ、恥じらっているかにも
見える。
 それは静音の言葉によって、裕樹の中に思い込みが生じたせいかも知れない。
 それでも良かった。
 一度萎えかけた決意が、また蘇って来たのだから。
『よし、今日の帰り』
 裕樹の気持ちは固まった。
 それにしても…………
 ふと静音の去って行った方向を見る。
 今日の、いや最近の静音は以前にも増して、明るくなった。
 裕樹が双子のうち、琴音の方に惹かれたのは、たまたまクラスが一緒になった
せいだけでは無いのかも知れない。
 明るくなり過ぎた静音に、かえって近寄り難さを感じていたのかも知れなかっ
た。





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