#3876/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 5/23 16:18 (177)
そばにいるだけで 8−8 寺嶋公香
★内容
結局、正午を迎えるまでは、パン屋から少し離れた商店街をぶらつき、時間
を潰した。
そして、十二時五分。うぃっしゅ亭に再び出向き、問題の高校生がまだ来て
いないことを店の人に聞いてから、外で見張る。
「さて、思惑通り、うまく運ぶかどうか」
相羽はすでに、探偵ごっこでも楽しんでいるかのような物腰である。
「……いつまでいるのよ」
行き交う人々に注意を向けながらも、純子はこの点が気になっていた。
「邪魔?」
「そうじゃないけど……どうして? 相羽君、自分の用事があったから、朝、
あんな場所を自転車で走ってたんでしょ」
「本、買いに行くつもりだった」
しれっとして答える相羽。
「じゃあ、そっちに行きなさいよ」
「はは。それがよく考えたら、発売日を勘違いしてたみたい。祝日に重なった
ときは、遅れるんだった、確か」
嘘か本当か、分からない。もしかすると、純子を安心させようとしているの
かもしれない。
「涼原さんも、一人だと心細いみたいだったし」
「え……。それは、まあ、当たってる」
口の中で、ぼそぼそと答える。相羽がいてくれるだけで、どれだけ心強く感
じていることか。
「ま、喧嘩するわけじゃないんだし、気を楽に」
相羽が言いかけたそのときだった。
(あ!)
純子は、あの高校生を見つけた。まだパン屋の前の通りを一人、自転車でや
って来たところ。だが、見間違えようがない。校則で定められているのか、ご
丁寧にも昨日と同じ制服姿だからだ。
「あの人……かい?」
純子の表情の変化に気付いたらしく、小声で相羽が聞いてきた。
無言でうなずき返す純子。
「どうする? 買って出て来るのを待つ?」
「……待つ。できたら、そのままあとを追いかけて、あの高校生が誰のために
パンを買っているのか、見届けたくなったわ」
「なるほどね」
相羽が含み笑いをしたようだ。気になったが、今はパン屋の出入り口をじっ
と注視する。すでに高校生は店内に入っていた。
そしてものの五分もしない内に姿を現すと、来たときとは逆方向へ、自転車
で走って行く。
この時点でスタンバイできていた純子達も、静かに自転車を漕ぎ始めた。
主に細い路地を、右に左に、十分も進んだだろうか。やがて高校生は、一件
の古めかしい家の前に自転車を停めた。
古めかしいと言っても、旧家という意味ではない。悪い言葉で表すなら、お
んぼろ家屋である。一目で安物と分かる木造の平屋で、屋根も何だか薄っぺら
い印象だ。塀はなく、庭らしきスペースも見当たらない。玄関先の砂利を敷き
詰めた狭い場所に、物干竿の台が二つあり、それにかかる竿に白い洗濯物がい
くつか垂れていた。
(まさか、ここが、あの高校生の家?)
根拠はないのだが、違和感を感じた純子。
離れた位置から、そのまま息を詰めるようにして窺っていると、玄関に近い
部屋の大きな窓が開いた。小さな子供−−小学校に入るか入らないかぐらいの
−−が顔を覗かせる。そのすぐ後ろにもう一人、同じ年頃の子。男の子と女の
子だ。顔立ちがよく似ているから、兄妹(姉弟?)なのだろう。「おにいちゃ
ん」「わーい」などと言って、高校生を歓迎している。
その様子から、高校生が小さな子達の兄というわけではないらしいと推察で
きた。
高校生の台詞はよく聞き取れないが、「おやつの時間まで取っておけよ」と
か「よく飽きないよな、おまえ達」とか言っているようだ。その内、上着を脱
ぐと、家の真ん前で、子供達のままごと遊びの相手を始めた。
「……どういうこと?」
囁くように言って、再度、純子と相羽は顔を見合わせた。
「ここまで絵に描いたような事情があるなんて、凄いや」
感心を通り越し、脱力した風に息をつく相羽。
「それ、どういう意味よ」
「いいから、涼原さん。今、あの人に声をかけても、大丈夫だよ。間違いない」
「そ、そうかなあ」
気後れする純子だったが、相羽にそっと背を押され、進み出た。
「あの−−ごめんくださいっ」
必要以上に力が入った。
大きな声に、高校生はもちろん、小さな子達も見上げてくる。
「おねえちゃん、だーれー?」
間延びした言い方で、無邪気に聞いてきたのは女の子の方。
純子がそれに答えるよりも早く、高校生が声を上げた。
「……あ! き、君」
腰を上げ、呆気に取られたように口をぱくぱくさせている。
改めて見ると、そんなに恐そうな顔じゃない。今はむしろ、滑稽でさえある。
「あの、あの、お話があって」
「わ、分かった。ちょ、ちょっと、そこまで」
と、子供達から離れたがる相手。
ここでようやく、相羽も近付いてきた。
「ごめんなー。このおにいちゃん、ちょっとの間だけ、貸してくれる?」
いきなり、子供達に話しかける相羽。これには純子はもとより、高校生まで
もが唖然としている。
「いいけどー、返してよー、きっとよー」
お喋りな質なのか、女の子が立ち上がって元気よく言った。
「もちろん」
相羽は小さく手を振ってから、純子達に向き直った。
「とりあえず、彼女から文句があるそうですから、聞いてください」
「え?」
と絶句した純子に対して、高校生の方は、まずいなとばかり、片手を後頭部
にやる。
「聞かなくても、分かってるよ。−−すまない」
唐突に頭を深々と下げる高校生。
純子が戸惑っていると、相羽が横から言った。
「そんな大げさに謝ると、あの子達が変に思いませんか?」
「あ。ああ、そうか。そうだな」
相手は威厳を保とうとするかのように、上半身を起こした。
「昨日、君のパンを取ったこと、悪気はなかった。許してほしいんだ、この通
り」
高校生は胸の前で、小さく手を合わせてきた。
「え、えっと、その……謝ってもらえたらいいんですが……どうして、あんな
ことしたんですか」
戸惑いを続けながら、純子は一番聞きたい点を尋ねてみる。
「あの……ガキ共の大好物なんだよ、あのパン」
肩越しに、子供達を親指で示す高校生。「ガキ共」という表現がわざとらし
い。無理をして悪ぶっているのが、ありありと窺えた。
「ま、何て言うか、色々と事情あって、毎日食わせてやることになってんだよ、
胡桃クリームパンを」
「そ、そうなんですか。分かりましたけど、でも、私のお盆から取らなくたっ
て……」
言っていいのかなと感じて、うつむき、上目遣いに相手を見やる純子。
高校生は、気まずそうに目をそらし、鼻の頭をかいていた。
「せ、せめて、理由を言ってくれたら、私も気分悪い思いしなくて済んだのに」
「昨日は、その、時間がなかったし、たまたま仲間と一緒だったから……中坊
に頭下げて頼むなんて、できなくて……悪い、謝る」
結局、頭を垂れる高校生であった。
「さて、どうするの?」
相羽がぽつりと聞いてきた。もはや、楽しんでいるのがありありと、彼の表
情から伝わってくる。
「どうするって……謝ってもらえたんだし、もうしないと思うし……いいよ。
あの、次からはわけを言ってくれますよね?」
「あ、ああ。もちろん」
ほんの少し、顔を赤くしながら、高校生は答えた。年下の女の子に諭される
のは、どうにも格好が悪いものであろう。
「し、しかし、君ら、どうやって俺のこと見つけたんだ? 昨日の今日で、よ
くやるなあ」
話をそらしたいのか、早口でまくし立てた高校生。
「その子が執念深いからです」
純子を指差しながら、けろりとして答える相羽。
「あ、あのねえっ。こうやって見つけることができたのは、あんたの推理のお
かげですよーだ」
「それは、そっちが頼んでくるから」
「頼んだ覚えはありませんっ」
初対面の人の前だというのに、いつもの調子でやり取りを始めてしまった二
人。相羽の方に、故意に仕掛けているような節もあるが。その証拠に、目が笑
っていた。
「君ら、恋人同士か? ませてやがるな」
先ほどやり込められたせめてもの仕返しか、高校生がからかい気味に言った。
「ち、違います!」
純子は両手に握り拳を作り、大声で否定。相羽は首をすくめ、声もなく曖昧
に笑うだけ。
「せいぜい、仲よくやれよ。俺はガキ共の相手で忙しいんだ。はははっ」
快活な笑い声を上げ、背を見せた高校生。だが、もう一度、振り向いた。
「おい、おまえ」
と、相羽を手招きする。
「僕ですか」
「そう」
相羽が高校生に駆け寄り、小さな声で何か話を始めた。
(な、何なの、今さら?)
急に不安になったが、純子は様子を見守るしかできない。その手は、お祈り
の形に組まれていた。
そんな心配をよそに、二人の会話はすぐに終わった。最後、高校生が拳で軽
く相羽の胸辺りを小突いて、「大事にしろ」とでも言ったようだ。
相羽の方はと言えば、参ったなという風に、前頭部の付近に手をやっていた。
「行こう」
純子の横に並ぶと、相羽が言った。もうすでに、高校生は子供達の相手に戻
っている。
「あの人と、何の話をしていたの?」
自転車のハンドルに手を掛けた純子。
「ん? 大したことじゃないよ」
相羽は純子から目線を外すと、真っ直ぐ前を向いて、自転車に跨った。
「教えてよ」
「いいじゃないか、大したことないんだから」
スタートした相羽。急いで純子も追う。
「大した話じゃなけりゃ、教えてくれたっていいでしょっ」
「聞くだけ、時間の無駄ってやつ」
「何よそれ? けち」
「けちだよ、僕は。涼原さんにおごるぐらいのけち」
「ああ、もうっ。わけ分かんないっ」
「悩まない悩まない。折角、昨日からのわだかまりが解決したんだから、すっ
きり忘れよう?」
「それはそうだけどね」
先を行く相羽を見る純子の目に、助けてもらった大きな感謝と、言いくるめ
られたちょっぴりの悔しさが入り混じっていた。
−−『そばにいるだけで 8』終わり