#3261/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 4/30 18:54 (190)
十三をさがせ 8 陸野空也
★内容
「?」
大木にぶち当たった手応えに似ていた。
(う、動かない)
焦りが生じた。このままの態勢では、上から首か頭を狙われるのは必至。
「うわぁっ」
叫びながら鉄の棒を頭の上に持って行き、さらに相手の身体から急いで離れ
ようとする。
離れられない。ベルトを左手で掴まれた。相撲の上手回しのような格好だ。
湯川の判断は早かった。ベルトの留め金を外すと、掴まれているのとは反対
方向へ身体を預ける。
ベルトはするりとジーンズを抜け、影の手元に残された。幸運だった。
だが、まだ何も終わっていない。
捕らえた獲物に逃げられたためだろう、影が隙を見せた。
そこを突き、湯川は両手で握り直した棒をフルスイング。風の鳴る音。狙っ
たのは、右足の向こう臑だ。
手応え、あった。しかし、影は声一つ上げない。
「臑が鍛えられるはずない!」
悲鳴を上げたのは湯川の方だった。あ然としている内に、棒を掴まれてしま
う。
影はやおら、棒を振り回そうとし始めた。片手なのに、両手の湯川が体勢を
崩された。その格好のまま、引きずられるように振り回される。
背を地面にこすられるが、湯川は棒を手放そうとしない。
(こいつがないと、確実にやられる。逆にこれさえあれば、何とかなるんだ)
信じ込んでいるのだ。
だが、その思いは簡単に断ち切られた。両手首から先の感覚がなくなり、湯
川はぶざまに転がされた。
「あっあっあー」
絶望の声。そして、両手を失った痛みが湯川を襲う。
そう、業を煮やした影は、斧を使ってしがみつく湯川の手を切り落としたの
である。砂まみれで転がる両手首は、まだ何かを握りしめるような形を取って
いる。
(ああ)
声をなくした湯川は、仰向けのまま、両腕で突っ張って後退しようとした。
しかし、流れる血がぬるぬるして、うまく下がれない。滑って、したたか背中
を地面に打ちつけてしまうのがおちだった。
影は斧を左手で持ち直すと、空いた右手には奪ったばかりの鉄の棒を置いた。
逃がさないという風に、影は大きな足で湯川の右足首を踏みつけてきた。
「ぐが」
骨がきしみそうな重たさに、声を上げてしまう。
その上に覆い被さるかのように仁王立ちする影は、右手を振りかざした。
(や、やられる。あの棒で、僕は)
湯川の想像は、数秒後に現実のものとなった。
鉄の棒が、湯川の胸板を貫いていた。
口に血がやって来た。息苦しくて、気持ち悪くて、血を吐き出す。
「ミイラとり」
不意に思い浮かんだ言葉が、湯川の口から漏れ聞こえた。
(ミイラとりがミイラになる……。昆虫採集気取りだった自分も、所詮は虫け
らだった、か……)
痛みはもう感じなくなっていた。麻痺しているのではない。自分が今夜やっ
たことを思えば、どうでもよかった。
「殺せ、ジュウザ。何人、殺した、知らない。が、この僕、殺す、だけは、正
義、かもな」
湯川がジュウザという語を発したとき、影はほんの一瞬、戸惑いの素振りを
見せたかもしれなかった。だが、すぐに元通りになり、影は斧を両手でかまえ
た。
「偽ジュウザの最期」
満足げな笑みを敢えて作り、湯川は斧が振り下ろされてくるのをじっと見て
いた。
斧は正確に湯川の喉を直撃した。骨に当たる音が響く。勢いを増す血流。
影は斧を二、三度、左右に動かした。
湯川の頭部は胴から切り離された。
左手で湯川の頭を持ち上げる。そして影は、湯川の肉体を貫通する棒の先端
に、その切断面を勢いよく押し当てた。ぐじゅぐじゅっという音が起こり、湯
川の首はそのまま固定された。
血の筋が、鉄の棒を巻きながら、下へ向かっていく。
白木は、自分の頭はおかしくなったのだと信じたかった。
(あいつはやっぱり、ただの殺人鬼だわ。ジュウザの怨念に乗り移られて、気
が触れたに間違いない)
湯川に背を向け、松田ら二人を呼びに行った白木は、気が急いていた。だか
ら、彼女が行く道には、月谷の遺体があることを失念していたのだ。
だが、白木が目にしたのは、遺体一つだけではなかった。滅茶苦茶−−正し
く滅茶苦茶に破壊されたその惨殺体は、松田貴恵のようだった。
(冗談じゃないわよ!)
とても信じられるかと、白木は逃げることだけを考え始める。
渡部は無事だろうか? まずはそれを思った。
(彼が無事なら、合流して協力しよう。ああ、もうっ! 駐車場に湯川を残し
てきたのは失敗だったな。車を押さえられた私達は、山を歩いて下るしかない。
一人より二人だわ)
斧を握る手に力がこもる。この斧がスタッフ殺害の凶器になったと思うと、
決して気持ちいい物ではない。武器がこれしかないから、持っているだけだ。
「渡部さん! 渡部さん!」
短く区切って声を張り上げる白木。
(探す相手の名前を呼ぶだけなら、湯川の奴に聞こえても、不審に思わないは
ず……)
そういう計算があっての行動だが、「渡部さーん!」などと伸ばした声にす
ると、震えが出てしまいそうでできない。意識して短く言い切る分には、どう
にかごまかせる。
渡部の名を連呼しながら、白木は撮影現場に戻った。
「いないじゃない……」
愕然としてしまう。松田がやられているのを見た折り、渡部もやられている
のではという予感が頭をよぎったが、それが現実だったのか−−。白木は全身
から力が抜けそうになるのを、辛うじてこらえていた。
「渡部! べーさん! カメラ! どこよ、どこにいるのよ!」
からからに渇いた喉から、声を振り絞る。勝手に、喉がひーひーと言った。
茂みの葉が、かさかさかさ、がさがさっと音を続けた。風はそよとも吹いて
いない。
「誰? 渡部さん?」
期待して、そちらを向く白木。
だが、彼女の期待は裏切られた。茂みから覗いたのは、湯川の顔。
息が止まりそうになる白木。しゃっくりにでもなったみたいに、大きく胸を
上下させながら、逃げようとした。
でも、少しだけ残っていた冷静な部分が、違和感を白木の脳に伝えた。足を
止め、じっと目を凝らす。
「……湯川……」
他に言葉はなかった。
茂みから覗いたのは、湯川の頭そのものであったのだから。本来、首、そし
て胴へとつながっているはずの箇所に、細長い棒が続いている。
「そ、そんな、そ」
口がわななく。獅子舞の顎でもあるまいが、白木の上下の歯がかちかちと鳴
っていた。頬がひきつるのが気味悪く、白木は手を顔に強く当てた。
(……じゃあ。じゃあ、あの棒の端っこを持っているのは、誰なのよ!)
呼吸を荒くしつつ、白木は考えていた。本人は逃げながら考えているつもり
だが、足は止まったままだ。
(月谷ディレクター、本庄君、根室さん、木林先生、松田さんは死体をこの目
で見た。遠藤君は死んだのを見た訳じゃないけど、湯川が殺したと言っていた
……。残っているのは、渡部さん?)
自分の推測を確かめようと、棒の持ち手を待つ白木。
一際、葉のすれる音が大きくなった。
遂に姿を現したそれは、渡部ではなかった。
(あ、あの体格、あの格好)
白木は、今度は斧を持つ手に震えを感じて鳴らなかった。彼女は叫ばずにお
られない。
「ジュウザ!」
身長およそ二メートルの影は、ご名答とでも言いたいのか、大きくうなずい
たように見えた。
白木の精神状態では、影までの距離感はまるで分からなくなっていた。
影は斧を優しく抱くような手つきで右手に持ったまま、白木への接近を終了
した。
「きゃああ!」
殺人鬼の姿を目前にして、白木は感情の均衡を完全になくした。
斧を両手で頭上へかまえると、彼女は闇雲に相手に叩き込もうとした。
それはならなかった。左手に持つ鉄の棒を白木へと投げつけてきた。その重
み、加えて恐怖心に圧倒され、その場に倒れてしまう白木。
「う、う、う」
うめきながら、何とか逃げる体制を整えようとする。斧はもはや重いだけ。
手放すしかない。
起き上がろうとして、彼女は「それ」と目を合わせてしまった。それ−−湯
川の死んだ目と。
「ひっ、ひい」
手で突き放すと、湯川の頭部は棒から抜け落ち、草の上をごろりと転がった。
はっと気づくと、斧が彼女の上で振りかざされていた。振り下ろされる寸前
だ。白木は必死に身体をひねったものの、斧の鋭い刃から逃れ得なかった。
胸板辺りをめがけて振り下ろされた斧は、白木が身体をひねったため、右の
側面から彼女の乳房を抉った。
「ぎゃ」
声にならない叫びが、白木の口からこぼれた。
斧は入った角度を維持して進み、白木の右乳房を服ごと切り落とした。黄色
っぽく、ぬらぬらとした断面が現れる。
「ひ、ひ。わ、私の、私の胸」
止まらない震えも意に介さず、地面に落ちた乳房に手を伸ばす白木。触れて
みると、頼りない感触。しかも、手の震えが伝染して、ぷるぷると揺れる乳房
は、まるでジョーク用のプディング。
「どうしてくれるのよ!」
我を忘れ、抗議する白木。
影はうるさく感じたのか、棒を拾うと、彼女の口に押し込んできた。喉の奥
に既に達しているにもかからず、押す力が弱まらない。白木の後頭部が、大地
にぴたりと接した。
白木の目尻から涙が、鼻から水っ気の多い鼻汁、口からは血の混じった唾が
こぼれ出した。
(やめて……つ、突き抜けちゃうじゃない!)
声に出したくても、実際には吐き気のために、げえげえと嗚咽が漏れるに過
ぎない。
(あ、あ……喉と首の後ろが引っ付く−−)
ぐしゅ。
嫌な音がした。嫌だと思わなかったのは、当の殺人鬼ぐらいだろう。
音の源には、後頭部から血を広げつつある女の顔があった。驚いたように、
見開かれたままの目。
影はそれだけでは満足しなかったらしい。土に達している棒を、手の中で転
がし始めた。かき混ぜられる白木の延髄。
その行為も終えると、影は棒は立てたまま、まず、湯川の頭を見つけてきた。
そして最初にしたのと同様に、棒の先端に突き刺す。未開の原住民が戦の勝利
を記念して作った槍のレプリカ。そんなつもりなのかもしれない。
影は最後の儀式に取りかかった。白木の頭のすぐ横に立ち、斧をしっかと握
った。間を開けず、斧を大きく振り上げると、すぐに打ち下ろす。
白木の口から伸びる棒と並行に、斧の刃は正確に白木の喉をとらえた。振り
下ろす速度も力もタイミングも、何もかも抜群だった。一撃で、白木の首は切
断された。
影は己に課した儀式を終えると、しばし、動きを止めた。達成感よりも、物
足りなさを覚えているように見受けられた。
最後の一人を仕留め、影は、隠れ家に向かうべく、大股で歩き始めた。が、
その前に、気になる物体に目を留めた。
テレビカメラだった。
自分の姿が万一、あれに写っていてはまずい。そのようなことを考え、影は
カメラの側に立った。
背を下にした斧を無造作にかざし、何の感情もない動きで、カメラに叩きつ
ける。人間よりも手応えがなかった。
−−終わり