#3126/5495 長編
★タイトル (AZA ) 95/ 8/29 23:57 (165)
入れ替わる 4 永山智也
★内容
何もかも、順調に運んでいる。まだ休学届けが受理されたばかりだが、誰も
僕のことを疑ってはいない。それは間違いない。でも……。
馬鹿だ。死んでしまうなんて、馬鹿としか言い様がない。
双子だと言っても、いつ死ぬかなんて、突き詰めれば個人の勝手。それはそ
うに違いないんだが、こんなときに死ななくてもいいじゃないか−−正。折角、
おまえを利用して、様々な楽しみが生まれると期待していたのに、これではア
イディアはどれも水の泡になってしまう。
まあ、いい。悔やんでいる暇はない。幸い、父は、僕が正だと信じているよ
うだ。が、僕が正だと名乗ったから、そう思い込んでいるに過ぎない。
しかし、僕は進だ。受験に行ったのは、弟の正だった。
父に言われたように、僕は替え玉になってやるつもりだった。だが、前日、
深刻な顔をして正が僕に言った。「自分が受ける。不正はできない。自分の力
でだめだったら、きっぱりとお父さんに言う」と。
僕は戸惑ったが、瞬時に取るべき行動をはじき出した。弟がそう言うのなら、
危ない橋を渡って替え玉になることはない。ただ、父に替え玉を行ったと思わ
せられたらよいのだ。それだけで、僕は父に対して優位に立てる。
だから、あの日、『正の替え玉になった進』のふりをした正が受験に行き、
僕は、替え玉の疑いを万一にも持たれぬよう、正として健康診断を受けに行っ
た。全てはうまく行くはずだった。例え正が試験に落ちたとしても、裏事情を
父に打ち明けると言っているのだから、僕には関係ない。もしも、正がそのと
きになって打ち明ける勇気をなくしてしまっても、試験なんて水物、僕が受け
ても落ちるときは落ちるとして言い逃れできる。そのはずだった。
それなのに、正の奴、予想外に試験がうまく行って浮かれていたのか? そ
れとも逆に自棄になっていたのか? 交通事故で逝ってしまいやがった……。
自分が死んだと聞いたとき、さすがにおかしな気持ちになった。自分とはつ
まり、松坂進を名乗っていた正のことなのだ。僕はどう振る舞うべきか、悩ん
だ。そのための時間がほしくて、すぐには帰宅しなかったのである。
結論は、『進』になりきろうという風に決めた。無論、これは母やその他の
知り合いに対してで、父に対しては正として接する。思っていた通り、父は「
今後、進になって生きろ」と、僕に命じてきた。思う壷だったので、すぐにも
受け入れたかったが、それでは不自然だろうと思い直し、ああした態度に出て
みた。あれで、父は、僕が正だと思い込んだはずだ。
父との相談では、『進になりきることに不安を覚える正』を演じるため、色
色と泣き言を並べたが、実際は、何の不安もない。僕が僕になりきるのだから、
何も演じる必要はない訳だ。これだけのことで、父をコントロールできるかと
思うと、実に楽しくなれる。
空想めいた思考を走らせていると、不意にノックの音が。
「おい」
父の声だった。今でも、進と呼ぶか正と呼ぶか迷いがあるのだろう。最近、
父は僕を名前で呼んでくれない。
「います」
とだけ言った。すぐに扉が開かれる。
父の顔は険しかった。扉を閉めると、僕の正面に座った。
「聞きたいことがある。吾川修一という奴を知っているか?」
吾川修一と書いたメモを見せながら、父の目は僕をにらんでいる。
「吾川修一? 知らないな」
嘘ではなかった。吾川なんて名前、聞いたこともない。クラスメイトの名前
を、小学校時代から順に思い出してみたが、少なくとも記憶にはなかった。
「おかしいな」
僕が首を横に振ると、父は怪訝そうな表情になった。
「一体、誰なんです、そいつ?」
「最初から話すぞ。今日、会社に刑事が来た」
「刑事?」
日常的でない単語に、僕は思わず聞き返した。
「私が名指しで呼び出されてね。何事かと思ったよ。刑事は、殺人事件を捜査
していると言った。その吾川修一という男が殺されたのだそうだ」
「お父さんの知っている人?」
「知らんよ。まあ、聞くんだ。刑事が言うには、『お宅のお子さん、松坂正君
がこの阿川君と知り合いらしいんですね』ときた」
僕は息を呑んだ。弟の知り合い? そう言えば、高校だったか中学だったか、
弟のクラスに、こんな名前の奴がいたような。いつも、自分のことを目の敵に
して来るんだとか言って、弟の奴、吾川を嫌っていたようだが。
「はっきりと表には出さなかったが、刑事の口ぶりだと、正を疑っているらし
い。目撃者がいる風な言葉をほのめかしたし、何か切り札−−ひょっとしたら
証拠があるような態度も見受けられた。とりあえず、『正は交通事故で死にま
した』と言ってやったが……」
父の目玉が動いた。
「おまえ、どうなんだ。本当に知らんのか? 刑事から聞かされたが、同じ予
備校に通っていたんだろう?」
「それは……」
言葉が出ない。出る訳がない。僕は何も知らないのだ。
「もしかしたら、おまえにも話を聞きに来るかもしれない。松坂進としてのお
まえにだがな」
その松坂進なんだ、僕は。正なんかじゃない!
僕は震える声で、次の言葉を絞り出した。
「……そ、その。『正は死んだ』って言ったら、刑事はどういう反応を見せた
の?」
「すでに知っていたようだ。だが、疑いが晴れている訳じゃないんだぞ。吾川
修一が殺された推定時刻は、あの受験の前日なんだ。そのときには、正は生き
ていたことになっているのだからな」
「ああ……」
「おい、どうなんだ? 正直に言ってくれ。進は吾川を知らないんだから、殺
すはずがない。正、おまえはどうなんだ? この事件に関係ないのか?」
何て答えればいいんだ? そんな殺人事件に関係がないのは明らかだ。僕は
正じゃなく、進なんだからな。
だが、今さら父に打ち明けたところで信じてもらえるのか? それに、何と
か父を納得させられたにしても、警察はどうなるのだろう。松坂正が事故死し
たことを知っているにも関わらず、殺人事件の調査として、僕や父の周辺を調
べているということは……双子の入れ替わりを疑っているに違いない。
刑事がどんな人種なのか、彼らと実際に接した経験のない僕には想像もつか
ない。ただ、彼らを納得させるのは、かなり骨が折れるに違いない。
正の奴……頭が痛くなってきた。
今、終わった。
僕の足下には、男が一人、死んでいる。男の名は吾川修一。
僕、松坂正は満足だ。ようやく、こいつとの下らない関係に終止符を打てた
のだから。
全く、揃って大学受験に失敗するとはね。僕が落ちるのを見越して、あいつ
も悪い点を取ったんじゃないだろうな。まさかね。
しかし、よりによって、同じ予備校に入るとは、腐れ縁もここまで来たかと
笑いたくなったぐらいだ。予備校で争い、大学に入っても争い、社会に出てか
らも争うのかと思っただけで、うんざりしてしまう。
だけど、それも終わりだ。吾川、おまえの、死ぬ寸前、驚きの顔はなかなか
よかった。愛嬌があったと言ってもいい。おまえとの別れが笑いで締めくくら
れるとは、思いもよらなかったが。
これからどうするかな。一時期は、おまえを殺すという行為がばれないよう、
何かと知恵を絞ってみたが、どうもうまくない。今日、おまえを殺したのだっ
て、計画なんてほとんどない。警察の捜査能力を考えると、自分が捕まらない
ようにする自信は持てなかった。
そこで、考え方を変えた。生きたまま、捕まらないでいようなんて考えるか
ら、無理が生じる。犯行後、警察の手が伸びてこない内に、自分が死んでしま
えばいい。死ねば、警察も僕を捕らえることはできない。僕は僕で、吾川に対
して勝利できるのだから、それなりに満足だ。
ところが、自分の死を考えた途端に、新たな発想を得たのだから、不思議だ
よ。その発想とは、僕が殺したいと願う残りの二人−−父と兄貴をちょっと苦
しめてやろうというもの。
受験の帰り、僕が死ねば、みんなはどう思うか? 替え玉受験のことを知ら
ない人は、松坂正が死んだと考える。当たり前だ。
では、替え玉受験をさせたつもりの父は、どうか? 当然、松坂進が死んだ
と信じるだろう。優秀な息子の方を失っただけでも、父はショックを受けるに
違いない。そういう人種だ、あの人は。
それなら、兄貴はどうするか? 『賢明な』我が兄貴のこと、父には松坂正
として接し、他の者には松坂進として振る舞う道を選ぶ確率はかなりあると思
う。今度の替え玉に関して、兄貴の狙いが、父に対して有利に立とうという気
持ちにあるのぐらい、僕にも分かっていたんだよ。
どれほどの時間が必要なのか分からないが、いずれ、警察は『松坂正』に捜
査の手を伸ばすはず。うろたえるのは、父と兄貴の二人だけ。父の外面には著
しく傷がつくだろうし、兄貴にいたっては殺人の容疑から逃れるため、どうす
べきか大いに混乱するに違いない。その様を、この目で見てやりたいぐらいだ
が、残念ながらそれはできない。まあ、僕が送られるのが天国になるか地獄に
なるかは知らないが、死後の世界からゆっくりと見物させてもらうことにする
よ。
進が参考人として、刑事に連れて行かれた日。
美沙子は呆然とした感情のまま、家事に手が着かないでいた。
(正が……人を殺していたかもしれないなんて……。だからあの子、自殺する
つもりで車道に飛び出したのかしら)
そこまで考えて、美沙子は首を激しく振った。
(ううん。そんなこと、あるはずないじゃない。あれは事故。今度の事件とは
無関係よ。進だって、参考に話を聞かれるだけなのだから、何の心配もいらな
い)
自分を納得させてから、さあとばかり、立ち上がる美沙子。
そのとき、玄関のブザーが鳴った。
「はーい」
無理してでも軽やかな声を上げる。
ドアを開けると、郵便配達夫がいた。
「えっと、松坂正さんて方、こちらにおられますか」
正という名に、一瞬、過敏に反応してしまいそうになった。何とか感情を押
し止め、美沙子は笑顔で応じる。
「はい」
「速達です」
小さな封筒だった。大学の名が記してある。
美沙子はそれを押しいただくように受け取ると、
「ご苦労様」
と配達夫を見送った。
ドアをきっちり閉めると、急いで開封する。慌ててしまって、封筒の中身が
かさかさと音を立てた。
やっとのことで取り出した紙を広げる。
(……正ったら……よく頑張ったわね)
そこには大きく印刷されていた。
合格。
−−終わり