#2824/5495 長編
★タイトル (AZA ) 94/10/28 8:10 (151)
女王様に物申す 1 永山 智也
★内容
主要登場人物名の読み方
井口三枝(いぐちみえ) 蒲生勝夫(がもうかつお) 蒲生信江(のぶえ)
蒲生勝夫は、緊張で指先が震えているのに気付いた。こんなことではだめだ
と思い、左手を添えて震えが収まるのを待つ。
一つ、大きく深呼吸をし、勝夫は改めて指を立てた。ゆっくりと、白く小さ
なボタンを目指す。四角いボタンに触れると同時に、指先に力を込めた。
“ピン、ポーン”
やや間延びした呼び鈴の音が、玄関先に立っている勝夫の耳にも届く。
ほとんど間をおかず、インターフォンのスピーカーから、女性の声が流れて
きた。思っていたよりはずっと心地よい声。
「どちら様?」
勝夫はまた緊張してしまい、ごくりと唾を飲み込んだ。そして口を開く。
「あの、井口さんですか?」
「そうと言えばそうだけど……。表札に書いてあるでしょ?」
勝夫の声で何らかの判断をしたのだろう、相手の女性は小馬鹿にしたような
返答をよこしてきた。
「僕、井口さん……井口三枝先生のファンなんです。その、お話を伺いたくて、
来たんですが……。えっと、お仕事がお忙しいのでしたら、出直します」
「若そうな声だけど、君、学生?」
「はい」
「中学? 高校?」
「高校一年生です!」
さすがにむっとして、勝夫は声を大きくした。いくら何でも、中学生に間違
えられるのとは、心外だ。
「怒らないの。どうやら、君は普通みたいだから、いいわ。今から行くから、
ちょっと待ってなさい」
一方的に言うと、インターフォンの声は途絶えた。
勝夫は春先だというのに、額に汗の玉を浮かせていた。門前払いされずに、
とにかく、会うことはできる。そういう安堵感から出た汗かもしれない。
玄関のドアが開いた。明るい色の服を着た女性が現れる。
彼女だ。と、勝夫は思った。姉さんの卒業アルバムに二人並んでいた写真が
あったけど……間違いない。
「あら、真面目に学生服なんか着ちゃって。本当に高校生らしいわね。いいわ。
さ、入りなさい」
彼女は勝夫の目の前まで近付くと、そう言って、すぐにまた中に入ろうとす
る。その足取りは自信にあふれていた。
勝夫は慌てて小走り加減に、相手の背中を追った。
「あ!」
廊下を歩いている途中、いきなり、前を行く井口が叫んだ。そして彼女は立
ち止まると振り返り、勝夫の全身をまじまじと見つめてくる。
勝夫は足を止め、
「な、何ですか?」
と聞いた。相手の遠慮のない視線に、それだけ言うのが精一杯だった。
「やっぱりぃ。あなた、K**高校の生徒でしょ?」
「そうです」
勝夫のその返事と共に、相手は笑いながら歩き始めた。右に曲がって、応接
間のような部屋に入る。
二人掛けのソファが二つ、向かい合わせに置いてあり、その間にはガラスで
できたテーブルがあった。その上には、準備がいいことに、オレンジ色の液体
で満たされた背の高いグラスが置いてあった。
ソファの片方に座った勝夫は、この家の主と向かい合う格好となった。目の
前にいるのが、一部では推理作家の新女王、クイーン井口とさえ称される井口
三枝……。
「知ってる? 私もK**高校なのよ、後輩君」
出迎えてくれたときの口調のまま、井口が言った。
「知っています」
勝夫は硬い口調で答えた。
「だからこそ来たんです。それから僕の名前は『こうはい』じゃありません。
蒲生勝夫っていうんです」
「蒲生……」
勝夫が期待していた通りの反応を、相手は示してくれた。それによって勝夫
自身、ようやく緊張が解け、リラックスできた。自分が言った言葉の、相手に
与えた効果を楽しむ余裕さえできている。
「まさか、この名前を忘れてはいないと思います。珍しい名前ですし」
「君、さっき、ファンだって言っていたのは嘘ね?」
三枝がきつい口調で言ってきた。
「嘘じゃありません。姉と同じ時期、高校の文芸部にいた人が作家デビューし
たって聞いたから、興味を持って読ませてもらいました。それ以来、ずっとフ
ァンです。デビュー作は『エトセトラに隠された死』で、長編第二作が『キャ
ンペーンガール殺人事件』。この題名、出版社から言ってきたんですか? あ
か抜けてませんけど」
「……」
「さっき、インターフォンで言ってましたけど……。普通みたいだって、どう
いうことですか?」
井口三枝に黙っていたままでいられても困るので、勝夫は関係ないところか
ら入ってみた。
「さあね。君みたいな子を普通だって言ったのは、撤回したくなったわ」
「何が普通で、何が普通でないのか、教えてくださいよ」
少しばかりふざけた調子で言うと、井口はゆっくりと口を開いた。
「いいわ。二年ぐらい前だけど、ある推理作家の家に、ファンだと名乗る人が
来てね。その先生は気さくな人柄だったから、相手の身分なんかをたいして確
かめることもなしにその人を家に上げたのよ。そうしたらいきなり、相手が切
りつけてきた。訳が分からないことをわめきながらね。困ったものよ。幸い、
その先生は軽いけがですんで、切りつけた方は捕まったけど。あとで警察が取
り調べても、襲った動機はすっきりしないまま。つまるところ、その人の頭が
おかしかったのかしら。まあ、そんな意味で普通だの、普通じゃないだのって
言ってるの」
「僕は普通じゃありませんか?」
勝夫は、なるべく声を低くして言ってみた。あまり迫力は出なかった。
「あなた、信江の何なの?」
にらむような顔の井口。最初の穏やかさはとうに消えていた。
「弟です」
勝夫の答に、井口三枝はちょっと安心したらしい表情になった。グラスを手
にし、喉を湿してから、相手は言った。
「信江の弟。そうか、どこかで見たことがある顔だと感じていたけど、一度だ
け、会ったことがあるのね。信江のお葬式に行ったけど、あのとき、かしこま
っていた小さな子がいたっけ」
「きっと、それが僕です。でも、記憶力がいいんですねえ。やっぱり、作家と
いう職業のせいですか? 僕の方は、井口三枝さんの顔なんて、少しも覚えて
いなかったという有り様なのに」
「単に、君が幼かっただけよ」
つまらなさそうに答える三枝。彼女はいらいらした様子で続けた。
「それで? いったい、何の用なの?」
「井口三枝デビュー作、『エトセトラに隠された死』について、ちょっと聞き
たいことがあるんです」
真っ正直に勝夫は切り込んだ。そして相手の反応を見る。
「……続けてちょうだい」
三枝は不愛想に言った。
「いいんですか? ひょっとしたら長くなるかもしれませんよ。仕事とか溜ま
っていない……」
「いいって言ってるでしょう」
「じゃあ……。あの、僕が話し終わるまで、なるべくなら口を挟まないでほし
いんですけれど」
相手は年上だ。勝夫はさすがに恐る恐るという感じになって、そう申し出た。
そして上目遣いに作家を見た。
「私はいいわよ」
井口はあっさりと答えた。口元には笑みさえ浮かべている。
「あなたの話が終わるまで、ずっと黙っていてあげる」
「どうも」
頭を軽く下げてから、勝夫は話そうと決めていたことを、頭の中に原稿の形
で広げた。一度、両目をつむり、開く。井口三枝を見やると、押し黙っていた。
「僕はこの春、と言ってもつい、この間ですけど。とにかく、四月にK**高
校に入学しました。ここを選んだのは、信江姉さんが通っていた高校だったと
いうことも、もちろん、あります」
喋り始めて、自分の声がかすれていることに気付いた勝夫は、ジュースを飲
んで、少し咳払いをした。
「どうしたの? 弁論大会は始まったばかりよ」
三枝が口出しした。
勝夫は、これには文句を言わず、すぐに話を再開させる。
「僕は入学してすぐに、文芸部の部室に行ってみました。僕は文章を書く才能
なんてないんですが、姉さんがいた部を覗いてみたかったんです。それだけが
理由じゃありませんけど」
勝夫は相手の反応を窺った。だが、井口三枝の表情に目につくような大きな
変化はなかった。
「文芸部では、古い部誌を見せてもらいました。文芸部が本を出していたこと
は、当然、先生もご存知でしょう? 文芸部にいたんだから」
勝夫の『先生』という言葉に、井口三枝はわずかばかりの反応を示した。
「知ってるわよ。スターダストストーリーズ、略してSDSなんて呼んでいた
わ」
「へえ、誌名がえらく長いなと思ったら、そんな呼び方があるんですか。エス・
ディ・エス」
口の中で繰り返した勝夫。実は、姉から聞いて、部の本に略称があることぐ
らい知っていた。別に意味はなかったのだが、相手にこちらの手の内をできる
だけ知られたくない気持ちが働いたのかもしれない。
「姉さんの作品が載っているのを中心に見せてもらいました。ところが、一つ
だけ、欠けている号があったんです。SDSの十三号なんですけど」
「ふうん」
勝夫が言葉を切ったので、仕方がないように三枝はそんな息を漏らした。
−−続く