AWC 夏、十三(9)     永山


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#2784/5495 長編
★タイトル (AZA     )  94/ 9/30   9:14  (200)
夏、十三(9)     永山
★内容
 意外にも、倫は楽になった。その穴から口の中の血が抜けて行くからだ。
 しかし、それもすぐに苦痛へと変化する。いつの間にか、倫は影の左手一本
に口を(正確にはぐらぐらの歯茎を)掴まれ、ぶら下げられていた。
 影は右手から斧を放した。その自由になった手を、いきなり倫の腰辺りに持
ってきた。
「ぎゃっ!」
 影は右手で倫の身体を下に引っ張ったのだ。当然、影の左手の指は、倫の頬
を大きく切り裂いた。その口は枯れる寸前の赤い薔薇のようである。
 さしもの倫も、これで線が切れた−−。熱を持ちつつある床にへたり込みな
がら、笑いがこみ上げてきた。べろべろになった口から、変な笑い声が出る。
「れへへへふぇ……」

 影は、急に笑い出した倫を、不思議そうに首を傾げながら見た。
 火の手が迫ってきていた。影は始末を着けようと決めた。
 倫の身体をかつぎ上げると、火の手が最も盛んな場所に運んだ。そして影は
倫の両足を持ち、火の上にぶら下げる。
 しかしまだ、倫は笑い続けている。
「へへへふぇふぇ……」
 肉の焦げる臭いが立ちこめる。それはどんどん強くなっていく。それでも笑
い声はやまない。
 影は根負けした気持ちになった。それが屈辱のように思えて、さらに怒りに
燃える。影は倫の身体を左手一本で吊り、斧をもう片方の手に取った。
 目を細め、右手の斧を一度、倫の首筋に当てた。そして−−。
 倫の燃える首は、炎の中にすとんと落ちた。

 アキは聞いてしまった。倫が絶叫するのを。
 彼女はひび割れのある窓ガラスから、隣の小屋を見ようとした。見えにくい
が、赤くなっているのは分かる。激しく黒煙も出ている。
 そして燃える小屋から現れたのは、倫ではなかった。あいつだった……。
 もうだめ……。みんな死んでしまう。
 壁に背中を持たせかけ、アキは膝を抱える。もう涙を流す気力もない……。
 空はぐろぐろと鳴り続けている。かと思えば、不意の閃光と共に大音響が起
きた。夜の闇にぎざぎざの稲光が走った。
 アキは目を閉じ、耳を押さえた。もう、気持ちが爆発してしまいそうだ。
 がたり。外で気配がうごめいた。まっすぐ、影がこちらへ向かってくる……。
 ここを出ないと。アキは立ち上がった。けれども足が震えてしまう。がくが
くと膝が揺れ、またへたり込んでしまいそうだ。
 必死にアキは自分を勇気づけた。誰かがこのことを生きて知らせないと、あ
いつはずっと人殺しを続ける!
 アキは走った。裏から逃げるしかない。そしてどこを通ってもいいから、下
にたどり着かねばならないと思った。
 裏のドアを開け、なるべく息を殺して走る。どこを行こうが、下っていけば
町に出られるはず。そのことだけを頼りに、腰ほどまである草むらの中に、ア
キは飛び込んだ。
 草をかき分け、泳ぐように進む。露出している肌に痛みがある。葉の縁でか
なり切っているのだろう。だが、今はそんなことを気にしていられなかった。
 急に眼前の闇が色を増した。うつ向き加減に走っていたアキは、目を上げる。
 誰かいる! それは巨大な影のように見えた。
 まさか? もう先回りされたなんて……?
 五メートルほど向こうにいる影は、両手を上げた。右手には斧を持っている
のがシルエットで分かる。
「嫌!」
 アキは気がおかしくなりそうなのをこらえ、向きを換えた。その刹那、激し
く雷鳴がとどろいた。
 辺りが明るくなったが、アキは振り返りもせずに草の海を引き返す。
「へへ」
 背中から息苦しそうな声がした。アキは初めて追手の声を聞く機会を得たの
だが、もはや彼女の耳はその機能を果たしていなかった。恐怖で精神が正常に
働いていない。
 再び小屋のある場所まで戻ったアキ。そこでアキは何かに躓いてしまった。
それは藤本利香の遺体だったのだが、そのことにもアキは意識が向かなかった。
ただ、背後から迫る恐怖におびえる。
 アキはしりもちをついた格好で、後方を確認する。もうあの斧の先が見えて
いた。血の象徴のよう……。
 アキは必死に立ち上がった。が、血と雨とでぬかるんだ地面に足を取られ、
さらにバランスを崩す。
 もう……立てない……。
 影が迫っていた。余裕を持っているのか、非常にゆっくりとした足取りだ。
 影はアキの一メートルほど手前で立ち止まり、何やら確かめるような仕種を
見せた。そして−−。
「ア、キ!」
 明瞭な発音ではなかったが、影がそう叫んだようにアキには聞こえた。叫び
ながら、影は両手を振り上げている。
 ああ、私も殺されるんだ……。こんなことになるなんて……。
 意識が真っ白になりながら、アキは最期の覚悟を決めた。そのときだった。
 がびっ、しゃーん!
 形容できない轟音が、アキのすぐ目の前で起こった。全く同時に、すさまじ
い光が発せられ、アキは強い力に吹き飛ばされた。
 うつ伏せに倒れるアキ。泥だらけの顔を上げ、目元をこすった。彼女の目が
とらえたのは、両手を上げたまま固まったように動かない、影であった。その
全身は黒こげになっており、一部には火が着いている。それからスローモーシ
ョンのように、影はぐらりと顔から地面に突っ込んだ。
 アキは口をぽかんと開け、光景を見ていた。
「……か、雷……」
 やっと起きたことを理解したアキ。自然に涙があふれてくる。
 助かった……。もうあいつはいない。天罰が下ったんだ。
 心の中、次々と言葉を浮かべていたアキ。その彼女の脳裏に、ふと、一つの
疑問が沸き起こった。それはあまりに意外だったので、彼女は思わず口に出し
て言った。
「どうして……」
 倒れたままの影を見つめるアキ。
「どうして、あいつが私の名前を呼んだの? どうして知っていたのよ!」
 分からなくなって声を張り上げるアキ。そんな彼女の肩に、手がかけられた。
びくりとして振り向くアキ。
 彼女は肩越しに見た。あいつが−−巨体を持つ、メタリックなアイマスクを
した「影」がいるのを。
「え!」
 アキの悲鳴は長くは続かなかった。影は両手でアキの頭部を包み込むと、ぐ
しゃぐしゃと力を込めてきた。そして片手でアキを持ち上げ、背中から斧を取
り出した。
 斧はアキの小さくしぼんだ顔を、その身体から見事に切断した。

 燃え上がる小屋を横に、影はかたを着けることができて、内心、ほっとして
いた。煙を見て消火作業にやって来る者がいるはず。その前に皆殺しにせねば
ならぬと焦っていたのだ。
 最後の一人を探して、また登山道を探していたのだが、見つからなかった。
そうしていると、反対側の小屋の方から、ざわめきが聞こえてきた。見ている
と、一人の少女が走ってくる。その背後に、斧を手にした血塗れの男がいた。
 少女は男を「俺」と勘違いしたようだな。影は薄く笑った。
 落雷を受け男が倒れたので、少女は安心していたのだろう。泣きじゃくって
いた。そいつの後ろから手をかけ、姿を見せてやったとき。少女の表情ったら
なかった。あの恐怖に満ちた顔を見ただけで、影は満足し、少女をすぐに殺す
ことを決めたのだ。
 そして今、影は雷に倒れた男の方に近付いていった。影は、少しの間、上か
ら黒こげの男を眺めていた。そしていきなり、大きな足で男の腹を蹴り上げ、
仰向けの状態にさせる。
 顔の皮膚も焦げていた。それに頭部は原形をとどめていないほど潰されてい
た。が、その顔は確かに鮫島雅志のものであった。
 影はこの男が生きていたことに驚いていた。が、逆に感謝もした。この男が
蘇生し、少女−−多分、この男の娘だろう−−を見つけて抱きしめようとした
ことで、影は探していた少女を発見できたのだから。それに男の舌を引き抜い
ていたことが幸いした。もし男が喋ることができたら、娘もすぐに気付いたで
あろう。しかし、舌を失った男の必死の叫びは、娘に届かなかったのだ。
 影はまた笑ってから、儀式に取りかかった。両手で斧を大きくふるい、完全
に息の止まった鮫島雅志の首を、薪でも作ってみせるかのように切り落とした。
 それから、まだ儀式を行っていない遺体の方へ目を向ける。若い女からだ。
影は倒れたままの藤本利香の横に立つ。もっと残虐なやり方で命を奪ってやり
たかったな。影は少し後悔してから、先ほどと同様に斧で首を切断した。
 ついで、影はもう一つの遺体を探した。腕を切り落とし、額を割っただけで
放り出しておいた女の遺体を。
 しかし、それは中断せざるを得なくなった。登山道の方が、かすかであるが
騒がしくなっている。悪天候のこの深夜に消火に来たのか、そうでなくても様
子を見に来た連中がいる。
 影は舌打ちをした。身を隠すしかないな。自分だけが知っている住処へ……。


<緋野山で大量殺人
 二十日深夜、Q県L郡の緋野山中腹にある小屋の一つから、火の手が上がっ
ているのが発見、報告された。深夜と悪天候のため、迅速な消火活動が取れず、
先発隊として地元警察署から数人の警察官が現場へと向かい、同日午前二時過
ぎ、現場へ到着。近くの雑木林の中で、意識を失っていた鮫島晶子さん(三八)
を保護した。晶子さんは額と片腕に重傷を負っていたが、生命に別状はない模
様。晶子さんは家族や友人と共に前日の昼から同山に登り、当夜は小屋で一泊
の予定だった。
 意識を取り戻した晶子さんの話によると、登山に参加していたのは自分達と
もう一つのグループで、合わせて十二人。その内、彼女自身を除く十一人が巨
大な「影」に殺されたと言う。ただし、彼女は精神的・肉体的に衰弱しており、
証言は要領を得ず、警察では彼女の回復を待って、詳しい証言を求めると共に、
現場付近一帯の捜索に力を入れる方針である。
 晶子さんの証言以前に、警察は小屋の内部や周辺を調べ、全焼した小屋の中
から一体、その前庭に四体、遺体を発見しており、晶子さんの証言を裏付ける
ものと見なしている。なお、五人の遺体は全て頭部を切断されていた。
 鮫島晶子さんの証言によると、彼女自身は夫の雅志さん(四二)が「影」に
襲われているのを小屋から目撃、玄関から出ようとしたところを襲われた。最
初に腕、次に額を斧のような物で殴られ、意識を失ってしまった。気が付くと
辺りに誰も居なくなっていたが、その場から逃げ出そうと思った。しかし、腕
の激痛に耐えかね、雑木林に入ったところで気絶してしまったと言う……>

<全遺体、発見される
 二十二日、警察は緋野山で十九日から二十日の夜にかけて起こったと見られ
る大量殺人の犠牲者十一人全ての遺体を発見したと発表した。
 先日見つかった方と合わせ、亡くなったのは次の方々である。
小屋の前庭にて発見……鮫島雅志 鮫島亜紀 宮田優一 藤本利香
小屋の中にて発見……大沢倫
小屋より下の登山道脇にて発見……大沢留美
小屋より上の登山道脇にて発見……栗山陽介 寺坂友恵
小屋周辺の探索道にて発見……安川佐知代 錦野博樹 錦野安彦

 事件の関係者の略歴は次の通りである。
鮫島晶子 (三八) 雅志さんの妻。事件の生存者
鮫島雅志 (四二) **銀行勤務。晶子さんとは再婚
鮫島亜紀 (一三) **中学一年。雅志さんの前妻の娘
大沢留美 (一三) **中学一年。亜紀さんの同級生
大沢倫  (一六) **高校一年。留美さんの兄
藤本利香 (二〇) **大学二回生。同大学ワンダーフォーゲル部所属
安川佐知代(一九) **大学二回生。藤本さんの友人
栗山陽介 (二九) フリーのコンピュータプログラマー
寺坂友恵 (二八) ソフト工房**勤務。栗山さんの友人
錦野博樹 (二一) **大学三回生。同大学空手部所属
錦野安彦 (二一) 総合商社**勤務。博樹さんの双子の弟
宮田優一 (三〇) 空手教室師範(自営)。錦野博樹さんの先輩にあたる

 なお、晶子さんが証言した「影」についても徹底的な捜索が行われているが、
今なお、見つかっていない。
 また、現場付近の草むらに「JUZA−−十三」と縫い取りのある青い切れ
端が落ちていたのが見つかっている。これが晶子さんの言う「影」と関係して
いる物かどうか、警察は調査中である>

           *           *

(倫君……)
 精神に障害ありと見なされ、病院に収容されている晶子。彼女は心の中、つ
ぶやきを繰り返す。
(倫君、留美ちゃん、そして亜紀……。ごめんなさい……見捨てて逃げてしま
った……許して……)

−−終わり

 本作は綾辻行人の某作品に触発を受けた物です。以後、行方知れずとなった
「JUZA−−十三」の物語を書く機会があれば、陸野空也名義で書きます。




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