#2772/5495 長編
★タイトル (AZA ) 94/ 9/30 8:33 (168)
誰が為の夜 1 永山
★内容
がたのきている扉がノックされたのは、もう、そろそろ閉めようかと思った
ときだった。立ち上がりながら、冷え切ったブラックコーヒーを飲み干したの
がいけなかった。さっさと明かりを消してしまっておけば、今日も一日、静か
に終えられたものを。
ノックは立て続けに起こった。俺が返事さえしないものだから、いらいらし
ていると見える。
「はい、開いてますよ」
自分の声ががらがらであるのに気付いた。客商売だ、一応、うがいでもして
おこう。
「あの、こちらは探偵社でしょうか?」
うがいをしてから顔をタオルで拭いていると、ノックの主が入ってきた。
「表の看板にある通り、ここは探偵社です」
今の俺にとって、客はどうでもよかったので、そんないい加減な口調になっ
てしまう。まあ、これで帰ってしまうようなら、大した依頼じゃないのだと断
定したい。
「所長さんでいらっしゃますか」
入ってきた男は、おどおどした態度で聞いてきた。見た目はぴしっとスーツ
に身を固め、眼鏡や時計、ネクタイなんかも一流品のようだが、中身の方はそ
うとは限らないらしい。
俺の方はよれよれの背広−−仕事着であり、冠婚葬祭何にでも使える便利物
だ−−を着こなしている。この外見から、相手の男は俺のことを単なる粗野な
人間だと判断したらしく見受けられる。そこが一流でない。
「どんなことでも引き受けてもらえるのでしょうか」
奇妙なまでに揃えられた髪をなで上げながら、男は言った。その言い方は、
勇気を振り絞っている感じだ。
「内容によります。少なくとも、あからさまに法に引っかかるようなことはお
断りしたいですね」
「いえ、法に触れるなんてことはございません」
きっぱりと言い切る男。どうやら、本気でこの俺に相談したいらしい。俺は
椅子をすすめることにした。
「ま、おかけください。所長の相原克です」
「あ、どうも。私は」
と、男は内ポケットに手をやった。身分の説明にはなっていても証明にはな
らない紙切れ−−名刺の登場だ。
「こういう者です」
自分の口で説明すればいいものを、男は名刺をテーブルの上に置いた。仕方
なしに、俺はそれを手に取り、読み上げてやった。
「芸能プロダクション G−セット 長辺広直さん?」
「おさべひろなお」と振り仮名があった。なければ、「ちょうへんこうちょ
く」と読んでしまいかねない。
「はい、そこでタレントのマネージャーなんかをやっております」
いやにへりくだって、長辺なる男は言う。探偵なんぞにへりくだるとは、こ
の男、普段から頭を下げまくっているのではないか。
「芸能プロのマネージャーさんが、どんな用件でしょうかね?」
「杠葉達也の命を護ってやってほしいのです」
「杠葉達也と言うのは?」
おおよそ、見当はついていたが、俺はそのように返した。
長辺は一瞬、あの杠葉達也を知らないのか、とでも言いたげな顔になったが、
すぐに平常に戻った。
「うちのタレントの一人です。もちろん、私が面倒を見ています」
「タレント、便利な言葉ですな」
「は?」
「いや、何でもない。さっきのは冗談で、杠葉達也ならテレビで見たこと、あ
ります。確認のために、わざと伺ったんです」
「そうでしたか」
何とも言えぬ複雑な表情になる長辺。こちらは別にからかっているつもりは
ないんだが、どうもテンポが合わない。
「それで、命を護るのどうのとは、穏やかでない。いきさつを説明してもらえ
ますか」
「はい。実は何日か前から、こんな物が私共に、より正確には杠葉達也宛に来
るようになったんです」
胸ポケットから、正方形に折り畳んだ一枚の白い紙が出てきた。当たり前だ
が、白いのは裏だけで、表には文字があった。いや、文字があるから表だと認
識できるのに過ぎない。
長辺が、声に出して読んでくれと目で訴えかけてくるようなので、その気も
ないのに俺は文字の羅列を読み上げた。ワープロ文字だ。
「『これは警告である 杠葉達也はテレビに出るな 映画に出るな 大衆の前
に現れるな 以上が守られぬ場合 杠葉の生命は保証できない』ですか。簡潔
で分かり易い」
「感心されては困ります」
「意味不明な物をよこされるよりは、救いがありましょう」
「それはそうでしょうけど、ねえ」
「これ、何通目ですか?」
俺は脅迫状をひらひらさせながら、話を進める。
「どうだったでしょうか。事務所だけに来ていたのではないので……。少なく
とも十通以上、来ています」
「その数は多い方で?」
「は?」
「芸能界の裏側では、この手のいざこざが多いと聞いた記憶がある。単なるい
たずらで脅迫状めいた物を送りつけてくるような例もあるでしょう? そんな
場合を比べて、十通以上とは多いのか少ないのか、ということです」
「ああ。いや、数だけならもっと凄いのも経験してますよ、うちは。百通ちょ
うどが記録ですね」
「百通?」
俺はらしくもなく、驚いてしまった。
「もっとも、それは脅迫状なんかの類でなく、ファンレターでしたけど。でも、
ファンレターとは言え、百通も立て続けに来ると、ちょっと不気味なもんがあ
ります」
「なるほど、ね。さて、そろそろ本題に入りたい。まず、聞きましょうか。こ
の脅迫状の差出人が本気だと、あなたは考えているんですね?」
「はい。私だけでなく、事務所の者はほとんど」
「そう判断した理由は? この他にも似たようなケースはいくらでもあったと
思うんだが」
「うーん、具体的には何もされていないんですけど……これまでのいわゆるい
たずらの手紙は、粘着質なんです。ねちねちとあることないこと悪口を書き立
てた、陰湿な内容です。ふざけたイラスト付きのもありました。ですが、今度
のはご覧の通り、いたって簡潔。乾いた感じさえします」
「それだけの理由? それでしたら警察に頼んでも……」
「はい、相手にされないでしょう。いえ、実際に警察に頼もうとしたんですが、
知り合いの知り合いに弁護士がいまして、その人から『警察はその程度のこと
では動かない』と言われたのです」
眼鏡をずり上げながら、長辺は続けた。
「だからこそ、相原さん、あなたに頼もうと」
「ほほう。この私でなければならない? そんなことはないでしょうなあ。想
像するに大方、お抱えタレントの番組収録が延びているもんで、それを利用し
て手近な探偵事務所に飛び込んだってとこじゃないんですかね」
「……その通りです、すみません」
長辺はテーブルに鼻をすり付けんばかりに頭を下げた。なに、どうせ頭を下
げ慣れた人間のすることだ、気にならない。
「まあ、引き受けた依頼には全力を尽くしますがね。で、何を求められている
んです、あなた方は」
「ですから、杠葉の身を護っていただきたいと」
「ボディガードということですか? それだったら元々、ふさわしい人を雇っ
ているもんじゃないんですか?」
「欧米の大スターならいざ知らず、日本の一タレントに過ぎませんから、杠葉
は」
「ならば、いわゆる暴力団とのつながりはないんで? 護ってもらうなら最適
だ」
「とんでもない! うちはそんなところじゃありませんよ」
さすがにこのときばかりは、長辺も顔を真っ赤にして声を張り上げた。が、
すぐに、元の顔色に戻る。瞬間湯沸かし器みたいな奴だ。
「狙われる心当たりは?」
「ないです。杠葉にも聞きましたが、きっぱり、ありませんと」
「じゃあ、犯人の奴はただの有名人嫌いかな。仮にそうだとして、そちらの杠
葉達也がターゲットにされる理由、何かありませんかね」
「やはり……人気が上昇中ということじゃないでしょうか。この三月からコマ
ーシャルに出て、一気に売れましたからね」
「ふん。では、もう一つ考えられる犯人像、つまりライバルによるけ落としだ
とも考えられる。殺すのどうのは本気でないということです。そうとしたら、
思い当たるのは?」
「ライバルのプロダクションとなりますと、そりゃあ、他の芸能プロ全てと言
ってもいいでしょう。もちろん、杠葉とは系統の違うタレントばかりを抱えて
いる芸能プロもないことないですが」
「特別に関係がうまくいっていない芸能プロの事務所ってのは存在しないんで
すね?」
「そのつもりです」
やや自信なさそうになる長辺。
俺は最初、この態度を何かを隠しているせいかと考えたが、そうではないら
しい。事務所の社長じゃないと分からないという意味なのだ。
「おっと、聞き忘れていた。その脅迫状、郵送されて届いたんですか?」
「いえ、違います。事務所宛に来るのも杠葉の家に来るのも、直接、郵便受け
に入れられたようなんです」
「ほう」
事務所以外にも来ていたのか。それを早く聞きたかった。
「事務所の住所はともかく、杠葉達也の住所を知る者は少ないはずですね?」
「はい。外部、つまりは一般ファンに漏れ出ぬように努めています」
「だったら、かなり絞りやすい。脅迫状を出したのは、タレントの住所を知っ
ている者。しかも、何度も足を運んでいることから割に近くに住んでいる可能
性が強い」
「ああ、なるほど」
呆れたことに、長辺を初めとする芸能プロの人間はこんなことにも気付いて
いなかったようだ。俺をおだてるために、わざと感心したのでもなさそうであ
る。ある程度、切れ者じゃないと芸能界は渡れないんだと思っていたが、馬鹿
なタレント−−バカタレのお守りをして頭の回転が鈍くなることも往々にして
あるのだろう。
「よし、この状況なら一人の力でもどうにかなりそうだ。引き受けますよ」
「ありがとうございます。いえね、引き受けてもらえなかったら、どうしよう
かと思っていたんですよ。こっちは事務所の秘密を喋ってしまったもんですか
ら、それをネタにどうにかされるんじゃないかと」
「依頼されるからには信用していただきたいですねえ。そんな脅迫の材料とし
て、依頼人の秘密を漏らすなんてことはしない」
「ええ、もちろん、信じますとも」
と言ってから、彼は時計を見た。かと思ったら、すぐに立ち上がる。
「時間がなくなったので、ここで失礼をします。明日、正式に依頼に参ります。
そのときはまた、よろしくお願いします」
そうして、長辺は出て行った。
−−続く