#2779/3137 空中分解2
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Yの殺人 5 平野年男
★内容
「鳥部さんは洋二さんとは親しかったそうで」
吉田は今にも海の匂いが漂って来そうな家を訪ねていた。元漁師の鳥部達雄
の家である。
「親しいだけじゃ言葉が足りんな。大の親友だった」
鳥部は怒ったような自慢するような声で言った。そうして片足を引きずりな
がら椅子に腰掛ける。
「ほお、そうですか。で、その大親友が亡くなったときに、ご自身は何も知ら
ずにこちらで横になっていたというのは、残念でしょうなあ」
さすがに正面切ってアリバイを聞く訳にも行かず、吉田は考え考え喋りかけ
る。
「ん、そうだな。野球なんてどうでもいいのにな。ついテレビを見ちまってた。
何で死んだんだろうな、あいつ。刑事さん、知らないかね?」
「それをお聞きしたくてお邪魔させてもらったんですが。どうでしょう?」
「ううん。分からねえ。自殺する前に相談をくれてもいいんじゃないかなあ」
「自殺かどうか、怪しいとしたら、どうです?」
「うん? 何だって? 自殺じゃないってことはどういうことだ?」
「はっきり申しますと、殺されたのではないかと」
「そんなはずはないねえ。あいつが、洋二が自殺するのは変だが、殺されると
なるともっと変だ。あいつを恨むような奴はいねえ。何ちゅうのかね、勉強ば
っかしてて」
「学究の徒ですか、それとも学者肌……」
「そんなとこだ。そんな生真面目な奴で、ちょっとは煙たいとこはあったかも
しらんが、殺すようなこっちゃないな。何だっけ、今のかみさんの前の旦那の
子供をちゃあんと受け入れて、心の広いもんだ」
「神尾留依さんのことですね」
吉田は相づちを打ちながら、次に何を聞くべきか考える。考えている内に、
この老人が犯人であるはずがないと思った。こうして目の前で見ると、鳥部の
足は相当悪い。こんな身体で畑洋二をビルから突き落としたり、雨の中で殺人
を犯せるはずがない。
「えっと、あなたは畑の他の人達とはうまく行っていましたか?」
「どうかねえ。そこそこ親切にされてたけど、やっぱり、どこか嫌われてたん
じゃないかねえ。洋二が死んだのだって、すぐには知らせてくれなかったしな」
「そうですか。では、最後に、洋二さんと知り合ったのはどんなきっかけがあ
ったんで?」
「きっかけかあ……。どうだったかな。忘れちまってるな、いかんいかん。四
十年ぐらい前だったよな、多分。まだ漁をやってた頃だ。船酔に関係して何か
研究してたんだな、洋二は。それでわしのとこに調べに来てたんだ。そうだそ
うだ。何かうまがあったんで、それから友達付き合いだ。あの頃は名前も畑じ
ゃなかった」
話が長くなりそうな雰囲気だったので、吉田は相手の話を遮った。そしてそ
れを辞去の挨拶とした。
「どうもありがとうございました。もし畑洋二さんが殺されたのだとしたら、
必ず犯人を捕まえます」
全員を訪ね直したが、成果は以前と変化なかったようだ。それと言うのも、
畑洋二の死が自殺なのか他殺なのか、それとも事故死なのか決定できないのが
大きかった。事故死の可能性は薄い。わざわざ初めてのマンションに足を運び、
そこで事故死するのはおかしいからだ。
だが、自他殺の判定は着かない。幽霊マンションだけあって目撃証言も乏し
く、畑洋二が何も遺していないことも困難さに拍車をかけていた。
「女主人の前夫の神尾友康関係で何かないか調べてみましたが、何も出ません
でしたしね」
吉田の同僚・浜本刑事が言った。
「そうだな。娘の留依も人間関係だけで言えば怪しいんだが、実際は畑洋二は
実の娘と同じように扱っていたみたいだ。
今度の二つの変死は、他殺にしては共に動機が不明瞭なのが最難関だ。小室
は全然殺されるような点のない人間だし、畑洋二の件はほとんどの関係者にア
リバイがある。ないのは誰がいた?」
「待って下さい、今、調べますから」
浜本は書類の山の中から、表としてまとめた物を見つけ出した。
「鳥部老人と弁護士の日熊ですね。あと、畑恵美と朝原育美がお互いの証言で
屋敷にいたことになっていますが、これを疑うかどうか……」
「あの二人には足がないからな。車でも転がせりゃ別だが。弁護士には小室殺
しでアリバイがあるし、鳥部老は足が悪くてとても殺人なんてできるとは思え
ない。こりゃあ、畑洋二の方は自殺だったと判断するしかないか」
「つまり、連続殺人としてみるのではなく、小室の事件だけを考えるんですね」
「そうだ。そうなると、動機は依然として不明だが、アリバイの点で少しはす
っきりするだろう」
「はあ。ですが、弁護士以外には誰もアリバイがありませんからね、小室殺し
では」
確かにそうであった。ほとんどの関係者にアリバイがないのだ。
「こうなると、彼の出馬を頼むか」
吉田は思い切ったように言った。
「彼とは?」
「彼だよ。探偵の流次郎」
吉田は一種、畏敬の念を抱きつつ、その名を口にした。
流次郎。この名を耳にした人は多かろう。「文庫本殺人事件」や「小学校殺
人事件」、「不思議荘の殺人」といった難事件を解決した彼は、その意志とは
無関係に有名になりつつあった。吉田も数々の事件で流の知恵を借りている。
警察がパトカーで探偵事務所に乗り付ける訳にも行かないので、捜査用の普
通車を使った。事務所が見通せる道に出ると、事務所横にバンが停車されてい
るのも目に入った。流の車だ。うまい具合いに在宅しているようである。
「流さん、久しぶりです」
流次郎探偵事務所と書かれた扉を押すと同時に、吉田はそんな言葉を飛ばし
た。背後には浜本刑事が続く。見ると、受付の流秋子の机に両手を突っ張って
話し込んでいる流次郎がいた。鋭い目がほんの少し優しくなったかと思わせる
程度で、以前のまま。長い足も高い鼻も、長髪さえも変わっていない。
「おや、吉田刑事じゃないですか。どうしました?」
「邪魔ではないですかな?」
「とんでもない。依頼でしたら受付を通して下さいよ」
真面目すかして言った流はひとしきり笑うと、どうぞとばかりに吉田と浜本
を奥の部屋に招き入れた。
「東さん達はどうしてます?」
腰掛けながら、吉田は流の部下のことを尋ねた。
「ちょっと雑事を。有名になったからと言って離婚騒動の依頼がなくなる訳は
ないですし、断わる理由にもなってませんからね。で、東達にやらせてるんで
す」
「もう一人、平野年男先生はどうしてます?」
今度は、流の探偵譚を物語にしている作家のことを聞く吉田刑事。「先生」
という呼び方は、もちろん冗談である。
「締め切りってやつですよ。暇になれば姿を見せるでしょうねえ、次のネタ捜
しのためにも。さあ、いい加減、用件を話してもらえませんか」
「う、うむ。実は」
吉田は畑洋二が死んだ事件と、小室が殺された事件を続けて聞かせた。
「畑洋二氏が転落死したのは割と大きく報道されましたから、僕も知ってます
よ。そうでしたか、あの畑家に関係のある人物が、屋敷のすぐ近くで殺されて
いたんですか」
聞き終わった流は、まずは簡単に述べた。
「で、何が問題なんです?」
「先ほども言いましたが、畑洋二の死が自他殺の判定ができないこと。小室殺
しについての動機が皆目見当がつかないこと。それから、小室の背中に泥が塗
りたくられていたことが大きな問題ですかね」
「ふうむ」
文字にするとおかしいが、こう流はため息をついて考える風にしている。
「まだ手を着けたばかりで不確定なことしか言えませんが、最初にある点を確
かめておきたいのです。と言うのは、ある人物のアリバイなんですが……」
「アリバイでしたら、全員のを言ったでしょう、さっき」
流の言葉に対し、ややいらいらした口調で吉田は応じた。
「いえ、僕が聞きたいアリバイは入ってない」
「誰なんですか、それは?」
「小室二郎」
探偵・流はきっぱりと言った。
「何だって? 小室は被害者だ。死んでいる」
「落ち着いて下さい。小室が畑洋二の事件に関係している可能性を追及したい
んです、僕は」
そう説明されて、吉田はようやく相手の言いたいことが呑込めた。
「そうか! 小室が洋二を殺した可能性が皆無とは言い切れない」
浜本も感心したように叫んだ。
「分かりましたよ、流さん。ハナから言ってくれれば分かったのに、人が悪い
ですな」
「そんなことより、事件がこれで終結するのか、それともまだ続きそうなのか、
そこについても警察の意向を聞きたいな」
「いや……そんなこと、考えてもみませんでしたなあ。何かの理由で畑の人間
の誰かが小室を殺したんだとしたら、殺人が続くことも有り得るかもしれませ
ん」
「最近の連続殺人犯は、予告状を出してはくれませんからね」
皮肉っぽく言った流は、さらに質問を続けた。
「淵なる大学院生と畑家の長女とはどの程度なんですか? 結婚するとしたら、
畑に嵐をもたらす要因となるでしょう?」
「言われてみりゃ、そうですな。さあて、色恋沙汰となると、見た目だけじゃ
分かりませんからな」
「他の畑の人はどう思ってるんです?」
「わしらが至らないところばかり突いてきますな。そうですな、妹の百合子は
あっけらかんとしていてどうでもいいみたいな雰囲気でしたが、他はどうだろ
う」
吉田の言葉を継いで、浜本が口を開く。
「畑孝亮・昌枝の夫婦は、淵を好ましく思っているようです。まあ、息子の家
庭教師として見た場合だけかもしれませんが。女主人の畑恵美はどうでしょう
ねえ。かなりしつけに厳しそうな一面を見てますが、大学院生なら娘の相手と
してはまずまずでしょうし。職が安定していないのが引っかかる程度で」
「何も浜本さんが心配することはないでしょう」
と、おかしそうに笑う流。その笑みが消えぬ内に、彼は言った。
「とにかく、畑屋敷の皆さんに会ってみたいですね。聞くと見るとで大違いと
言いますしね」
−続く