AWC 無題       今朝未明


    次の版 
#1051/3137 空中分解2
★タイトル (AZA     )  91/ 7/19   7:52  (200)
無題       今朝未明
★内容
 眼下には、傲然たる都市の、天の高みに挑むが如き街並みが広がっていた。数多く
の塔の聳え立つ街の様は、閲兵の際、幾千もの兵士たちが各々の槍を掲げ、不動の姿
勢で整然と立ち並ぶにも似ていた。黄金に塗られた尖塔はすべて月に届かんばかりに
高く、そしてその最上階には巨大な篝火と、炎の明るさを増幅する玻璃盤とが置かれ
、金色のまばゆい光を街路に投げ掛けている。それに加え、街の主要な建築物のほと
んどは微光を放つ雲母石であったために、塔より地上に落ちてくる輝きはきらきらと
反射し、あたかも街そのものが発光しているかと思われた。
 闇に沈む平原の、唯一つのしかし巨大な灯火である街を見、さらにその中で繰り広
げられる、奢れる人々の不遜で救い難い醜態を見、ソールディースは皮肉で傲慢な冷
笑を浮かべた。その微笑の前には、街はへりくだった狂信者の如くに見えた。
 ソールディースは三十二枚の夜黒の翼をさわさわといわせつつ、街の中心にある神
殿へと、蝕まれた太陽の瞳を向けた。
 神殿の奥院、神像の前にしつらえられた黒大理石の祭壇には、折しも生贄が引出さ
れたところであった。生贄は、つい最近の戦いで捕虜となった異国の乙女であった。
亜麻色の髪の美しい乙女は、恐怖に目を見開いて、己の心臓の上に突き立てられよう
とする短剣を見つめている。しかしその恐怖も長くは続かぬ。短剣を扱う神官の手は、
正確かつ迅速であった。
 短い苦鳴。それが絶えぬうちに、未だに痙攣の止まらぬ心臓が抉りだされた。神前
に捧げられた深紅の塊を見て、中庭に居並ぶ群衆は己等の神の栄光を称える歌を歌い
始めた。
 第二、第三の生贄が祭壇に捧げられては中庭に落されるにつれ、敬虔なる信者たち
の血の興奮は、やがて隣りあう者にも向けられた。
  ソールディースは、酔った様に殺し合いを始めた群衆に、再び凍り付いた笑みを投げた。己の名を呼ぶ、己の信徒達に。この都市は、闇と秘密の神、ソールディースを
崇める街であったのだ。しかしソールディースの微笑みは満足とは縁遠く、嘲りしか
伺えなかった。
 血なまぐさい儀式と、街を覆い始めた暴行と殺戮の狂気が高まるにつれ、ソールデ
ィースの周囲には鳥めいた影が現れるようになった。
 それは人々の『祈り』であった。狂気に支えられた凄まじい強さの『想い』が、翼
とおぼろながら実体を持って、ソールディースの棲むこの世ならぬ雪山にまで飛んで
きたのであった。
 『祈り』は常の如くに雑多で、ほとんど総てが浅薄で自己中心的であり、その性質
はその儘の姿をしていた。しかしながら、ごく少数は、優美で無垢なものであった。
それらは次第に数を増し、ソールディースの廻りを旋回し、ぱたぱたと翼を振ってソ
ールディースの注意を喚起しようと努めた。
 ソールディースは戯れに、うるさく飛び回る鳥ならぬ影の一つを捕らえ、もがく翼
を掴む手に、軽く力を加えた。影はたちまちのうちに塵よりも細かく砕けて、空に溶
けた。溶け失せる瞬間、『祈り』の主の苦悩や身勝手な絶望、根拠のない誇りの香り
がおぼろな鳥から立ち上り、ソールディースの鼻を突いた。
 無造作に、そして退屈げにソールディースは捕らえては消滅させる作業を続けた。
それらを消滅させることは、ソールディースにとっては手の一振りで事足りたろうが、
そうはしなかった。それは単なる時間潰しの為であったかも知れぬし、己を崇めるこ
とのあまりに激しき故に、ついに己に姿と実体を与えた己の信徒達への、ささやかな
慈悲であったかも知れぬ。ソールディースは、今の姿が気に入っていた。
 やがて、東の果てが白み始める頃になって、ようやく影の姿がまばらになった。ソ
ールディースが昇りくる太陽に目を細めたその時、その肩に一羽の鳥が止まった。冬
の空めいた蒼さを持つ、他とは比べものにならぬ程に確固たる実体を有した『想い』
であった。
 ソールディースは鳥を手にし、それを生みだすに至った『想い』を読み取った。
「!」
 ソールディースは興味を覚えた。何故なら、その『想い』は、これまでにソールデ
ィースに向けられたいかなる『祈り』にも似ていなかったのだから。それは、滅びへ
の渇望であったのだから。
 『想い』には、いかなる感情も含まれておらず、それ故に鋭く激しかった。これほ
どに純粋な自己破壊の念に触れたのは、これが初めてであった。死を夢見る狂人の想
いすら、この前には児戯に等しいものであった。
 まるで新しい玩具を与えられた子供のような微笑みを浮かべて、ソールディースは
滅びの色である青一色に染まった鳥を撫でつつ、この『想い』の主を思い描いた。蒼
い深淵の如き瞳を持つ、斜陽の金色の髪の姿を。
 そして三十二枚の翼を広げると、ソールディースは肩に鳥を止まらせた儘、未だに
篝火の燃える街へと降りていった。

                  ★

 ソールディースは青年の姿をとり、街の中へと紛れ込んだ。足もとには酔漢や死体
がごろごろと転がり、歩きにくいことおびただしかったが、それでもソールディース
は街中を隈なく歩き回り、肩の蒼い鳥の主を捜し回った。だが、なかなかソールディ
ースの求める者は見付からず、滅びを求めるかの者は、昨夜のうちに騒ぎに巻き込ま
れ、命を落としたのではないかと恐れた。
「そうではないことを祈るしかあるまいな」
 今や誰から見てもまことの鳥としか見えぬ『祈り』に向かって、ソールディースは
囁いた。鳥の眼は告げた。誰に祈るの? ソールディースは嗤って答えなかった。
 陽が高いうちは、街中はひっそりと鎮まり返っていた。しかし家々の地下室や建物
の蔭には、昨夜の名残の行為がわだかまっていた。だが、それを除けば、まるで昨夜
の騒ぎがまったく嘘か、あるいは遠い昔の亡霊で、曙光とともに露となった真の姿は、
誰もいない無人の廃虚であると錯覚する程に、街はしらじらと沈黙が支配していた。
 この街は、闇の神を崇める街。故にこの街が生き生きとするのは、闇と人工の明り
の下のみなのであった。彼等は最初からこうであったのかとソールディースは疑問に
思った。だが、如何しても思い出せなかった。もしかしたら、この街の者より後に自
分は生れ出たのもや知れぬ、とソールディースは思った。闇の神よりも年ふりた街。
それは如何程の年月だろう?
 ふと、ソールディースは顔を上げた。肩の鳥と同質な『存在』を感じ取ったのであ
る。それは何故今迄感じ取れなかったのかと訝しく思う程に、強烈な『存在』であっ
た。あたかも蛾が炎に惹かれるが如く、『存在』の力線に引かれ、ソールディースは
歩を運んだ。ソールディースの選んだ道の果てには、自身の神殿があった。
 未だに血痕も生々しい神殿の中庭に、『存在』はいた。ソールディースが想像した
とおりに、滅びの色である蒼の瞳と金の髪を持っていた。しかし、その無性の美しさ
は、ソールディースの想像を超えていた。
 鳥はソールディースの肩から飛び立ち、己の半身に会えた嬉しさにひとしきり『存
在』に纏わりつくと、やがて消えた。だが、その唐突な消滅にも、『存在』は驚いた
ふうもなく、黙ってソールディースを見詰めていた。見詰める瞳には、深淵が透けて
いた。
 ソールディースは立ち竦んだ。その美しさと、何よりも鳥から読み取れたものとは
比べものにならぬ滅びへの意志に。神が、人の子に圧倒されたのだった。それに気付
いて、ソールディースは屈辱を感じ、それを隠す為に傲慢に『存在』に問うた。
「何故に真昼に闇の神殿にいる? 闇神を崇める者ならば、闇祭の間は昼間は家なか
で精進することが定められているであろうに」
 すると、『存在』は微笑み、性別を持たぬ声で答えた。
「私は闇神の信徒ではない」
「ならば、何故此処にいる?」
「闇神に問うことがあったから」
 真摯な声と共に、『存在』の瞳の中の深淵が束の間、煮え立った。
「何を問う?」
 ソールディースは己の声音に脅えを感じた。『存在』の瞳から眼を逸した。見詰め
続ければ、瞳の中に墜ちてゆきそうであった。
「神とは何か、を」
「……?」
 眉をひそめるソールディースに向かって、『存在』は言葉を続けた。
「闇神ですら、己以外の神に祈ることがあるという。その神とは何か?」
 先刻、蒼い鳥の眼は、言った。誰に祈るの?
「教えて欲しい」
 するとソールディースは言うより他にないと感じた。そして『存在』に告げた。
「『死』であり、『宿命』であり、『時』である君」
 『存在』の蒼ざめた美しい顔に、僅かに赤みが差した。
「『時』に果てがあろうか? 『宿命』に終りがあろうか? 『死』に終焉が来よう
か?」
 風が、ソールディースと存在の『狭間』を吹いていった。しかし、ソールディース
の衣の端はまったくはためくことはなかった。そして、『存在』のヴェールも。
 ソールディースは『存在』の瞳を今一度見詰めた。そこには、やはり無への渇望以
外のものがなにものもなかった。
「……もし死するものが存在しなくなれば、それこそ『死』の凱歌の終焉であろう。
『宿命』を担うものが存在しなくなれば、それこそが『宿命』の終り。そして『時』
をはかるものと体現するもの、認識するものが存在しなくなれば、それが『時』の果
てであろう」
 ソールディースの答えに、『存在』は笑った。至福の笑みであった。とうとう真理
に到達した者の。そして言った。
「私は答えを見付けた」
 今や『存在』の姿は金色に輝いていた。辛うじて『存在』を人に見せていた地上の
属性は、ことごとく輝きに中に熔けていった。
「私は私の規定を見出した」
 『存在』の足下には深淵が広がり、その右手には永劫に廻り続ける輪廻の輪が、左
手にはさらさらとこぼれ落ちる時の砂があった。
「礼を言う、ソールディース」
 世にも美しい顔に勝利の笑みを浮かべると、『存在』は消えた。今迄存在していた
のと同様に確かに、最初から存在していなかったが如くに。
 ソールディースは夜色の翼を落ちつかなげに羽ばたかせた。何時か人間たる偽装は
剥げ落ちていた。
 ソールディースは『存在』が何であったのかを半ば悟った。と同時に、己に対する
たとえようのない恐怖を覚えた。自分は闇の『神』。しかし、神とは一体何であろう
か?
 源初の頃、己は形を持っていなかった。形を持たず、唯この世界の狭間でまどろん
でいた。しかし、遠い昔、ある一人の旅人が、今日まで神殿に祀られ、生贄を捧げら
れるかの神像を街にもたらした。それにより、人々の思いは方向性を持ったのだ。己
の神を思い浮かべる際には、かの像の似姿を思い描くように……曖昧な実体を持たぬ
概念に過ぎなんだ神に、形を与えるようになったのだ。気の遠くなるような日々の積
み重なる内に、そのイメージはソールディースにも及び、ついにはソールディースそ
のものを規定した。
 統ての概念は、形を得た時に死すべきものになる。
 ソールディースは『神』が何を企てていたかを知った。昔日、かの神像を街の人々
に与えた旅人は、金色と蒼い瞳を持っていなかったか?
 大いなる畏れが、ソールディースの心を鷲掴んだ。ソールディースは翼を広げ、街
から逃げ出した。

                  ★

 その夜、満天の星は燃え、月は粉々に砕けた。夜のかけらが古びた漆喰の如く地に
降り、海は泡立ち猛り狂い、大地はひび割れた。
 世界を七日で滅亡させた大災厄を、ソールディースはこの夜ならぬ次元で見ていた。
人間の数が減るにつれ、己の姿が曖昧になってゆくのを、ソールディースは感じてい
た。所詮、己は独立した存在ではなく、人間の心の闇が形造ったものに過ぎなかった
のだと、ソールディースは悟った。己を称えるあの血の儀式は、結局は人が自己の中
の獣を解き放つ方便に過ぎなんだのだと。故に、己を規定したものが滅びれば、己も
また消え失せるのだと。
 やがて、世界に静寂が満ちた。生物が死滅すると、次には静かに、星も月も、虚空
を占める絶対無の中へと、消えていった。
 己もまた無へと還元しながらも、ソールディースは『存在』を感じ取った。声が聞
こえた。
「ソールディース、私はもうすぐ平安を得る」
 金色の微笑。
「統べてのものが無に帰せば……もはや、宿命も死も、時もない。私を規定するもの、
私を存在に縛りつける鎖は消え、私は消滅をすることが能う。……宿命や死を凌ぐ時
も、それを認識するものが存在することで、成立するのだから」
 永遠の疲労が、その声にはあった。
「ソールディース、そなたは人の心が生み出した『神』であった。『神』が人を造る
のではない。人が『神』を造りだし、それに力と意味を与える。故に、世界が滅びな
くとも、そなたの類は人が『神』を己の外部に欲しなくなった時、己の中の醜悪さを
知った時には、消え失せたであろう。……しかし、私は「「」
 かつてソールディースであった人の想いは集合体は、原子よりも細かく分解されて
いった。しかし、『存在』は言葉を続けた。
「私は時の初めより、存在した。誰も私を造りだしたものはいなかった。私によって
世界は造りだされた。……ソールディース、では私は何なのだろう?」
 『存在』は己の言葉に恐怖を覚えたように目を見張った。その口もとには、もはや
微笑はなかった。

「何もない世界で存在することの叶う私は、何なのだろう? 私が総ての規定者なの
か? 私は、何者にも規定され得ぬのだろうか? 私がこの世界を造りだしたのなら、
私を造りだしたのは、私を規定したのは誰なのか?」
 世界は完全に消滅していた。無すらそこには存在していなかった。だが、『存在』
は相変わらずに世にも美しい。しかし虚しい輝きに包まれ、そこにあった。


                  ★


『ねえ、ママ。神様って何処にいるの?』
『神様はね、一人一人の中にいるのよ』
『神様ってこの世の総てをお造りになったのでしょう? 私の中の神様は、私の中に
もう一つ別の世界をお造りになるのかも知れないわね』

                            <END>




前のメッセージ 次のメッセージ 
「空中分解2」一覧 永山の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE